#25
約まやかな食事の後、カナたちは逃げるように二階の廊下に戻った。
「こ、殺されるかと思った……」
ムサシはこれ以上争う気が無いらしく、ゼノの弱腰な敵愾心も軽くあしらい、酒盃片手に身を休めている。
彼がそうでも、カナたちの気が休まらなかったのは言うまでもない。
「……一応聞くけど、あいつにもここのルールは適用されるのよね?」
「まあ……たぶん大丈夫やろ……駐在してるくらいなら下手なことはせんはずや」
マヤの問いにゼノは自信なさげに答えた。
「せっかくの宿なのにこれじゃ休まらないわね……」
「あ、そだ! お風呂入ろうよ! 地下にあるんだ。大浴場!」
リミちゃんの提案に、カナとマヤは首を傾げた。
*
部屋から着替えを確保した女子の三人は、階下の様子をうかがいながら慎重に進んだ。
先ほどと同じ席にムサシは居る。
どうやら彼は夕食に夢中のようで、巨大な骨付き肉をカレーのような料理につけながら食べていた。
さすがは〝自覚者〟の宿舎といったところか。料理に関しては中世とも近世ともとれぬ独自の発展を遂げているようである。
「今よ……!」
リミちゃんの合図と共に、三人はまるでコソ泥のように、彼に見つからないように地下へと降りていった。
「……何やってんだ? あいつら」
ちなみに見つかっていた。
して、階段を降りたところには脱衣所があった。
鍵付きのロッカーに、洗面台やヘアドライヤーまで置いてある。電気式でなく、利用者の魔力に反応して、自動的に魔法の水や熱風を送り出す装置だった。
「な、なにこれぇ! すごぉ!」
マヤは一種のカルチャー・ショックを受けていたに違いない。
辺境とはいえ貴族の住まう屋敷よりも大きく発展した技術を、目の当たりにしたのだから、当然の反応である。
現代から来たカナでさえ、感動を覚えていた。
ゼノが言っていた〝魔法と科学の結晶〟という言葉をまさしく体現したものが、そこにはいくつもあった。
「あははー。マヤお姉ちゃんはしゃぎすぎだよー! 中はもっとすごいんだから!」
「これ! この穴、なに! なにこれ!」
「洗濯機だよー。乾燥機能もあるね!」
「せ、センタッキー? なんて?」
「せ、ん、た、くぅー♡」
(大変だ。マヤがバグりだしてる)
情報の供給過多により、マヤはいつもの凛々しさを喪失し、ただのうるさい女になっていた。
このままでは熱を出して倒れるのではないかと、カナは心配した。
その後三人は衣服を洗濯機に放り込み、バスタオル一枚だけの姿になった。
リミちゃんが脱衣所の扉を開くと湿気を帯びた熱気が流れ込む。
和風の庭園を模した浴場がそこにあった。
壁一面には日本人にはお馴染みの風景が、少し雑に描かれている。振り返らねばそこが地下室とは気付かないかもしれない。
青い海、緑の山々、白い富士。思い入れのある風景というわけではないものの、カナは少し懐かしい気持ちになれたのだった。
「わあ。この景色ってもしかして……」
「う、うん。わたしの……いや、〝自覚者〟たちの故郷だよ」
マヤの言葉にカナは頷いた。
「職人が描いたわけじゃないから、ちょっとへたかもね!」
リミちゃんは空に描かれた笑顔のついた太陽を指さしながら、そう言って微笑んだ。
その後、三人は灰色の石に囲われた湯船に浸かった。
かこーん。
身体の芯まで届く程よい温かさに、カナたちは恍惚としながら癒されている。
「はああ……もうここに引っ越したいくらいだわ……」
「余裕で住めるよねえ……」
「一体どうして無限にお湯が出てくるのかしら……」
マヤは際限なく口からお湯を供給し続ける熊の顔の彫像に手を突っ込みながら、呟いた。
「天才だよねえ……」
リミちゃんは心ここにあらずといった様子で答える。
(二人とも仲良くなったなぁ。さすが陽キャ……。わたしももっと二人とお話したいな……)
しかし何を切り出せばいいかわからず。
カナは口元まで湯船に沈んで、寂しそうにぷくぷくと泡を吐きはじめた。
「カナお姉ちゃん、聞いていいのかわからないんだけど……」
ふと思い立ったように、リミちゃんが切り出した。
「な、なに?」
「その……身体の傷って、痛かったりする?」
カナの身体には癒えない傷痕の数々が残っている。
エルフのカナが過去に受けたものらしいが、今のカナには特に実感がない。
「ううん、痛くないよ。見るのはちょっと怖いけど」
「そなんだあ」
「うん……」
会話終了。
それにしても、カナは気になることがあった。
この世界には勇者が本に記したものしか残らないのに、どうしてカナの身体には傷が残っているのか。
誰かが口伝えしたのか、あるいは彼が直接、裸を見たのか。
後者だとしたら、一体どんな状況だ。アルレンに言わせれば、そんな周期もあったということなのだろうが、カナは腑に落ちなかった。
