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幻想領域少女  作者: 雪鐘 ユーリ
第一章 書架の章
10/110

#10


 その日の夕食は普段よりも豪華な品揃えだった。まだ屋敷に居着いてから日が浅いカナでもわかるほどだ。


 なかには先ほどまでマンドラゴラだったものもある。ジンの料理の腕がよく、きらびやかな盛りつけと絶妙な焦げ目から(ただよ)う濃厚なバターの香りは、野菜がみせたあのいやらしい表情を忘れさせるほどだった。


「……なにか良いことでもあった?」


 なにも知らないマヤはそんなことを尋ねる。不機嫌というほどでもないが、彼女には元気がない。

 すでに勇者の一行は次の目的地に向けて旅立った。マヤは自身の夢をあきらめ、仲間への加入を辞退したのだ。


 力不足を自覚した上での決断であり、そこに後悔はない。さりとて将来に対する展望がうす暗いのは火を見るよりも明らかなことだった。


「そうですね……。何事もない平穏な日常に、感謝をしたいと思いまして」


 ジンはほほえみながらそう答えた。そして軽やかな足取りで棚から取りだしたぶどう酒を、机に並べられたグラスに注いでいく。


「高いわよ。いったいどうしちゃったのかしら……」


 マヤは聞き耳をたてられぬように小声で、カナにつぶやいた。


「き、きっとマヤが無事で嬉しいんだよ……」

「あなたは大丈夫なの……? ちゃんと寝てる? もしなら休んでても――」


 遠回しに目元の黒ぶちを心配されて、カナは苦笑した。


「マヤ、わたしね……。も、もうすぐもとの世界に戻るかもしれないの」

「え……そうなの?」


 カナはマヤが喜ぶと思って打ち明けたが、予想に反してマヤは微妙な表情をした。



 *



 時はさかのぼり、夕食前。

 西陽が差し込む厨房にて、ジンは単刀直入にカナにひとつ質問をしていた。


「カナさん。今後のことを聞いてもよろしいですか?」

「今後のこと……ですか?」


 床掃除の手を止めながら、カナはその意味を尋ねる。


「先日、勇者は村を出発しました。一日でも早くもとの世界に戻りたいならば、ここで生活していただければよいのですが……。もし役割にしたがって結末を変えたいと思うならば、少なくとも今日のうちには勇者を追う必要があります」


 カナはたしかに未来を変えた。しかしそれは結末ではなく、物語の過程に干渉したにすぎない。


「どうしたらいいですか……?」

「貴方が決めることですよ。誰もその選択を責めたりはしません」

「――じゃあ、帰ります」


 カナは迷うこともなく、マヤのことを思ってそう決断した。もとよりこの身体は借り物だ。危険に飛び込んで傷つけたくなかった。


 マヤから一つの人間関係を奪ったことに、後ろめたさもある。


 長居をする理由はない。

 必死な眼差しでカナのことを守るリュウの姿が脳裏に浮かんだが、カナはそれを振りはらった。


「そうですか……」


 ジンは一瞬、残念そうな表情をみせたが、すぐに納得してカナの意思を尊重した。



 ふたたび現在。

 気まずい空気をどうにかしようと、カナはマヤに思いの丈を伝えることにした。


「わ、わたしね。もとの世界にあんまり友達いないんだ。だから、マヤが友達になってくれたとき、すごい嬉しかったよ」

「カナ……」

「でも、誰かの日常を奪ってまで幸せになんかなりたくない。だから……帰るね」


 マヤは掛けるべき言葉がわからずに、カナに抱きついた。カナが帰ることを、素直に喜べない様子だった。


「……料理が冷めちまう」


 セネットは二人の様子を見ながら、さりげなく悪態をつく。注がれたワインを一気に飲み干し、二杯目を注いだ。


「……カナさんも、飲んでください。できるかぎり酔った方がいいので」

「え、あ、あの……法律が……」

「この世界にはありませんから」


 カナはジンにうながされるままに、注がれたワインをおそるおそる飲んだ。


「おいし……」


 ワインの味に関してはなんの知識もなかったが、それが上質なものであることは間違いなかった。


 しかし気になるのは、ジンの口振りだ。酔った方がいいとは、どういうことだろうか。


「マヤ様、別れを惜しむ気持ちもわかります。大切なのは数奇な出会いや友情を忘れないことではないでしょうか」

「忘れないこと……」


 ジンの言葉に、カナとマヤは耳をかたむける。


「私も〝憑依病〟にかかり、向こうの世界に行きました。そこで見たもの、聞いたものを、私は覚えています。ふと胸に手を当ててみると、今でも何となく繋がりを感じるのです。たとえ遠く離れても、きっとこころは近くにあるのでしょう」


