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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
11/110

#11 絶望だらけの世界


 ずずず。大太鼓を鳴らしたかのような重低音により、カナは目を覚ました。

 外はまだうす暗い。ぐっすりとは眠れず、乾いた目を擦りながら上体を起こす。


 ずずずず。またも同じ音が鳴る。今度は途切れることなく、そして先ほどよりもはっきりと響いている。


「なに……地震?」


 屋敷が揺れている様子はない。されど、単なる地鳴りとも思えなかった。


 何かが近づいている。


 そう確信したカナは、身だしなみを整えて部屋を出た。


 屋敷のなかは驚くほどに静かだった。これだけはっきりとした音が聞こえるのに、誰も起きていないことにカナは違和感を覚えた。


 様子を確かめようと外に出ようとすると、少々間抜けな面を晒して眠るジンの姿があった。そんな一面もあるんだな。

 和やかな気持ちになりながら、カナは屋敷の外に出た。


 カナが扉を閉める音で、ジンは目を覚ます。カナが外に出たのだとすぐに気づき、彼は目を丸くし、慌てて叫んだ。


「ま、待て……! カナさんっ!」


 カナはすでに、その声に気づけないところまで来てしまっていた。

 敷地を抜けて見晴らしの良い場所に出たカナは、そこから見えた景色に、言葉を失って立ち尽くす。

 最初は巨大な雷雲なのかと思っていた。しかし一瞬にしてその考えは浅はかだと理解させられる。


 この状況をたとえ強引にでも、誰にでも伝わるように有り体に説明するとしたら。


 ――世界から、西が消えている。


 そう言わざるを得ない光景が、カナの眼前に広がっていた。


 黒い砂嵐のようなものが、西の方角にあるすべてのものを飲み込んで、消滅させている。

 断じて隠されているわけではない。地面は粉々に砕け、樹々は真っ二つに折れた上で闇の中に引き込まれているのが見えた。


「あ……」


 このときカナは思考が停止するあまり、悲鳴すら出なかった。

 災害を目前に写真を撮ろうとする者がいるように、人は絶望を前にすると、恐怖すらも麻痺するものだ。


 状況の理解を放棄することで、幸運にもカナは狂わずに〝それ〟をながめていられた。


「逃げろおおおおおおおおおッ! カナァァァァァァァ!」


 カナを見つけたジンは、出せうるかぎりの怒号を飛ばす。

『カナを頼んだ』と言い残した勇者の意図を、ジンは理解した。


 あれを見てしまっては、彼女の選択を尊重するとは言っていられまい。元の世界に戻ったとしても間違いなく精神に悪い影響が残るからだ。


「あ……ああ……!」


 嵐はすでに目前にまで迫っている。それはもう地鳴りなどではなく、世界を壊す音を鳴らしていた。

 カナは呆然と一歩後ずさりすると、怒号に突き動かされるように、とにかく必死に東に向けて駆け出した。


「なにも考えるな、走れええッ! 決して後ろを振り返るなよ!」


 カナは言われた通りにした。理由を考えてはいけないと、本能的に悟りながら。


「ジン、一体何の騒ぎだい!」


 屋敷までジンの怒号が届いたのだろう。カナの背後では、セネットが心配そうにやってきて、問い詰める声がしていた。

 村に住む者も数人、ジンの怒号に叩き起こされ不機嫌そうな表情で家から顔を覗かせる。なかにはカナよりも小さな子供もいた。


「うう……うあああああああ……!」


 涙で顔をめちゃくちゃにゆがませながら、それでもカナは振り返らなかった。

 ジンとセネットの声音はそれ以上、カナの耳に届かなかった。その理由は言うまでもない。



 *



 カナは人並み以上の速さで走り続けていた。

 黒い嵐は走れば引き離せる程度の速度だったが、舗装された道は丘の形に沿って曲がっていることが多く、直進しようとすれば起伏に富んだ地形が阻む。


 結果として迫る嵐はみるみるうちにカナとの距離を詰めつつあった。


「どこまで逃げればいいの……!」


 肩で息をしながら、カナは弱音を吐く。鍛えられた身体だとしても、体力に限界がないわけではない。

 少しずつ足取りは重くなり、頬に感じる風は弱まっていく。


 道の途中、カナは彼女と同じように迫る嵐から逃げる者を見つけた。


 ぴょいん……。ぴょいん……。

 人間ではなく一匹のスライムだ。長い距離を飛んで跳ねて移動したのだろう。身体は砂をかぶって汚れており、うるおいがないようにも見える。


 人が歩くよりも明らかに遅く、カナはすぐにそれを抜き去った。


「ああ……もう!」


 後ろめたさを感じたカナは、一度だけ引き返してそのスライムを捕まえ、両手で抱きかかえた。

 利害関係が一致したからだろうか。不思議なことにそのスライムが彼女の腕のなかで暴れることはなかった。


 カナは再び地面を蹴り、駆け出す。

 無理な姿勢で力を込めたせいで、ふくらはぎに電流のような痛みが走った。よく見るとエナメル質の靴底も擦り切れていた。


「走らなきゃ……」

「…………」


 スライムはなにも言わない。そもそも音を出す器官がないのだろう。

 内部の核は明滅していたが、その勢いも少し弱まっているように見える。


「……元気がないんだね」

「…………」

「助けてあげたいけど……自信がないの。ごめんね」

「…………」

「もう、ダメ……。追いつかれる……」


 黒い嵐はすでにすぐ後ろまで迫っている。

 世界の果てまで追いかけてくるのではないか。そんな考えが芽生え、カナは希望を失っていた。


 嵐のなかに飛び込めば、元の世界に帰れるかもしれないのに。自分が走っている理由すら曖昧になりつつあった。


 そんななか、彼女は北西の山から流れる小川を見つけた。その川は途中で針路を変えながら、東に向かって伸びている。


 湖畔でのジンとのやり取りを思い出し、カナは道を逸れて川辺に降りた。


「良かったね。奇跡だよ……。あなただけでも……助かって!」


 カナは抱いていたスライムを川に放り投げた。

 無事に着水したスライムは、水面を切るようなスピードで東に向けて突っ走っていった。


 それを見送ったカナは道に戻って、再び走り出そうとした。空の太陽が闇に遮られており、日中なのに周囲は真っ暗だった。

 鼓膜が破れてしまいそうなほどの破壊音に、カナはもうほとんど生存を諦め、振り返ってしまった。


 やはりすぐ目の前に、黒い壁があった。見えないが、大気も消滅させているのだろう。気流が生みだす到底抗えぬ引力によって、カナはもう立っていることすらままならなかった。


「やだ……。来ないで……!」


 懇願したところで、黒い嵐は止まらない。這ってでも逃げようとしたが、それは無駄な足掻きに等しい。

 とうとうカナは足元を闇に(すく)われた。痛みはないが、全身が(こご)え、足先から腹部にかけて徐々に感覚が無くなっていく。


 何かに喰われる。


「やだやだやだやだやだやだ! あっ……! これ、死――」




 ぶち。

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