#105 あたらしい生活
オルキナ聖王国の西の向こうには広大な砂漠が広がっている。厳しい環境のなかにあり、生存闘争を制した魔物は数こそ少ないが強大であり凶暴。
そしてそこにあるのが〝戦いの国〟とも称されるガレオス帝国である。
友好関係の芳しくないオルキナは国境の山地に防衛拠点を置くことになった。
やがてそこにひとが集まってできたのがプリ村だ。風に乗ってきたあかい砂埃で汚れているところもあるが、今やそこには王都にも匹敵する活気と生活水準がある。規模でいえば村ではなく都だ。
カノンが作ったような天蓋型魔法防壁はないものの、プリ村の兵士たちは隣国との関係から警戒心が強く、血気盛んな若者が多い。
して、翌日ケイがやってきたところは、プリ村の東側にある宿屋の一室だった。西側よりも比較的閑静で、住宅街のなかにあるため、窓から人々の生活が一望できる。
馬車ではなく自分の足で移動する者がオルキナよりも多いようだ。道路の品質の問題だろうか。
「ところでハイドって、お金持ってたんだ?」
ふと、絨毯の上で丸くなっているハイドにケイが尋ねた。
「我を誰だと思っている。魔物を狩れば日銭を稼ぐことくらいは造作もない」
黒猫のまま言ってもあまり説得力はない。
ハイドは見せびらかすように、異空間から一枚のカードを取りだした。
「それは?」
「会員証だ。冒険者の立場が強いようだから作っておいた。我のだぞ」
プリ村における冒険者の仕事は魔物の討伐だけにとどまらないらしい。ときおり兵士の目を盗み侵入する不法入国者をとっちめて司法に突きだすというものもある。
危険ではあるがその分報酬も良いのだとか。
「そういえばわたし……もう〝黎明〟のメンバーじゃないんだね。わたしも作っておこうかな」
「その必要はないだろう。カナは今や我の召喚獣だ」
「JKに向かって獣とは失礼なやつだなあ」
否定できないのが心苦しいところではある。
その立場の方がかえって便利かもしれないし。
ともあれ、本日の二人のミッションは勇者を探しつつ日銭を稼ぐこととなった。
宿屋の主人から道ゆくひとまで、勇者の目撃談を募っていく。多くの者が「ちょっと前に見た」と答えたが、その足取りまでは定まらなかった。
やがてたどり着いたのが、ハイドが登録したという冒険者ギルドだった。組織の名前は――〝アイリーン〟。平和の女神の名前だ。
ハイドはいちど路地裏に身を潜め、人間の姿になって戻ってからギルドの拠点に足を踏みいれた。
屋内の雰囲気もいいし、内装は小洒落ている。ハイドにしてはなかなかのチョイスだ。
「ひとまず依頼を受けよう」
ハイドはそう言うと、壁際にある貼り紙コーナーをスルーして受付に向かった。ハイドが来たことに気づいた受付嬢が、途端に頬をあからめて身だしなみを整える。艶やかな茶髪とあおい目が綺麗なひとだ。
「あ、ハイドさん! おはようございます♡」
あたかも今気づきましたみたいな感じで、受付の美人な女性は笑顔を振りまいた。
「今日も依頼を受けたい。なにか報酬の高いものは入っていないか?」
「そういうと思ってこっそり押さえておきました♡ ――は?」
受付嬢がケイの存在に気づくと、途端に彼女の態度が豹変した。
「どうした」
「そちらの方は?」
冷酷な眼差しでケイを眺めながら、受付嬢が問う。
「ああ、こいつはケイ。我の召喚獣だ」
「召喚獣……? この女の子が?」
怪訝な眼差しを向ける受付嬢の様子に首をかしげながらも、ハイドは証拠を示した。
「あっ!」
どろろん、という音とともにケイの姿が黄金眼の白猫に変わったのだ。ちゃんと言葉を話せるようだが、目線が低くて受付が見えない。
