吊るされた男
カルト教団にのめり込んだ母親を恨み、大統領を暗殺すると決意した男。しかし、その裏にはある陰謀があった――
男の前に姿を現した若き死神キングは、取引をもちかける。
「おい、それで本当にアイツはやるって言ったのか」
「ああ、チョロイもんだったぜ。『お前は何も間違ってない』って言っただけで、その気になってやんの」
繁華街にある廃ビルの最上階の一室で、二人の男が煙草をふかしていた。元はサラ金の事務所だったが、持ち主はとうの昔に夜逃げしてしまっている。ギラついた欲望と薄汚い性欲、そして犯罪が日常の繁華街で廃ビルの存在に気づいている者など、誰一人としていやしなかった。
11と呼ばれる男は、煙草を床に投げ捨てると携帯電話を弄りながら、退屈そうな大あくびをした。
「パソコン通信って本当に便利だよな。見てみ。ここにもテロリスト予備軍がいるぜ」
「放っておいても模倣犯は出るんじゃねえか。そこはマスコミ様が頑張ってくれんだろうよ。今回はターゲットがターゲットだからな」
12と呼ばれる男は、11よりも慎重な性格をしていた。保険を用意しておくという考えは、今時のやり方ではない。というのが12の考えだった。パソコン通信とチャットの誕生は確かに一匹狼型のテロリストを即席するのに、非常に重宝するツールではあった。
しかし球体のようなメッシュ構造の世界では、テロリスト同士がひょんな事で繋がり兼ねないリスクがあった。PC黎明期において彼らは所詮、まだ実験段階のモルモットでもある。
「孤立した寂しい人間には特別に与えた大義名分、って餌が必要だろ」
「安い餌なんだから撒くだけ撒いときゃいいじゃねえか」
「リスク管理ってもんを分かってねえな。下手に接触されたら、俺たちソビエトの介入がバレんだろうが」
12はそう言うと、座っていたオンボロの事務椅子を足で蹴って、クルッと回りながら笑顔を浮かべた。
「しっかし、アジアの男ってホント馬鹿だよな。いい歳して『ライ麦畑でつかまえて』だぜ。笑える」
「あ?ライ麦パンがどうしたって?」
「いや、何でもない……お前もオツムがアレなの忘れてたわ。我らがホールデンの成功を祈ろうぜ」
11がマヌケな表情をして12を見ながら首を傾げた瞬間、窓から怖気のするような気配を感じた二人は身を低くすると、銃を構えた。白い布のような物が、窓の外からはためいている。二人は手練れのソビエト工作員だったが、それでも感じる気配が人間のものではない事を本能が確信してしまっている。
『IT』は確実に、窓の外にいるハズなのに。
不気味な緊張の漂う室内と、伝播する怖気に背中から震えが止まらない二人。緊張が飽和状態になった時、ブレーカーが突如、バチッ!という音と共に落ちた。12は暗闇で一瞬の視界を奪われる前に、窓から身を乗り上げて叫んだ。
「誰だ!」
そこに佇んでいたのは、小柄な身体に不釣り合いな大鎌を担いだ、白マントの少年だった。斜視になっている右目と一瞬だけ目が合う。
反射的に発砲しようとして、ここが7階だと言うことを思い出してしまった12は、現実を処理しきれず思わず固まってしまった。
「何やってんだ、12!」
11が12の元まで身を低くしたまま駆け寄り、肩を掴んで再び窓の外を見ると、既に気配は消えており少年もいなくなっていた。
娼婦の媚びた笑い声と酔っぱらいが嘔吐する音、チンピラの怒鳴り声。
下品なネオン。
赤い風船だけが、白マントを着た少年がいたはずの場所に、ポツンと浮かんでいた。
◆
ジョージは市営アパートの一室で、手製拳銃を構えては下ろすを繰り返していた。どうせ明日には、大統領を暗殺する。あの母親がショックで倒れる髪型にでもしてやろうか。例えば……『タクシードライバー』の主人公みたいな。バリカンあったかな、と振り返った所で人が立っている事に気づいたジョージは、驚きのあまり腰を抜かしてしまった。
