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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
23/110

#23


 背丈よりも長い(つか)を両手に抱え、その死神は無感情な視線をムサシに向ける。


 警戒するに値する敵意を感じ取り、対するムサシは一歩下がって臨戦態勢を整えた。


「なるほど〝魔導具〟か。アルレンに直接仕えてるだけは――」


 発言を許した覚えはない。

 そう告げるかのように、リミナは突然にムサシの視界から消えた。


「殺す」


 そして一言、ムサシの耳元でささやく。

 速い――。彼の目に明らかな焦燥感が宿る。

 すでに鎌の刃は、ムサシの首筋を捉えている。

 あとはそれを()ねるだけ。


 無惨な光景が目に映ることを本能的に拒んだカナは、思わず目を覆った。

 しかし起きたのは爆発音だけで、彼女が恐れるような事態にはならなかった。


「持ってるのはお前だけじゃねえんだよ――」


 怒りが込められたムサシの言葉とともに、リミナは腕を鷲づかみにされ馬車まで吹っ飛ばされた。


 爆炎のなかからにじり寄るムサシは、先ほどまでは着けていなかった首から頭部までを覆う兜を装着している。


 竜の頭部を模したような黒い兜は、伸縮性のある衣服のように彼の皮膚にぴったりと密着しているように見える。

 その姿は中世の騎士というよりは、さながら機械の兵士のようだった。


 彼のいる場所が、水蒸気を噴きながら溶岩へと変質していく。

 兜の奥から鋭い眼をひからせる黒い騎士を前にしても、リミナは立ちあがり鎌を構えていた。


「殺す、殺す、殺す、殺す……!」


 頭部から流血しているにもかかわらず、こわれたラジオのようにひたすら同じ言葉を紡ぎつづけるリミナの姿に、カナが感じていたのは恐怖だけではなかった。


 どうしてあの子はあんなに、辛そうなんだ。

 リミナから無尽蔵に湧きでる怒りと憎しみを前に、カナは答えを見出せない。


 隙を見つけ、草原からゼノが転がるように現れる。


「今のうちや……。馬車を直す! マヤちゃんはリミちゃんの援護頼むわ!」

「え、援護って言われても、どうしたら――!」


 その泣き言は、断じてマヤが実力不足だから出てきたわけではない。


 火花を散らしながら幾度となく鳴り響く、金属の衝突音。

 目まぐるしい速さで縦横無尽に攻撃を続けるリミナと、それらを余裕で防ぐムサシの攻防に、付け入る隙などないのである。


「当てなくてもいい! とにかく水をぶちまけるんや! それがアイツの弱点になる!」

「わ、わかった……!」


 マヤはゼノの指示通り、両手に魔力のかぎりを込めて上空に魔法陣を展開する。

 それは見たこともないほどにおおきく、あおいひかりが地面を照らすほどだった。


「さすが本職なだけあるやんけ」


 ゼノは作業しながら、空の魔法陣に感心する。


『――恵みの雨よ降れ(セイクリッド・レイン)!』


 なんらかの奇跡が起こることに賭け、マヤは全力で叫んだ。


 快晴のなか、魔法陣から大雨が降りはじめる。

 元々、村の農業を支援するために身につけていた魔法が、こんなところで役に立とうとはマヤも思ってもみなかっただろう。


 降りだした雨が水溜りを作っていく。

 溶岩に触れた雨滴はすぐに蒸発して、周囲に霧が立ちこめていった。


「なんだ? それで隠れたつもりか?」


 ムサシはリミナからの見えない場所からの暗殺も難なく防いでいる。

 それだけではない。鎌の刺突を敢えて受けることで本人の位置をあぶりだし、リミナの首根を片手で掴んだ。


「う、うう……」

「俺に《竜の頭蓋》を始動させたことだけは認めてやる。だが、道理は(わきま)えな――」


 リミナが本気で挑んでも、彼には遠く及ばないようだった。


「殺す……! 殺すぅ……!」


 苦しみながらも戦意の消えないリミナに、ムサシは面倒臭そうにため息をついた。


「――童心の消えねえガキが軍人に敵うわけねえだろ?」


 そう言うと、ムサシはふたたびリミナを放り投げ、馬車に叩きつけた。


「かは……」


 リミナは衝撃を受けて、吐血した。

 それでも……なおも立ちあがろうとする彼女を、カナは慌てて止めた。


