#104 これからすること、してきたこと。
「わたしが……命の恩人?」
年甲斐もなく涙をこぼすリュージを前に、うろたえながらケイは問う。
「覚えてなくたって構わないさ……。アンタがいなければ、オレの精神は今ごろこわれて、狂人になっていただろうから……」
ケイが知らない彼の記憶。
高次元のちからに触れて周期を移動できるようになったハイド。
二つの要素からなんとなく理解できてしまう。
――助けてきたのではなく、これから助けるのだ。
だからこそ、彼になんと言葉をかけてやればいいのかわからない。ケイにとってはひとちがいも同然なのだから。
されどリュージは涙を拭うとニッと歯を見せて笑い、ケイの来訪をこころから歓迎している。
「ずっとお礼をしたかった……! なんの手がかりもないから、心配していたんだ。よく来てくれたな!」
「すごーい! あたしもさっき助けてもらったんだよ。運命感じちゃうね!」
不思議な偶然にコトは目を輝かせている。
それとも、こうしてケイが耳にしたことで偶然ではなく確定した歴史に変わったのだろうか。
「飯はもう食ったのか。ここには大したモンはないけど、手を貸せることがあったらなんでも言ってくれよ。昔のオレとはちがうところを見せたいんだ!」
その勢いに些か困ってしまったケイに変わって、ふと思いたったように黙々とご飯を食べていたハイドが提案した。
「ならば汝らに頼みたいことがある」
呼び方は相変わらずだが、ハイドから頼みごとをするのはなんだかめずらしい。
「なんだ?」
「この周期の勇者か〝書架〟を探してもらいたい。身の安全を確保してやってくれ」
それは到着して早々に、この宿を離れることを意味する。四人はいちど顔を見合わせるものの、迷いもなくうなずいてくれた。
「それくらいならお安いご用だ。だが見つけてどうする?」
「……〝暗黒の周期〟を終わらせる」
ハイドの言葉に、リュージたちは目を丸くする。
「それは……可能なのか?」
「ああ。少なくとも、そうなるはずだ」
奇妙な口振りに彼らは混乱を隠せない。
「そっか……あたしたち、やっと普通になるんだね」
それでも感慨深そうにほほえみながら、なっちがつぶやいた。
「ずっと追いかけてきたんだ。勇者の旅の癖みたいなものはなんとなくわかる。たしかに今の時期ならまだプリ村にいるだろうな。――ただ問題なのは、プリ村に〝書架〟がいた場合だ」
リュージの推測にハイドはうなずく。
すでにこの周期の始まりから数日が過ぎている。勇者が自殺するのを止められない可能性もあった。
ただハイドはさして恐れていない様子だった。
時系列を俯瞰的に目の当たりにしたことで、そうならないことがすでに決まっているような確信かどこかにあったらしい。
「ねえねえ、それならあたしたちと一緒に探そうよ!」
コトの提案が嬉しくて、ケイはたまらず即断でうなずこうとした。
しかしそれを制止するかのようにハイドが首を横に振る。
「残念だが、それはできない」
「えーっ! なんで?」
「ケイが、ひとと同じ時間を生きられないからだ」
意外だった。
ハイドが出会って間もない若者たちに秘密を打ち明けようとしている。人間に対して信頼を寄せるのが、以前にも増して早くなっていることにケイが気づかぬはずもなかった。
『時間だ、カナ。もどすぞ』
「ええええ――」
彼らからしてみれば突然うろたえるケイの姿に、驚きを隠せていないのだが、そんなことどうでもよくなるような光景が彼らの目に映る。
あおいひかりに包まれたケイが、そのまま虚空に消えてしまったのである。
「ご覧のとおりだ。ケイには誰よりも優しいひとのこころがある。だが……この世界では異物にも等しい。ケイは……日本からここに来ているんだ」
ハイドの発言にみながどよめいた。コトたちはこの世界の人間だが、いちどだけ日本という異界の文化に触れ、そして戻ってきている。
「そんなことできるんだな……」
「他言はしないでくれ。ケイはきっと、これから世界を救う。だが対立する者も現れるはずだ。仲間は多いほうがいい」
思うことがあるのか、ふいにリュージがハイドに尋ねる。
「なあアンタ……〝時の魔女〟って知ってるか」
「……名前だけは知っている。多くの〝自覚者〟が噂しているからな」
「――ケイがそうなんじゃないか?」
その詮索に、ハイドはただ目を細めるしかない。
されど彼のなかにも、いずれそうなるのではないかという確信に近い予感があるのはたしかだった。
「今はわからない。……だが、そうだとするなら――こころ苦しいな」
みなを救う過程で、多くのものをその目で見ることになる。
人々が伝える過去の周期はあまりにも残酷で、そして絶望的だ。ケイがそれに耐えられるのか、ハイドはわからなかった。
もしもこの周期が本当に最後ならば、これからケイが作りあげる世界がここにある。
今のハイドは、それが平穏なところであることを、こころのなかでただ願うほかなかった。
*
現実の自室でカナは目を覚ました。
寝すぎて頭が重い。あいにくの天気で、窓から見える空がしろい。気圧もよくないのが体調でわかる。
「……話しちゃって大丈夫なのかな」
ハイドが彼らに秘密を明かした意図がカナにはわからなかった。
次向こうの世界に行ったとき、彼らとはもう一緒ではない。もとにもどすならもう少しゆっくりとお別れを告げさせて欲しかったところである。
「カナー! いつまで寝てるのよ?」
「もう起きるよ!」
廊下から響く母の声に反射的に返事をする。
時計を見たらすでに午後一時をすぎているところだった。さすがに寝すぎか。
ぼけーっとしながらリビングに降りると、母が尋ねた。
「あなたお昼どうするの?」
「……むちむち大根」
「は?」
夢のなかで食べた極上の料理を思いだしながら、カナはつぶやくのだった。