「ハーイ、ジョージ。初めまして。僕、キングって言うんだ」
死神のコスプレをした少年に、心臓が飛び上がるほど驚かされたジョージは、急に苛立ちを覚えてズボンについたホコリを払いながら立ち上がった。と同時に、少年が自分の名前を呼んだ事に気づいて、拳銃を構えた。
「お前、どこのもんだ。教団の人間か?」
「教団?教会のことかな。僕、生まれてから一度も教会へ行ったことがないんだ。TVで見たことあるよ。お祈りしに行く所でしょ?」
「俺が言ってるのは、一般的な教会の事じゃない。後、そのふざけた格好はなんなんだ」
「ふざけてなんかいないよ。これ、制服なんだ」
キングは被っていたフードを外すと、ジャンクフードだらけの小さなテーブルの脇に大鎌を立てかけた。アルビノを思わせるプラチナブロンド、透き通った青い瞳、白い肌と猫のようにしなやかで小柄な身体。特徴的な右目の外斜視。
随分、キレイな顔立ちをした少年だなと思ったジョージは、こんな夜中に少年が突然現れた事と自分の生い立ちをどこか重ねて訪ねた。
「金に困ってるのか?悪いけど、男を抱く趣味はないんだ。帰ってくれないか」
「お金は持ってないけど……頼まれたって、二度とそんな事はやりたくない。父さんが一生分、やっていった」
「――……そうだったのか。悪かったな。まあ、座れ。ココアくらいなら飲ませてやる」
「ありがとう」
魅惑的な目元でフッと微笑んだキングは、ジャンクフードを手で雑に避けるとテーブルの上にちょこんと腰掛けた。
「お前、そこは座る所じゃない……母親は?家には親父一人なのか?」
「二人共、死んでる。僕が殺したんだ」
ミニキッチンでココアを用意していたジョージは、キングの告白に思わず袋ごとココアをシンクにぶちまけてしまった。動揺して振り返りざまにポットへ手が当たり、派手な音と共にポットもシンクへ落ちていった。
「冗談だろ?」
「本当だよ。殺されそうになったから、殺した」
「そうか……俺にも、母親を殺せるだけの勇気があれば良かった。俺の家、母親がカルトにハマって離散しちまってな。200万ドルも貢いでたんだ。ショックで親父が自殺……してしまった」
ジョージは、部屋に1つしかない椅子に腰掛けると、身の上話を始めた。彼は、生まれつき内向的な人間だった。それでも母親がカルト宗教にハマるまでは、特に困ったと感じた事はなかった。父親は国でもトップの大学を卒業して、医師として成功を収めていた。誰もが羨むエリート家庭。
「姉貴が生まれつき、目が見えなくてな。親父でも治せないって言ってるのに、信じなくてさ、お袋。最初は、サプリとかだったんだけど。そのうち妙なロザリオとか買うようになって。家も頻繁に空けるようになった。夫婦喧嘩が絶えなかったよ」
「それは僕の家も一緒だ。でも母さんは商品だから殴れないんだ。代わりは僕だった」
「そうか、辛かったな。お袋は、姉貴ばっかりだった。親戚も皆、離れてった。200万ドル何とか払えても、親父の保険金まで全部使いやがってよ。自殺だと少ししか下りなんだ、保険。俺は、高校を退学せざるを得なかった」
「学校って、行かないとどうなっちゃうの?」
「キングの両親と同じ人生になる。俺は……食うには困らないと思って、軍隊に入ったけれど馴染めなかった。初めてこの国を恨んだね。集団の中で上手くやれない人間は、どうやって生きてきゃいいんだって。俺がこうなったのは、母親と国のせいだ」
「――……だから、大統領を暗殺するの?」
立ち上がったキングは大鎌を担ぐと、スーッと音も立てずに部屋の隅へと後ずさっていった。
