#22 強敵あらわる!
翌朝。カナたちは北を目指して出発した。
目的地である王都まではまだまだ距離がある。ただ、今日のうちに中間地点にはたどり着くとゼノは話した。
それから彼はキャビンの座席を半分陣取って、足を窓から放り出して仮眠をとりはじめた。
「カナおねーちゃん、こっそりとなに書いてるの?」
「ひゃあっ……!」
カナは座席の隅に本を広げて、今朝に至るまでの日記を書いていた。昨晩はテントのなかで書くタイミングを完全に逃していたのだ。
突然にリミちゃんに覗かれ、途端に恥ずかしくなり、慌ててそれをお尻の下に隠す。
「た、ただの日記だよ」
「エモいー! 読ませて読ませて!」
「だ、だめえ……! 恥ずかしいから……」
「なんでー? いーじゃん!」
リミちゃんはカナの右腕に抱きつき、目を輝かせながらお願いする。
熟達した上目遣いの使い方にたまらず屈しかけたが、なんとか踏みとどまった。
「こ、これはね……わたしがもとの世界にもどったときのために書いてるの」
「……カナお姉ちゃんは、やっぱりもとの世界にもどりたいの?」
カナはリミちゃんの問いに答えられなかった。
帰りたいわけない。でも、帰らなくてはならないのだ。
借りてるものは、返さないといけないから。
ひととしての最低限の道徳心を捨ててまで、輝かしい交友関係を手放さずにいようとするのは――カナにとっては悪きことだ。
「わ、わかんないよ。でも、向こうにいるカナがこっちにもどったら、読んでもいいか聞いてみて……?」
結局カナは、明確な答えをはぐらかしながら、どうにかリミちゃんを説得させたのだった。
そのときである。
「ぶもあ!」とサイが大きな声で吠え、牽引の足を止めた。なにかに怯え、縮こまるように身をかがめている。
「なんやどした!」
ゼノは一瞬で仮眠から目覚めた。
おそろしい反応速度だなあ、と感心を見せた直後――。
なにかが爆発して、馬車が吹っ飛んだ。
*
なにが起きたかわからないまま、カナは黒煙のなかで倒れ伏していた。
強烈な耳鳴りが頭のなかで鳴り響いて、なんの音も聞こえない。
むせ返るように呼吸が苦しく、本能のままに這いつくばって煙のそとを目指すほかなかった。
途中、誰かに腕を掴まれて草原に放りだされる。
新鮮な空気を肺に取りもどして、少しずつ状況が鮮明になっていく。
「カナ、カナっ! 大丈夫?」
「うう……」
助けてくれたのはマヤだった。
彼女の必死の呼びかけが聞こえるようになると同時に、何者かがこちらに近寄ってきた。
「おいおい、ほんの挨拶代わりでくたばったりはしないでくれよ?」
余裕に満ちた野生的で重厚な男の声。
褐色の肌を持ち臙脂色の短髪と口髭を蓄えた壮年の男が、獲物に狙いを定めた獅子のような眼差しでこちらを見下ろしている。
殺意の宿るその目線はまちがいなく、マヤのほうを向いていた。
胸部にあかい宝石が埋め込まれた、オニキスのような漆黒の鎧を身にまとい、腰と背にはそれぞれ大小の異なる剣を備えている。
「誰ッ! それ以上近づかないで!」
マヤは彼の目の前に火の壁を作りだして、その男の歩みを牽制する。
「神はこう言った。〝塔の守護者は扉を開いた直後、何者かの襲撃に遭い命を落とした〟――。なあ嬢ちゃん――」
男は火の壁をものともせず、ゆっくりと近づいて――眉根を寄せながら、マヤに尋ねる。
「お前――なんで生きてんだ?」
マヤは男の言っている意味がわからず、自身の魔法が効いていないことにただ戦慄していた。
――守らなきゃ。
男がその目に宿す明確な殺意に、カナは重い身体を無理矢理起こし、マヤを庇うように男の進行を阻む。
男は震えるカナを見て苦笑した。
「これは困ったな。〝書架〟は殺すなって言われてんだよ……。〝書架〟の嬢ちゃん、そこをどきな?」
「ど、どくわけない! ぜったいに!」
「吠えるねえ」
男は腰の短剣に手をかけ、金属を擦る音を立てながら引き抜いた。
『た、ターリ!』
モップを呼び寄せる呪文を唱える。
勝てる気がしないが、ないよりはあった方が良いはずだから。
しかしその呼びかけは虚空に溶けるだけで、手元にはなにも現れない。
理由は単純明快だ。目の前の男に恐怖するあまり、ちからの源である怒りが沸かないのだ。
あの日の怒りを追憶する余裕など、今のカナにあるはずもなく。
「――〝聖王国騎士団〟獄炎の騎士ムサシ。神の預言の下、ここに汝を処断する」
ムサシと名乗った男は台本を読み上げるようにそう宣言して、神に祈るようなそぶりを見せた。
「こ、来ないで……!」
「悪いな。逆らうとジジイどもがうっさいんだわ。出来るだけ楽に――ん?」
カシャ!
