#100 【間話】
老いぼれたばあさんみたいに肩を落としながら、私は宿に帰ってきた。
おにーちゃんは相変わらず薬品の実験をしている。
「ただいま……」
「おー、どうだったー」
言うまでもない。おにーちゃんだってわかってるくせに。
私は返事もしないままベッドにぶっ倒れた。ひとに気持ちを伝えるのって、どうしてこんなに難しいんだ。
長生きしてるのに、こんな気持ちになるなんて。
「……おにーちゃん。なんか薬ちょうだい」
「なんや、やっぱり風邪ひいたん?」
「いや惚れ薬。ジンおじに飲ませる」
一応私たち兄妹は〝黎明〟の暗部として、任務遂行のためには手段を選ばないこともあったりなかったりする。
生活に困らないだけの財力や物資があるのも、王都の貴族たちに未来を売ることができるからだ。
もちろんそれによりなにを成すかもわかる。下賎な連中はどう足掻いても破滅だ。
なのにおにーちゃん、今回の私の提案に対しては反対のご様子だった。
「あんなー、そんなことしてジンさん手に入れて幸せになんかなれるん?」
「くぬぬ……。だって私……やっとこころを許せる男性を見つけたのに……」
ここだけの話、私に神みたいなちからがあったら男はみんな滅ぼすと思う。子孫はコウノトリが運んでくる世界にするのだ。
そんだけ男が憎いのに……ジンだけは残したいと思ってしまう。これはわがままだろうか。あ、あとついでにおにーちゃんも。
「……そもそもよ、気持ちは伝えたん?」
「伝えては……ない。でも言いかけてる間にフラれた……」
「そりゃ手厳しいな……」
おにーちゃんは苦笑しながらため息をつく。
「あちしみたいな美少女に告白されたら年齢がどうであれ嬉しいんじゃないの?」
「オレなら嬉しいねー。リミちゃんが美少女かどうかはさておき」
魔法少女パーンチ。背中に無視できないダメージ。
「ジンおじは真面目すぎる……どうすればあのひとの沈黙した獣を呼び覚ますことができるの……?」
「勝手に眠らすな。失礼やぞそれ。まーでも、ジンさんが断る気持ちもわかる。歳の差カップルは苦難が多そうやしなぁ」
おにーちゃんは背中をさすりながらつぶやいた。
その言葉に私は、ジンから言われたことを嫌々ながらも思いだす。
『私は老い先短い身ですが……』うんぬん。
『貴方のような子どもに興味は……』かんぬん。
長生きできないのがダメ。歳の差が離れてるのがダメ。
それってつまり、私と同じ時間を生きたいってことじゃん。 ※ちがいます
「やはり若返りの薬がすべてを解決するのか……」
「どこ行くん」
幽霊のような足取りで部屋を出ようとすると、おにーちゃんに呼び止められた。
「カナン村とかいうところ。気分転換に散歩してくるよ。事件が起きてるかもしれないしね!」
きのこばっかり生えてるらしいから、なんか特別なアイテムがあるかもしれない。
「それはオレもついてくわ。興味深いしな」
「だよねだよね! そうと決まれば出発ぅ!」
私たちはこうして散歩がてら、北の森にあるカナン村に向かうことにした。なんか若返り系のきのこ生えててくれー!