「そうだ。カルト教団には、大統領の一族が深く関与している。俺は、カルト教団のせいで何もかも失ったんだ。本当は、親父みたいな医者になりたかった。それなのにあんな低レベルな連中と、日雇い労働するしかないなんて」
「ジョージのお母さんと、大統領は知り合いなの?」
「いや。面識はない」
「大統領は、お母さんからお金を騙し取ってないんだね」
「間接的には騙し取ったも同然だ!狂ってマトモじゃない母親を持つ俺の気持ち、キングなら分かるだろ?」
部屋の隅にいたキングは、音を立てずに今度はジョージの目の前まで、スーッと移動していた。ほんの一瞬の出来事だったので、ジョージは宝石のようなキングの青い瞳に覗き込まれたまま、身動きが取れなくなってしまっていた。腕には鳥肌が立っていた。
少年とは思えないような、冷徹な表情でキングが口を開く。
「ジョージ。君は何故、母親を殺さないの?」
「それは……」
「君は孤立してた。僕と同じだ。この世界から切り離されてきた」
次の瞬間、キングと上下逆さまになって向き合ったジョージは、ついに自分の頭がおかしくなったしまったのだと思った。キングのプラチナブロンドの髪が、額にかかっている。キングが右手を掲げると、斜視になっていた眼球がその掌に向かって、ポトリと落ちていった。
俺は、親父が死んでからずっと一人だった。俺は遠い親戚の家に預けられた。その家で、俺は厄介者でしかなかった。友達だって出来なかったし、結婚なんて夢のまた夢。お袋は、姉貴と一緒に施設へ入った。自分のやった事に耐えかねて、勝手に狂ってしまった。俺が面会に行っても「どちらさまですか?」と聞いてきやがる。
俺は、お袋にとってのなんだったんだ。子供じゃなかったのか。
本当に俺が殺すべきはお袋……
――……違う!カルト教団が、あの大統領が全部悪いんだ!
君は何も間違っていない。全て正しいと認めてくれる人が、初めてパソコン通信に現れた。チャットで親身に話を聞いてくれた。俺がこんな惨めな生活を送るようになったのも、大統領せいで間違いないと言ってくれた。
「ねえ、ジョージ。僕は死神なんだ。君の願いを叶えてあげる。取引しよう」
宣告者のようなキングの口調で我に帰ったジョージは、ぽっかりと空いた彼の眼窩を改めて見つめた。果てしなく広がる闇と死、そのもの。喉の乾きを覚えながら見下ろすと、掌に載せた眼球がゆっくりと回転していた。
ジョージは、迷い始めていた。
本音を言えば、自分がどうしたらいいのか分からなくなってしまっていた。
どうして俺は、あんなに憎んできたお袋を殺せずにいるんだ。
俺は一体、何を憎んで生きていくのが正解なんだ。
「俺に、真実を教えてくれ。見返りに、何を渡せばいい?」
「僕は……君の真実をみてみたい」
「ハッ、死神らしいな。良いだろう」
キングは上下逆さまになっていた身体を回転させると床に足を下ろした。そして、青い宝石のような眼球を舌の上に乗せると、ニヤリと笑ってみせた。
「ジョージ。取引は、成立だ」
「おい、それで本当にアイツはやるって言ったのか」
「ああ、チョロイもんだったぜ。『お前は何も間違ってない』って言っただけで、その気になりやがった」
ジョージは、廃ビルの一室の前に来ていた。中には電灯が灯っており、話し声が聞こえる。周囲を見渡したジョージは、ドア越しに聞き覚えのある声に耳を傾けた。
「パソコン通信って本当に便利だよな。見てみ。ここにもテロリスト予備軍がいるぜ」
「放っておいても模倣犯は出るんじゃねえか。そこはマスコミ様が頑張ってくれんだろうよ。今回はターゲットがターゲットだからな」
11と名乗っていた男の声だ。その気になりやがった?模倣犯……マスコミ?どういう事だ。俺は……こいつらからテロリストに仕立て上げられてたのか?
