#17 カナの旅
外から届く村の日常的ないとなみに、カナは目を覚ました。
点滴が腕に繋がっていないことを確認して、ゆっくりと起きあがる。
モップを振り回して部屋を半壊させたことは覚えていた。まるで自分が自分でなくなったような感覚が、仄かながらに手に残っている。
部屋を見渡しても、そのモップは見当たらない。
眠っている間に部屋を移されたのだろう。陽の明かりが射し込む窓から、外の様子がうかがえるようになっていた。
自分の足で立ち上がり、のどかな景色を眺める。
村に入りこんだスライムが、木の枝を持ったどこかの子どもに楽しそうに追いかけまわされている。
ふいによぎるひとつの可能性。
もしかして、逃げられるのでは。
そう思いたち、窓を開けようと試みる。……が、びくともしない。部屋の扉も同様だ。
監禁状態であることに変わりはないらしい。
ちょうどカナが扉の前で肩を落としていたとき、誰かが廊下側からその扉を開けた。
「あ! 起きたんだー! ちょうどよかったよ」
カナより少し背丈のちいさな少女が、目の前にいた。
「あ、あの……えっと、どなた? ですか?」
どう見ても歳下なのに、カナは狼狽えながら尋ねた。
それもそのはず。少女の髪もまた、ゼノのような蛍光色だった。ボブカットの髪を毒々しいピンクに染めた少女が、目一杯の笑みをカナに向けている。
黒いレースの手袋をして、薄桃と黒を基調としたゴスロリ風の長そでのワンピースを着ている。カナには縁のない、地雷系ファッションというやつだ。
肌の露出がなく、おだやかな気候に反してかなり暑苦しい格好だ。
「あちし、リミちゃん! 〝黎明〟のメンバーだよー!」
「り、リミちゃん……」
「うん! よろしくね、カナおねーちゃん!」
抱きしめたくなるようなその愛くるしさに、思わず胸を打たれてしまう。
「か、かわいいぃ……!」
これまでの仕打ちを許すわけではないが、疲れきったこころが癒やされたのは間違いない。
こんなちいさい子がアルレンの部下というのに驚きを隠せないでいる。
カナの地元はぶっちゃけ田舎寄りだ。車持ってないと人権ないくらいの。だからリミちゃんみたいな格好してる子は漫画でしか見たことがない。
だからこそ実在したことに感動している。そしてしっかりと着こなしていて、とにかくかわいい。
ゼノを見たときとちがって、まぶしいけど失明はしない。まさに目の保養。視力がみるみるうちに回復していく。エルフだからもともと良いけど、これはアフリカの某部族を超える勢いだ。
「ありがとー! 城下町の〝工房〟で仕立ててもらったんだ」
リミちゃんはスカートの裾を両手でつまみながら、見せびらかすように一周した。
きらきらぁぁぁ。かわいいいいい。なんだこのかわいい子! 誘拐してやろうか! あなたは今日からうちの子よ。毎日わたしとハグしてもらおう。
カナのこころの叫びがかつてないほど激しい。
反して、口から紡がれる言葉はどこかうす暗く、淀んでいる。
「工房……そういうところがあるんだね」
現実から持ち込んだデザインを服飾に流用する者がいることくらいは、容易に想像がつくことだ。
「具合はどう? カナおねーちゃん、すごいくまだけど……」
リミちゃんは腰にさげたポーチから手鏡を取りだして、カナに向けた。
ぼさぼさな金髪のパンダが映る。手入れをしていないからひどい有り様だ。陰と陽じゃん……。
「あ、いつもどおりだよ。元気……なのかどうかは、わからないけど……」
「そっか。いつもどおり――。まあ、元気なら良いよね! よし、出かける準備をしよう!」
「で、出かける……?」
思いもよらぬ提案に首をかしげる。
「うん! ここから逃げて、北の王都まで行く!」
「どういうこと? ここから出してくれるの?」
混乱しながら、リミちゃんに尋ねる。この子は敵じゃないのか。
それと同時に、ゼノも病室にやってきた。
「なんや、起きとったん」
昨晩されたことを思いだし、血の気が引いていく。
カナは身を守るように咄嗟に距離を置いた。
「おにーちゃん! カナおねーちゃんが怖がってる!」
「しゃーないやろ。ほれカナちゃん。着替えな」
ゼノはそう言うと、ベッドの上にカナの着替えを放り投げた。
屋敷のメイド服ではなく、金の刺繍が施された濃紫の厚手のローブだった。
フードには可愛らしい猫耳がついている。かわいいけど、これを着て街を歩けと言われたら恥ずかしくて死にそうだ。