*
まっしろな空の下、痩せた樹々の茂る森のなかをしばらく進んでいると、目的の場所が見えてきた。天高くまでそびえる、いろとりどりのきのこ、きのこ、きのこ――。
なかには淡くひかるものもあれば、そうでないものもある。
見たことないきのこもあれば、どうみてもお鍋の具材になるやつが生えてたりもする。まるできのこの博物館だ。ピンクのやつもあってかわいい。
宙に舞う胞子はまるで霧のように煙たくて、昼間なのに視界が悪い。鼻がむずむずしてくしゃみが出そうだ。
「……なにがどうなってこんなもんができあがるん?」
口をあんぐり空を見上げて、おにーちゃんがくしゃみしながらつぶやいた。
私も同意見だった。そしてくしゃみをした。
「これをカナおねーちゃんが作ったの……? 意味がわからなすぎて推せる!」
なにがどうなれば森がきのこに変わるんだ。
魔法によるものなのはまちがいないけど、効果もさながら、目を見張るべきはその規模だ。
コペラ村の面積にも及ぶ範囲に魔法を放ったことになる。魔王ってすごい。
おにーちゃんは正体不明の巨大あおきのこに刃物を入れ、サンプル採取に夢中だ。
私も感動に背を押され、はぐれない程度にあたりを散策していた。
そんなときである。細々とした女の子の声が、森のどこかから聞こえてきた。
「侵入者……人間であるなんじたちがここに入ってはいけません……」
「ありょ? この声、どこかで聞いたよーな」
「あれ、なんじ……マヤ様のご友人……?」
なんじ……汝か。変わった呼び方だ。本人も言い慣れていないようだし。
やがて深い霧の奥から姿を現したのは、マヤおねーちゃんの屋敷にいたメイドさんだった。ここでは頭のきのこと同じカラーの、黄色くてかわいいワンピースを着ている。
「あなたは……ヘネちゃん?」
「はい。この森になんのご用ですか?」
「探検だよ。どんな場所なのか気になって……」
そういうことならと、私たちはヘネちゃんに森を案内してもらうことになった。
ヘネちゃんはメイド修行のかたわら、絶賛発展中のカナン村の代表者を担っているそうだ。
私たちも、マヤおねーちゃんとの旅のこととか、ついさっき失恋したこととかを話した。
恋バナに関しては些か押しつけていたようで、ヘネちゃんったら困惑しっぱなしだったが。
「おどろかないでくださいね。この村で生活するのは不死系のモンスターばかりですので……」
そう言いながら彼女に案内されたさきには、魔物たちのいとなみが根づいている村があった。きのこをくり抜くガイコツ。なかみを運ぶガイコツ。手分けして資材を運んでいる個体もいる。まるで知性があるみたいに。
「わあ……」
思わず感嘆の息をこぼす。誰だってそうするはずだ。私たちに気づいた魔物たちも、別に襲いかかってくることはないのだから。
彼らは高くそびえる巨大きのこをくり抜いて、好きな間取りのお家を作っていた。内装は簡素なものばかりだが、きっと家具とかも置けるのだろう。
なんなら住みたいとすら思えるような景色がそこには広がっていた。
「こりゃすげえ……」
「ねえ、写真撮ってもいい?」
私が聞いてみると、ヘネちゃんはちょっとだけ考えたのち、ニコッと笑ってうなずいてくれた。
「悪いひとに見せないでいただければ……」
「うん! 大事にするよ!」
私は両手をカメラのかたちに構え、唱える。
『ズーム!』
カシャ。撮影っぽい音が鳴って、私が見た景色は記録された。ポージングする私と、ピースするおにーちゃんと、きょとんとするヘネちゃんのお顔つき。
ヘネちゃんは私の能力を、目を輝かせながら眺めている。
「そのちから……すごいですね。まるで祝福のよう……」
「えへへ、秘伝なんだー。あちししか使えないよ! ……って、いまアーツって言った?」
