塔の住人たち-Ⅰ
新エピソード開始。ついに邂逅を果たす、キングとヨシュア。ヨシュアの妹アンナ・キンドリーからの視点が初めて語られる――
その日、キングは朝から落ち着きがなかった。普段は入ろうともしないシャワールーム。そこに出たり入ったりをもう5回は繰り返している。折角エマからセットしてもらった髪も、搔きむしってクシャクシャだ。
結局、あれから本当にアンナ・キンドリーと会う事になった。当然、魔術師の介入があっての事だろうが。それでも眼鏡のマシューから電話をもらった時、キングは笑みを零さずにいられなかった。
マシューとアンナはハイスクールの一件以来、友人になったのだという。声の戻ったアンナが電話口に出た時、キングは口から心臓が飛び出そうになった。
「そんなに気になるなら、普段からシャワーを浴びていればよろしかったんではないですか?坊ちゃん」
「僕、臭くないかな」
「たまに頭が臭ってますけど」
「えぇ……嘘だあ」
オロオロするキングを見ていたエマが呆れつつ笑う。思春期特有の甘酸っぱい恋愛模様には、ついからかいたくなる微笑ましさがあった。
「さあ、そろそろお時間ですよ」
「うん、それじゃ行ってくる」
「いってらっしゃいませ。私もクロエさまの元へ向かいます」
玄関を駆け足で飛び出してゆく主を見送ったエマ。彼女は、ジョージが消息不明になった旨を伝えるのは帰って来てからにしようと思案していた。
「魔術師さま、それでよろしいですね。しかし、死神ともあろう方が人ひとり見つけられないとは。警察以下ではありませんの」
エマの身体がひっくり返したジグソーパズルの如く崩れてゆく。「面目ない」そう言いたげな革靴音が、タップダンスよろしく空中で鳴り響いていた。
「うわー!久しぶりな気がするよ!元気だったかい?キング」
「ああ、マシュー。君こそ元気そうで安心したよ。学校はどうした?」
「いや……流石に居づらいから転校したよ。君を知ってるのが僕だけってのも寂しいしね。アンナさんが学校を紹介してくれてさ。そこへ」
マシューが押す車いすに座っていたアンナ。彼女は潮風を浴びながら笑っていた。ここは港が見える公園。キングが引っ越した州とアンナ達がいる州の丁度中間にあたる。
「アンナさん、本当に色々ありがとう。声、出るようになって良かったですね」
「敬語は要らないわ。私こそ会いたかった、キング」
自然と手がお互いを求め合う。その様子を見ていたマシューは「そこら辺を散歩してくるよ」と言い残して消えて行った。
改めて抱き合ったキングとアンナは、その再会に心を震わせていた。この光景を魔術師もキングの目を借りて見ているのだろう。海からは心地よい風が吹き、太陽が柔らかい日差しを落としている。
二人はどうでもいい話をしては笑った。
アンナはキングから漂ってくる懐かしい匂いに顔を綻ばせていた。キングは高鳴る胸の鼓動に母エヴァを重ねていた。母にも確かに幸せな瞬間があった。吐息とはここまで熱く焦がれるものなのか。
キングは顔の火照りを冷ますために視線を海へと向けた。アンナには今日、聞かなければいけない事がある。
「ねえ、アンナ。聞きたいことがあるんだ」
「何?」
「君のお父さんから特別顧客って言葉を聞いた事ない?」
笑顔だったアンナの表情が一瞬で曇る。余程口にしづらい過去でもあるのか。彼女は気まずそうに下を向くとそのまま黙ってしまった。
「私たちは13歳になるまで父とは別に暮らしていてね。そこまで父の仕事に詳しい訳じゃないんだ」
突然、背後に立った男が答える。男は髪の色と右目の斜視、そして上背を除けばキングと合わせ鏡のような容姿をしていた。右手を骨折したのかギプスで固めている。
振り返ったキングが上目遣いに男を見つめた。
「貴方がヨシュア・キンドリー」
「如何にも。アンナの兄だ。初めまして、キング・トート君」
キングは声を聞いた時から確信していた。この男こそが特別顧客だと。
そして僕の兄でもある。道理で一向に辿り着かなかったわけだ。アンナの二卵性双生児の兄。その立場を利用していた。彼女を知っているだけに真っ先に可能性から排除してしまった。
そして偶像が見せていったものも大きかった。僕は、母の人生を追随した。あれは映画と同類のもので、編集されているとみて然るべきだ。顔の滲んだ紳士の存在からしてそうだった。
