前編
「リオン公爵の御入場!」
大きな扉が開かれる。それを合図に人々は談笑を止め、幾十もの視線が一点に注がれる。静まり返った会場に足を踏み入れるのは二人の男女。デザインを合わせたような衣装。華美な衣装ではないが繊細な刺繍があしらわれたドレスは着る人の本来の美しさを際立たせる。
ああ、なんて美しいの。
漏れ出そうになる溜め息を扇で隠す。歓喜も安堵も、一切の感情を表に出さないように。瞬き一つで切り替え平常心を保つ。まだ、終わってはいないから。ここからが始まりなのだから。
視線をものともせずに二人は歩みを進める。公爵がエスコートしている令嬢を気遣う様子が伺える。それは仲の良い美男美女夫婦のようで、その様子に会場にいる者の頬が赤くなる。ホールの中央まで進むと合図を送られ演奏が始まる。息の合ったダンスはとても美しい。軽やかなステップ、手先まで洗練された姿勢、見つめ合い微笑む両者。
曲が終わる。会場にいる貴族は二人に向けて大きな拍手を送る。
「本日は皆に報告がある。私はフィリス・ソプシャルティ令嬢と婚約する」
「なっ、あれがフィリスだと!?どういうことだラーシェ」
「耳元で大声を出さないでくださいクルツ様」
女嫌いと評判のカルネイ・リオン公爵の婚約発表に会場は騒めく。リオン魔導卿、国の最高峰の魔導師であり、全属性魔術が扱える魔力値の高い紫の瞳。魔術の天才で公爵家、加えて美形。求婚した令嬢は数知れず、未だ独身で浮いた話一つない公爵は令嬢たちの憧れだった。それが突然女性をエスコートして登場したものだから会場内に衝撃が走った。隣りは一体どこの令嬢だと。
悲しみ涙ぐみ、あるいは嫉妬の怒りに満ちた眼差しは、しかし件の婚約者を見て納得した。否、納得せざるを得なかった。あれほどの美女なら公爵とお似合だ。しかし同時に困惑した。見知らぬ令嬢が社交界に現れた。あんなにも美しい令嬢だが、今まで見たことない。尚且つ、話題にも上がらなかった。
名前を言われて、記憶を辿り、ようやく浮かんだ姿に驚愕する。なぜなら、記憶にある彼女と今の彼女では似ても似つかない別人と言っても過言ではない様相だった。
フィリス・ソプシャルティ伯爵令嬢。梳かしていないくすんだ灰色の髪に顔を隠すかのように大きく分厚い眼鏡をかけている。婚約者を妹に取られた恥さらし。貴族としての教養を身につけていない名だけの貴族。などなど他にも悪い噂が囁かれていた。
お父様が公爵に近付く。今夜は公爵の婚約披露宴のパーティーであり、同時に契約内容にあった支度金が支払われいていないのを苦言するためのものだ。
「公爵、我が娘フィリスと婚約して頂きありがとうございます。つきましては支度金の事でお話させて頂きたいのですが……」
お義姉様を見つめる優しい瞳は鳴りを潜め、リオン公爵はお父様を、わたくしたちソプシャルティ家を睨む。
わたくしは二人の後ろにいる人物に気付き目を細める。危うく舌打ちが出てしまうところでしたわ。お義姉様の侍従マルク、ソプシャルティ家の執事ジャン、カランド子爵令嬢、そして、ウヌバン男爵令息。
「まあお義姉様、ご友人はお選びになった方がよろしくて? せっかく着飾ったのに、それでは品位も下がりますわ」
「ラーシェ……二人は私の大事な友人です」
そうでしょうね。お優しいお義姉様はとてもとても友人思いでいらっしゃる。でもね、勇姿な子爵令嬢はまだしも貧乏男爵令息はダメよ。何度追い払ってもいつの間にか近くに居座る蝿が、本当に目障りだわ。
「ラーシェ・ソプシャルティ、私の婚約者を侮辱することは許さない」
「許すも何も、わたくしは正しいことしか言っていませんわカルネイ様」
「貴様に名を呼ぶ許しは与えていない。弁えよ、ラーシェ・ソプシャルティ。それとも、まだフィリスを虐げるつもりか」
「虐げるだなんて、なんのことだか分かりませんわ」
「そうか、あくまで自己の正当性を主張するか。では私からパーティーの余興として、ソプシャルティ家の犯した罪を一つ一つ読みあげるとしよう」
始まる。わたくしの望んでいた断罪が。この時をどれほど待ち望んだことか。わたくしの努力が遂に実を結ぶ。
冷たく吐き捨てるように、忌々しいという感情を隠すこともせずに言い放つ公爵。騒めく会場は和やかだった空気が一瞬で変わってしまった。
「何のことでしょう?」
