隠者の秘密
通い始めた学校で、スクールカースト上位者から虐められていた少女を助けたキング。その頂点に立つノーマンの怒りを買ったキングは、虐められるようになってしまう。しかし、ノーマンには誰にも話せないある秘密があった。彼に取引を持ちかけたキングは――
ザワザワ……
「え、すごい。またキングが一位?」
「うへえ、殆ど満点じゃん」
「俺、キングに勉強教えてもらってるぜ!」
学校の廊下へ張り出された試験の順位表を前に、生徒たちはにわかに興奮していた。この学校へ入学してきて数ヶ月。キングは有名人になりつつあった。遠巻きに生徒たちを眺めていたキングの元へ、眼鏡の少年が駆け寄ってくる。
眼鏡の少年は顔を赤くして、まるで自分の事のように熱狂していた。
「キング!飛び級の話を蹴ったって本当かい?」
「うん」
「何故さ?君はギフテッドだって、先生たちが話してたよ」
アルビノを思わせるプラチナブロンドと白い肌。サファイアのような青い瞳、猫のようにしなやかな身体。特徴的で美しい右目の外斜視。
キングは眼鏡の少年に左目を向けると、不思議そうに首を傾けた。
「ギフテッド?祝福された子供って意味かな。そうやって言われるの、僕あんまり好きじゃないんだけど」
「普通は大喜びするもんだよ。で、飛び級はしないの?」
「しないよ。僕は学生生活を楽しみたいんだ。飛び級なんてしたら、学生でいられる時間が短くなっちゃう」
「クーッ!これはスクールカーストに激震が走るぞ!」
丁度中庭まで歩いてきていたキングは、10名ほどの集団が旧校舎の中へ入ってゆく様を見ていた。集団の中に一人、異様に浮いた存在がいる。同じクラスの、そばかすというあだ名で呼ばれる少女だった。
名前はレベッカ。彼女はいじめられっ子だった。容姿をからかわれたり、荷物を隠されたりしている。カースト最上位に君臨するクイーンビーは、何故か彼女を酷く嫌っている。そんな噂話をキングは耳にした事があった。
「あ、ちょっと。何処に行くんだよ、キング!」
キングは中庭の噴水を通り抜けると、旧校舎の方へと歩いていった。
旧校舎の奥にある教室。暴力はそこで行われていた。レベッカを小突き回すワナビー達を手で退くよう指示したクイーンビーは、レベッカのみぞおちに女性とは思えない強烈な一撃をお見舞いした。
「おい、そばかす!またノーマンに色目使ってただろ」
レベッカはみぞおちを思い切り殴られて、さっきまで飲んでいたオレンジジュースを嘔吐してしまった。それが気に入らなかったクイーンビーは、バケツに入った便所の水をレベッカの顔にぶっかけた。
同じくスクールカースト最上位に君臨するジョックことノーマンは、レベッカがワナビー達から蜂の巣にされている様を見ながら苦々しい顔をしていた。
いくらなんでもやり過ぎだ。
クイーンビーが、俺を好きなのは知っている。セックスだけじゃ物足りないって言うのか。レベッカは、俺の視線に反応してるだけだ。
「クイーンビー、いい加減……」
ノーマンがそう言いかけた時、教室のドアが勢いよくガラッっと開けられる音がした。教師が入ってきたのかと勘違いした集団が一斉に凍りつく。はたしてそこに立っていたのは、キングだった。
「女の子相手になんて事してるんだ、君たち」
「転校生は黙ってろよ!」
「転校生は関係ない」
暴力に興奮していたワナビー達が、痩せて小柄なキングをも餌食にしようと近づく。それでも全く怯む事なく睨みつけるキング。今にも殴り合いが起きそうな一発触発状態をおさめたのは、意外にもクイーンビーだった。
「ノーマンに色目を使うそばかすが悪いんだわ」
「だったらクイーンビー。レベッカと二人で話せばいいじゃないか。ノーマンに近づかないでくれって」
「――それは……」