僕の父はオリヴァー・キンドリーだ。
寧ろ、アンナが血縁者ではない。
キングの中にいるもう一人の親、偶像のDNAが明確に彼女の血を否定していた。アンナには、ほんの僅かだがアジア系の血が入っている。偶像が弄ったと放言していたのも、ここで間違いないだろう。キングと能力を継承した魔術師が彼女のDNAを追う。
やはり全くの他人だ。そうなると、考えられる可能性は1つしかない。アンナは『ブラックダイアモンド』のために用意されたアダムの子だ。『ブラックダイアモンド』とは一体、何なんだ。
キングはその美しい斜視で兄ヨシュアを睨みつけた。この男だけは何があっても許さない。必ず僕がこの手で殺してやる。
そしてヨシュアもまた、弟キングへ敵意を剥き出しにしていた。こんな出来損ないのチビが特異体質とはな。お前から何もかも奪ってやる。何もかもだ。
血を分けた正真正銘の兄と弟。その間を尋常ではない緊迫した空気が流れる。
ふいにヨシュアがアンナの首に手を掛けた。悍ましい表情で笑いかけてくる。爪の先には針が仕込んであった。首の皮5ミリ手前でピタリと止まっている。偶像の置き土産である事は一目で分かった。
「どうしたの、二人とも。兄さん?」
「いや、ステファン大統領から表敬された少年だろう?勇気ある告発に感謝をしようと思ってね」
「……兄さん、手を下げて」
「イブの庭へは、近いうちにFBIが一斉捜査に入るそうだ。安心するといい。君が大切にしている弱者に手は出さないと誓うよ。私たちは国家側だ」
「州知事の息子。その程度の権力が断言して良い事なのか?特別顧客なら直接的な言及も可能だろうが」
「ちょっとキングも……何?」
キングが怒りに目を見開き、死神の姿になろうとしたまさにその時だった。アイスクリームを抱えた眼鏡のマシューが戻ってきたのは。
「あれ?ヨシュアさんいたんですか!なんだ……もう一個買ってくれば良かった」
「ああ、良いんだよ。マシュー。私は甘いものが得意ではなくてね」
ヨシュアが爪に仕込んだ針を今度はマシューへ向ける。その針は殆ど首に食い込んでいると言っても過言でなかった。何も知らないマシューが興奮して首を振る度に、キングが怒りで青ざめる。
「そういえばさ!キングとヨシュアさんって顔そっくりだよね。本当に親戚とかじゃないの?」
「僕の生い立ちならノーマンから聞いただろう、マシュー」
「面白い事を言うね、マシュー。案外、私とキング君は繋がってるかもしれないよ?用済みの売春婦が勝手に産んだ子供とかね」
今度はアンナの表情が怪訝になる番だった。思い当たるフシでもあるのだろうか。平然とした顔でその言葉を受け止めている。アンナは、記憶をすり合わせるかのように眉間に皺を寄せていた。
そんな彼女に焦りだしたのは、意外にもヨシュアであった。
「風が冷たくなってきた。私達はそろそろお暇するよ、キング君。アンナは身体が弱くてね」
「ヨシュア、彼女をどれだけ取引に利用した」
「君は知らないようだから教えてやる。一番最初に交わされた取引の内容だ。話は第一次産業革命まで遡る。特別顧客はその称号を剥奪されない限り、死神が殺すことは出来ない」
過去の記憶を手繰り寄せていたアンナは手に違和感を感じて、そのまま握りしめた。こっそりと形状を確かめる。ポケットベルだ。こんな事をするのはキングしかいない。振り返ったアンナは、見えない目で精一杯の気持ちをキングに伝えた。
歯を食いしばったキングもまた、精一杯の笑顔でアンナを見送っていた。
死神とのハーフであれば、取引の不履行もしくは誤認識の起きる可能性がある。僕ならばヨシュアを殺せる。そうなんだろう?魔術師。
『その件は後日、お話いたします。それでは私はこれで』
頭の中で魔術師の声が響く。目から抜けて行ったのが分かった。キングは、日が暮れるまで港が見える公園で佇んでいた。
真夜中のキンドリー邸。
高層ビルのワンフロアで、アンナ・キンドリーは夢を見ていた。ハイスクールでキングと再会してから、しばしば見るようになった過去の夢を。
今日はいつにも増して鮮明に見える。
私には三歳になるまでの記憶がない。双子は胎内での記憶を共有すると言う。兄さんも胎内の記憶があると当然のように言っていた。けれども、私には記憶がない。