「カナお姉ちゃんって寡黙だよねえ」
「うん」
「なんで?」
「…………」
リミちゃんは遠慮を知らずに気になることを尋ねる。
「こらリミちゃん、カナが困ってるわよ」
「でも知りたいんだ。カナお姉ちゃんの壮絶な過去!」
別に、困ってはいない。
彼女の根暗な性格が形成されたことに、さしてトラウマと呼べるような悲惨な過去などありはしないのだから。
なるべくして、こうなった。と言えばそこまでだが、それで会話が終わってしまうのも寂しいので、カナは一つ思い当たることを呟いてみた。
「……昔から、誰かの視線を感じることがあるんだ」
「視線?」
それにカナが気付いたのは小学校の高学年になった頃からだった。
友達と登下校をした通学路では、穏やかに飼い犬と散歩をする老婦人が。
家族と買い物にきたショッピングモールでは、従業員かあるいは他の客が。
たまたま通りかかったコンビニの前では、迷惑を顧みずたむろする不良の一人が。
本当に何気ない日常の一場面で、カナはいつも誰かに見られている気がした。
それを両親に相談したこともある。
気のせいでしょうとあしらわれ、そう言われればそんな気もすると、カナは自分を納得させた。
いつしかカナは〝見られている気がする〟ことに慣れていたが、極力普通にして、目立たないように生きようとしたのはそれが一因しているのかもしれなかった。
「きっと気のせいだよ。怖い人に話しかけられることも、誘拐されることもなかったし……」
「その視線は、この世界でも感じる?」
馬鹿げた話だという自覚があったが故に、親身になって聞いてくれるリミちゃんに、カナは少し目を見開いた。
「ど、どうかなぁ……」
「もう二人は仲間だから暴露しちゃいますけど……カナお姉ちゃんが〝書架〟だとわかってからは、あちしずーっと二人のことを盗撮してたよ!」
「ええ……」
リミちゃんは二人の間に入って、両手を伸ばすしてカメラの形を作った。その手の中に現れたのは……長方形の魔法陣。
「はいはい笑ってー!」と、浮かんだままの魔法陣に、カワイイポーズをとるリミちゃん。そして、
『ズーム!』
カシャ。
彼女の合図と共に人工的なシャッター音が鳴って、三人のバスタオル姿が映し出された写真が、魔法陣の上に表示された。
「あちしはカメラマンだからね!」
その写真には触れられない。現像魔法で転写する必要があるらしい。
「すごいわ。誰に魔法を教わったの?」
「えへへー。な、い、しょ!」
「光魔法……? いやでも神聖な気配はなかったし……」
「うふふーん。企業秘密ですよぉ。いろんなところに行って、いっぱい写真撮れるといいよね!」
カナは想像してみた。キラキラして眩しい世界を巡る四人の姿を。
どんな困難もみんなで乗り越えて、たくさんの景色を見て、たくさんの思い出をつくる。
きっとそれはかつてないほど幸せで、楽しい時間になるに違いない。
さりとて、自分には叶わず、そして相応しくないことは、自分が一番よくわかっていた。
(いつかわたしは、彼らと離ればなれになるんだから)
夜明けが来れば、夢から覚めるのが道理である。
カナはすでに、その覚悟ができていた。
「カナお姉ちゃん、ぜったいに、未来を変えようね!」
――未来を変えれば〝書架〟の資格は受け継がれるから。
リミちゃんはそう言いたかったのかもしれない。
「うん……」
カナは曖昧な返事をした。
未来は変える。勇者が死ぬ未来も、魔王が死ぬ未来も、逃れてみせる。ムサシとの闘いで、カナにはその意思が芽生えた。
(みんなが未来を恐れずに生きていける世界を目指すんだ)
そしてそれを成したとき、自分は胸を張って彼らを見送ろう。
この時カナは、そう心に決めたのだった。
*
翌朝、ゼノは三人を部屋に呼び集め、床に置かれた〝魔導具〟を自慢げに披露した。
それまで見たものと比べて大きく、そして複雑な機械だった。
「これは……?」
「ヘヘッ! 名付けて――《ホロ・ブロードキャスター》! 略して〝ほろぶろ〟! 〝自覚者〟の中でも数人しか所持を許されない最新鋭アイテム!」
「また奇妙なものが……」
マヤは感動を通り越して呆れながら、その物体に手を伸ばした。
「あーダメ! 精密機器やから触るな! これ一つで公爵の邸宅が建つほどの代物やで」
「コっ……」
その言葉にマヤは硬直した。
「ボスから借りたものやから、汚しでもしたら殺される。ただの無線機とは違うでな。立体映像および音声を魔法の波に変えて送受信するためのモンや」
「それで一体なにをするのよ……」
その問いを待ってましたと言わんばかりに、ゼノは不敵な笑みを浮かべた。
「ずばり……ボスの配信を見るッ!」
カナとマヤは首を傾げた。
それが今後の行く末を決するターニングポイントとなるとも知らずに。