空気も読まずにカメラがなにかを捉える音が、どこかから鳴り響く。
直後、黒煙をあげる馬車の向こう側から高らかに叫ぶリミちゃんの声が届いた。
「超磁追跡魔法、ヒット! おにーちゃん、やっちゃえ!」
「おっしゃ! ナイスリミちゃん!」
ゼノの声とともに、上空に数えきれないほどの矢が放たれる。
「なんだ? どこ向かって撃ってやがる……」
その矢はなにかを狙うでもなく天まで伸び、やがてへろへろと勢いをうしなって下を――ムサシのほうを向いた。
鏃の五月雨に睨まれ、ムサシの顔からは余裕が消える。
彼は咄嗟に防御姿勢を取りながら後退した。彼のいた場所には大量の矢が突き刺さり、そして蛍のようなひかりになって消えていく。魔法で作られた矢のようだ。
「長くはもたへん! カナちゃんとマヤちゃん、馬車をどうにか起こしてくれー!」
その言葉に押されて、一生懸命に倒れた馬車を持ちあげようとするリミちゃんとサイの霊獣に大慌てで合流し、キャビンを立て直した。
「ダメよ! 車輪が壊れてて馬車は動かない!」
マヤがおおきな声でゼノに伝える。
「じゃああいつをどうにかするしかねーな!」
地面に魔法陣を展開して魔法矢の射出を続けていたゼノは必死に答えた。あまりの危機的状況に笑うしかないようである。
「たしかに鬱陶しいが……元を絶ちゃあ良い話だろ」
ムサシは回避の方向を少しずつ転換し、ゼノに急接近していた。
距離を詰められたら不利になると判断したゼノは進路上に煙幕弾を投げつけて視界をさえぎり、数本の矢を放ちながら、草葉の影に身を潜めた。
「誰かが邪魔してくるとは思っとったけど……まさか騎士団の大物とはなあ……」
ゼノは冷や汗を流しながら愚痴をこぼす。
馬車の周囲に人影はない。機転を効かせて皆隠れたことに、ゼノは安堵した。
「霊獣。背中が見えてんぞ……」
「ぶもあ……」
標的以外に興味はないのか、ムサシは親切にも伝えていた。
霊獣は怖がって身を屈めるが、それでも草原には収まりきらない。
「お前ら聞け。俺は〝書架〟を連れてこいとしか言われてねえ。大人しく引き渡せばそれ以上危害を加えないと約束しよう。俺がその気になったらどうなるか――アルレンの連れならわかってんだろ!」
ムサシは警告と共に短剣で虚空を切り裂いた。どんな魔法か、燃える斬撃が草原を消しながら、遠方まで飛んでいく。
そこにはえぐり取られた土が露出して、道のようなものができていた。
あんな攻撃をまともに喰らえば、負傷どころか消し炭になっているだろう。
そうならなかったことから、彼はカナたちがどこに隠れているのかわかっているようだった。
「……ハッ。そんな見え透いた嘘に引っ掛かるわけ――」
ゼノの言葉をさえぎるように、カナは静かにムサシの前に姿を晒した。
「物分かりの良い嬢ちゃんで助かるぜ」
ムサシは不敵な笑みを浮かべる。
しかしマヤとリミちゃんがカナを庇うように両手を広げて立った。
「二人とも、どうして……」
「そんなのカナを渡さないからに決まってるでしょ!」
マヤは断言した。リミちゃんも同意見といった様子でうなずく。
「烏滸がましくも神の定めから逃れたガキはともかく――〝自覚者〟を殺すのは後味が悪いんだよな……」
ムサシは呆れ果てため息をつく。
その言葉に、リミちゃんは覚悟を決めたような表情で一歩前に出た。
「マヤおねーちゃん。……ちょっとポーチを持ってて。大事のものなんだ」
リミちゃんは一本のナイフを取りだしてから、ポーチをマヤに預けた。
刃渡はムサシの持つ短剣の半分にも満たない。鏡のように磨かれた刃の根本には、赤い目玉のようにも見える不気味な石が埋め込まれている。
「ダメ! 危険よ!」
「だいじょーぶ。あちしは戦いが苦手だけど……リミナは違う」
「な、なに言って……」
「ちょっと本気出す、てやつなのです」
リミちゃんは強がりな笑みを二人に見せて、ムサシに対峙した。
「あかんっ! 二人とももっと下がれ! 巻きこまれる!」
ゼノが草むらのなかから必死に叫ぶ。
「リミナ……。リミナ、起きる時間だよ。目の前にいる男を――殺そう」
自らに問いかける彼女の雰囲気が、少しずつ変わっていく。
暗殺者から――死神へ。
そして彼女は、仕上げに冷たい声音で魔法を唱えた。
『……《シャドウ・リミッター》――〝始動〟』
呼応するように、彼女の持っていたナイフがひかりを帯びて変形した。
命を刈り取るためだけに創造された、鏡のような銀色の鎌に。