星の憧憬-Ⅱ
偶像から過去の改ざんを持ちかけられたキング。ハイスクールで起きた惨劇を回避出来るかもしれない。キングが取った選択とは。一方、今回の事件を仕掛けたヨシュア・キンドリーは勝利の美酒に酔いしれていたが――
「罪悪感を知りタイと言うのハ、死神の本能ミタイなものダ。教えてくれたラ、学校を元通りにしてヤル。取引シヨウ。私は過去を改ザンする能力を持ツ死神ダ」
プログラムコードをモニターの裏側から眺めたような三面鏡の世界。そこでキングは、死神偶像から取引を持ちかけられていた。取引に応じれば、ハイスクールで起きた惨劇。多数の死傷者を出してしまった状況をなかった事に出来るかもしれない。
しかし、キングは躊躇っていた。特別顧客と組んで非道の限りを尽くした死神が、このまま素直に引き下がるとは到底思えない。
ハイスクールがキングを覚えている限り、何度でも彼らの命を狙うだろう。
キングは伏せていた目を見開くと、その美しい斜視で偶像を睨みつけた。
「偶像、お前の言ってることは嘘だ」
「ホゥ……私ヲ笑わせルナ。オマエだって嘘つきダロウ」
偶像は首を奇妙な方向へ傾けると、その造形を変え始めた。素粒子が身体を包み込む。同時に、天使の如き白い羽根が彼女の顔を覆った。
「これなラ、ドウダ?」
次の瞬間、偶像はアンナ・キンドリーそのものとなっていた。
「何が言いたい、偶像。彼女にも手を出したのか!」
「ホ……ホ。オマエと比べたラ大した事はなイ。ほんノ少しラセンを弄ったダケだ。デモ、この先は分からなイ」
キングは有り得ないスピードで偶像に近寄ると、その胸ぐらを掴んだ。彼の胸中をかつての母親と同じ感情が流れていた。
アンナを想うだけで切なくも甘い痛みが押し寄せてくる。彼女の安全を脅かされるだけで総毛立つような怒りを感じる。そこに嘘や操作された感情は一ミリたりとも存在していなかった。
「取引は断る。罪悪感を背負って僕は生きる。これが答えだ。けれども、お前らのした事を決して許さない」
「交渉はムリか……オロカな」
偶像の懐から飛び出した聖杯があっという間に数を増やし、血のワインを降り注がせる。咄嗟に身を庇ったキングの大鎌が、焼け焦げた臭いを放ちながら溶けていた。白マントも同様に焦げ落ちている。
キングは偶像から距離をとると、彼女の周囲を高速で旋回し始めた。
「武器ガ台無シになったナ。それデどうやって戦ウ?残っタ右目ハ使わせナイ。逃げ回ってもムダだ。ここは私の空間ダゾ」
三面鏡の世界が再び形を変え、大きな1つのうねりとなる。聖杯の血液をたっぷりと吸い込んだうねりは、DNAの螺旋そのものとなっていた。広がっては集まるを繰り返す素粒子が生命の脈動を正確に刻む。
「殺セ」
偶像の号令と共に巨大な螺旋がキングを一気に包み込んだ。焼け焦げた臭いがして、すぐさまキングがうねりの中から飛び出してくる。しかし、螺旋がそんな程度で消える訳がない。キングのすぐ後を追いかけてくる。
血に染まった素粒子が彼を捉える度、肉の焼ける臭いが空間を漂った。
偶像はその両翼と両手を大きく広げながら、不気味な笑い声を上げていた。どんなに死神の力を手に入れようと、所詮は人間。消耗戦となれば死神の方が圧倒的に有利だ。
勝利を確信したその瞬間だった。うねりを引き連れたキングが偶像の首に大鎌の柄を突き刺したのは。
首を押さえて地獄のような悲鳴をあげた偶像に向かってキングが叫んだ。
「死ぬ時はお前も一緒だ!」
動きを止めようとしない螺旋に身を焼かれながら、より一層深く柄を突き刺すキング。彼もまた唸り声を上げると、自分のDNAを偶像へ向かって逆流させた。
「ヤメロ!……ニンゲンを入れるナ!」
偶像の体内を凄まじい勢いでキングのDNAが侵食してゆく。その様子はさながらウィルスに侵されたコンピューターであった。バチン!という電流音が鳴り響く度に、偶像の中から焼け焦げた臭いが漏れ出す。
柄を握りしめるキングの手はとうに焼け爛れていた。彼の全身を包み込んでいた業火の螺旋が徐々にその力を弱め、素粒子がただの砂粒へと変わってゆく。
体中を火傷まみれにしたキングがその姿を完全に現した時、偶像はもはや壊れた機械人形のようになっていた。電流音立てながら小刻みに痙攣している。ぎこちない動きをさせた彼女の首が、ホラー映画よろしく真後ろを向いた。
偶像はその顔をアンナからキングの母親、エヴァのものへと戻していた。焼けて剥き出しになった眼球でキングを睨む。