母に話すネタができたなあと、ケイは驚きながらも些か楽観的な様子ではある。
「わあ、猫ちゃんになった!」
「信じてくれたか?」
「うん♡」
こりゃどう見ても脈アリだ。
受付嬢の声が明らかにあざとい。なんだかイラつく〜。
「で、依頼のほうは?」
ハイドが問うと我に返ったかのように受付嬢は咳払いをして、職務に集中した。
「山岳を転がりおちてきたゴーレムの討伐になります。国令なので依頼料はありませんが報酬はコアの売価の四割! どうされますか?」
「歩合制か。悪くない。受けよう」
受付嬢はにこやかにうなずき、受領手続きをはじめた。
「ホントは今のハイドさんのランクでは受けられないんですから。二人だけのヒミツですよ♡」
「ああ、感謝する」
「えっ、好き?」
言ってない。
ここにヒミツを知っちまった白猫が一匹いるんだけどなあ。完全に蚊帳の外だ。ていうかいつ戻るの。
ともあれ、こうしてハイドとそのおまけは依頼にて示された山岳のふもとを目指すことになった。移動手段は転移魔法だ。
*
プリ村の南部。城壁を越えたさきは長いのぼり坂だ。
野原を進むにつれ植物は痩せていき、やがて姿を見せるのが灰色の断崖。
そこが件の依頼の現場である。
国令なだけあって多くのギルドに依頼が舞いこんでいるのだろう。そこは金銭に飢えた熟練の冒険者と街の兵士たちで賑わっている。
「早く来て正解だったな。取り分がなくなってしまう」
「き、緊張してきた……」
人間体に戻ったケイがわなわなしながらつぶやいた。
ケイにはモンスターとの戦闘経験がない。
できることは眠らせるか防御壁を立てることくらいで、攻撃的な魔法は地獄の蒼炎(体験版)しか使ったことがない。しかも相手は薪だ。
「カナの出る幕などない。我のうしろで見ていろ」
とのことなので、お言葉に甘えることにする。
断崖に沿って人気のないところに向かっていたとき、ぱらぱらと小石が崩れる音が鳴った。
やがて音がおおきくなると、胸部にあかい宝石が埋めこまれたモノアイのゴーレムが、頭から滑り落ちてきてバラバラになった。
「な、なんだか……間抜けだね」
とは言っても、コアがあるかぎり岩石の身体が再生されるのだろう。ゆっくりとひとの形を成していき、やがて立ちはだかるその姿は、雄大な迫力に満ちている。
これがゴーレム。霊体型モンスターが岩石に宿り、長い時間をかけてコアを形成したもの。
「この世界にはこんな奴がいるのか。古代にいたのはもっとおおきかったぞ。それに身体は金属だった――」
「あ、危ないよ。気をつけてね」
ケイたちを見下ろしながら近寄るゴーレムにも、ハイドが臆することはない。
「――どういうことかわかるか。この程度、我の相手になどならんということだ」
ハイドが虚空の魔法陣から引き抜いたのは、あおい金属光沢のある刀身が湾曲した刀だった。日本刀のように見えるのは、ケイの記憶から抽出した武器だからかもしれない。
それをおおきく振りかぶって、ゴーレムに攻撃する隙を与えることもなく岩の外殻をバラバラにした。
内部のコアが地に転がる。それを中心にバラバラの岩石が密集しだすものの、再生する前にそれを一刀両断にした。
「おおっ、すごい!」
ハイドが攻撃するところを初めて見たケイは、迫力ある姿に目を輝かせている。ゴーレムに対してうしろめたい気持ちもあったが。
感情もなくひとに危害を加えるならばやむを得ない。
「まずは一体だな」
ひかりをうしなったコアを回収しながら、ハイドはつぶやく。ひとまずその日の食費は確保した。依頼は好スタートを切ったようである。