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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
12/110

#12


「はあっ!」


 カナは目覚めた。自分の存在が自覚できる状態に戻った――というべきか。

 屋敷の裏手にある菜園で農作業をしており、土で汚れた自身の手を見て言葉をうしなう。


「な、なんでっ……!」


 頭が混乱し、呼吸が荒くなっていく。手があり、足があることに違和感がある。

 先ほどまで自身の身に起きていたことを整理しようとして、土に吐瀉物をぶちまけた。


「カナ! 何してんだい!」


 いつもどおりの様子のセネットが、不衛生な音を聞きつけて植物の影から現れた。


 ――みんな、生きてるのか。


 耳鳴りが頭のなかで全反射する状態では、そのことにひとまず安心するのが精一杯で。

 カナはそのままふらついて、気をうしなって倒れてしまった。



 *



 意識を取り戻すとカナは見知らぬ部屋で、木製の簡素なベッドに寝かされていた。


「ここは……」


 ゆっくりと上体を起こし、周囲を見渡す。壁際の棚には本や薬草が整頓されて置かれている。別の段には、暖色や寒色の液体が入った瓶が並べられている。

 壁に掛けられた絵画には、近代的な――この世界から見れば遠い未来だ――都市が描かれている。


 その部屋は窓がなく、うす暗い。そこはかとなくただよう消毒液の香りから、病院の一室であることはすぐにわかった。


 着ていたメイド服は脱がされて、無地のしろい病衣を着せられている。


「目を覚ましましたか……」


 扉を開き現れたのは、白衣をまとい丸眼鏡を掛けた細身の青年だった。落ち着いた栗色の髪をしており、聡明そうな見た目をしているが、その眼差しはどこか物憂(ものう)げで、ひかりがない。


 白衣には煙草のにおいが強く染みついており、カナは眉を(ひそ)めた。


「あ、はい……」

「気分は?」

「今のところは平気ですけど……」

「そうですか。……私は最悪です」


 その医師は表情を動かさない。それが冗談なのかわからなかった。

 二十代なかばほどに見える顔の良い男が、何か探るようにカナを凝視する。


 そんな状況にカナは気恥ずかしくなり、たまらず目を逸らした。


「……あ、あの、なんか……点滴でえぐい色の液体注入されてるんですけど……」

「鎮静ポーションですよ。貴方が良ければ抜きますが、私の見解ではやめた方がいいでしょう」


 そのポーションは〝えぐい色〟で、しかも常温なのに沸騰しているように見える。

 それを直接血管から接種して、疑念と不安を抱かない方がおかしいだろう。


 しかし怖くなって騒ぎながら引き抜いたりしようとは思えないあたり、鎮静効果があるのはたしかなのかもしれない。


「……やめておきます」


 カナは自分の手足がしっかりと残っていることを確認しながら、そうつぶやいた。

 黒い嵐に飲み込まれて身体が無限に引き伸ばされるような感覚も、恐らく死よりも辛いであろう光景も、いまだ脳裏に残っている。


 思いだせば激しくなる動悸。


「胸が苦しそうですね。少し鉗子(かんし)を緩めておきます」


 医師の男はそう言って、薬剤の流量を調整した。


「……ありがとうございます」

「望むなら忘れさせることも出来ますよ」

「え――?」

「貴方が、見たものです。魔法を使うことになりますが」


 カナは驚いて目を丸くした。この男は、あの真っ黒な嵐について知っている。


「あ、あれがなにか……知ってるんですか……?」

「そういえば自己紹介がまだでしたね」


 男は懐から名刺を取り出して、カナに手渡した。

 そして脳の正常性の確認と前置きをし、名刺を読み上げるように指示する。


「えっと、〝黎明医師会〟……アルレン・レイ・リカオン……さん……」


 名刺には太陽のシンボルが描かれている。それ以外に変わったところはない。

 アルレンはペンを手に、カルテと思しきものに記録を取りはじめた。


「私はいわば旅する医者です。決まった病院に籍を置かず、各地に医療技術を提供して回っています」

「す、すごお……」


 アルレンは丸眼鏡の位置を正した。ちょっと自慢げだ。


「貴方の名前は?」

「か、カナです……」

「この世界での名前を訊いているのです。わかりますか?」


 質問の意味がわからず、首をかしげる。


「この世界でも、カナって呼ばれていますけど……?」

「その口振りから察するに、ジンから多くは聞かされていないようですね。あの魔本に〝カナ〟という人物は登場していませんよ。ではエルフでありコペラ村の屋敷の使用人である貴方はいったい誰ですか?」

「それは……わかんないです……」


 カナが正直に答えると、アルレンはカルテに『受け答えは正常』と書き記した。


「おそらく貴方の読んだ本には、こんな一節があります。〝マヤが住む屋敷で働く使用人の一人は、エルフの少女だった〟――。その文章が貴方です」

「どういうことですか……?」

「この世界に生きる者はみな、本に書かれた文章から生まれてきます。多くの場合、役割こそあれど名前は持ちません」

「名前を持たない……」

「たとえば、私の役割は〝城下町の神父〟でした。負傷した勇者を一度だけ助ける――そのためだけに用意された人物です。己のルーツを知ろうともせず、勇者が書いた通りの行動をして、いずれ訪れる消滅を何も知らずに待つだけの傀儡(くぐつ)でした」

「そんな……」


 残酷すぎる現実を、さもそれが当然の世界であるかのように淡々と語るアルレンの姿に、カナは強い虚しさを感じていた。


 それでもアルレンは言葉を紡ぐ。カナがなにも知らないのを知っているかのように、伝えるべきことを伝えようとする。


「その世界の(いびつ)さを認識し、自身の判断で行動できるようになった者のことを〝自覚者〟と呼びます」

「それって……〝憑依病〟のことですか?」

「気づかぬ者に説明するときには、そう呼びます」


 嵐が迫るのを認識していたのはジンだけだった。

 かつて本に選ばれたことのある〝自覚者〟だけがそれを認識できたのだ。

 セネットを含めて、それ以外の村人たちはなにが起きているかもわからないまま、闇に飲まれていたことになる。


「うう……」


 フラッシュバックが起こり、カナは胸を押さえながら涙を流した。

 死ぬほど苦しい思いをしたのに、もとの世界にはもどらなかった。


 あれはなんだったのか。知りたいことは山ほどある。それなのに、多くを知ることに対して漠然とした恐れがある。


「今はゆっくり休んでください。貴方はこの世界の〝書架(ホルダ)〟です。苦難を乗り越えねばなりません」

「そんなこと言われても……どうしたら……!」

「いちどの絶望を永遠のものと捉えないことです」


 アルレンはそう言い残し、カルテを持ちながら退室した。

 彼は部屋を出たのち、カルテに『軟弱な精神』と書き記していた。


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