「もう一度、殺スカ。母親ヲ」
「言っただろう。僕は罪を背負って生きてゆくと。母さんは人を愛した。幸せな瞬間があったんだ……これ以上、お前らに奪う権利などない」
「ハ……ハ。やはりニンゲンは弱いナ。オマエは、自分ガ終わらせてヤッタと言い逃れタイのだ。私ハ知ってるゾ。オマエがエヴァを殺した時、笑ってイタことヲ」
「――……それも罪だ。いつか償わねばならない、必ず。でも今はその時じゃない。僕は学校へ戻る」
キングは砂の残骸と化した三面鏡の世界にただ1つ残されたモニター。生徒達が未だ残る講堂を映し出すフィルムに足を踏み入れると、その姿を完全に消していった。
「何をシに来タ。我々ハ不干渉な筈ダゾ」
いつの間にか現れて、燕尾服についた砂埃を払う魔術師に気づいた偶像。彼女はその身を逃そうと己の残骸の中を這っていた。暫く待てば、死神の身体は再生をする。
魔術師はこの砂地では鳴らせない革靴を大袈裟に嘆いてみせると、代わりに偶像の身体を踏みつけた。
「ええ、本来は。しかし……私の発言が彼に揺らぎを生じさせてしまったようです。ほんの好奇心で質問したつもりだったのですが」
「何ノ話ダ」
「罪悪感の話です。キングは貴方を殺せたのに、そうしなかった。死神界での理は果たされなければなりません。貴方は死んだのです、偶像。私は能力の回収をしに参りました」
魔術師がステッキの持ち手を回転させる。杖の部分が落ちて、ぬらりと光る刀身がその姿を顕にした。
「それではごきげんよう、偶像」
次の瞬間、偶像の首は勢いよく砂地の果てへと飛んでいった。
手を掲げて能力の回収を始めた魔術師は「さて……」と独りごちていた。まだ残っている仕事があるとでも言いたげな様子で。ついクセでステッキをくるりと回してしまう。刀身を納めるのを忘れていた魔術師は、慌てて飛び跳ねた。
「自分を切り刻みそうになるとは。おお、くわばらくわばら。これでは死神失格ですな、私も」
愚痴をこぼした魔術師は、1つだけ残されたモニターへと目をやっていた。
ヨシュア・キンドリーとトロイの幹部カインは、彼の執務室がある高層ビルへと戻ってきていた。ソファーに身を預けご機嫌な様子でビンテージワインを空けるヨシュア。その彼が急に残念そうな声を上げた。
「あれ?何も見えなくなってしまった。偶像は負けてしまったのか……捨て身の特攻でもしたのかな。泣き虫の死神様は。これではトロイもやられてしまうかもしれないよ」
ヨシュアは偶像の目を借りて、キングとの戦闘を楽しんでいた。
「そうなったらその時です。どちらにせよ、俺らの仕事は死ぬ事ですから」
相変わらず頓着のない口調で答えたカインがワインに口をつける。玩具を壊して持て余し気味のヨシュアは、その口元を見ていた。ワインを取り上げ、何の前触れもなしに唇を重ねる。カインの身体に微かな緊張が走っていた。
アルビノを彷彿させる肌とサファイアのような瞳、魅惑的なブルネット。己の美しさを十分に理解しているヨシュアは、まだ少年らしさが残るカインの目を覗き込んだ。
「ふむ……カイン。君は兵器としては優秀だがそっちはまだ子供か。これを機に覚えるといい。死神もどきもアンナに恋をしたようだし」
「貴方がそう仰るのなら覚えます、特別顧客」
「そんなものは覚えなくて良い。アンナがどうしたって?」
怒りのこもった声で二人が座るソファーの前に立ちはだかったのは、ヨシュアの父オリヴァー・キンドリー州知事だった。
オリヴァーは明らかに怒っていた。執務室のテーブルへ革の手袋を叩きつける。それで気が収まるどころか更に腹を立てた彼は、ヨシュアを問い詰め始めた。
「再選を果たした一番大事な時期に何をやってるんだ、ヨシュア。ソビエトとの連絡はどうなってる。エデンの再建は?男と寝るためにここまでお前を育てた訳ではない」
「誰と寝ようが私の自由です。それに、エデンの再建を一旦中止にすると言ったのは父さんじゃないですか」
興ざめした様子のヨシュアが答えるも、オリヴァーは怒りの矛先を収めなかった。
「ソビエトとイスラムが別に特別顧客を立てると言ってきた。魔術師があちら側に付く算段で話を進めているそうだ。今日、お前は何処で何をしていた?アンナに何をした!」
ビリビリとした声が大理石の部屋に響き渡る。アンナを人質にさえしていれば魔術師は何があっても自分から離れない。目算を見誤ったヨシュアは、出し抜かれた悔しさに唇を噛んでいた。
