#108 聖なるものは闇にのまれ
『カナ、手続きを代わってくれ』
ハイドはこころのなかでケイにつぶやき、噂話をしていた二人の若い冒険者に近づいた。接点こそないが同じギルドに所属する同胞ということになる。二人の男女はハイドのことに気づくものの、さして警戒はしていない。
「その話を詳しく聞かせてくれ」
焦燥感に満ちた声でハイドは頼む。
「悪いけどオレも聞いた話だ。メチャクチャおおきなドラゴンがどこかに向かって飛んでたそうだ。山脈からでも見えるくらいだから、相当デカいんだろうな」
若い青年がそう答える。現実感のない出来事にどこかよそよそしい笑みを浮かべていたが、ハイドの様子を前にみるみるうちに事態の深刻さを自覚していく。
「――アドベント・ドラゴンだ……」
「なんだそりゃ。聞いたこともないな」
青年は一緒にいた女性に視線を送るが、彼女も首を横に振る。
「……換金終わったけど?」
ケイがきょとんとしながらハイドに近づいてそう告げると、ハイドはおぼつかない足取りで建物の二階へ向かう。
ひとつひとつ窓のそとを確認して、三階に移動したところで、ついに惨状を目の当たりにしてしまった。
偶然にも建物のすきまを縫って見えてしまったのだ。
「あれは……?」
不審に思いあとを付いていた青年が、茫然とつぶやく。
東の空が夕焼けのようにいろづいている。日中ではあるが、まだそんな時間ではない。
なにかが焼かれているのだ。
「ありえん……」
ハイドはひと言、そう紡ぎだすのがやっとだった。
*
宿屋に帰る途中、喧騒につつまれる街道でケイはハイドに尋ねる。
「ハイド……あれってなんなの?」
あの空がよからぬものであることくらいは、考えなくてもわかることだ。
「考えを整理しているところだ……。だが――あの若者が耳にした存在は知っている。白銀の肉体に黄金の眼を持つ巨大な竜。かつて〝ソーリスの天空神〟と呼ばれていたのがアドベント・ドラゴンだ」
封印を守護する五体のガーディアンのうちの一体とのことだが、その強さはほかの四体とは比べものにならないらしい。
最初に生みだした守護者であり、古代の勇者が与える権能の配分をまちがえていたとかなんとか。
「さっきの巨大ゴーレムと同じ役割があるってことだね」
「しかしあの竜は神聖なものだ。悪戯のような魔法で操れるような存在ではない。能動的に暴れているとしたら……止められるのはアルレンくらいしか……」
アルレンは守護者の鍵を集めていた。一応人類側にも打つ手がないわけではないらしい。しかしそれは、勇者の旅の失敗を意味する。
なにやら道ゆく街の兵士たちも忙しそうだ。
馬を駆り、隊列を組んで東へと向かっている。
「召集がかかってるみたい。ねえ、さっきの方角って……」
「オルキナのあるところだ。非常事態だな……」
この街の兵士は国防の役割もになう。よほどの大ごとでなければ兵士たちの召集はかからないはずである。
ゾッとしていると、ローズ公爵が鎧をつけた黒馬に乗りながら颯爽と現れた。
「卿ら……ようやく見つけたぞ」
どうやら彼はケイたちを探していた様子である。
「どうかしたんですか?」
「たった今、伝令が入った。最悪の報せだ。――王都オルキナは、陥落した」
「え――?」
「アーサー国王は戦死。我々はこれから王都へ向かい、防衛線に加勢する。伝えるべきことは伝えておいた。これで別れだ。達者でな」
そう告げるローズ公爵の眼差しは、すでに死を覚悟しているようだった。
さきを急いでいるのだろう。返事を待たず、彼は黒馬に鞭打ち去っていく。
思考が働かないまま、ケイはその背を見送るほかない。
すべての行動が裏目に出ているような気さえする。
ガーディアンを殺してはならない理由は、きっとアルレンにも伝わっている。だからこそ王都は陥落したのではないか。
暗躍しているのが古代の意志ならば、ハイドと同じくらい頭が切れるというわけだ。まるでてのひらのうえで転がされているような無力感。
この遠征により街の防衛も手薄になる。ガレオス帝国がそれを見過ごすとも思えない。ともすれば危険なのはこの都市も変わらない。
それよりも、ケイにとってはなによりもおおきな懸念がひとつ。
「ねえ、王都って……リミちゃんとゼノがいるんじゃ……」
あの二人が王都の住宅街で目覚めることを、ケイは思いだす。
ちゃんと逃げているのだろうか、ただただ不安は募るばかりである。
「あの二人ならきっと大丈夫だ」
「カノンさんは? はるみんは……?」
「……今は宿に戻って休め。確定していない情報に振りまわされるな」
宿までの道を、ハイドに支えられながら弱々しく進んでいく。相手は何人いるというのか。勇者さえ見つけられていない状況。よからぬ出来事の連続に、目がくらむ。
そんなとき、二人は奇妙な老婆に声をかけられることになる。
「――迷っているねぇ」
普通ならば気味が悪くて無視していたところだが、まるで縛りつけられるかのように振りむいてしまったのは、果たして偶然なのだろうか。
すべての音が鳴り止んで、そのおだやかな声だけが頭に入ってくるかのようだった。
老婆はちいさな机に水晶玉を置き、せなかを丸めながら市街地の片隅に座っている。
まるで二人を待っていたかのように、喧騒に臆することもなくそこにいた。
「あなたは……?」
「セクション・ヒトマルフタサン。悪しきにそそのかされた聖竜の侵攻に人類は敗れ、世界は終焉を迎えた――。今のあなたらじゃ間に合わないよ」
水晶玉を眺めながら、ローブで顔を覆いかくす老婆はつぶやく。別に水晶玉にはなにかが映っているわけでも、ひかっているわけでもない。
台本を読みあげているかのようなぎこちなさを感じる。
「汝は何者だ。なぜ知ったような口を聞く」
「ふふふ、終焉割だよ。無料でちょっとだけ未来を占ってあげるよ」
老婆は不敵な笑みを浮かべながら、なんらかの魔法により水晶玉をひからせた。まばゆいひかりに目を覆う。
やがて視界が開けたところには、荒廃した街並みが広がっていた。
「なに、これ……?」
靴裏で音を鳴らす乾いた砂も、焼けつくような火薬のにおいも、まるで本物のように感じる。そこにひとの姿はない。
「これは未来のプリ村だよ。ひと月もすればこうなってしまう。もちろんこれは、ひとつの可能性だよ。なにもしなければ、あと三日で世界は閉じる」
占い師の老婆は淡々と告げる。
「そんな……!」
「だが未来は確定しているわけじゃない。そうさせないためにわたしはここに来たってわけさ」
胡散臭い幻覚を見せられている可能性を、ハイドは捨てきれなかった。
「ケイ、うろたえるな。これもなんらかの罠の可能性がある」
そんなハイドの様子に、老婆はかすかに笑った気がした。
「ふふ、無理してそう呼ぶ必要はないよ、ハイド。それとあなたは――カナ」
「なんなのだ……」
まるでなにもかも筒抜けだった。
隠しごとは通用しないとでもいうのか。ともすればおだやかな雰囲気とは裏腹に相当な危険人物ではないか。
「わたしのことは……まあ、オババとでも呼びなさい。わたしは名もなき〝時の魔女〟――。これからあなたらを〝調律者〟として、みっち〜り鍛えあげる者さ」
自らを時の魔女と名乗る老婆は、芯のある眼差しを向けながらそう告げるのだった。