母親は、私達を出産した時に命を落としてしまったと父が言っていた。
私は、目が見えない。
けれど、見えるものもあるの。
薬品の臭いが充満する施設で私達は育った。父は代議士で、母のいない子供を手元で育てられないと言っていた。けれども、それが建前でしかない事を私達は知っていた。
そこには沢山の子供がいた。頻繁に入れ替わる子供たち。仲良くなったと思ったら、すぐに何処かへいなくなる。職員は、里親が見つかったと言っていたけれど。そんな話、誰も信じていなかった。
ヨシュアは「僕だけはアンナと一緒だよ」が口癖だった。それは、間違いなく兄さんの本心だったと思う。表情は分からないけれど、握りしめる掌にはいつだって愛情があったから。私達の間には確かに絆が存在していた。
――……あの人が現れるまでは。
その日も二人きりで施設内の公園で遊んでいた。昨日、一緒にブランコ遊びをした子は職員が呼びに来てそれっきりだ。ここで生活するうちに私達の感情も麻痺していたのだと思う。心配もせず「またか」くらいにしか思わなかった。
私は噴水に手を浸すのが好きだ。水の流れや温度。太陽の照り返し。近くで咲いている草花。その全てが『生』を教えてくれる。
ふと、甘い花のような匂いが漂ってきた。足音も一緒に聞こえてくる。女の人だ。
「――……キング?」
女性は名前を呼んでいた。その瞬間、私は理解と同時に落胆する。彼女は母親で呼んでいるのは子供の名前だ。私は母親を知らない。とても胸が苦しくなって、泣きたくなったのを覚えている。
けれども、兄さんは違ったようだ。
「キングなんて子供いないよ」
素っ気なく答えたきり、また何処かへ走り去ってしまった。最近のヨシュアは、一人で隠れては何かをしている事が多い。私は知らないフリをしていた。
本当は全部、知っていたけれど。
私はまだ幼くて、感情の訴え方を知らなかったのだと思う。この時も、つっけんどんな態度しか取れなかった。母親から名前を呼ばれてみたかっただけなのに。
「おばさん、兄さんの名前はヨシュアよ。キングじゃないわ」
「兄さん?だってあの子は……」
「言わないで。知りたくないの、私」
困惑した様子の女性は、お腹を摩りながら噴水の淵へ腰かけた。その音で私は彼女が妊娠している事に気づいた。太陽を浴びて、生きる喜びに満ちあふれた顔をしているのだろう。幸せな匂いが身体中から漂ってくる。胎内からは新しい命の音も聞こえていた。
「おばさん、名前はなんていうの?」
「エヴァよ。神様からもらった名前。私にはずっと名前がなかったの」
「ふうん、私はアンナ。お腹に赤ちゃんがいるの?」
「ええ、いるわ。後2回、満月が来たら生まれるのよ。あの人から最初の子が生きてるって聞いたの。せめて、本当の名前を教えたくて」
エヴァはしきりに名前の話をしていた。けれども私は、彼女の言葉を理解しようとしなかった。名前がそんなに大事だなんて、意味が分からない。今にして思えば、ヨシュアは既に全てを知らされていたのだろう。
私はそんなことよりも、お腹を触ってみたくて仕方がなかった。母親とはどういうものなんだろう。
「お腹、触っていい?」
「良いわ。でもそっとね。赤ちゃんってとても壊れやすいから」
エヴァから言われて、恐る恐る手を当てたのをよく覚えている。そのあまりの温かさに驚いた。身ごもった女性のふくよかな柔らかさにも。中では水とよく似た音をさせながら、命が一生懸命に生きている。ほんの微かにだけれど、ミルクの匂いもした。
気が付いたら私は、そのお腹に頬を埋めて泣いていた。エヴァは、甘い匂いをさせながら私を優しく撫でてくれた。泣き止むまでずっとそこにいてくれた。人からそんな風にしてもらったのは、初めての経験だった。
「……アンナは私と一緒なのね」
「どういう事?」
「ここしか知らないって事。この子には外の世界を見て欲しいわ。もちろん、貴方にもね」
「赤ちゃん。名前、決めてるの?」
「もちろんよ。男の子なんですって。キングと名付けるわ。王様って意味なの。貴方が生まれるずっと前から考えてたのよ」
「……エヴァはヨシュアの事もキングって呼んだわ」
「――……?最初に産んだ子の名前もキングよ。同じ名前をつけてはいけないの?」
兄と弟に同じ名前をつける?
