#2
周囲はすっかりと暗くなっていた。天には青白い三日月が浮かんでいる。その近くには星が二つ瞬いている。
この世界には、宇宙すら無いのだろうか。夜空に見えるのはそれだけだ。
カナは勇者の後方を、車一台分ほどの距離をおいて追従していた。
一人で状況を整理したいという気持ちもあったが、大部分の理由は彼女の人見知りな性格によるものである。
しかし、先ほどのようにモンスターに襲われてはたまったものではない。その葛藤の末に生じた距離が現状だ。
はじめは勇者も不思議そうな顔をしていたが、何か納得した様子を見せたあとは、さして気にしていないようである。
「身分など、僕は気にしないのに」
勇者は村に向かう道中そう呟いた。覇気はないが、はっきりと透き通った声だった。
カナはきょとんとしたがすぐに察した。そうではないのだが、そういうことにしておいた。
それからは一切の会話もなく、二人は村に着いた。村の入り口に、地味な黒いドレスを着た老婆が腕を組み、仁王立ちしている。
そしてカナと目を合わせると、山の向こうまで響かんとする咆哮を放った。
「くぅぁぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
「ひいいいいっ!」
カナは思わず耳をふさいで、小動物のように勇者の背に身をひそめた。
「あんたどこをほっつき歩いてんだい! 今何時だと思ってんのさ!」
「ご、ごめんなさいごめんなさい!」
誰だか知らないが、カナは必死で謝りまくった。その様子を見た老婆は、予想外の状況に表情を強張らせる。
「あんた……頭でも打ったのかい?」
「へ……」
そのとき勇者が二人の間に割って入り、弁明した。
「セネットさん、すみません。彼女には村の近辺を案内してもらっていたのです」
「ゆ、勇者様? いくら貴方でも許可なくそういうことをされるのは困ります!」
「はは、すみません。でも、おかげで多くのことが分かりました。ありがとうございます」
勇者はさりげなく、カナにウインクして、その場を去っていった。彼はどうやら、村の宿屋に滞在しているらしかった。
「ほらカナ! 帰るよっ!」
「えっ……? は、はい……」
この世界でも、カナはカナという名前で生きていた。
本の物語の中でその名前が登場していたのか、彼女は覚えていなかった。
「カナ……?」
勇者は小耳に挟んだ彼女の名前にいちど足を止めて、確かめるように呟いた。
振り返ると、彼女たちはもう随分と遠くまで離れている。今更呼び止めることなど出来そうもない。その名前に懐かしさを感じながら、彼は再び宿に向かう道を進み出した。
*
一方で、カナはセネットの後ろを引っ付いていた。誰とも目を合わせないように気を付けながら村の様子を見渡す。
すでに陽は沈み人通りは多くない。酒場のような店で酒を飲み交わす住人達がおり、互いに一日を労っている。さして大きな村ではないものの、賑やかな印象をカナに与えていた。
他にあるのは牛舎に畑、教会に井戸。電子機器が少しも見当たらないことに、カナは些か絶望している。
村の北側、森を背に建っている大きな屋敷に、カナは連れてこられた。そこがどうやら、彼女が本来居るべき場所のようである。
セネットは気味悪そうにカナを一瞥して、玄関を開く。
そこにはカナとは年齢もさして変わらぬように見える少女がおり、二人を出迎えた。
「セネット、どうだった!」
「見つけましたよ。ですが……」
心配そうな少女の問いにセネットは答え、カナを見せるように一歩横にずれる。
「あ、ど、どうも……」
カナは緊張しながら、その少女に挨拶した。
少女に一閃の電流が迸る。衝撃のあまり口を半開きにして、魂の抜けるような声で呟いた。
「……カナが壊れてる……」
*
カナは客室に招かれて、少女と向かい合うように本革のソファに座らされていた。
壁に掛けられた見知らぬ男の肖像画が、少女の背後からカナを睨みつけている。室内に散りばめられた絢爛たる装飾の数々は、カナの居心地をかえって悪くさせていた。
どちらを向いても眩しくて、カナは姿勢を縮こまらせて俯くことしか出来ない。そんな様子を見かねた少女が、一つカナに問いかける。
「……カナなの?」
少女の横にはセネットが立っており、険しい眼差しでカナを見下ろしている。
カナはどう答えるべきか分からず、青褪めた顔で支離滅裂なことを言い出した。
「そ、そうなんですけど……そうじゃなくて……。本を読んでたら、す、吸い込まれて……、この姿になってて……」
「……つまり、記憶がないのね」
「えと、はい……」
「……っ!」
少女は涙を堪えるように顔を伏せて、部屋の外へと出ていった。
「……冗談で言ったのなら、絶対に許さないよ」
セネットは憤りを抑えながら、カナに言い放った。
「ほ、本当なんです。……でも、私の名前はカナで……どうしてこうなったのか、さっぱりで……」
「……ひとまず今日は休みな。寝室に案内するからついてきな」
カナは屋敷の屋根裏部屋に案内された。階下と比べて狭くて薄暗く、質素な部屋だったが、私物は整頓されており無駄がない。
陰気なカナとは相性がよく過ごしやすそうな空間だった。
「あ、あの……ありがとうございます。セネットさん」
「マヤ様はね、あんたにだけは心を開いてたんだ。そうでなければ何もかもが雑なあんたがここで働ける訳がない。それがどうしてこんなことになっちまったんだか……」
「マヤ……」
「……本当に、何にも覚えてなさそうだね。もう寝な。明日から仕事を叩き込むからね!」
セネットはそう言うと、扉を閉めて去っていった。
疲労の波が一気に押し寄せ、カナは力無くベッドに倒れ込んだ。着替える気力すら湧かない。
窓から見える三日月を眺めながら、カナは少女の名前をたしかめるように復唱した。
マヤという名前には心当たりがあった。
「……塔の守護者のマヤだ……」
その登場人物は、カナの中にも印象深く記憶に残っていた。
魔法の才能に溢れ、勇者の仲間になる最後の一人。事故で両親を失い、幼くして北東の森の奥深くに聳える塔の番人として生きることになった少女。
しつこいほどに背景の語られていた少女が、読み飛ばされずにカナの記憶に根深く残っていた理由が一つあった。
マヤは勇者を塔に導く。そこに魔王を打倒する糸口があるからだ。そしてそこで、勇者一行は何者かの襲撃にあう。そこでマヤは――死ぬ。
役割を与え、用が済んだら退場させる。キャラクターに対するあまりにも雑な扱いに、カナは作者に対する苛立ちを募らせていたことを思い出していた。
「……止めないと」
これからのこともままならないのに、どうやって止めるというのか。
考えがまとまらぬうちに、気付けばカナは深い眠りに落ちていた。
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