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「今度の人体溶解事件では、手足が残された……だって?」
またとある民間研究所の一室だ。そこでは年配の男が、報告に来た男から事件の詳細を聞き始めたところだ。
「被害者は、交通事故の被害者でもあるんだ。自転車で赤信号の道を渡ろうとした過失はあるが、そこでトラックに撥ねられて道の下にある畑まで飛ばされてな。救急車が到着した頃には、もう体の大半が溶けていたそうだぞ」
報告する男が、PCをいじって動画を表示させる。
「これから見せるのは交差点に設置された監視カメラの映像だ」
高い位置からの映像だった。バイパスは片側二車線の広めの道路だった。交差するのは片側一車線の道。どちらも交差点の前では右折レーンが一車線増えている。
画面の上の方から自転車が走ってくるのが映っている。交通事故被害者の乗る自転車だ。ところが右折するトラックが対向車線へはみ出して走行したため、事故の瞬間は箱型の荷台に隠されてしまった。そのため被害者がどのように下の畑へ落ちたのかがわからない。
報告する男がその映像を少し戻して、
「交差点へ入る直前、被害者はまったく自転車を漕いでない。おそらく交差点に入る前……というか映像に出てくる前に死亡してたか、意識を失っていたと考えられる」
と伝えてくる。
「被害者の健康状態は?」
「持ち物から被害者は三四歳男性。学生時代から自転車競技を続けてて、事故当日も休日を利用して遠出してたのだろう。自宅から直線距離で一二〇キロ離れた現場まで来てたわけだから……」
「一二〇キロ? それはすこぶる健康だな……」
年配の男が、聞かされた話に驚きを超えて呆れている。
「それで、この事故の目撃者はどのくらいいるんだ? それと、さっき見た監視カメラの映像以外に動画や写真はあるのか?」
「警察がたくさん集めてきたぞ。現場は郊外の畑の中に作られたバイパス道路だが、車の通りが多いおかげでドラレコでの記録が多い。それに何人もの人たちが救助に駆けつけてくれて、その時にスマホで現場を撮った人も多かったそうだ」
「じゃあ、人が溶けていく様子も映ってるよな?」
「ああ。とんだグロ映像だが、それも見るか?」
「見なきゃ仕事にならんだろ」
年配の男が、落ち着いた口調で答えた。
その後ろで話を聞いていた若い男は、「さすがに僕は遠慮しておきますぅ」と断って、部屋からそうっと廊下へ出ていった。
「まずは事故を起こしたトラックのドラレコ映像だ」
交差点の信号は青だが、トラックは右折レーンで前が進むのを待っていた。
トラックの前には二台。一台目のライトバンは交差点の中ほどまで進んでいるが、直進車が多いためにそこで動けるタイミングを待っている。二台目の乗用車は中まで進まず、横断歩道の前で止まっている。
その映像の中で対向車線の向こうから、交差点に近づいてくる自転車が対向車の間からチラチラと映っている。
やがて信号が赤になり、右折の青信号が点灯した。右折待ちしてた車が動き出すと、トラックは前の車の通った後を追わず、対向車線へはみ出してショートカットを始める。大回りする前の二台とは違って、トラックは加速しながら最短距離で右折しようとしていた。
そこへ対向車線で左折待ちをする路線バスの陰から、自転車が姿を現した。その自転車は減速することなく突っ込んでくる。トラックはそれに気づかないのか、ショートカットのまま加速を続けていた。そのせいもあり、トラックはほとんど正面衝突に近い形で自転車とぶつかってしまった。
弾き飛ばされた自転車が、歩道でバウンドして土手ぎわの柵に引っかかって止まった。その一方で男は高く撥ね上げられ、柵を飛び越えて歩道下の土手へ消えていく。
「これは人体溶解がなくても、即死してるんじゃないか?」
「それはどうだろうなあ? 次に見せるのは路線バスのドラレコ映像だが、被害者が土手に落ちたところが映ってるぞ」
左折待ちしている路線バスのからの映像だ。カメラの位置が高いため、歩道下にある土手が手前の柵や路面に隠されず、下までキレイに映っている。
その映像の中で、自転車が撥ね飛ばされる様子がしっかりと収められていた。それで高く飛ばされた被害者が柵を越えて土手に落ち、そのまま下まで転がり落ちていく。
「これ、衝突のダメージは大きいけど、その後のダメージがかなり吸収されてないか?」
「たしかに……な……。これを見ると人体溶解がなければ、生きてた可能性が高そうにも思えてくる」
映像はそのあともしばらく流されていた。何人かが車を降りて、土手の下を覗き込んでいる。
スマホで通報してる者、土手の上から映像を撮っている者など、行動は人それぞれだ。だが、すぐに救助に駆けつけた者は、映像を見る限りでは一人もいなさそうである。
「下に落ちたあとの映像は、どうなってる?」
「たぶん、あるはずだ。だが、まだすべてを見てないので、救急車が来たあとの映像で勘弁してくれ」
「もう、溶け始めてた……だっけ?」
「それも服ごとだ。おかげで駆けつけた救急隊員も、手の施しようがなかったみたいだぞ」
映像が担架を持った救急隊員が、畑へ降りていくものに変わった。だが、先に下に降りた隊員は被害者の横に立って、なすすべなく立ち尽くしている。
「肩から上が溶けてしまってるな」
「頭蓋骨も形が崩れてるぞ。この救急隊員、どうすればいいのか困ってる感じだ」
そこへもう一人の隊員が下りてきた。その隊員がしゃがみ込み、被害者の様子を観察している。
「そういえば、血が流れてないな……。これだけ心臓に近いところが溶けてるのに、なんで出血がないんだ?」
「溶かす前に吸い尽くしてるのかねぇ? よくわからん事件だ」
「……ん? ここ、拡大できないか?」
年配の男が、そう言って映像を指差した。
「何か見つけたのか?」
「地図みたいな模様があった。この前見た時から、気になってたんだ」
「地図……? どこだ? そんなものは見えないぞ」
「ここだ。お腹の……。いや、ここは背中か?」
頭が溶けてしまってるため、被害者が仰向けで倒れてるのか、うつ伏せになってるのかがわからなかった。
「これは仰向け……だな。これ、地図というよりも、粘菌……アメーバーか?」
男はベルトのバックルに気づき、それで仰向けと判断した。その男が被害者の臍の下あたりを指で示す。
「ここって、どこだよ。俺には見えないが……」
「うっすらと見えないか? あ、こっちの地面にも模様が浮き出てるぞ」
「んんん? これ、映像の乱れじゃなくて、地図……なのか?」
「あ、隊員が模様を踏んだぞ。この隊員は無事だったのか?」
「模様って、どれだよ? 霊感がないと見えないとか言うなよ」
しゃがんで様子を見ていた隊員が、足を動かして少し被害者に近づいた。その時に地面にある模様を踏んだのだ。現場にいる二人の隊員たちは、その模様には気づいてなかったらしい。