ダメじゃないけど……多分それは普通じゃない。けれども、あの時の私は言えなかった。自分が生活するこの場所を普通だとは到底、思えなかったから。ヨシュアが隠れてしている事も。
言葉に詰まって急に居心地が悪くなった私は、エヴァから逃げ出した。目が見えなくても、走り去る事が出来る公園を。それは、私が外の世界を知らない現実を意味していた。
ここは大きな鳥籠だ。ほんの少し飛ぶ場所があるだけの地獄。
私は、施設と公園を繋ぐ通路から少し離れた場所で立ち止まった。まただ。また血の匂いがする。兄さんに染みつき始めた死の臭いと、命が必死の抵抗をする音。日が傾いてきているのを感じていた。
私は、兄さんのすぐ傍で立ち止まっていた。空気がひりついて喉が痛い。そのまま去る事も出来た。ずっと知らないフリをしてきたのに、この時だけは何故か聞かずにいられなかった。
私達は普通じゃないの?
どうして、私達はここから出られないの?
兄さんはどうして……
「……何してるの?」
「うるさいな、あっち行けよ。アンナ」
何かが潰れる音と共に命の断末魔が響いて、鳥が一斉に羽ばたいていった。
ヨシュアが殺していたのは猫だった。最初は鳥や鼠だったように思う。血に憑りつかれてしまった兄。その行為はどんどんエスカレートしていって、あっという間に犬や猫を殺すようになった。
私は、兄さんのしている事を受け入れられなかった。彼のために動物を提供しつづける職員の事も。
私達は普通じゃない。
あの日、兄さんは動物だけでは飽き足らず、私の首を絞めた。血だらけの手で、職員が止めに入るまで執拗に絞め続けた。
憎しみと悲しみがないまぜになったヨシュアの叫びを、私は今でも忘れられない。
「僕は、あんな女の子供じゃない!アンナと僕は兄妹だろ。そうだって言えよ!一生、離れないと言え!」
「兄さん、止めて!」
アンナ・キンドリーは寝室で叫んでいた。酷い寝汗が全身を伝う。肌は粟立ち、溢れだした不安が容赦なく動悸を煽っていた。彼女は呼吸を整えようと、水の入ったガラスポットを探した。しかし、動揺した手がポットをなぎ倒してしまう。
冷水が飛び散ってガラスの割れる音が寝室に響き渡る。
アンナは身体を抱えると濡れてしまったベッドにうずくまった。
エヴァとはそれきり会う事はなかった。おそらく、彼女はもうこの世にいない。
アンナは自然とその想いをキングに馳せていた。彼を想うだけで冷えた身体が熱を帯びる。心のひだが繊細にわななき、熱い涙がこみ上げてくる。
私は、目が見えない。
けれど、見えるものもあるの。
今日、改めて確信した。
キングの声、キングの匂い、キングの……優しくて温かい手。
そうあって欲しかった兄の姿を纏っている。それがキングという人。鼻をくすぐるどこか懐かしい匂いは、エヴァのものだった。
今なら分かる。兄さんが小動物を殺すようになったのは、エヴァが妊娠したからだ。彼女のお腹は大きく膨らんでいた。その膨らみから逆算しても時期的に符号している。
そして、あの時私が触れた命。彼こそがエヴァの息子、キング。
兄さん。私、ずっと前から気づいてたの。私達、本当は……
「アンナ、怪我はないか」
気配なく、突如訪れた声の主にアンナは戦慄していた。ヨシュアだ。心配そうな顔をした彼とは裏腹に、アンナの表情は沈痛そのものとなっていた。身についた癖でつい顔を隠そうと項垂れてしまう。
完全防音が施された部屋なのに、どうしてガラスの割れる音が聞こえたの?兄さん。
「ごめんなさい、トイレに行こうとして失敗してしまって」
「全く……気をつけるんだよ。折角、声が戻ったんだから。私だって右手がこの有様なんだ。何かあっても君を助けられない」
「そうね、気をつけるわ。ありがとう」
「ああ、そうだアンナ。FBIによるイブの庭一斉捜査なんだけどね。明日、決行される事になった。あの忌々しいエヴァ像がついに消えてなくなるんだ。彼にも是非、教えてあげるといい」
ヨシュアは笑っていた。本能的に逃げ出そうとするアンナへ見えない足枷を嵌める。いつだって彼は満ち足りる事を知らない。更に上から、愛情という名の監獄に収監すべく抱き寄せる。
身動きを封じられたアンナの耳元でヨシュアが囁いた。
「私は何があってもアンナと一緒だよ。世界でたった一人の妹だ。一生、どこへもやらない」
高層ビルの窓からは、宝石のような夜景が凍えた光を放っていた。
ーつづくー