カルト教団も許せないが、大統領こそが悪だと言った俺を肯定したのは、自分たちの都合で暗殺させるためだったっていうのか。
「孤立した寂しい人間には特別に与えた大義名分、って餌が必要だろ」
「安い餌なんだから撒くだけ撒いときゃいいじゃねえか」
「しっかし、アジアの男ってホント馬鹿だよな。いい歳して『ライ麦畑でつかまえて』だぜ。笑える」
これが、真実。
俺の苦悩を、孤独を利用してコケにしやがって。
足が付かなくて安い、使い捨ての駒にしようとしていたのか!
ジョージは廃ビルの中を見渡して、ダラダラと漏水を続けるホースを見つけると、ドアの隙間から部屋の中へ水を撒き始めた。
「なんだ?気持ちわりぃ風船だな」
11が風船を手繰り寄せようと窓の外へ手を伸ばした瞬間、本能的な恐怖を感じた12は「やめろ!」と叫びながら、11の身体を抱きかかえて咄嗟に窓から離れた。
はたして風船は、パチン!と弾けただけだった。
暗闇の中を手探りで後退した二人は、足元が水浸しになっている事に気づいて、外のネオンから漏れる光を頼りに顔を見合わせた。
「死ね。害虫ども」
ジョージはブレーカーをあげると、切れた電線を水の中へと放り投げた。
男達は絶叫と共にブルブルと身体を震わせると、その場から離れようと身体をミミズのように這わせ、もがいた。売春と犯罪が日常の繁華街にその声が届くことはないが、代わりに声を聞きにやってきた者がいた。
「初めまして。11、12。僕の名前は、13って言うんだ」
「あガゲがガがアぐがーgギ!!」
「ごめんね、何言ってんのか全然分かんないや」
徐々に二人の身体から煙が上がってくる、肉の焦げる匂いと共に、髪が焼ける独特の酷い臭いが部屋に充満していった。キングは笑顔を浮かべると大鎌を振るって、踊るようにのたうちまわっていた二人の首を狩っていった。
首は壁に思い切りぶち当たると、少しだけ跳ね返ってから無機質に落ち、それきり動かなくなった。
「こいつらは、死んだほうが良い人間だった。ねえ、ジョージ」
二人が死にゆく様を見ていたジョージに向かって微笑んだキング。彼は、白いマントを翻すと、ふわりと宙を浮きながら携帯電話をジョージに差し出した。
「真実、まだ残ってるみたいだよ」
呆然としたまま携帯電話を手に取ったジョージは、そこから聞こえてくる声に再び涙が溢れてくるのを堪えきれずにいた。
「ジョージ、心配していたのよ。どこに行ってたの」
「――お袋、正気に戻ったのか?……お袋?」
「迷子になっていたのね、可哀想に。早く、戻ってらっしゃい。お父さんはどこにいるのかしら」
「……なあ、お袋」
「なあに?」
「――……俺の事、好き?」
「何、言ってるのジョージ。愛してるに決まってるじゃない」
飛び立って行ったキングはネオン街を見下ろしながら、僕は中々にこの国が好きだ。と考えていた。国旗はかっこいいし、国歌も素敵だ。
なによりTVのチャンネルが沢山あって、飽きない。
多分それって、大統領のお陰なんだと思う。戦争になったら、今みたいにはTVを見られなくなる。
若き死神キングは国歌を口付さみながら、大統領に敬礼をすると夜空の向こうへと消えていった。
好奇心の赴くまま、次なる出会いを探して。
◆
州都市部にある高層ビル。大理石の床に大きな執務テーブル、壁で正確に時を刻み続ける振り子時計。上質な皮でなめしたソファー。余計な飾りの一切ない部屋で、男が受話器越しに誰かと話していた。
「なるほど、集落は全滅したのか。ああ、犯人捜しは良い。替えなら他にいくらでもあるだろう?あの女が死んだのか、それだけ確認したかった」
受話器を置いた男が立ち上がる。彼は手を叩くと窓の外に目をやった。
宝石かと見まがうばかりの夜景が美しい。
「生きてたのか、キング――」
男は誰にともなく独りごちると、冷たい窓越しにニヤリと微笑んだ。