「こ、これは……?」
「選んだのはリミちゃんやでな。文句言うなよー」
「そ、そうじゃなくて……。わたしまだ行くなんて言ってない……」
「まー、せやな。でも悪いけどカナちゃん、行くのは強制や。むしろ、その方がいい」
どうしてそうなる。
カナの意思を汲み取ったかのように、ゼノは珍しくも真剣な眼差しを彼女に向けながら、続けざまにカナに告げた。
「逃げへんと、大事なもん全部うしなうで?」
リミちゃんは悲しそうな表情をしながら、ゼノの言葉にうつむいた。
「どういうこと……?」
ゼノはアルレンの作業机とおぼしきものにどっかりと腰かけて、細身で長い脚を組みながら説明をはじめた。
あの暴力的な薙ぎを受けたあとである。少なからず納得してもらおうという意思だけは垣間見えた。
「カナちゃんはもう〝後援会〟に目ぇつけられてんのよ」
「〝後援会〟……?」
「まー、胡散臭い教団みたいなもんやな。厳密には〝勇者後援会〟つって、信者から集めた資金で勇者の旅を支援してる連中や」
「ゆ、勇者さんの味方なら、悪いひとのはずない……」
カナはうつむき、自信のない声で反論した。
その様子にゼノは呆れて、ため息をつきながら苦笑する。
「あらら、カナちゃん引っかかるタチやな……。気をつけなあかんでほんま。マヤちゃんだっけ? 塔で殺されかけとったやん」
彼の言葉に、カナは言葉をうしなった。
「なんで……。なんで知ってるの……?」
答えを聞くまでもない。
あのとき、ゼノも現場に居合わせていたのだ。
「勇者の連中を監視するのがオレとリミちゃんの仕事やからな……。あんとき、森でカナちゃんたちを襲ったのはほかでもない〝後援会〟の連中やで。あいつら、自分らが世界を支配するために勇者を操ってんのよ」
ゼノは馬鹿にするかのような笑みを見せ「まー、できてないけど」と付け加えた。
塔の前でマヤが殺されることを〝後援会〟は知っていた。
彼らがどうやって知り得たかカナにはわからなかったが、本の筋書きから逸れないように暗躍しているようだった。
「じゃあまだ……マヤは殺されるかもしれないってこと……?」
こんなところに閉じこめられている場合ではないことを、薄々と自覚しはじめる。
「どうやろな。今はカナちゃんが注目の的やし」
「わかんないよ……。どうしてわたしなんかに……?」
「それはオレも知らーん。ただひとつたしかなことがある。今までどんな〝書架〟であっても見向きもせん、眼中にすら入れへんかった勇者が、カナちゃんにだけはご執心のようやねん。今回のお出かけは、それを確定させるのが目的や」
「つまりわたしは、人質ってことね……」
自嘲気味にカナはぽつりとつぶやいた。
ゼノはなにも答えない。無言であることが肯定の証だ。
「カナおねーちゃん。あちしはおねーちゃんとお友だちになりたいって思ってる。あちしたちのこと、信じられないって気持ちもわかる。だけど今は一緒についてきてほしいの!」
リミちゃんはカナに寄り添い、彼女の両手を大事そうに触れながら、そう頼んだ。
懇願するような眼差しから、リミちゃんの必死さが伝わっていく。
もしもそれすらも偽りだとしたら、もはやなにを信じれば良いのかわからなくなりそうだった。
「だーから、拒否権はないねん。自分の足でついてくるか、オレらに誘拐されるか。その二択! だからはよ着替え!」
「おにーちゃんはちょっと黙ってて!」
「時間ないねんで? 今日中に出発しないとボスに怒られちゃう……」
蛍光色の二人が口論するさなか、カナは平静さを保つように心がけながら、じっくりと思考を巡らせた。
そしてひとつの結論を出し、勇気を出して提案する。
「……ひ、ひとつ条件がある」
蚊の羽音ほどにちいさく、上擦った声。
されど二人は聞き逃さない。
「あ?」と、眉を顰めながら睨みつけてくるゼノ。
「なに! なんでも言ってみて!」と、期待に応じようと詰め寄るリミちゃん。
「マヤも連れてく。あの子を守ってほしい……。わたしはあの子さえ助かるならそれでいい」
ゼノはギザギザと尖った歯を露わにしながら、口角を吊り上げた。
「乗った。交渉成立や……!」
「待ってて、今すぐ攫ってくるから!」
リミちゃんは目を輝かせながらそう告げた。
「ちょ、さ、攫っちゃダメ……! ちゃんと説明して、説得して……!」
ロケットのごとき勢いで屋敷に突撃しようとするリミちゃんを、カナは必死に呼び止めた。