それってたしか、フューリィちゃんが言っていた古代の魔法だったような。
「はい。厳密には似て非なるものですが……性質はかなり近いです。やはりあなたもご存知なのですね」
「うーん……いまいち思いだせないけど! むしろヘネちゃんがそれを知ってるのがおどろき!」
実はヘネちゃんってすごい子なんじゃないだろうか。
なんだか息を吹きかければ飛んでしまいそうなくらい儚い雰囲気だけど、考えてみればその見た目はカナおねーちゃんが変身したときにそっくりだ。
「そうですよね……わたくしごときが知っててすみません……」
「えっ、怒ってないよ! ごめんね勘違いさせて」
なんだかジメジメしはじめたヘネちゃんだったが、私が謝るとハッと我にかえってかわいらしい笑顔にもどった。
「あの、よかったらわたくしもリミちゃん様のちからにならせてくれませんか?」
「え、いいの!」
「はい。きっとこの出会いもわたくしの修行。しょせんはきのこですけど……これでも祝福をちょっぴり使えますので……お役に立てるかもしれません」
古代魔法って恋愛にも使えるのか。それはさておき。
この子はジンといっしょに仕事している。ともすれば役立つことはまちがいなかろう。薬を盛るときに手伝ってもらうとか。
頼もしい仲間が増えたと思っていたが、おにーちゃんは呆れたようにため息をついた。
「無理に付きあわんでええよ、ヘネちゃん。このピンク、ろくなこと考えんでな」
「だまっとけホタルのひかり! キャベツ! 葉っぱについたカマキリ!」
「初手から手札三枚はずるいやろ!」
私たちはつかの間のとき、言い争いをした。病めるときも健やかなるときもいっしょだが、意見が食いちがうこともたまにはある。バトるときもいっしょだ。
「お二人とも仲がいいのですね。羨ましいです。わたくしにはそんな仲のひと、いませんから……」
「あ、なんかゴメン……」
ヘネちゃんの陰気が私たちを仲裁した。そして我にかえって、ほほえんだ。なにこの面白れー女。
ひとまず私たちは、ヘネちゃんの家にお邪魔することにした。かわいい家具が並べられた二階建てのきのこの家だ。すべての家具をDIYで作ったというから器用なものだ。
私たちはきのこのかさがクッションとしてあしらわれた革のような質感の椅子に座りながら、屋敷でいただいたきのこティーを淹れてもらった。
「古代魔法って若返りの薬もつくれるの?」
ひと息ついて尋ねると、ヘネちゃんはぽけーっと天井を見上げながら答えた。
「若返り、ですか。古代の薬学は身体の機能停止を目的とした攻撃的なものばかりでしたが……不可能ではないかと」
古代ってすごいな。
思ってもみなかったことに、おにーちゃんが私以上にその話に食いついてきた。
「詳しく聞かせてくれへん? 化学の知識ならそれなりにある」
「まさか……おにーちゃんもジンおじを……?」
「なわけあるか!」
ヘネちゃんがあたふたしはじめたので、自重する。
「えっと……そもそも老化というのは分裂回数が限界を迎えた細胞が蓄積することで起きますよね」
「ふんふん」
「それを取りはらうことで、若さを取りもどすことはできるはずです……」
「んん……?」
それってただのアンチエイジングでは。
「もっとこう……古代パワーで六十歳が十歳にびゅーんってできたりしないの?」
さすがにそれは無茶振りだったらしい。
「そこまでするには、時間に干渉するちからが必要です……。無限の魔力があればできそうですが……」
ヘネちゃんはもじもじしてうつむいてしまった。
「そっかー。やっぱそう簡単にはいかないよね」
振りだしにもどって肩を落としているとき、ヘネちゃんが突然胞子を振りまきながら立ちあがった。
その気迫に圧され背筋に悪寒がはしる。この子、そんな顔もできるのか。