「君は話し合いを放棄して、暴力で解決しようとしてる」
クイーンビーはノーマンとセックスをしていたが、転校生キングの事も気に入っていた。アメフト部のエース、ノーマンとはおおよそ正反対のタイプ。それでもアニメの世界から抜け出してきたようなキング容姿は別腹だ。
何より、桁外れに頭がいい。恋人にすれば、自分の将来は約束されたようなものだ。
「分かった。そばかすにはもう手をださないわ。その代わり、約束してくれる?」
「何?」
「今度、私とデートして」
キングは少々面食らった表情をしたが、床でボロ雑巾のようになっているレベッカを見捨てては置けなかった。ワナビー達が悔しそうにキングを見ている。彼らを無視したキングは、一番奥で王様の如く座っていたノーマンを一瞥すると答えた。
「いいよ、クイーンビー。約束する。最善を尽すよ」
その一言で、クイーンビーはあっさり陥落してしまった。
目の前のボロ雑巾がノーマンを見てようが、もう関係ないわ。だって私は、キングに乗り換えるんだもの。彼の初めてを奪うのは、このクイーンビー。私よ。
ノーマンの目を見ながら、鼻でせせら笑ったクイーンビーは、そのまま教室から出ていってしまった。
「立てるかい、レベッカ。大丈夫?」
「……キング。ありがとう」
全身傷だらけのレベッカへ手を差し伸べると、キングはそうするのが当たり前だというように、自分の肩を貸した。そしてそのまま振り返りもせず、ワナビー達とノーマンを残し教室を去っていった。
ノーマンはキングの後ろ姿を見つめながら、奥歯を噛み締め震えていた。怒りで顔が真っ赤に紅潮している。
レベッカに触るんじゃねえ、斜視野郎!
翌日から虐めの対象は、レベッカからキングに。首謀者はクイーンビーからノーマンへと変わっていった。
◆
今日も旧校舎の教室では暴力の音がする。ワナビー達から散々殴られたキングは、床でへばっていた。王者ノーマンが残酷な笑顔を浮かべながら、キングの頭を踏みつける。頭蓋骨が床に擦れるゴリゴリした音は、ワナビー達を熱狂させた。
「斜視野郎、ズボンを脱げ。俺たちの前で自慰しろ」
「嫌だね」
……!
アメフトで鍛えたノーマンのキックが、思い切りキングの顔をヒットしていった。口の中が切れて、床に血が滴り落ちる。それでもキングは、ノーマンを睨みつけるのを止めなかった。
「君もクイーンビーと同じだ。話し合いを放棄してる」
ペッと床に血を吐いたキングは、口周りについた残りの血を拭った。彼にとって、この程度の暴力はつい最近まで日常だった。それを知らないノーマンは、何をされても毅然としてるキングが気に入らなくて仕方がなかった。
「おい、斜視野郎を裸にしろ」
「え、ノーマン。流石にそれは……」
「やれって言ってんだろ!」
逆らえないワナビー達は、激しい抵抗を続けるキングの頭を思い切り殴って気絶させると、制服を全て脱がせて丸裸にした。
先程から、ずっと暴力の様子をドアの隙間から覗き込んでいる視線に気づいていたノーマンは、ドアの隙間に向かって声をかけた。
「いるんだろ、そばかす。入ってこいよ」
ドアの開く音と共に、おどおどとした様子で教室に入ってきたのはレベッカだった。意識を取り戻したキングは全裸のまま、ノーマンの元へ向かって歩いていくレベッカの姿を見ていた。
「こいつがお前を助けたヒーローの姿だぜ。助けてやらねえのかよ、ヒロイン」
レベッカは、キングに視線を向けることが出来なかった。当たり前だ。キングは血だらけな上に丸裸なのだ。床に転がってるキングへ向かって、ノーマンが挑発する。
「裸にされても平気なのかよ。ケツでも売ってんのか」
「それは僕に対する一番の侮辱だ。取り下げろ、ノーマン」
「そばかす、よく見とけよ。よそ見をした罰だ!」
よそ見?
