#107
「行動パターンが変化する理由はひとつしかあるまい。だれかが操っているのだ」
ローズ公爵は自身の確信を語った。
「なんの意味がある。動きは緩慢で防御に突出したゴーレムだぞ。暴れたところで標的になるだけ――」
ハイドはそう言いかけながら、ひとつの最悪な可能性を見出した。
「どうしたの?」
茫然とするハイドにケイが問う。
「まさか……詰ませようとしているのか? 勇者の旅を……」
勇者が資格を取りもどすのを止めようとしている者がいるのだ。
ハイドはサーベラスの襲撃を思いだしていた。彼も何者かにそそのかされ、記憶のなかの凶獣を呼び覚まされた。
「どういうことだ」
「もしも世界に点在するガーディアンが同時に解き放たれたら……」
焦燥感に満ちた仮定に、ローズ公爵は苦笑の息をつき、ひと言。
「そうなれば大惨事だな」
世界中で甚大な被害がもたらされた上で、勇者は詰みだ。不完全な資格はだれかに継承することができない。
勇者はもとの世界に、もどれない。
「わかっててやっているのか? だとしたら、こんなことできる存在はただひとつ……」
「だれなの?」
「我と同じだ。古代人の意志にちがいない」
正体不明の古代の意志が世界を終わらせようとしている。
「ねえ、もしこの周期が本当に最後の周期だったら――」
果たしてそれは、本当に平和な終わりなの?
考えたくもない疑問は、言葉に紡ぐことさえできなかった。
「このなかに聖術師はいないか?」
ハイドが傍観していた集団に問う。答えを聞くまでもなく、金の長杖を地についた女性が手をあげながら一歩前に出た。
「私がそうだけれど……」
「ガーディアンに向けて浄化をかけてくれ」
突拍子もない提案に冒険者たちはどよめく。このゴーレムを倒すために彼らは危険をかえりみずここにいるのだ。なかには多額の報酬が目的の者だっているだろう。
だからこそハイドはおおきな反発を受けた。物怖じするような男ではないが。
それをいさめるのはローズ公爵だった。
「やってやれ。責任は我が取る」
そのひと言で彼らは静まった。
ゴーレムは霊体が無機物に宿ったものだ。浄化をかければ眠るように沈黙する。
暴走の原因が絶てなくとも、無力化することはできるらしい。
『――浄化』
聖術師の女性がおそるおそる魔法をかけると、身動きが取れず苦しそうにしていたガーディアンはおとなしくなった。
岩石の肉体のすきまから、黒い煤のようなものが立ちのぼる。
「やはり……なんらかの古代魔法によって操られていたようだ」
ハイドの発言にローズ公爵は納得したそぶりを見せる。
「道理でゴーレムが山から落ちてくるわけか。ならもう騒ぎはおさまるのだな」
「警戒は必要だが、おそらくはそうだ」
「おい、近衛たち。任務は中止だ。撤退せよ」
両手の剣を鞘におさめながら、彼は淡々と命令する。
冒険者たちは不満な様子だったが、反論する者はひとりもおらず事態は収束した。
ひとまずは安堵だ。
でもハイドが言うように世界の各地でガーディアンが暴れだしたら、二人だけでは手に負えない。
まだ勇者を見つけられてすらいないのに、これからのことを考えねばならなかった。
「それはそれとして卿らは逮捕だ。おとなしく我らと同行しろ」
「ええっ!」
「なにが『ええっ!』だ。公務を妨害した責任は問う。悪いようにはしないからついてこい」
とのことで、ケイたちは兵士たちの駐在所に連れていかれた。
*
切りたった山をその足でくだることになったのだ。山登りの装備なんてしていないがゆえに、神経はさらにすり減った。
運動不足がたたりふとももが針金のようになっている。
『魔法の身体が筋肉痛になるなんて……』
『あの公爵は味方につけるべきだ。指示にしたがうほかあるまい』
『そうだけど……! 前を進んでたひと、ぜったいスカートのなか覗きやがったっ! 視線でわかる!』
