#33
あろうことか、四時間ほど眠りほうけていたカナがマヤの不在に気づいたのは、日没が近くなった頃だった。
マヤだけではなく同行したハナも戻ってこないと、ゴウキは焦りを見せながらカナに話したのである。
カナはすぐにでも探しに行こうと邸宅を飛び出そうとするが、大勢の者たちに止められた。
彼女を死守しろという命令を受けた手前、この時間に自由に外を出歩かせるのは危険極まりないことだった。
王都は広い。治安を考慮すれば、人攫いに捕まった可能性も拭えない。
暗躍を得意とする黎明メンバーが徒党を組んで捜索に乗り出したものの、望みは薄いとゴウキは断言した。決して残酷なわけではなく、彼の目には涙があった。
「……ひ、人を探す魔法とかないんですか?」
「個人を特定するのは……厳しい」
居ても立っても居られなくなり、カナは屋敷中を駆け回り、部屋に滞在していたメンバーから目撃情報を募った。
しかし王都の入り口からここに向かう過程で王城を通る者などいるはずも無く、実りのない時間だけが過ぎていく。
(どうしたらいいの……?)
邸宅の玄関には見張りまでついている始末だ。抜け出すことすらままならない。これでは護衛ではなく監禁ではないか。
カナの中に怒りが沸々と湧きでては、揮発する。
「今はただ、無事であることを祈ろう……」
ゴウキはただ静かに、カナを諭した。
玄関の傍らにある席に、茫然とした様子で座っているカナの前には、たくさんの食べ物が並べられている。
メンバーたちが気遣って置いていったものだが、こんな状況で口を付けられるほど彼女の肝は据わってはいない。
そんな折、ゼノが息を荒げながら邸宅に帰ってきた。叩きつけるように扉を開き、多くの注目を集めるも、どうでもいいという様子で周囲を見渡す。
「カナちゃんは……! 居るか、よかった……」
「ゼノさん。どこに行ってたの……?」
「すまん。マヤちゃんのこと聞いて探し回ってたから遅くなったわ。それより……!」
ゼノは一枚の手紙をカナに見せる。
「……これをどこで……?」
「〝後援会〟の仕業なのは自明やからな。聖堂に乗り込んだら騎士団員に渡された」
震える手で、カナはその手紙を読んだ。
『仲間の二人は預かっている。解放の条件はただ一つ。書架一人が王城に赴くこととする。期限は明日の朝日が登る前まで。場所は――』
そこに指定された場所は、他でもないオルキナの王城だった。
偽りの可能性も拭えないが、差出人は他でもない国王――すなわちその手紙は、勅命ということになる。
「行かなきゃ――」
「待て! 落ち着けカナちゃん。罠だったらどうする!」
駆け出そうとするカナを、ゼノは必死に止めた。
「どうして止めるの……。なんで誰も助けに行こうとしないの……? 仲間が、危険な状況なんだよ……」
「冷静になれ! 明朝までは時間があるやろ。まずは作戦を練る!」
「そうやって、出し抜こうとするばっかりじゃん……。頭を使って相手を驚かせればそれでいいわけ……?」
カナは俯き、精神を集中させた。
ハイドとの繋がりが鮮明になっていく。心の奥底に、炎が灯る。
しかしこの時、カナは不思議に思うことがあった。別に今、彼女は怒っているわけではないのだ。
カナの中にあったのは〝黎明〟に対する微かな失望感と、立ち向かおうとする勇猛な決心だった。
「教団を信じるな! 人質が二人から三人になるだけかもしれんやろがい!」
「信じてない……! もうわたしは……〝後援会〟も〝黎明〟も信じられないよ……」
先刻に見せたゴウキの無力感に満ちた諦観からも、彼らが周期の特性に甘んじていることが見てとれた。
勇者やアルレンだけでなく〝自覚者〟はみな、狂っているのかもしれなかった。命を落としても時間が戻ってやり直せる世界に、適応してしまっているのだから。
カナの足元に魔法陣が広がり、姿が塗り替わる。
魔力になびく髪は白銀に。勇気に満ちた瞳は黄金に。
「あかんって! みんなちょっと離れろ。こうなったカナちゃんは何するのかわからん!」
ゼノは身構えながら、傍観者たちに警告した。制御のできない力の発現を、その場にいた彼らは茫然としながら目の当たりにすることになる。
「何するって……助けに行くに決まってるでしょ。それ以外にある?」
カナは手元にモップをたぐり寄せる。心の中で「来い」と念じるだけで召喚ができるようになっていた。
古代の叡智に触れて探すのは――最高速で、かつ安全に王城へと至る魔法。
『――飛翔しろ』
どろん。
カナが唱えると、彼女の姿が一瞬で消えた。
残ったのは、空中に舞う煤のような物質のみ。すぐに消えてしまうそれを、ゴウキは咄嗟にひとつまみ取って、感触を確かめる。
「なんだ……こりゃあ……」
煤に触れた彼の親指と人差し指は、水疱が破れたときのように、皮が剥けていた。
気に留めることのない程度の痛みだが、ゴウキはカナの力の恐ろしさをすぐに確信することになる。
ごく僅かながらも彼の皮膚は、このとき消滅していたのである。
そのことに誰も気付かないまま、傍観者たちは大騒ぎになった。
理由は二つ。
この世界に来たばかりの〝書架〟が得体の知れぬ魔法を使って姿を消したこと。
そして、アルレンの命令「カナを死守しろ」により〝後援会〟との衝突が免れなくなったからである。
できる限り身の安全は保証されたまま乗り切りたいのが、彼らの本音だった。一般的な冒険者ギルドと違って、彼らは誰もが戦闘を専門としているわけではないのだ。
「どうしてくれんだああああああっ!」
ゼノは頭を抱えて、絶叫した。一応、猛省もした。
もう少し、集団行動の大切さをカナに学ばせるべきだったのかもしれない。後の祭りである。〝黎明〟ってフリーダムだから、誰もとやかくは言えないのが悲しいところだった。
それでも副団長のはるみんは、幸せそうな寝顔を周囲に振り撒いていた。