意味が分からなくて顔を見合わせるワナビー達をよそに、ノーマンはキングの左腕が折れてしまうまで彼を痛めつけ続けた。骨の折れる音が教室に響いて、ノーマン以外の全員が凍りついても、キングは気を失うまでその表情を変える事はなかった。
その夜
ノーマンは自室でレベッカの写真を見ながら、切ないため息をついていた。そばかす顔の地味な少女に恋をしたのは一年前。養護施設で、孤児達を相手にボランティアをしているレベッカを見かけた。
マリアの様に優しいレベッカの笑顔。孤児たちも皆、彼女の事が大好きな様子だった。
けれども、スクールカーストの王者ノーマンは、彼女を大っぴらに恋人にする事が出来ないでいた。何故なら彼女は、カーストの最下層に位置していたから。
――それをあの斜視野郎……
転校してきたキングは、スクールカーストに端っから興味がなかった。非効率なシステムに意味などない。卒業すれば簡単に瓦解する、その時だけのもの。
キングの視線に、カーストシステムそのものへの軽蔑を感じていたノーマンは、キングを激しく嫌悪するようになっていた。
部屋の中に強い風が吹き込んでくる。
レベッカの写真を風がさらっていこうとして、窓を見たその時だった。
白いマントに大鎌を担いだキングが、窓辺に座っていた事に気づいたのは。
「何勝手に入ってきてんだ、斜視野郎」
「別に。窓が開いてたから。君は、レベッカの事が好きなんだね」
風が強くなり、部屋に散らばったプリントが舞い上がる。キングは窓辺に腰掛けたまま、大鎌を左腕で回転させていた。今日、確かに折ったはずの左腕。骨が折れる音も聞いたし、あらぬ方向に腕が曲がっていたのも確認した。
どういう事だ……
怪訝な顔で見るノーマンに向かって、キングは怖気の立つような口調で話を続けた。
「僕、死神なんだ。骨折させても意味ないよ。人間が僕を殺すことは出来ない」
「わざわざ自分で頭がおかしいって言いにきたのか。帰れよ、親父呼ぶぞ」
「無駄だよ」
キングは窓辺からふわっと宙を浮いて床に足をつくと、右手を掲げた。右目の斜視が動き出してボトリと落ちてゆく。眼球を右手で受け止めたキングは、その手をノーマンに差し出した。
掌の上で浮かぶサファイアのような眼球が、ゆっくりと回転している。
その間、ノーマンは一切の身動きが取れず、声を出すことも出来なかった。キングの漆黒を思わせる眼窩がノーマンの瞳を見据えた時、ようやく彼は声を出すことが出来るようになった。それでも、声帯を締め付けられて思うように話せない。
「俺を殺しにきたのか」
「違う。僕たちには話し合いが必要だと思うんだ」
「無駄だね、嫌なこった」
「……レベッカとの仲を取り持つと言っても?」
「――……お前は知らん顔だけどな、スクールカーストってのがあんだよ。無理に決まってんだろ」
「その問題も僕なら解決出来る。君たちが恋人同士として幸せに過ごせるよう、この力を使ったらいい。どうだい、取引しないか」
ノーマンは、自分の身に起きている事を無視出来なかった。この死神には、それだけの力がある。望めば簡単に、俺を殺す事だって出来た筈だ。それなのに、俺は生きている。
レベッカ……俺だけのマリア。
「分かった。取引しよう。見返りに、俺は何を差し出せば良いんだ」
「相互理解さ。僕たちはお互いを知らなさすぎだ」
「理解した所で、俺は態度を変える気ねえけど。良いだろう、乗ってやる」
キングは眼球を舌の上に乗せると、ニヤリと笑ってみせた。
「ノーマン。取引は、成立だ」
気がつくとノーマンは、卵が腐った臭いのする汚らしいトレーラーハウスにいた。
「なんだここ……」
ゴミだらけの室内を歩いて行く。ヘドロがへばりつく洗面所の前を通りかかった時、鏡に映る自分の姿を見たノーマンは、驚愕のあまり転倒しそうになっていた。
ノーマンは、幼い頃のキングになっていた。