笑顔で惚けるわたくしに公爵の纏う雰囲気はさらに鋭く、威圧的になる。あら怖い怖い。隣に居らっしゃるお義姉様が怯えていますわよ。
「いつまで惚けるつもりだ。自分が一番よく知っているだろう。義姉であるフィリスに何をしたのか。フィリスの所持品を婚約者を自由を、全てを奪った悪女が」
「な、言い掛かりですわ! わたくしはそんなことしておりませんわ」
憤慨するも冷ややかな目で見られる。お義姉様が今着ているドレスはわたくしのモノだった。正確にはわたくしのモノにさせられたモノ。お義姉様のお亡くなりになった御母様の形見のドレス。幼く愚かなわたくしの過ち。
お義姉様が持っていた宝石もドレスも全てわたくしの物になってしまった。だからわたくしはお義姉様のモノを大切に閉まった。キズがつかないように、宝物を隠すように固く閉ざした。それと同時にわたくしの心も封じた。
お義姉様の真っ直ぐでサラサラな髪はシルクのようで、髪を梳くことを禁止させた。お義姉様の瞳は魔力値の高い紫色の瞳はアメジストのように輝いているから、分厚い眼鏡を着けさせた。それでもお義姉様の美しさが表面的に霞むだけに過ぎず、内から滲み出る品位は隠せない。だから、離れに隔離し、外出も許可制にした。使用人は一人も付けずに、お義姉様への情報は遮断させた。
お義姉様の婚約者であるクルツ・ブラー伯爵令息はお義姉様の見目に惹かれて婚約を申し込んだ。しかし実際に面会した時には既にお義姉様は変わり果てた姿だった。意気揚々に会いに来たクルツ様はお義姉様の容姿を見て大袈裟な程に落胆していた。やはり外観しか見ていない蝿だ。嘆いていたクルツ様は優しく慰めて上げたわたくしにコロッと心変わりした。そしてクルツ様はお義姉様との婚約破棄を望んだ。実際に婚約を破棄したのが二ヶ月前、学園での卒業パーティーの時だ。
「どれだけフィリスを虐げれば気が済む。無実無根の噂を流し、孤立させ、近寄った者でさえ排除する。何故そこまでする。昔は仲が良かったそうじゃないか」
何故? そんなの決まっている。お義姉様がお幸せに暮らせるように、そのためにはお義姉様に注目が集まるのは非常に都合が悪い。お義姉様は良くも悪くも優しすぎる。貴族として、その優しさは仇になってしまう。学園でも子供でも、貴族はやはり貴族だった。友好的に接していながら腹の奥を探り合う。騙し合い、蹴落とし合い、笑顔の仮面を身に付ける。そんな貴族の争いはお義姉様には相応しくない。表面しか見ない蝿も近付かせない。
そう、出会った頃はお義姉様の美しさに惹かれて散々お義姉様を連れ回した。歳の同じ異母姉妹。これが何を表すかは一目瞭然。しかし、貴族としては暗黙の了解でもある。
お義姉様のお母様がお亡くなりになられてすぐわたくしとお母様は伯爵家に迎え入れられた。大切なお母様がお亡くなりになられてとてもお辛いはずなのに、それでもお義姉様はわたくしを優しく笑顔で出迎えてくれた。今でも鮮明に思い出せる。陽の光を浴びて輝く髪に、幼い時分にも関わらず洗練された動き。初めて聞く優しい声と言葉にわたくしの心はすぐに奪われた。平民であったわたくしの手を引いて屋敷を案内してくれた。散策にも何度だって付き合ってくれた。わたくしはとてもとてもとっても、幸せだった。
「わたくしはわたくしが正しいと思うことをしたまで。それの何がいけないのかしら」
公爵の鋭い目が突き刺さる。気迫に押されたクルツ様は小さく悲鳴を漏らす。なんて情けないのかしら。やはりお義姉様に相応しくない小さい蝿。
「な、何を言い出すんだ公爵! ラーシェが悪いなどとあるわけないだろ」
「ソプシャルティ伯爵、貴様の罪も調べてある」
執事が冊子を取り出す。それを目にしたお父様は青ざめる。それはソプシャルティ家の帳簿だった。何の変哲もない普通の帳簿だ。ただ、それが二冊あるだけ。
二重帳簿。お父様は二人の娘にそれぞれ違う帳簿をつけさせた。同じ日時の異なる勘定。不明入金の資金とそれで買った物。
「悪徳商法により得た資金で呪いの魔導具を購入させ、フィリスの住む離れに運び入れさせた。現にフィリスの居た離れには解呪されていた魔導具が大量に見つかった。設置した場所に効果を発揮する、人を殺すための魔導具をな」
「お父様がそんなことするハズありませんわ」
「ち、違う! ……そんな目で俺を見るな!」