 この子は死ぬまでやる気だ。そんな確信があった。


「今や! みんな伏せろ!」


 ゼノは隙を見て、魔法の障壁でムサシを周辺の霧に閉じこめた。


 高音の物体に水が触れると気化が起こり、体積は数千倍にも膨張する。

 それが閉じた空間に充満すれば、圧力は増していき――山をも崩す大爆発を引き起こす。

 火山で見られる、水蒸気爆発の原理である。


「《アクエリノケロス》! 隠れてないで守ってくれー!」

「ぶもあ!?」


 ゼノの叫びとともに、予想通りの大爆発が引き起こされた。

 魔法の障壁はガラスが割れるかのように破壊され「あ、強すぎたかも」とゼノはつぶやく。


 マヤは咄嗟に防御魔法を展開した。

 サイの霊獣も、状況を悟ったようでその肉体と保護結界で、カナとリミナを庇っている。


 この規模の爆発をもろに受けて、助かる道理はないだろうと、誰もが思っていた。

 しかし、やがて爆風が収まると――、


「あー……今のは効いたぜ」


 ムサシは肩を回しながら、黒煙のなかから姿を現した。外傷はなかった。


 このとき誰もがこう思った。

 ――この男には勝てない、と。


 そのなかで唯一、リミナだけが殺意を剥きだしにして彼を睨みつけていた。


「怖いねえ。殺したら死ぬまで付きまとわれそうだ……」


 悪魔のような眼光を放ち、一歩ずつ近づくムサシは呆れた様子でリミナを挑発する。


 彼の言葉で、カナのなかにあるなんらかの糸が、ぷつりと切れた。


「リミちゃん、もういいの。お願いだから動かないで……」


 カナは必死に、怒りのままに八重歯を剥きだすリミナを止めた。


「どけよッ! あの男はあちしが殺すんだッ……!」

「……大丈夫だよ」


 できるかぎり優しく、暴れるリミナを抱きしめた。

 彼女の思いを理解しようと、目をつむって彼女を(なだ)める。


 小刻みに震える身体から、まるで伝わってくるようだ。リミちゃんの……いや、リミナの気持ちが。


 怒り、憎しみ、悔しさ。そして恐怖と、嫌悪感。


 過去になにがあったかまでは、想像できない。

 しかし、なんらかの事件によって崩壊したリミナの精神を――リミちゃんという仮面が蓋をしたのだと、カナはこのとき悟っていた。


 直接聞いたわけではないから、この認識には齟齬があるかもしれない。


 ただひとつ、わかったことがある。

 やり直せる世界は、悲しみしか生まないのだ。


「守らなきゃ……だめなのに……!」

「ううん、守らなくてもいい。あとはわたしに任せて、休んで」


 優しく諭すと、リミナはゆっくりと眠るように気をうしなった。


「ゼノ、リミちゃんの保護をおねがいね」

「お、おう……?」


 カナの雰囲気が豹変したことに、このときゼノは薄々気づいた。


 暗くなにもない、カナの意識の深い場所に、ちいさなあおい炎が灯る。


(ハイド。あなたの力、借りるね)


 カナはこころのなかに眠る怒りの化身に、呼びかけた。


「涙ぐましい友情ごっこは終わったか?」


 ムサシは余裕な笑みを浮かべながら、カナたちを傍観していた。

 カナが諦めて、こちら側に来るだろうという確信があったらしい。


来い(ターリ)


 あおい閃光とともにカナの手中にモップが召喚されると、ムサシの顔から余裕が消えた。


「嬢ちゃん、お前……」


 それだけではない。

 カナの金髪が、根本からしろく染まりあがった。あおい瞳は、黄金に。

 古代の怒りが、このとき初めて定着した。


「ムサシさん。あなたに警告してあげます」

「ああ?」

「今のわたしは、マジギレってこと」

「だからどうした。なら見せてみろよ。書架のお前になにができるか!」


 ムサシはカナを挑発するが、その眼差しは真剣だった。

 〝魔導具〟の始動で容姿が変わる者など、彼はかつて見たことがなく。

 ましてやそれが世界一周目の〝書架〟であることに、少なからず違和感を覚えていた。


「どれがいいかな……。できるかぎり傷つけずに、こころだけを折る魔法――」


 足元で回転する黒い魔法陣を眺めながら、ぶつぶつとカナがつぶやく。

 古代の怒りを形成した古代人たちの、すべての叡智をその目で見ていた。


 気味の悪さにムサシは短剣を構える。


 ――あった、これだ。


 モップを杖に見立てて、天に掲げる。


『――瓦解しろ(ラベク・ネムラト)