「――森に侵入者です。二本足で、大型……。誰でしょうか、まるで巨人のような……」
ヘネちゃんはこの土地一帯に神経のような菌糸を張りめぐらせているらしく、感覚的に得体の知れない者の足取りをキャッチできるらしい。
「事件だね! すぐに向かわなくちゃ!」
私たちはヘネちゃんに先導されて、現場に向かった。
どしん……。どしん……。
巨大ななにかがゆっくりと歩みを進める音が、大地を揺らしながら響いてくる。
「リミちゃん、気ぃつけや。これ――かなりデカいで」
戦闘準備を整えるおにーちゃんの言葉にうなずき、私は散開した。暗部の腕の見せどころだ。私は両手カメラで撮影したものをおにーちゃんに共有できる。先手を打つのはたやすい。
幸いにも周囲に身を潜めるのに適したきのこは多い。まずは慎重に迂回しつつターゲットの確認。二方向からの挟撃に対処できる者はそう多くない。
「あれは……!」
まだ遠方にいたその存在に私は自身の目を疑った。
五メートルを超える高さの鍛え抜かれた体躯に、肩から伸びる岩のような四本の腕。
いつかの周期で勇者の悪ノリから生まれた巨人が、そこにいたのである。
*
――伝説の霊獣・《ヘカトンケイル》。
この広い世界でたった三人しかいない存在が、私の目の前にいる。
その巨人に関する逸話は多いが、信憑性の高いものがひとつ。
――世界をさまよう三人の巨人。見かけた者は超ラッキーなり。
願いを言えば崇高なちからをもって、それを叶えてくれるであろう、的な。
あまりにも希少な存在で強大なちからを持つあまり、今後登場するかもわからないと言われている。
「あ、あのっ!」
「む……?」
私は暗部であることをなかば忘れて、咄嗟に巨人に声をかけていた。千載一遇のチャンス、おにーちゃんに取られるわけにはいかん。
長い茶髪から露出する海のようにあおい片目が、私を見下ろす。なんて迫力だろうか。ひととは遠くかけ離れた神々しさを感じる。
「あなたを見つけたら願いを叶えてくれるって聞きました!」
「…………」
その巨人は露骨に嫌そうな顔をした。なんだか苦労が多そうだ。
「あ、無理にとは言いませんので!」
「言ってみろ、ひとの子よ」
「実は私、好きなひとがいて……でもそのひと歳が離れてて付き合ってくれないの。だから、老人を若返らせる薬がほしくて……」
巨人の男は訝しんだ。
「その老人はそなたのことが好きなのか?」
「え? うん。両想いデスヨ?」
これからそうなるから嘘じゃないデスヨ。
「そうか。ならばそなたの願いをしかと叶えよう」
「おおっ!」
巨人は四本の腕を前方にかかげ、五十にも及ぶ魔法陣を虚空に浮かべた。それらすべてから一点に向けて光線が放たれ、ひかりのなかになにかを錬成していく。
やがてできあがったのは、ポーションが入った小瓶だった。ふわーっと浮かんで、私の手元におさまった。
「二本ある……」
「一本は予備としてとっておくがよい。一本飲めば、十歳まで若返る薬だ。用法用量を守り、正しく使うのだ。あまりハメを外しすぎないようにな。ではさらばだ」
そう言うと《ヘカトンケイル》はひかりの粒になって、どこかへと消えていった。まるではじめから幻を見ていたような気分だ。それでも私の手のなかには、彼がいた痕跡がたしかに残っていた。
「リミちゃん! なにがおったん!」
おにーちゃんとヘネちゃんが、物音がしなくなったことを不審に思いやってきた。
私は咄嗟に小瓶をポーチに隠す。
「なんか巨大なひとだったよ。大丈夫、あちしが追いはらったから!」
そうやってごまかすと、おにーちゃんとヘネちゃんは顔を見合わせた。
あとはこれを飲ませるだけ。そう考えると私は不敵な笑みを隠すことができなかった。
*
翌日!