それは自分が犯人と言っているようなものよ、お父様。どうして実の娘であるお義姉様を殺そうとするのか分からないし分かりたくもない。けれど、お義姉様に害なす者は許さない。お義姉様の荷物に帳簿を紛れ込ませたのはわたくし。お父様は知らない。帳簿をつけていたのはどちらもわたくしだと言うことを。魔導具を解呪したのもわたくし。お父様の動向を知ったわたくしは急いで解呪の魔術を習得したわ。お義姉様には適わずとも補助魔術に秀でた朱の瞳で良かったと、この時どれほど喜んだものか。
「お、俺じゃない。俺はそんなもの買っていない」
「おかしいな。商人の証言では小太りした中年の貴族の客だと言っていたが。それに、どの魔導具であっても売買するには署名が必要だ」
公爵が紙束を放り投げる。お父様はそれを必死にかき集める。どうやらあれが魔導具を購入した際に署名した紙のようだ。恐らくお父様の直筆サインがあるのだろう。床に這い蹲る姿は酷く醜く映る。お父様が拾おうとした紙を公爵は持っていた杖で強く音を立てて押さえる。
衛兵に連れ去られたお父様には重い刑罰が下されるでしょう。これで一人目。
「罪を犯したのは夫です。わたしは関係ありませんわ」
お父様の様子を見たお母様が声を荒らげる。お父様がやったことだから、自分は関与していないと主張する。
「何を言う? ソプシャルティ伯爵夫人も罪を犯しただろう」
……なんですって?! お母様の罪?
結婚詐欺。ソプシャルティ伯爵を誘惑し、わたくしを伯爵との子と明言して後妻になった。実際にわたくしの血液鑑定をすると母とは血が繋がっているが父とは血が繋がっていなかったらしい。
「お母様……?」
「ラーシェは夫との子ですわ。変な言い掛かりは……」
「厳正な検査の結果だ。父親が誰かまでは特定出来なかったがな。それと、借金はどうした。巨額借金を抱えていたようじゃないか。返済のために人身売買にも手を出しているようだが」
ああ、お母様。あなたは本当に……。
闇ギルドに借金をしているお母様は返済の為に伯爵と結婚し、お金を工面した。しかし、それだけでは返しきれず闇ギルドから斡旋された仕事が人身売買だった。貧民を捕まえては他国に売り払う。しかも闇オークションにも手を出していた。
「何を根拠に、わたしがそんなこと……!」
「283億」
お母様の身体が大袈裟なほど跳ねる。
「貴様が借りた金額の総数だ。一体何のためにこれほどの金額が必要になったのだろうな。現在は残り115億だったか? それに、嫁入りするフィリスに破落戸を送ったそうだな」
破落戸……! そんな報告は聞いていないわよ。わたくしは目を見開き侍従と執事を睨みつける。わたくしの視線に気付いた二人は申し訳なさそうに視線を下げる。何故、何故、何故!?
一体誰が……。公爵はお母様が仕向けたというがわたくしは確信している。お母様がそんなことをするはずがないと。他でもない、わたくしがよく知っている。
「何よ、わたしに触らないで! わたしは何も知らないわ。そんなことやっていない」
お母様が喚き暴れる。その抵抗は虚しく衛兵に連れ去られる。これで二人目。お母様は密かに処分する予定だったけど、予想外の展開ではあったけどまあいいでしょう。もうソプシャルティ家は事実終わりだ。あとは……。
公爵がわたくしを見る。口を開く前にはクルツ様が声を上げる。
「なんだよ、こんなの聞いていないぞ!」
「クルツ様……?」
「ラーシェ! お前との婚約は破棄する! もう僕に話し掛けるな」
「な、クルツ様……!」
飛び火を恐れてか、わたくしが貴族でなくなるからか、クルツ様はわたくしから離れる。散々囁いていた愛の言葉は何だったのか。わたくしがこれまでどれほど我慢してきたか。分からないでしょうね。それに、破棄も何も、もとより婚約などはしていない。
「ク、クルツ……」
ブラー伯爵夫妻が恐る恐る近付く。それもそうだろう。現在行われている断罪劇に誰が好き好んで割って入ろうなどと思うだろうか。しかも相手は公爵だ。
「お父様、僕はラーシェとの婚約を……」
「黙りなさいクルツ!」
ブラー伯爵がクルツ様を怒る。突然声を荒らげる父親にクルツ様が硬直する。そうよね、醜聞を晒したくはないわよね。
「何度も言ったはずだ。お前とラーシェ嬢は婚約していないと。お前は今、誰とも婚約していないと!」
「そ、そんな……!? 嘘だ、お母様……」
「私たちは何度も何度も言いました。それでもあなたはラーシェ嬢を自分の婚約者だと思いこんでいるだけです」