 ジンの励ましに、マヤは大きな気づきを得たようだ。ぱあっと顔をあかるくして、カナの手を握る。


「あたしカナのこと忘れない! カナも、忘れないでね」

「……う、うん! 忘れないよ、絶対!」


 二人は手を取り合い、おなかがいっぱいになるまで飲み食いした。


 その日の食卓のかたづけは互いの立場を忘れて、四人揃ってやることになった。


 強引に決めるマヤに対し、セネットとジンのとてつもなく遠慮がちな様子に、カナは無意識のうちに幸せな笑みを浮かべていた。



 *



 心地よい酩酊感に揺られながら、カナは自分の足で自室に戻った。エルフはどうやら酒につよいらしい。顔に火照りは感じるものの、意識ははっきりとしている。


 すぐにでも眠ってしまおうと考えていたが、視界の片隅に映る日記帳に足を止めた。


「……結局、二日分しか書かなかったな」


 そうつぶやきながら日記を手に取りめくってみると、黒い影が代筆したと思しき記録がカナの目に映った。


 それ以外の好き勝手な行動は思いだせるのに、日記を書いた記憶はない。

 不思議に思いながら、カナはその日記を読みはじめた。


『私は古代の意思である。エルフの少女の身を借りて、復活することに成功した。

 同調により深い眠りに就くが、猶予が与えられたことは奇跡だと思える。

 エルフの少女へ。これを読んでいるとき、貴殿はさぞ混乱していることだろう。


 貴殿に世界の真実を託す。客観的に受け入れて欲しいので、記憶の一部を消させてもらうことにした。


 万物には〝存在意義〟というものがある。古代ではこれを〝大自然の祝福(クァンタム・アーツ)〟と呼び、貴殿の世界の素粒子物理学者に近しい者が研究していた。 


 私たちの生きてきた世界は、あらゆる時代に勇者と魔王が生まれ、争いの絶えないところだった。

 ただ魔法を撃ち合うだけじゃない。終わりのない軍拡競争に追随するかのように、目まぐるしい速度で科学も発展した。


 相反する二つの存在が、宇宙の存在意義だと知らなかった人類は、科学的なアプローチによって魔王の誕生を止めてしまった。

 存在意義を失ったものは消滅する。元々なかったことになる。

 こうしてあらゆる備えも虚しく、私たちの生きていた宇宙は死を迎えた。閉じてしまったはずだった』


 いったん深呼吸。文章はまだ続いている。カナは別に長文を読むことが苦手なわけではない。

 ただ書いてあることがあまりにも壮大で――そして突拍子もなさすぎる内容だった。


「こんなときに酒なんて飲むんじゃなかった……」


 酔いなんてほとほと覚めていたが、本調子でないことをカナは少し後悔している。


『しかし気づけば、世界は不完全ながらも再構築されていた。それが貴殿が見ている世界だ。

 言語体系もろとも変わり、貴殿の世界の言葉がこの世界の標準言語に変わっていた。

 それほどの規模で事象が捻じまげられ、目覚めたばかりの私はここが〝エリュシオン〟なのかどうかさえ、確証が持てなかった。

 ある可能性に行き着いたのは、こうして貴殿の身体に入り、記憶を覗いてからだ。


 眠くなってきたので、結論を述べる。

 本は古代人がのこした破滅への備えの一つだ。ひとりの人間が私欲のために始動していい代物ではない。


 勇者を止めろ。万象を生み出す前に。

 魔王を守れ。混沌に飲まれぬために。

 そして、女神なる者を探せ。

 勇者に本を与えた者を見つけなければ、世界は実在すら曖昧な闇のなかを永遠に彷徨(さまよ)い続ける――ことになる。


 それと一つ書き忘れていた。これが一番重要――――――……』


 そこからははかなげな筆圧で引かれた糸のような線と、カナのよだれの跡がついていた。

 学校の授業中に、隣の男子の山田くんが似たようなものを生みだしていたことをカナは思いだす。つかの間を、真顔。


「…………」


 けだまあああああああああああああっっっっっ!