朝霧が不気味さを演出する村を駆け、私は屋敷にやってきた。
作戦は万全だ。この時間、ジンおじは朝の買い出しに出かけている。そしてセネおばは九割七分の確率で洗濯のために屋敷の裏手に出ていくのだ。まずはそこを狙う。
「あのっ!」
「……?」
セネおば、無言でこっちを睨みつけてきた。絶対こわいじゃん。
「あの……人手は足りてますか? よかったらここで働きたいんですけど!」
「なんだって?」
この周期のマヤおねーちゃんは旅とかしてないから、私が旅の仲間だと言っても信じてもらえない。
そこでセネおばを通じて、マヤおねーちゃんに直談判してもらうのだ。実質顔パスだと思う。
「マヤおね――マヤさんに面接してほしいなあって……」
「無理だよ。あんたまず自分のナリ見てから言いなよ。おとといは客人ってことで通したけど、働くとなりゃそうはいかない。そもそも怪しすぎる」
チィ。手ごわい女だ。
地雷系ファッションは数百年さきのトレンドだぞ。諸説あるけど。
「うう……このままじゃあち――私……うう……」
「なんか事情があるなら話してみな。それでなにか変わるわけでもないけどさ。死にかけのババアでよけりゃ助言くらいはくれてやるよ」
セネおばは結構長生きするんだよ。しかもそこらの汚い大人たちとちがって弱みや望みがない。
マヤおねーちゃんを育てることに一途で、その忠義心の高さたるや、さすが若いころ王都の宮廷魔導部隊に属していただけのことはある。
たかが記憶、たかが設定と侮れない人格者だ。
「実は私……黄緑いろのおにーちゃんと旅をしているんですけど……うう……。どこかで日銭をいれないと男たちに売るぞって言われて……もう逃げたくて……」
嘘だけどね。ごめんなおにーちゃん。咄嗟だったんだ。
私の名演にこころを打たれたのか、セネおばは作業の手を止めてこっちを見た。
「それは本当なのかい?」
「……うう。一日だけでもいいんです。どうかあちしに……私に逃げ場をくださいませんか……」
セネおばは私のことを抱きよせて、頭を撫でてくれた。
「ここまで、大変だったんだね……。あたしに任せときな」
「おおっ……あ、ぐすんっ……」
「そいつはひと目見たから特徴は覚えてる。あたしがとっちめてきてやるよ。これでも魔法の腕にゃ自信があるからね」
「お?」
なんかちがう方向にすすんじゃったなー。
*
そういうことで、セネおばはヘネちゃんに外出することを伝えておにーちゃんをしばきに行ってしまった。
こうなったら作戦変更だ。屋敷に潜入し、メイド服に着替える。
マヤおねーちゃんに直談判する。採用。
幸いにもエルフのカナおねーちゃんは寝てるようだ。
「ヘネちゃん……。メイド服ってどこにあるの?」
屋敷の玄関にてヒソヒソ声で尋ねる。この子、気弱だから押せばなんでもしてくれそう。
「たしか……セネットさんの私室のクローゼットに何着か予備があるはずですが……」
「ちょっとサイズ合うやつ持ってきてよ……!」
「ええ……でも……」
「ヘネちゃんにしか頼めないことなんだよう……!」
そう言うとヘネちゃんの顔つきが変わった。常套句。
「わかりました……お任せください……!」
「ありがとうー!」
これでメイド服は手に入れた。そのまま見張りをお願いして、貴賓室を借りてそそくさと着替える。初めてのことだから着方がわからない。手探りだ。
脱いだものは畳んでソファのすみに置いておく。
「わたくし……お役に立てましたか?」
「うん! ヘネちゃん大好き♡」
「えへへ……」
私がハグするとヘネちゃんは照れくさそうにほほえみながらハグをお返ししてくれた。そのあと、メイド服の着崩れた部分を丁寧に直してくれた。
「マヤおねーちゃんは今なにしてるの?」
「自室で王都に送る書信を書いています。お呼びしますか?」
「うん、お願い! ここで待ってるね」
