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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
13/110

#13


 不可解なことがひとつある。


 黒い嵐に飲み込まれてから三日間の記憶が、カナのなかにはあったのだ。

 何事もなかったかのようにとぼとぼ歩いて屋敷に帰り、マヤにもとの世界にもどらなかったことを伝え、使用人としての仕事にふたたび従事する。


 当然カナはそんなことしていないのに、そうした記憶だけが頭のなかに残っている。


 その感覚は黒い影――ハイドと名付けた――に身体を乗っ取られていたときとよく似ていた。異なるのは、他でもない自分自身が行動していたことくらいか。


 夕食の時間が過ぎ、茫然としてはいるが落ち着きを取りもどしていたカナは、そのことをカウンセリングに訪れていたアルレンに尋ねた。


 彼はそれに答える前に、別の問いを返す。


「黒い嵐に飲まれたとき、どのように感じましたか?」

「……な、なにもなくなるというか――死ぬのってこんな感じなのかなって……」


 思いだすのも恐ろしい。触れたら死ぬ、理不尽の壁。


「その感覚は概ね正しいです。これは仮説ですが、闇のなかは一種の超現実――魂と呼ぶような思念体が縦横無尽に飛び交っていると考えています。それらの衝突によって、起こり得る事象が計算され矛盾のない記憶として残っているのです。それが黒い嵐のなかに時折見える稲妻の正体です」

「うーん……? む、難しいですね……」

「夢や幻想のようなものです。簡単に理解する方法がありますよ」


 アルレンはそう言いながら鎮静剤の鉗子を緩めた。ようするに、何かショッキングなものを見せようとしている。


展張せよ(アセンション)――』


 彼がそう唱えると、水平方向に円形の魔法陣が広がっていく。

 その上に、立体的なこの村の地図が現れた。酒場で楽しそうに呑んでいる村人の姿まで見える。


「す、すごい……!」

「この建物が我々のいる場所です。望遠範囲を広げていくので、見失わぬように」


 未知の世界のいとなみを俯瞰(ふかん)的に眺めるのがこれほど楽しいものだとは、思いもよらなかった。まるで天高く飛ぶ野鳥になったような、爽快な気分になる。


 しかしある程度視界が広がったところで、カナの感動は凍りついた。


「黒い嵐がある……」


 カナのいる場所は無尽蔵に広がる闇に、円を作るように取り囲まれていた。

 理解が追いつかなかった。黒い嵐はなにかを待っているかのようにたたずみ、夜の海のように穏やかだった。


「これがなにを意味しているかわかりますか?」


 アルレンの問いに、カナは言葉をうしないながら首を横に振る。

 彼はうなずき、続けざまに説明した。


「……この世界は、勇者の世界。彼を中心として一定距離内にあるもののみが、実在を許されるということです。彼の居場所により上下しますが、今は半径四十キロほどでしょうか」