「報告はアンナから受けている。ヨシュア、お前は自分が何をしたか分かっているんだろうな。カイン、けじめを2本頼む」
「はい」
「何をするんだ、カイン。やめろ!」
カインは表情を全く変えることなくヨシュアの腕を絡め取ると、ゆっくりと指を折った。最も痛みを感じる方法で。絶叫を聞き届けた後で、もう一本指を折る。カインの膝は暴れ出さないよう、ヨシュアの背中にめり込んでいた。
「学校の件はこちらで始末をつける。いいか、今後一切アンナには手を出すな。アレがどれだけ大事な器か、お前が知らないとは言わせない」
「痛っ……『ブラックダイヤモンド』なら洗脳されたままですよ、父さん……このまま飼われたらどうですか。母さんをそうしたように」
「バカも休み休み言え、この愚か者め。洗脳が永遠に続く保証がどこにある。それでなくても向こうは別で特別顧客を立てると言ってるんだぞ!偶像は何処へ行った?え?お前の私情でどれだけの損失が出たと思ってるんだ!」
「……私情?何の話ですか」
「カイン、もう1本けじめを」
今度はオリヴァーに返答すらせず、素早くヨシュアの指を折る。完全防音が施された執務室に3回目の絶叫が響き渡った。
カインには己が兵器だという自負がある。男娼の代わりにされるのは、いくら駒である自分を受け入れたとしてもそのプライドが許さなかった。カインは、最も痛みが長引く方法でへし折った指を蔑んだ眼差しで見つめた。
執務テーブルの椅子を蹴り飛ばしたオリヴァーが、ようやく満足したのか酷く醒めた声でヨシュアに宣告していた。
「実験は成功していた。彼の生存を何故私に隠した、ヨシュア。お前は私の息子という立場に甘えている。代わりの生存がそんなに怖いか。お前より、よほど優秀な代わりの存在が」
怒りを噛み締めるヨシュアの口から、獣のようなうめき声が漏れていた。
ハイスクールの講堂にはキングが戻ってきていた。今にもキャンディーへと群がらんとする生徒達。しかし偶像が闘いに負けた事で、彼らの洗脳は解かれキャンディーもまたその存在を消していた。
紅梅色の瞳と縦長の瞳孔から、各々が持つ生来の瞳へと戻った生徒達。
「あれ、今何しようとしてたんだっけ?」
「もう帰りたい……」
「キングが警察を呼んだんじゃないの?」
キングは白マント姿で生徒達の前に現れると、宙を浮き出した。どこからか強い風が吹いてくるが、ガラスの破片はビクともしない。
何事かと恐怖にざわめく生徒達を見つめていたキングは、より一層高く浮かぶと右手を高く掲げた。右目の斜視が動き出して掲げていた手に落ちてゆく。掌の上で瞳を回転させながら、キングは目を瞑っていた。
学校で過ごした半年あまりの記憶が過ってゆく。笑った記憶。皆で試験勉強をした記憶。デートを迫られて困惑した記憶。そんなありきたりの学生としての思い出が、今となってはどれも高価な宝石のように映る。
今までありがとう。ごめんね、みんな。
キングは目を見開くと覚悟を決めて宣告した。講堂にその声が響き渡る。
「君たちの安全は保障する。見返りに、君たちの中にあるキングという人物の記憶を全て渡してほしい!」
講堂にいた生徒達が一斉に崩れ落ちて意識を失った。床に着地した時、キングの頬には涙が伝っていた。もう二度と普通の学校生活は望めない。
一度でいいから学校へ通ってみたいという彼の慎ましやかな夢は、最悪の形で終わりを告げた。
肩を落としたキングが講堂の重い扉を開けた時、急に強い光が差し込んで来て思わずその目を閉じてしまった。
ついさっき意識を失ったばかりの生徒達の声が聞こえてくる。講堂を出たキングはその光景に目を疑っていた。
「ちょー怖かったっての。退学の腹いせに襲撃とかどうかしてんだろ、アイツ」
「元からどうかしてたよ、ノーマンは」
「てか、レベッカと付き合ってたんだな……」
背中に人がぶつかってくる。振り返ったキングに声をかけたのは、射殺されたはずの教師だった。
「君、ウチの生徒だっけ?学園祭、中止になったから。なるべく一人にならないで。早めに帰宅しなさいね」
どういう事だ?過去を改ざん出来ると言っていた偶像がその力を使ったのか。首を撥ねきらなかったのは事実だが、あの状態でマトモに能力を使えるとも思えない。
玄関まで歩いて来た時、パトカーが何台も止まっている事に気づいたキングは警戒心を強めた。州警察だ。二人組の刑事が無線で何やら連絡を取っている。