軌道修正は万全だ。タスクはあとふたつ。メイドとして雇用されること。
「お連れしました……」
「採用!」
まだなにも言ってないけど……これであとひとつ。
――ジンに薬を飲ませるだけだ。
最後にして最大の難関だ。強引に飲ませるのは無理だし、かといって飲み水に混ぜるには量が多い。
「ヘネちゃん、あなたのちからを借りるときが来た」
鼻をおさえながら自室にもどるマヤおねーちゃんを見送りながら、私は静かに告げる。
「ほえ……?」
ヘネちゃんはきょとんとしている。
実はかくかくしかじかで、と巨人の霊薬を手に入れたことを教えた。怒られると思ったけど、ヘネちゃんは自分のことのように喜んでくれた。
「これをどうすれば飲ませられるかなって……」
台所に小瓶を二つ並べて置きながら、私はつぶやく。
「うーん……四ごっくんくらい必要ですね……」
「そうなんだよね……」
そもそもこの薬がどんな味がするのかもわからない。
効果のほども定かではないが、収拾がつかなくなりそうだしそこはきっと大丈夫。
「そうだ。わたくしに良い考えがあります」
「……それ大丈夫なやつ?」
「わたくしは物体を転移させる魔法が使えます。この液体を直接胃のなかに放りこむのはどうでしょうか?」
――それだ。
なんたる妙案。そんなことまでできるのか。古代魔法ばんざい。
「ヘネちゃん……なかなかエグいこと考えるね……」
「あ、すみません……人間のこころがまだよくわからなくて……でも、善悪はわかります」
「ほんとぉ?」
いたずらっぽく問うと、ヘネちゃんはにこやかにこう答えた。
「リミちゃん様は、善人ですよ。……だからあなたがすることも、きっとよいことにちがいありません……」
「――ヘネちゃん……」
この子ぜったいいつか不幸になるやん。守ってやらないと。
そしてそっと、自分の胸に手をあてて考える。
ここまで私がしてきたことは果たして善行といえるのか。
うーん。
うーん……。
白寄りのグレーといったところかな。
まさかこんな女の子に気づかされることがあるなんて。人生において学びは尽きないものである。
これからは一日一善をこころがけようと私は決めたのだった。これって、魔法少女みたいだ。
「作戦……ぜったいに成功させましょうね……!」
「うん!」
ヘネちゃんの言葉に、私はうなずく。
こうしてカスみたいな作戦は決行されることになった。
*
ほどなくして、ジンが早朝の買い出しから帰ってきた。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
私は服を見せびらかすように、裾をつまみながらおじぎをした。
「リミさん? あなたがなぜここに?」
ああ、もっと呼んでほしい。ジンに呼ばれると全身に電流がほとばしるような感覚になる。
「えへへー! ジンおじの願い、叶えにきたよ!」
「願い……?」
「あちしといっしょに幸せになろうね……ジンおじ――いや、あなた♡」
どうしてそんなに引きつった顔をするのかなあ。
私はぎゅっと抱きついて、ジンが身動きとれないようにした。
そしてヘネちゃんに視線で合図を送る。
ヘネちゃんはうなずき、転移魔法を唱えた。
『……飛翔しろ』
空間が縮小するような音とともに、小瓶のなかに入った液体は綺麗さっぱりなくなった。
「なっ、ヘネさん! な、なにを……」
おなかのなかに液体が入ったことに気づいたのだろう。
ジンは私を突き放して、自身の身体をたしかめる。口のなかに指を入れて吐きだそうとしたが、もう遅かった。
ジンの肉体が、みるみるうちに縮んでいく。まるで華奢な女の子に変わるみたいに。
薬は本物だったようだ。これでジンは私のものだ。
空色の髪の少年が、ぶかぶかな服のなかから顔を出した。今にも泣きだしそうな表情であたりを見渡している。
「えへへ、もうジンおじとは呼べないね?」
