#109 歯抜けの塔の調律者
水晶に引き寄せられるまばゆいひかりに包まれたかと思えば、ケイたちはもといた喧騒のなかにもどってきた。
「さて、と……もたもたしている暇はないよ」
時の魔女を名乗るオババは水晶玉に布をかぶせて袋にしまい、展開していた台座を畳みはじめる。テキパキとかばんにしまいこむと、細々としたちいさな身体でかばんを背負った。
「どこに向かうんですか?」
ケイがオババに問う。
彼女が語る突拍子もない未来を信用しているわけではない。されどローブに隠されたその姿――やさしく老けた顔をいろどる銀の髪と黄金の眼は、今のケイやハイドと同じものだ。
「まずはおバカな竜を止めないとねえ……」
「止めるって……」
この街の高いところからやっと見えるのは焼けつく空のいろだけだ。
竜がいるのは地平線のずっと向こう。どれだけの時間がかかるというのか。ケイの活動には制限時間がある。
と、こころのなかで疑念を呈するのをよそに、オババは見慣れた魔法陣を展開する。
煤が重力にさからって舞いあがる、黒い魔法陣だ。
『ほら捕まって。飛ぶよ〜』
手を差しのべるオババに二人でしたがうと、一瞬にして景色が変わった。青々しい草原だ。プリ村の痩せてきいろくなったものとはまるで様相がちがう。
「転移、した……」
ケイもハイドも絶句するほかない。
その転移魔法は二人が知っているものとちがって、着地点の周囲を荒らすことがなかった。
「あれをご覧」
オババが指し示す北の空には竜がいた。地を見下ろしながらこちらに向かって羽ばたいている。
白銀の鱗が陽を反射し、神聖なひかりを放っているかのようだ。
距離はまだそれなりにあるが、それでもわかる。
あれがひとつの生物なのか、そう思えてしまうくらいにその竜は巨大で――。
「ひえ……」
ケイは魔法の身体であるにも関わらず、腰を抜かしてその場にへたりこんだ。
これは悪夢か。
*
「ここであの竜を止めなけりゃ、コペラは焼かれて魔王は死ぬ。まあ二人はまずは見学だね」
「止めるって……まさか戦うのか? あれは〝神獣〟――生命の最高位に座する者だぞ」
「知ってるよ。だからこそ人間なんて相手にもしない。自然のいとなみのひとつとしてしか認識できない。その隙を突くからアルレンだけはあれに勝てる――」
ハイドの警告にもオババは物怖じせず、迫りくる竜を傍観している。
「アルレン……」
「あいにくだけど彼は西の果ての遠いところにいるからね。まだ騒ぎにも気づいていないだろうよ」
そんなことまで知っているオババは一体何者なのだろうか。
彼女の言うとおり、巨竜はケイたちを睨みつけることもせず、ただ上空を過ぎ去ろうとした。すさまじい轟音と嵐のような強風に、樹々がおおきく傾いている。
「やはり、操られているようには見えないが……」
「おバカだからね。偽りの神にそそのかされてるんだよ……。さて、ちょっとチクっとするよ」
オババはそうつぶやくと巨竜になんらかの魔法をかけた。
直後巨竜は沈黙し、大地を震動させながら草原に墜落した。
「……殺したのか?」
「まさか。それは勇者の役割でしょう。ほら、急ぐよ」
ケイたちはおそるおそる竜が墜落したところに向かった。いまだに砂埃が舞っていて視界が悪い草原を進んでいく。
して、地に倒れ伏している神聖な竜はというと、迫力のあるいびきをかきながら爆睡している様子だった。
「この魔法は……」
「わたしたちが作ったものと似てる!」
オババは自慢げな笑みを浮かべながら「考えることはみな同じだよ」と告げるのだった。
「余計な恨みを買うわけにもいかないからね。失神してもらうのが最善策なんだ。でも覚悟してね、すぐに目覚めるよ」
彼女の言うとおり、巨竜はパチリと目覚めた。瞬膜が開かれると同時に、黄金にかがやく眼が露出する。トカゲのような瞳孔が、たしかにケイを凝視した。
『貴方たちは――』
その竜の声は頭のなかに直接響いた。念話というものらしい。
「久しぶりだね、ディーバ」
『……その名前で呼ばれるのはいつぶりでしょうか』
オババは巨竜のことをディーバと呼び、近づいてそのおおきな口もとを撫でる。
「手荒な真似をしてごめんよ。あなたが騙されてることを伝えたかったんだ」
『うしろのお二人を見て、すべてを悟りました。古代の意志は分化していたのですね』
「そうだね。というか、昔そうなると伝えたはずだけど」
『…………』
冷や汗を流すドラゴン。
まさか勘違いで王都を陥落させたとでもいうのか。
「まあ、それでいいよ。後継者を育てないとならないからね」
オババは淡々とそう言った。
その後継者が自分自身のことなのはケイでもわかる。でもそのために犠牲を伴わせるやり方には、納得できない。
『なるほど。では私はまたしばらく眠ることになるのですね』
「そうだね。でも許すとは言ってないよ」
『え』
「魔力を回復させたいし、王都の近場まで送ってもらおうかな」
オババはそう言って、神獣をパシるのだった。
*
ディーバのせなかは、意外にも細かな毛が生えており絨毯のような感触がした。
そして今、空を飛んでいる。
遠方の景色こそすばらしいものの、命綱や手すりもない。おそろしすぎて下は見えない。
「さてと、なにから話すかな……」
オババはのんきにもつぶやく。上空の移動にも慣れているようだ。
「汝は何者なんだ。その姿――古代人なのか?」
「いいや、ちがう。でもハイド、あなたよりもたくさんのことを知ってるよ。〝時の魔女〟はすべてを見ているからね」
「では〝調律者〟とはなんだ。カナをそうさせてどうするつもりだ」
「勘違いしないでね。そうさせるつもりなんてない。選択の権利は二人にある。だが――あなたらは世界を救うためにここにいる。そうでしょう」
オババはおだやかな笑みを浮かべながらも、ハイドの顔を見ようとはせず、うつむいたまま話を続けた。
「知ってのとおり、ヒトマルフタサンは泣いても笑っても最後の周期だよ。言い換えれば、史録の権能が処理しえる最終出力先がこの世界。あの本は人々の魔法で創られた機械だからね。高尚なちからにも限界があるというわけだ」
史録は古代にできたものだ。つまりオババ――〝時の魔女〟は古代のことも知っている。ディーバを見知ったような口振りなのにもうなずける。
「結論から述べるよ。あなたらの望む世界は〝調律者〟のちから無しには実現できない。フューリィちゃんはもう死んでいるし、これからこの国では戦争が起こる。おバカさんが暴れたせいでね」
『意地悪なことを言うようになりましたね……。そもそもフューリィが王都で暴れたから私が止めに入ったのに……』
「それこそ悪しきの思う壺なんだよ。まわりを巻きこみすぎだ」
フューリィは死んだ。その取りかえしのつかない事実にケイは絶望する。
されどハイドはまさかといわんばかりの表情で、オババに問う。
「まさか……〝調律者〟のちからというのは――」
「お察しのとおり、時を超えるちからだよ」
ケイたちがこれからするべきこと。
それは未練の残る過去への干渉だった。