#106 月影の騎士
小一時間ほど山麓をめぐり、ケイたちはしばらくの生活には困らないだけの戦利品を得た。
「ハイド、少し休憩しない? ずっと刀振りまわしてるじゃん」
そう提案するも、当の本人は汗のひとつも流しはせず、呼吸もおだやかなままだ。
ケイ自身も体力が魔力そのものになっているからか、運動したときにしばしば訪れる足の突っぱりを感じない。
「ならここで引き返すか」
と、来た道を戻ることにしたのだが。
やはり途中、上からゴーレムが転がり落ちてくる。いくら感情のない無機物モンスターだとしても、これだけの数が崖の上から足を踏みはずすものなのだろうか。
「……この上でなにが起きてるの?」
「行ってみるか」
ハイドにうなずき、彼の手を握る。そして無詠唱のまま崖の上に転移した。
不思議な景色だ。岩石の性質がコペラ村の山とは異なるのか、まるでそこには色のない世界が広がっているかのようだった。
そりゃ同じことを考える者くらいいるだろう。
見渡せば数名の冒険者が危険をかえりみずに山を登り、集団で狩りをしている。
ゴーレムの数も地上と比べて多い。岩石から身体を形成しているから、形やおおきさは千差万別だ。
下手すれば彼らにも命の危険があるのだろうが、加勢するべきなのかケイにはわからない。
「なんだろ……襲ってくるというよりは――」
「ああ……」
ゴーレムたちの様子に違和感があるのはハイドも同じらしかった。
まるでなにかから逃げているようなのだ。
「この山にゴーレムより強いモンスターがいるってこと?」
「逃げられるだけの魔力はある。ちょっと様子を見に行ってみよう」
「それ死亡フラグだからやめてくれる?」
ともあれ、ハイドにかぎってやられることなんてないのだろうが。
起伏の激しいところを慎重に進んでいったさきに、他のものよりもひときわ巨大なゴーレムと対峙する集団がいた。
見るからに手練れだ。より高度な依頼を受けた冒険者だろう。標的を観察する眼差しは冷たく、そして隙がない。
兵士とともに武器をかまえ、その最前線には黒髪の剣士が一人。血に濡れたような刀身のあかい剣と、闇のように漆黒な剣を、それぞれの手に携えている。
対する巨大ゴーレムは挑戦者を静観しながら、身動きのひとつも取ろうとしない。まるでなにかを見定めているかのようだ。
「奇妙だな……」
「ゴーレムたちはあの戦闘から逃げてたってこと?」
ボスと思われる存在に加勢もせずに。本能的に身を守ろうとしているのだろうか。ゴーレム界隈の事情はよくわからない。
「そうじゃない。あのゴーレムから――正義の機運を感じる」
「正義の……? それって……」
「勇者が持つものと同じものだ。つまりあれは、ひょっとすると――魔王の封印を守護するガーディアンかもしれない」
途端に血の気が引いていった。
世界に点在する五体のガーディアン。それを倒さねばならないのは、ほかでもない勇者本人だ。
リュウが勇者としての完全な資格を確立させるには、そうしなければならない可能性が高い。
「止めないと……止められる?」
「取り巻きを制圧するのは造作もない。だがあの剣士は……見るからに手ごわいな」
冒険者と兵士の一団を傍観しながら、ハイドはつぶやく。
たしかにあの老年の剣士には、他者とは一線を画す雰囲気がある。遠目で見てもわかるほどに黒い眼差し。
「もしかして――〝自覚者〟なのかな?」
世界をめぐり多くのひとと出会ったケイは、なんとなく〝自覚者〟とそうでない者の見分けがつくようになっていた。
それは確実なものではないし、なかにはうまく隠している者もいるのだが。
――〝自覚者〟の多くは、目にひかりがないのだ。まるで未来に絶望しているかのような雰囲気のまま、なにも気づかない社会にまぎれて生きている。
彼らを見ると、泥の小舟で岸辺のない海に放り出されたかのような悲しさを感じてしまう。
あの剣士も、その例に漏れない。それどころかずっと根深い闇を背負っているかのようにも思える。
ここは〝暗黒の周期〟の果てだ。
〝自覚者〟たちにとってもそうなのかはわからないものの、幾度となく繰り返された周期に揉まれてきたのが手に取るようにわかる。
「我に任せろ。行こう、カナ」
「うん……」
ハイドが先陣をきって、睨みあうゴーレムと剣士の間に割りいった。
「卿らは何者だ」
老年の剣士が問う。
その澄ました声音と、どこかニヒルな口調には聞き覚えがあった。
「あなたはまさか――ローズ公爵?」
「いかにも。我こそ聖王国騎士団の団長が一角、またの名を〝月影〟――」
そこにいたのは以前ケイが胞子電話で話した相手だった。名前はたしか……ケン、なんたらだ。
「このゴーレムを倒すな。これは勇者が討伐せねばならないものだ」
ハイドがそう告げると、ローズ公爵は両手の剣をかまえ、唱える。
『――深淵に根づく闇よ。今こそその権能を解き放ち我が身に宿れ』
左手に持っていた黒の剣が脈動し、波導を放ちながら空間をゆがませる。
「待て。我は争う気などない……」
聞く耳も持たず、ローズ公爵は跳躍する。咄嗟に身構えたが、彼はケイたちを飛び越えて――両腕を振りあげていたゴーレムに突撃していた。
『聖獣の舞、玄武の章――〝影砕き〟……!』
ローズ公爵は地に描かれるガーディアン・ゴーレムの巨大な影を、黒の剣で突き刺した。
直後生じるのは強大な重力だ。ゴーレムは耐えかねて、山を揺らしながら倒れふした。
「ああ、助けてくれたのか……」
「フッ……。重かろう、我が剣技は――」
起きあがれないゴーレムを一瞥しながら彼は嗤う。笑うのではなく嗤う。
冒険者と兵士たちの歓声が空に響いた。
「公爵さま、どうか手を引いてくれませんか?」
「馴れ馴れしい少女め。だがその美しさに免じて許そう。我は寛大であるからな……理由を言え」
ああ、一人称が我のひとが増えてしまった……。
ケイは彼の意図しないところで言葉をうしなっている。
「えっと、このガーディアンは勇者さんが倒さないとダメかもで……」
「勇者ぁ……? 壊れた男にすがる者がまだいようとは……」
ローズ公爵は勇者に嫌悪感を示していた。さも当然である。彼は〝暗黒の周期〟の始まりを目の当たりにしてしまった唯一の〝自覚者〟だ。
彼らにとってなんとしてでも止めなくてはならないものを、目の前にいながら止められなかった。その絶望はケイにな計り知れないものだった。
「単刀直入に言う。この周期は最後になる。我々は勇者の自殺を止め、もとの世界に戻すためにここに来た」
ハイドの言葉に、ローズ公爵の目のいろが変わった。
後方にいた者らはなにを言っているのかわかっておらず、互いに顔を見合わせている。
「――そう言われても、この状況は前代未聞だ」
「どういうことだ」
「祭壇にいるはずのガーディアンが、ひとりでに出てきて暴れだしたのだ。防御しかしない魔物だぞ? 我にとっては取るに足らん相手だが、街の安全を考慮すれば放置するわけにもいかん」
不審な事態にハイドも驚きを隠せなかった。
勇者ではない何者かが、ガーディアンを解き放ったのである。