「な、なんだ? なにがどうなってるんだあああっ!」
私の精神から、母性本能と呼べるものはとうに消えてなくなっている。
変わり果てたジンを見てひとえに刺激されるのは――嗜虐的劣情と言っても、さしつかえないものだった。
「困ったね。これなら男の子の服を用意するんだったよ」
「も、もどしてください! これでは仕事ができないです!」
「いいよ。とりあえず部屋いこっか。このままサボっちゃお♡」
からになった小瓶をヘネちゃんから受けとり、ポーチにしまう。
そして女の子みたいな声でめそめそするジンの手を強引に引いて、私は彼の部屋にやってきた。必要最低限のものしか置かれていない、レッドオークの家具で揃えられた落ち着きのある部屋だった。
しっかりと鍵をかけて、これでもう邪魔する者はいない。
「うう……リミさん、貴方はなんてことを……」
「だってジン、あちしの気持ちに応えてくれないんだもん」
「それは――!」
「でももう大丈夫。障害になるものはぜーんぶ取りのぞいてあげたからね!」
正直なところ、今のジンの姿は私の好みとはちがう。
私は老年の落ち着きのある男性が好きだから。泣きべそかくようなショタガキに興味はない。でもこれくらい我慢できる。
「リミさん、貴方の望むようなことにはなりません……!」
「知ってるよ。勇者が死ねばすべてもとどおりだもんね」
「ならなぜ……!」
「あちしはね、ジンのことが好きなんだ。イケおじだからとかじゃない。優しいからとかじゃない。そんなひと探せばいくらでもいる。でもあちしがこころを開けるのは、あなたしかいない」
やっと伝えられた。『ありがとう』だけではいくつあっても足りない、私の想い。
皮肉なもんだ。好みとちがうからこそ愛しているとすんなり言えるんだもの。
ジンは〝悪の周期〟を知っている。きっと私たち兄妹がなにをされたかも、予想くらいはできるはずだ。
ああ憎い。思いだすだけで殺したいほど勇者が憎い。
「……なぜ私が、生涯において伴侶を持たないか知りたいですか?」
私の声がとどいたのか、ジンは青ざめた顔でうつむいたままそう尋ねた。
「え――? まあ、うん……」
「では失礼しますね」
なにが、と言おうとした矢先。
とつぜんにジンがそのちいさい手で、私の胸を鷲づかみにした。
「ひッ――!」
いくら少年といえど、やはり男は男か。たったそれだけで、記憶の奥底から恐怖が噴きだし、私の身体を石のように変えてしまう。
「大丈夫ですか?」
「あ、い、いきなりなに――」
「私の身体を見てください」
言われたとおりにジンの身体を観察する。サイズの合わないスーツを全身に羽織っているから、詳細こそわからないけれど――私は彼の肩から、あおい雷がほとばしるのを見た。
「それは……?」
「お恥ずかしい制約ですので、ひとに話したことはありません。貴方に教えるのが初めてです」
「わ、私が! ジンの秘密を!」
キャラ崩壊。あちしに訂正。でもそれって……ラブじゃない?
「実は私、感情が昂ると……その、放電してしまう体質なんです……」
「なん……だと……?」
「私自身は痛くもかゆくもないのですが、当然のように衣服は焦げて駄目になりますし、他者は傷つけてしまう。あとは……察してください」
私は困惑するあまり、一歩下がってしまった。
この対応こそが、愛の告白に対する彼の答えであることにも気づけない。私は底抜けのバカだ。
もちろん私に彼を拒むような気持ちはない。
だからこそ興味本位で、おそるおそる尋ねてしまう。
「自家発電でマジで発電しちゃうってこと……?」
ジンは赤面してぴーぴー泣きながら、必死に叫ぶ。
「こっちは真剣に悩んでるんです! もう慣れましたがね……。ですから、あきらめてください。私はリミさんを傷つけたくないんです」
でも、それって。ふと思うことがあり、詮索する。
