#35 勇者の本質
教皇との謁見に際し、カナは宰相と二つ約束ごとをした。
一つ。教皇の容態に関し知り得た情報は如何なる相手にも口外しないこと。
これは〝後援会〟のみならず多くの国民が混乱するのを避けるためであり、カナは快諾した。
そして一つ。護衛は二人までとし、一つ目の約束を守ると信頼できる者を選ぶこと。
本当に身の安全が保証されているのかわかったものではないので、カナは一人目にゼノを選んだ。
目的は教皇の容態を診ることである。信頼を考慮すれば彼以外の適任は居なかった。
もう一人の護衛は、ゼノの提案によりはるみんが選ばれた。
本人は乗り気ではなかったが、彼女はアルレン不在の際のギルドの代表者だ。
ゼノ曰く、その気になれば相応の実力がある、とのことである。
そんな彼女は今、ゼノに背負われて眠っている。
まるで子守りだ。本当に大丈夫か。カナの不安は消えない。
街並みを吹き抜ける朝風はまだ冷たい。
街ゆく人々の喧騒を縫いながら、カナたちは目的地である大聖堂へと向かっていた。
「はるみんちゃん、どうしてそんなに眠たいのかな……」
「この子はちょっと特異体質やねん」
「そうなの?」
「ふつう、魔力ってのは人によってキャパが決まってる。でもはるみんは違う。眠ってる間、際限なく魔力が身体に蓄積されるらしい」
「よくわからないけど……強そう」
魔力なんて、ファンタジーにはありきたりなものだが。
いざそんなものがある世界に直面すると、まるで初めて触れる概念であるかのようにカナは感じていた。
「どうやろな。起きてる間は何もせんでもダダ漏れらしいから、不便やと思う。魔力そんなたくさんあっても一気に使わんしな」
「わたしにもある? 魔力」
ふと気になってカナは尋ねる。そもそも魔力がなんなのか、正確には知らないのだが。
「エルフやから、かなりあると思うで」
「ふーん……」
実感が湧かない。これまで古代の叡智にアクセスして使った魔法でも、魔力を使っていたということだ。
そのうち限界まで無駄なことでもしてみようかと、カナは思うのであった。
して三人は大聖堂に着いた。王国領において最大の教会であり〝後援会〟の本拠地だ。
ただの石造りの教会とは異なり、巨大な青水晶が加工されて建築の一部となっている様は荘厳な神聖さを感じさせるものがある。
外観に施された精巧な装飾からも、この世界における宗教の持つ影響力が見てとれる。
これを敵陣と呼ぶには些か失礼があるようにカナは感じていた。
怪しい司祭みたいなのがいるわけでもないし、一般の礼拝者は人の流れを作っているし。
「はるみん、起きろー! もう自分の足で歩け! 腕つりそう!」
「うん……あと五分……」
「五分もないわ! 目的地着いてる!」
二人が漫才をしているところに、大聖堂の中から宰相がやってきた。
「カナさん、お越しいただき感謝いたします。護衛の方も、こちらへ……」
大聖堂の中へと入ると、見上げるほどに大きな空間が広がっていた。元々は女神を信仰する場所だったらしく、穏やかな笑みで俯く女性の石像がある。
三人は司祭専用の扉を通じて上階に来た。そこまでくると外の喧騒が嘘であるかのように途絶え、緊張が募っていく。
宰相はある扉の前で足を止め、ノックした。
「入りたまえ」
部屋の中から穏やかな老人の声が聞こえると、宰相は扉を開いた。
そこは、ソウマ教皇の住まいだった。
執務室のような内装の部屋だが、生活の痕跡が多くあったのである。
カナたちは互いに顔を見合わせた。彼のような大物が住むのには、その部屋は狭すぎると誰もが感じるだろう。
して、部屋の奥には特注の――恐らく〝工房〟の作った車椅子に座る、教皇の姿があった。頬は痩せこけ、その肌は病的に白い。
彼の青い目は絶望に染まっており、たしかにこれは宰相の言った通り、病んでいるのは間違いなかった。
「よく来た……。この世界の〝書架〟――カナと言ったか」
彼は優しく微笑みながら、カナたちを歓迎した。
「あんたが〝後援会〟の首長だって? なんや、随分と弱ってんな」
拍子抜けだと言わんばかりに、ゼノは室内にあるものを物色しながら挑発した。
棚の上には奇妙な薬品が瓶の中にはいっており、ゼノは興味深そうにそれを眺める。
「お前は……ゼノだな。背中に抱いてるのはハルミか。空いているソファーがあるだろう。適当に寝かせなさい」
「……はるみんはともかく、なんでオレのことがわかる?」
「わかるさ……。立ち話もなんだ、座りたまえ」
カナたちがソファーに座ると、教皇は対面まで移動した。
自分の手で車椅子を引かずに、魔法で風を起こして動かしているようである。彼の枯れ木のような手は、膝の上に張り付いており微動だにしない。
「――無様だろう」
自重気味に、教皇は呟く。
カナたちは否定も肯定してもせずに黙っていた。敵対する組織の首長がこんな状態だったことに、ゼノも未だ現実感がないようである。
「あ、あの。教皇さまはご病気と聞きました。どんな症状なんですか?」
カナは遠慮がちに、できるかぎり失礼のないように尋ねた。
「全身症状、やな。さっきから筋肉を動かしてない」
手すりに肘を乗せ頬杖をつきながら、ゼノは推察した。
肯定するように教皇はゆっくりと頷く。
「病ではなく、神罰だよ。手足の先からゆっくりと、しかし着実に、私は植物へと変わっている」
教皇は棒のようになった腕を動かし、袖を硬直した指の隙間に引っ掛けて、それをまくって見せた。
腕のところどころから、恐らく皮膚にある毛穴から、赤い葉を持つ新芽が伸びている。カナは思わず口を覆った。
「体表面にあるものは、枯らす魔法薬でどうにでもなるが……。体内はもう、手遅れだ。手脚の感覚はないし、肩から先は動かせん。血管は植物に水をやる管にでもなっているのであろう」
「ど、どうしてこんなことに……?」
カナの問いに、教皇はしばし黙った後、何らかの覚悟を決めたような様子を見せて言った。
「勇者だよ」
その一言は、彼の諦観を物語っていた。
〝後援会〟は勇者を神格化し、信仰する集団だ。その首長たる彼が、自身に降りかかる悲劇の要因を勇者と定めたのである。
しかし彼は神罰とも言った。勇者への信心が潰えているわけではないらしい。
そうでなければ、邸宅ではなくこんな狭苦しい部屋で過ごすわけがない。
彼はすでに決断した後なのだ。少しでも神と近いところでその生涯を終えようと。
(……たしかにこれは、わたしにしか治せないかもしれない)
カナは自身が呼ばれた理由がなんとなくわかった気がした。
その禍々しい呪いを解くには、勇者の持つ本にそう記述する必要があるようである。
「勇者さんが、あなたをそんなふうにした理由が知りたいです。その……あなたが悪い人かもしれないから」
「……〝黎明〟から聞かされていないようだな。ならば、私から話すべきだろう」
教皇はカナたちの前で自身の過去を語りはじめる。繰り返される世界に紡がれる、長い長い悲劇の歴史を織り交ぜながら。
カナは彼の言葉から勇者の本質を知ることになる。
多くの者から疎まれ続けた勇者の、壮絶な旅路の物語である。