アイツ、街はずれの屋敷に住んでたはずだけど。メイドまでいるって聞いた事がある。金持ちじゃなかったのか。それに……目が斜視になってない。どういう事なんだ。
「アンタ……薬ぃ」
「うっせえな、TVの前においてある。それまで我慢しろ」
トレーラーハウスに入ろうとする人声が聞こえたノーマンは、咄嗟に身を隠してしまった。
声の主は、キングの両親だった。
母親らしき人物は、入ってくるなりTVの前を陣取ると、薬を打ち始めた。直ぐに動かなくなる。漏らしてしまったのか、酷い匂いがトレーラーハウスに充満し始めた。背後に気配を感じたノーマンはどうすれば良いのか分からず、恐る恐る振り返った。
父親らしき人物が立っている。拳にはタオルが巻き付けてあった。
「おう、元気にしてたか」
「――……はい」
「ならいいや。俺は潔癖だからよ、便所が汚えのだけは我慢できねんだ」
強い衝撃と共にノーマンの眼前に火花が散る。遠のく意識の中で、キングの父親がくさい息を吐きかけながら、のしかかってきた感触だけは覚えていた。
意識が戻った時、ノーマンは尻に濡れた感触を感じて、漏らしてしまったのかと手をやっていた。
手に付着したものが血だと確認した時、ノーマンはあまりの悍ましさに嘔吐してしまった。その瞬間、ものすごい形相をしたキングの父親がやってきて、容赦なくみぞおちを蹴り上げる。
「俺は潔癖だっていったろ!汚してんじゃねえよ!」
これがキングの生い立ち、望んでいた相互理解だっていうのか。ケツを売ってるだなんて言って悪かった。助けてくれ。土下座でも何でもする。だから今すぐ助けてくれ!キング!
しかし、彼は現れなかった。
誰からも助けてもらえない。
それが、キングの生い立ちだったから。
毎日のように行われる凄まじい暴力。
ふざけるな、あの斜視野郎!
出てこい死神!悪魔と取引してでもブッ殺してやる!
威勢よく憤りを感じていたのは、ほんの数日間だけだった。
一ヶ月後、ノーマンは首を括った。
トレーラーハウスの軒先でぶら下がるノーマンの死体。両親はおろか集落の誰一人として、ぶら下がっている彼を気にする者はいなかった。そんな事は、キングの住む世界では日常茶飯事だったから。
「思ったよりタフガイじゃなかったんだな、ノーマン。教えてくれてありがとう。君を理解できたよ」
集落の外れにある高い木の上から様子を見ていたキングは、悲しげに目を伏せるとそのまま白いマントを翻し、夕暮れの中に消えていった。
◆
「ノーマンがPTSD?!誰かをPTSDにさせたんじゃなくて?」
「ビックリだよね。ずっと休んでたけどさあ、自主退学だって」
「廃人みたいになってるらしいぜ。こえー」
「あ、キング!」
廊下を歩いていたキングに声を掛けてきたのは、レベッカだった。彼女は新しいやりがいを見つけたと言って、見違えるように活気を取り戻していた。
「やあ、レベッカ。どうだい?彼氏とは」
「君だけしかいないって言ってくれるわ。少しでも離れると、子供みたいに泣くのよ」
「今から行くの?」
「ええ。私が側にいてあげないと、ノーマンは何にも出来ないの。私、ずっとノーマンの事が好きだった。キングはこれから集会でしょ」
「うん」
「じゃ、また明日ね!」
走り去るレベッカの後ろ姿をしばらく見つめていたキングは、踵を返すと講堂へ向かって歩いていった。
講堂には、生徒たちの熱狂が渦巻いていた。あのクイーンビーも講堂にいて、その熱狂の中心となっている。心酔しきった彼女の表情に、ワナビー達はあっけなく影響されてしまっていた。
ノーマンはもういない。
一人の少年が壇上に上がってくると、熱狂は最高潮に達した。
アルビノを思わせるプラチナブロンドと白い肌。サファイアのような青い瞳、猫のようにしなやかで小柄な身体。特徴的で美しい右目の外斜視。
「皆さん、この度は名誉ある生徒会長に選出していただきありがとうございます。キング・トートです」
講堂を見渡しながらキングはニヤリと笑っていた。