「そ、それって――わたしは黒い嵐から逃げながら、勇者さんを追いかけていたということ……ですか?」


 アルレンは「そのとおりです」とうなずいた。

 その円が示す領域は、人類が生きていくにはあまりにも狭すぎる。


「貴方はとてつもなく幸運です。用済みになった村に、勇者は普通訪れません」

「幸運……?」

「別の〝自覚者〟が介入したのか、勇者本人の意図なのかはわかりませんが。いずれにせよ〝書架〟の役割をうしなわなかった」


 言いようのないちからに引きこまれて海に溺れるかのような不安。

 自分はこの世界から逃げられないのかもしれないという、確証のない恐怖。


「……で、でもわたし、本の結末を変えるなんて無理です……! ちからもないし、ビビりで……そこらへんにいるただのJKですよ……」

「……いいえ、貴方は〝書架〟ですよ」

「わたしはそれを望んでないのっ!」


 耐えきれず、ついにカナは逆上してしまった。幼少期ぶりに上げた金切声に、自分でもびっくりしている。


「すみません。押しつけすぎましたね。今日はここまでにして、話の続きは明日にしましょう」

「……はい。すみませんでした」


 アルレンは病室を後にした。そしてカルテにまたひとつ、新しい記録を残す。


『薬剤に抵抗の兆しあり。エルフの特性か、別の要因か不明。本人に〝書架〟の器なし』


 廊下を抜け、自室の扉を開こうとしたとき、アルレンは背後の気配に手を止めた。

 振りかえってもそこにはだれもいない。壁にかけられたランプの灯りが揺らめく、うす暗い廊下が続いている。


「……ゼノか」


 されどアルレンは虚空に呼びかけると、布がこすれる男とともに空間が歪んだ。


「せやでー。暇やから様子見にきたわ。……ってタバコくさーっ! あんたほんまに医者か?」


 ゼノと呼ばれた男はローブを脱ぎながら、なにもないところから現れた。時代に合わぬ黒のレザージャケットとジーンズを着用している。


「任務はどうした?」

「リミちゃんおれば充分やろ。もう宿屋から出てこないわ。犬は爆睡やし、他の二人の〝ぷらいばしー〟に踏みこむ気もあらへんしなー」

「……まあいい。あまり珍妙な格好でうろつくな。そのひかってる髪といい、モンスターだと思われるぞ」

「えーそう? いけてると思うんやけどなぁ」


 ゼノはサイケデリックなネオングリーンに染められた髪をいじりながらつぶやく。瞳のいろも同じだが、それはカラーコンタクトによるものである。


 そして思いだしたかのようなそぶりで、本題を切りだした。


「そんで? カナちゃんの具合はどう?」

「精神は弱っているが〝解放〟に飲まれた影響だろう。薬はあまり効いてないように見える」

「はーん。エルフは風邪引かんっちゅーのはマジなんかもなー」

「とにかく様子を見る。お前は干渉するな。ろくなことにならん」

「えー。独り占め? あの子まだここが病院やと思ってるやろ」

「機能は変わらん。理解したら失せろ。異論があるなら相手になるが」


 アルレンがゼノを一瞥(いちべつ)すると、ゼノは降参を示すかのように両手をあげる。


「やだなー。ボスには逆らいませんって〜」


 わざとらしくちゃらけた様子に、アルレンは怪訝(けげん)な眼差しを向けたまま、部屋に入った。


 懐から煙草を取りだして口に咥える。ライターもないのに、自然と火がついた。

 一服しながら、カナのカルテを見直しはじめる。


「ほかの〝自覚者〟となにも変わらない……。むしろ意思は弱いくらいだ。勇者があれに固執する理由はなんだ……」


 時代にそぐわず鮮明に現像された、リュウとカナがうつった写真を並べながら、アルレンはつぶやいた。

 その眼差しには底知れない憎しみが宿っていた。

 


 *



 翌朝。カナが入院して二日目。

 がちゃり。

 誰かがゆっくりと扉を開ける音でカナは目を覚ました。


「あれ……もうご飯……?」


 鎮静剤の効果によるものか、意外にもぐっすりと眠り、心身の疲れが取れている。


「ハーイ、カナちゃーん! おはようさんやでー」


 どう見ても危険ないろの髪の男が朝食を持ってやってきて、若干暇だったカナの血の気が引いていく。白衣を着てはいるが、その雰囲気はとても医者とは思えない。


 チャラ男……陽キャ……相反する属性を持つ男の登場に緊張がほとばしる。息が詰まり、まぶしくて失明する。


「だ、誰ですか……?」

「怖がらんでやー。ご飯持ってきただけやん」

「あ、あ、ありがとうございます……」


 パンと卵とベーコンと、野菜の入ったコンソメスープ。

 メニューとしては簡素だが、上手に作られているのが見てとれた。


「ほら食べて食べて!」

「い、いただきます……」

「どう? 美味しい?」

「おいしいです、けど……」


 見知らぬ者に食事をガン見されるのがこれほど気まずいものだとは、カナは思いもよらなかった。


「オレが邪魔っちゅーわけね。クックック、カナちゃんわかりやすくて好きやわー」

「は……? え?」

「ほな食べ終わるころにまた来るわ。そのえっぐい点滴、量も減ってるし取り替えたる。自慢やないけど〝それ〟調合したのオレなんよー」


 慌てふためくカナを他所に、ゼノは言いたいことだけ言って去っていった。


「……いや誰やねん」


 謎の男が嵐のように去ったあと、カナはボソッと喋り方を真似て突っこんだ。


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