 夜中なので騒ぐことは差し控えたが、カナはこころの内で毛玉を引っぱったり転がしたりまりもにしたりした。


 落ち着きを取り戻したとしても、そのメッセージは遅すぎた。

 暗く危険な夜に村を抜け出して勇者を追うことなんてできない。耳をすませば、山の奥から魔犬の遠吠えが聞こえてくるようである。


「……ごめんね。わたしは帰るんだよ」


 どんなふうにもとの世界に戻るかは聞かされていない。

 ジンいわく、ゆっくり眠って待てば戻っているはず、だそうだ。


 カナは筆を取ってページをめくり、転移五日目と題して最後の日記を(つづ)りはじめた。


『――らしいけど、私はマヤを助けられた。少なくとも、それだけで私は満足。


 もうすぐもとの世界に帰るらしい。


 正直、帰りたくない。マヤとずっと一緒にいたい。でもそれがあの子のためじゃないことは、ばかな私でもわかる。


 不思議な経験ができて楽しかった。マヤのことは死ぬまで忘れない。ズッ友でいてね。


 そしてジンさんとセネットさん、お世話になりました。どうかお元気で。

 じゃあ、おやすみなさい』


 現実の自分とマヤが手を繋いでいる簡素な絵を添えて、カナは優しく本を閉じた。


 自分のなかで決別は済ませたつもりだった。

 それでも涙は流れてくる。まくらがびしょ濡れだ。でも止められない。止められるわけがない。


 たとえ世界が曖昧で不完全なものだとしても、こころのなかに渦を巻くこのぐちゃぐちゃな感情は本物にちがいなかった。



 *



 蝋燭(ろうそく)の灯りひとつが部屋を照らす薄暗い食卓で、ジンは机に突っ伏しながら、いまだに酒に浸っていた。グラスもなく、酒瓶に直接口をつけている。


「ちょっとあんた、柄にもなく飲みすぎだよ!」


 セネットは彼の近くで仕事を片づけながら、それを注意する。


「あぁ……いいんだ。今日くらい……。ひっ……く」

「もう若くないんだからさ……潰れてもあたしゃ知らないからね!」

「カナさんは……寝ましたか……?」

「……部屋で泣いてる。そっとしときな」

「そうですか……」


 ジンはふたたび酒瓶に手をつけた。

 セネットはこの屋敷で何十年という付き合いがあるにも関わらず、彼のこのようなだらしない姿を見るのは初めてだった。


「ったく、あんたがカナみたいに別人になったら笑えないよ……」


 セネットは仕事の手を止め、ジンから酒瓶を奪い取って口にした。

 粗暴な振る舞いに、ジンは少し嬉しそうに笑みを浮かべる。


「自分の決断が、本当に正しかったのか。正直のところ、まだわかっていないんだ……」

「勇者様を追い払ったことかい」


 ジンは「ああ」とうなずいた。


「あの子たちは世界を背負うには……まだ幼すぎる。若者のために明るい未来を作るのは、大人たちの役割だろう……」

「勇者様は若いけどしっかりしてるよ。顔を見りゃわかる」


 ジンはわかっていると言わんばかりの様子でため息をつきながら、吐き捨てるようにつぶやく。


「だから信用出来ないんだ……」


 勇者が旅立つ前、彼はジンにこう言い残した。

『カナを頼んだ』

 たったその一言が呪詛のように脳裏に張りつき、反芻(はんすう)する。


「カナ――あの子に一体なにがある? 彼女の決定を尊重することに納得していたではないか……うう……」


 自暴自棄で呂律も定かではないジンの様子に、セネットは呆れ果てていた。


「あたしゃもう寝るよ……。たのむから飲みすぎて死ぬんじゃないよ」


 ついに一人取り残されたジンは、諦観に満ちた弱々しい声で自嘲気味につぶやいた。


「飲みすぎて死ねるなら本望だよ……」


 彼は酒瓶を持ってよろめきながら部屋を後にし、自室に戻ろうとしたがすぐに無理だと悟って、壁に寄りかかるように廊下で眠った。

 

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