 命令に呼応するかのように、ムサシの剣が砂になって消えた。


「は……?」


 なにが起こったか、彼は理解していない。魔法に耐性を持つ鎧が、なんの反応も示さなかったのである。

 咄嗟に背中の大剣を引き抜こうとするが、すでにそれも砂になって消えている。


「あなたに魔法をかけた。あなたのすべてを瓦解させる魔法」

「みくびられたもんだな。武器がなくたって――!」


 ムサシは燃える拳を振りかざす。拳が砂になって消えた。

 さすがの彼も、痛みもなく砂になっていく身体に恐怖が芽ばえたようである。


「武器だけで許すと思ったの?」

「う、うわあああああああああ!」


 さすがの軍人といったところか、ムサシは歯を食いしばり、杖も腕もない状態で、自身の意思のみで魔法を放った。


 魔法陣から放たれた巨大な火山弾が、流星群のようにカナの元に飛来する。

 しかしそのすべてが、カナの目の前で魔力のひかりになって虚しく消えた。


 なにもかもが、今のカナには届かない。まるで次元がちがう。

 彼がそう気づいたときには、もう遅かった。


「きっとあなたは、こう思っているはず。ここで死んでも次の周期があるから大丈夫だろうって」

「てめっ……何者――!」

「でも残念だけどそうはならない。あなたのおかげで決心がついた。わたしは勇者も魔王も死なせない。繰りかえしの世界を終わらせる」

「ゆ、許してくれ……死にたくない……!」


 顔面を残し身体のほとんどが砂に変わった哀れな男を冷酷な眼で見下しながら、カナはつぶやいた。


「ありゃ、こんなところに砂埃が……。ちょうどいいからモップで拭き取っちゃお」


 そういいながら、カナはモップの毛先をムサシに押しつけて消してしまうのだった。



 *



 凄惨な戦闘の痕跡が残る道の真ん中に、器用にも白目を剥いてぴくぴくしながら立ち尽くす男がいる。


「カナ……これ、どうなってるの?」


 それを目の前で見物するマヤが、カナに尋ねた。

 もとの容姿にもどったカナが、自信なさげな様子で答える。


「その……悪夢を見る魔法をかけたの。た、たぶん……」

「い、いったいどんな悪夢を……」


 モップで掃除される夢である。そんなことを言っても信じてもらえなさそうだ。


 カナが新しい魔法を詠唱した時点で、勝負は決していた。

 あとは魔法が解けるまでにここから逃げだせばいい。

 目覚めたムサシに追いかける余力が残っていないことを願って。


「マヤ、リミちゃんのところに行こう」

「ええ」


 馬車の損傷は、それはもうひどい有り様だった。

 とくに最初の爆発が手痛い一撃だったらしく、片側の車輪はくの字に折れ曲がっていて、とてもではないが使い物にならない状態になっていた。


 座席の下層にある荷台は、霊獣の保護結界で最悪は免れていたものの、なかは荒れ果て、食糧の多くが台無しになっていた。


 二人はキャビンの座席でおだやかな寝息を立てて眠るリミナの様子を見た。


 頭部の裂傷、腕部の火傷、数ヶ所に及ぶ骨折と打撲。

 ところどころが破れ、そして焼け焦げている衣服が、戦いの凄惨さを物語っている。


 それは幼い彼女が受けるにはあんまりな仕打ちだった。


 やたらと臆病なサイの霊獣が治癒魔法の使い手であったこともあり、大事には至らなかったのが幸いだった。


「二人ともあまり気に病まんでええよ。オレら、見た目より長い時間を生きてっから。しんどいことにも慣れっこや。起きたらまた〝リミちゃん〟って呼んでやってくれ」


 馬車の損傷を修復しているゼノが、キャビンの外からそう言った。


「強がっちゃって。一番心配してるくせに……」


 マヤは二手に結われた赤い髪をいじりながら、本人に聞こえないようにボソッとつぶやく。


「おし! 応急処置やけどこれなら動くはずや。《アクエリノケロス》ー、ちょっとゆっくり引っ張ってー」

「ぶも」


 霊獣は返事をして、キャビンを引っ張った。

 以前より揺れを感じるようになったが、旅を再開する目処が立ったようだった。


「おーし。さっさとずらかるでー。もうあんな生きた心地がせん思いは御免や」


 かくして、カナたちはふたたび北を目指しはじめた。


 カナは一度だけ後方を振りかえる。今も悪夢にうなされるムサシが少し心配だ。

 そういえば……あの魔法って解けるのかな。


 加減がわからなかったから、やりすぎたのではないかと不安になってしまう。


「リミちゃんを虐めた罰としては足りないくらいよ、カナ」


 その様子を悟ったマヤが、カナに言い聞かせた。


「う、うん……」

「それに、さっきのカナ、別人みたいにかっこよかったんだから」

「えへへ……あ、ありがとう」


 別人みたい。

 その言い草は間違いではなかった。


 カナはリミナを止めて抱きよせたあのとき、彼女の怒りを継承していた。

 無限に湧きでるものだから、リミナからなくなったわけではないだろう。


 カナ自身の怒りも合わさり、より強大な力になったという実感が、なんとなく残っていた。


 病室での件と今回の件で、確信に至ったことがひとつあった。

 カナは怒りによって、深層意識のハイドと繋がることができるのだ。


 たとえば、インターネット上にはあらゆる情報がある。

 しかしインターネットにあるすべての知識をその脳に備える者はいない。システムを利用して、必要な情報を検索して取りだす必要がある。


 それと同じように、カナは深層意識に眠る古代人の記憶にアクセスすることができた。


 先刻の戦闘で、より強く結びついたことで自身の姿まで変容するに至った。


 そこまでして強くなった自分は、果たして本当にカナなのか。それともハイドなのか。


 わたしは、いったい誰なんだ。


 カナは(いささ)か戸惑いながら、何事もなく時を刻むあおい空を眺めていた。

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