話していなかったわけではなかったのね。クルツ様の思い込みでわたくしを婚約者として扱っていたのね。お陰でわたくしは、わたくしは……。
クルツ様を回収したブラー伯爵はそそくさと隅に移動した。残るはわたくしのみ。
「ラーシェ……」
ああ、お義姉様。どうか悲しい顔はしないでください。これはわたくしが望んだことです。わたくしの努力の成果なのです。お義姉様が昔のように心から笑える日が訪れるように、お義姉様がお幸せに暮らせるように。それがわたくしの望みなのですから。わたくしの勝手な願望を押し付けているということは重々承知していますわ。ですからどんな罰を受けようとも構わない。例えわたくしが死ぬことになってもわたくしは幸せですわ。お義姉様が幸せでいてくれさえすれば、それだけでわたくしは十分ですもの。
「さあ、貴様の味方はもう居ない」
「わたくしも捕まえるつもりですの?!」
「非常に残念だが、二人のように違法を犯していない貴様を拘束することはできない。だが、ソプシャルティは爵位返上、邸宅も全て還元することが決まっている。よって、貴様の処遇は修道院送りだ。今のように裕福な生活が出来るとは思うなよ。これもフィリスの願い故の温情だと胸に刻み込め」
お義姉様、あんなに酷い扱いを受けたのにそれでもわたくしのことを思ってくださるだなんて。甘いですわ。敵は徹底的に排除しなくてはいけないのに。お義姉様が死ねとおっしゃればすぐにでもナイフを己の胸に突き刺すのに。ああ、なんて素晴らしいことだろうか。お義姉様はやはりわたくしの愛しいお義姉様だわ。
いけない、笑みを浮かべるな。まだ終わっていない。最後まで気をしっかり保つのよ。
侍従がわたくしの前にやってくる。準備がいいことに馬車はもう用意済みだとか。処遇に関してはなんでもよかった。……ああ、でも、一つやることが出来たんだったわ。
「リオン公爵夫人、どうぞお幸せに」
「あまつさえ嫌味か」
「ラーシェ……もう、お義姉様とは呼んでくれないの?」
ずっと言いたかった。たった一つのわたくしの願い。大好きですお義姉様。愛していますお義姉様。わたくしのたった一人の光。
演技でも仮面でもない本当の笑顔で、お義姉様のように美しくカーテシーをする。顔を上げ仮面をつけたわたくしは侍従に連れられ堂々と歩き退出する。会場から離れ、周りに誰もいないことを確認する。
「お義姉様が襲われたこと、黙っていたのね」
「申し訳ありませんお嬢様。ジャンさんにお嬢様には伝えないと……」
ジャンとは執事のことだ。わたくしがお義姉様のために動いているのは執事のジャンとこの侍従、マルクしか知らない。マルクはお義姉様について公爵家に滞在している。マルクからジャンへ、ジャンからわたくしへ、お義姉様の情報が伝達される。
「お義姉様に怪我は?!」
「キズ一つありません」
それを聞いて安堵する。お義姉様を襲うことすら許されないことだけれど、もし仮に万が一にもお美しいお義姉様のキメ細やかで白い肌に小さなキズ一つでもついていたら……。想像するだけでの腸が煮えくり返りそうだわ。
「はあ……それで、その破落戸は?」
「リオン公爵の騎士が対処してくださいました。公爵が迎えを送って出さったお陰で大事には至りませんでした」
「お母様が雇ったというのはその破落戸の発言?」
「はい。奥様に雇われたと」
違う。お母様は破落戸など雇うはずがないわ。だとすると……。
玄関を出ると馬車が止まっていた。マルクの手を借りて一人、馬車に乗り込む。
「お嬢様……本当にこれで良ろしいのですか。だって、これではお嬢様は……」
「いいのよマルク。これはわたくしが望んだこと。それとマルク。これはジャンにも強く言っておきなさい。お義姉様にわたくしのことを話したら、分かっているわね?」
「……はい。お嬢様、どうかお幸せに」
バカね。わたくしはもう一生分の幸せを貰ったのよ。暗い夜道を馬車が走る。規則正しく揺れる馬車はどこかの修道院に向かっているのかしら。一刻の猶予も与えないあたり、相当腹立たしかったのかしら。
わたしは深く深呼吸をする。望んだどおりの結果に終わり胸を撫で下ろす。分かっていたとはいえどうやら酷く緊張していたらしい。それとも、ここ最近の徹夜がたかったのか疲れがどっとやってきた。
翌日、ラーシェ・ソプシャルティを乗せた馬車が崖に転落したのが見つかった。