「あちしみたいな子どもに興味ないって、嘘でしょ」
「いいえ、本当です。もちろん、好意を抱かれたことはとても嬉しかったですよ」
私はいちどおおきく深呼吸して、ジンの手をとり、胸に触れさせた。
ビリッ。かすかに電流がほとばしる。
「昂ってるじゃん、感情」
「そ、それはこんな姿になっちゃったからで……!」
言い訳がましい口をふさぐように、唇を重ねた。彼の心音がこっちにまで聞こえてくるようだ。
ビリビリッ。どこかから焦げくさいにおいがする。
ジンは息を荒げながら、必死に自分の感情を抑えているように見えた。
「ジンがどんなひとでも、あちしは受けいれるよ。それでもダメ?」
「だ、だって――むう!」
よし、言い訳しようとするかぎり口をふさいでやろう。
「あはは、静電気でおたがい髪がすごいことなってる」
「リミ……さん……。怪我しちゃう……」
薬の影響かわからないけど、気づけば彼の口調もどこか子どもっぽくなっていた。
「ねえ、ジン。あちしね、暴力されたことがあるから、男が怖いんだ。だからね……いっしょに練習、しよ?」
耳元でささやくと、ついにジンのタガが外れる音がした。それはもはや、電流じゃなくてちいさな雷鳴だ。
私の手を引っぱって、ベッドに押し倒そうとする。でもちからがなくて、ぎこちないのが愛おしい。
「リミさん……」
情欲にさいなまれ、私が彼を押し倒してしまった。
若くなっても筋肉質なジンの身体に指を這わせる。彼が小刻みに跳ねると、シーツは焦げる。
身体が焼けるように熱い。それと痛い。これたぶんこのあと私、死ぬ。欲に焦がれて、愛に焼かれる。それでも構わないのかもしれない。恋は盲目ってそういうことか。
――殺したいほど憎い勇者よ聞いてくれ。
頼むから少しのあいだでも、どうか今だけは怪我なく無事でいてほしい。
私は今、世界の誰よりも幸せなんだ。
*
後日談。
「おにーちゃん、この薬の成分調べて再現して!」
私は宿の室内で、ばちくそ不機嫌なおにーちゃんに小瓶を渡しながらお願いしてみた。
無視された。魔法少女キーック。
「あのな、リミちゃんがイチャコラしてるあいだ、オレ死にかけとったんやぞ! あのババア!」
「なにさ、あちしだって死にかけたもん!」
結局、私は死ななかった。
いくところまでいくまえに、部屋が丸こげになりそれどころではなくなったという、笑い話。
そして屋敷を出禁になった。恋路に障害はつきものだ。
ちなみにジンはまだ老年にもどらない。ていうかたぶんこの周期ではずっとこのままだ。もどしかたとか聞かれても知らんし。
きっと今ごろマヤおねーちゃんやカナおねーちゃんにかわいがられているであろう。そういうのを想像するのはたのしい。
それとヘネちゃんはセネおばにばちくそ責められているであろう。ごめんな、ヘネちゃん。社会勉強だと思ってくれ。
カシャン。
おにーちゃんが渡した小瓶を割りやがった。
「一滴すら残ってないやんけ。なにを再現すんだっての……」
「ごめーん渡すのまちがえちった!」
てへぺろ、そんなノリでポーチを手にとり、小瓶をさがす。
あれれおかしいぞ。
……ない。
「……リミちゃん?」
「屋敷だわ」
若いからさ、すぐ思いだせるのさ。
台所に置きっぱなしだってこと。
どうしよう私、出禁なんだけど。ついでにおにーちゃんもだ。
思考が停止するさなか、部屋をノックする音がした。遠慮ぎみな音から看板娘の子であることがわかる。
「あの……お二人に来客が……」
「おおっ! もしかして届けてくれたのか!」
ヘネちゃんには見限られたと思っていたが、希望はまだあるらしい。寛大な御心に感謝しながら彼女を出迎えにいく。
「おいっ! これどうやったらもとにもどるんだい!」
そこには語気がやたらとアグレッシブな見知らぬ少女が、からの小瓶を手に仁王立ちしながら私を待っているのだった。
間話 おしまい
祝100話!