「銃を持った二人組の身柄は確保しました。え?FBI?!そんなにデカいヤマなんですかコレ」
「先輩、FBIに身柄を引き渡すって本当ですか?」
「ああ。事件を未然に防いだ褒美くらいよこせってんだ、全く。国が身柄を保護したいんだと」
そこまでの大事になるとは思っていなかった刑事達は、釈然としない面持ちでパトカーを見ていた。中にはノーマンとレベッカが手錠を掛けられて座っている。思わずパトカーに近づいてしまったキングに向かってノーマンが噛みついた。
「何見てんだよ、テメエ」
「ノーマン、君……」
「何で俺の名前を知ってるんだよ。何者だ、お前?」
「ダメだよ君、パトカーに近づいちゃ」
死神が何らかの方法を用いて過去を改ざんした。
この学校が迎えるはずであった、最悪の未来が回避されている。それはたとえキングがその存在を生徒達から奪ったとしても、変えられないはずの未来であった。
ノーマンとレベッカが銃を持って侵入してきたところまで、現実が巻き戻っている。キングは安堵のあまり、膝が震えるのを抑えきれないでいた。
しかし、誰一人としてキングの事を覚えている者はいなかった。
キンドリー兄妹が乗ってきたというロールスロイスも見当たらない。アンナや眼鏡のマシューはどこにいるのだろう。二人も皆と同じように、僕を忘れてしまっただろうか。もしかしたら……こみ上げてくる淡い期待をキングはその場で打ち消した。
誰も僕を覚えていないじゃないか。つまりはそういう事なんだ。
皆の安全を願うなら、僕は二度と関わるべきじゃない。
今日中にでもひっそりと街を出よう。
キングは振り返って、誰も死んでいない学校を見渡すと静かにその場を去っていった。
蔦の這う古い屋敷。手入れの行き届いた小さな庭を通り抜けた屋敷の若き主人キングは、沈痛な面持ちでその扉を開けた。エマと取引が成立しない以上、彼女を被害者にする以外の方法が見当たらない。
何があろうと人は生きてこそ。キングはハイスクールの一件を通してそれを痛感していた。
はたして怪我をさせる予定であったエマは、山積みのトランクに腰掛けて玄関ホールで佇んでいた。
「坊っちゃんお帰りなさい。荷物を見ていてくださいます?車を取ってきますから」
「何……何をしてるの?エマ」
「何って引っ越しですよ。フランツ様にご無理を承知でお願いしまして、マンションを用意していただきました」
そう言ってガレージへ向かおうとするエマの腕をキングが掴む。彼の目は如実に死神の介入を疑っていた。偶像は彼女にも何かしていったのか?
しかし、それはキングの杞憂に過ぎなかった。エマはいつも通りのエマだった。ため息をついた彼女がキングの手を優しく握る。
「坊っちゃんのお友達と仰る方から事情を伺いました。フランツ様とお話になっていた件で色々あったのでしょう?別のお友達からもお手紙を預かっていますよ」
手渡された手紙の差出人は眼鏡のマシューとアンナであった。彼らは記憶を失わず、キングの事も忘れてはいなかった。
『キングへ。僕たちは無事だよ。また会いたい。アンナも会いたいって。羨ましい!マシューより』
短いながらもその筆跡に自分がここにいた証を見たキングは、こみ上げてくるもの必死に堪えていた。
「私の事も置いていこうとか思わないでくださいね。一体、私を何だと思ってるんです?」
「え……」
「私は坊っちゃんの家族ですよ。貴方から命を頂いたんです。さあ、参りましょう」
家族。その言葉でキングはついに泣き出してしまった。学校を失い、母親の辛い人生を追随させられ、この屋敷からも去るしかないと思っていた。それしか方法を知らなかったから。
特別顧客はこれからもキングを狙い続けるだろう。
けれども、彼はまだ若干15歳の少年なのだ。
緊張の糸が切れたキングは、エマの手を握りしめながらひたすらに泣いた。こんなに泣くのは生まれて初めての経験だった。何とも形容しがたい感情に包み込まれる。
今は説明が出来ずとも、家族という言葉にキングは未来を見ていた。
未来という光を。
「まったく、世話の焼けるご主人ですこと。顔が汚れてしまってるじゃないですか。引越し先に着いたらシャワーを浴びましょうね」
「え?ああ。今日は……いいや」
「いいやじゃないです。シャワー嫌いもいい加減にしてください。さ、行きましょう。新しい街へ着いたら花屋を探さないと」
トランクを積み込んだ車は、屋敷に別れを告げると街を去っていった。新しい街を目指し、その先へと進むために。