やたらとうしろを振りかえってきた兵士を思いだし、ケイは苛立ちを隠せない。いっそどこかの貴族を名乗ったほうがよさそうではないか。不敬なやつは死刑で。
そこは崖の下に設営された臨時の舎営にある、取り調べ室のようなせまい部屋。
はたから見れば二人でおとなしく待たされているだけだが、こころのなかは怒りの炎が燃えさかっている。
やがて扉を開き部屋にやってくるのは、ローズ公爵本人だった。鎧を脱ぎ、軽い格好に変わっている。その手には紙と筆。
「待たせたな」
公爵は対面に着き、二人を観察する。
「ケンさま、わたしたちには時間がないんです」
「勇者を探して旅をしていると言ったな。時間が惜しいなら正直に答えよ。この周期が最後だとなぜわかる?」
「え、えっと……」
どぎまぎしてしまうケイに代わり、ハイドが答える。
「次の周期が存在しないからだ」
「どういうことだ」
ローズ公爵は眉をひそめながら問う。
「我は魔法で周期の並びを観測できる。だがこの周期がその果てであり、次が見つからないのだ。勇者が救われるのだと推測していたが、今回の一件で別の考えが芽ばえた。史録がこの周期をもって世界を再構築するちからをうしなう可能性がある」
ローズ公爵は絶句しながらも、ハイドの発言をメモしていく。
「つまり勇者を止められなければ我々は永遠に消える、と?」
「……最悪はそうなる」
「ならひとつ残念な報せだ。勇者はもう、プリ村にはいない」
いわく、つい先週ほどに旅立ったようである。
従来どおりなら行き先は北部。ちいさな村々を経由しながら入り江の港町に向かっているところらしい。
「今の勇者は爆弾だ。旅の途中で〝書架〟を見つければ、世界は終わる」
「つまりここは真の意味で〝暗黒の周期〟というわけだ。もはや止めようとする〝自覚者〟も少ない。絶望的ではないか」
「だからこそ汝の手を借りたい。それが逃げずにここにいる理由だ」
「フッ……。汝、か……」
その呼び方は無礼な気もするが、公爵は責めたてることもなく不敵な笑みを浮かべている。
「問題はそれだけではない。ガーディアンは勇者の資格の一部をになう。これが何者かに倒されることも避けたい」
「それは何故だ?」
「不完全な資格は継承できないからだ。勇者が資格を継承できないまま、いずれ寿命を迎えれば、それでも世界は終わる」
何者かが手を引いて、世界が滅びるように仕向けていることも、ハイドは包みかくさずに伝えた。
「――愚かなことをする奴がいるものだ。あるいは、なにも知らずにのうのうと生きてきた我々が真なる愚者か」
公爵の声は静かなる怒りに震えている。
「戦いの邪魔をしたことは大目に見てほしい」
「卿らがそうしなければ、世界は詰まされていたのだろう。……信じがたい話だが、手を貸そう」
もとより〝暗黒の周期〟では勇者を止めるのが〝自覚者〟たちの使命だった。しかし幾度となく失敗するうちに、誰もがそうしようとは考えなくなっていた。
睡眠薬さえあれば黒い渦は克服できる。
だから今やだれもが、死ぬなら勝手に死ねばいいとすら思っている。末期だ。
「ケンさま、ありがとうございます……」
「フッ……こんなところでのんきに話している暇などないな。おい近衛、勇者を指名手配しろ。ありったけのツテに連絡して動向を追え。我の名前を使ってもかまわん」
気づかぬ者たちはまさか歓声とともに旅を見送った勇者の目的が自殺だなんて、たとえ公爵の言葉だとしても信じられないだろう。
それでも反論のひとつも許さないのは少しニヒルな彼の性格が功を奏しているのかもしれない。
ケイたちは釈放され、転移魔法でギルドの拠点へと無事に帰ってくるのだった。
戦利品を換金するさなか、二人はある噂を耳にしてしまう。
遠い地にて、空を覆うほどに巨大な白銀の竜が現れたらしい。
受付嬢の好き好きアピールをよそに、ハイドは絶句して言葉のしたほうを振り向いた。
その竜はほかでもない、ガーディアンのうちの一体だったのである。