星の憧憬-Ⅰ
死神により異空間へ連れ去られてしまったキング。彼は母親の過去を追随させられる。一方、ジョージとクロエの前に現れた魔術師は取引をもちかけるが――
アジアンタウン。ジョージとクロエが訪れているモグリの診療所。
テレビの前で心配するモグリ医達をよそに、ジョージ・モリシタは声を荒らげていた。受話器の向こうからは、施設責任者の困り果てた声が聞こえてくる。
「お袋が姉貴を連れ出した?!一体、どういう事なんです」
「ですから。先程から申し上げてますように、夜勤中に起きた事故なんです。あってはならない事故ですが、30名の入居者を一人の職員が見回りしているんです。すぐに連絡も差し上げました」
「電話を解約してしまった私にも問題があると……」
「そうは申してません。失踪届を提出するに至った過程の話をさせて頂いてるんです。ご自宅にも伺ったんですよ」
「自宅?あそこにはもう誰も居ないはずですが」
「ええ。しかし、お母様の残されたメモには『我々はブラックダイヤモンドと共にある。自宅へ戻る我儘をお許しください』とあったんです」
「『ブラックダイヤモンド』?」
「イブの庭にそういった用語があるんじゃないんですか?こちらこそモリシタさんにお伺いしたい……」
モグリ医に肩を叩かれたジョージが振り返る。その目には「これ以上は堂々巡りになるだけだ」という言葉が如実に浮かんでいた。事実、施設関係者を疑うにも難癖をつける以外の方法がなかった。施設側の過失は入居者の離設のみ。その後の対応も至って適切なものだ。
受話器を置いたジョージは、ソファーにへたり込んで頭を抱えるしかなかった。
ジョージの姉、ユカリ・モリシタが目玉をくり抜かれて刺殺された。
死体が遺棄されたのは人身売買部門エデンがあった港。エデンの上位組織は、教団イブの庭である。ジョージはこみ上げてくる憤りのやり場を失っていた。姉を連れ出したのが母親であるだけに尚更だ。
母親を教団に戻らぬよう拘束しておいてくれ、などという道理は通らない。何故ならこの国は民主主義国家だからだ。
「今からバスで自宅に向かえば……」
「落ち着けよ、モリシタ。今動くのは得策じゃない」
「お前は自分の事じゃないからそんな風に言えるんだ!」
「おやこれは……出直した方が宜しかったですかな?」
突如現れた男は、診療所の待合室を風船のように浮いていた。燕尾服にシルクハット。ステッキを回転させ、仮面としか形容の出来ない顔をしている。
「……死神か?」
魔術師はシルクハットを脱いで回転させると、中からチョコレートバーを取り出した。ジョージの混乱に不安の色を隠せないでいたクロエに差し出す。
「ええ、如何にも。魔術師と呼んでください。あなた方の願いを叶えに参りました」
「お願いを聞いてくれるの?」
早速チョコレートバーにかじりついたクロエが尋ねる。魔術師は着地すると、もったいぶった様子で革靴を鳴らした。
「どのようなお願いでしょう?マドモワゼル」
「キングを殺して。ジョージが泣いてるのはキングのせいだもん」
大人達はクロエの言葉で一斉に凍りついていた。彼女にとって、全ての不幸はキングのせいなのだ。隣で火事が起きてもキングのせいにするであろう。かじりついているチョコレートバーを落としたとしてもだ。しかし、クロエ本人は至って真剣そのものであった。
「ほぅ……キングと言う人物を殺して欲しいと。では見返りにお嬢さんの目をいただけますかな?美しき『ブラックダイヤモンド』の君よ」
「貴様、何処の手先だ。エデンか?」
ジョージの言葉を大袈裟な身振りで否定した魔術師は、ステッキをくるりと回した。
「冗談ですよ。おお、怖い。我々死神にとってクロエ嬢の瞳を強奪するなど、赤子の手をひねるより簡単な事です。それはジョージ、貴方にもご理解いただけるはずですが」
「クロエの目と姉貴が関係しているのか?イブの庭は何をしようとしてる。キングは何処にいるんだ」
「みなさん先程からキング、キングと……どなたの話をしていらっしゃるのですか?私はそのような人物を存じ上げません。『ブラックダイヤモンド』については、ジョージ。ご自分で確認された方が早いかと」
ジョージは魔術師の白々しい嘘に苛立ちを覚えていた。キングを知らない死神?そんなバカな話があってたまるか。けれども、クロエは違ったようだ。食べ終わったチョコレートバーの包み紙をしきりに揉んでいる。そうやって音を立ててはジョージをチラリと見るのだ。
クロエは自分の瞳が狙われている事を知っていた。そこに来て、ジョージの姉が目玉をくり抜かれての死である。自責の念を負うのに、彼女はあまりにも幼すぎた。ゆえにキングを知らないとうそぶく魔術師サイドへ逃れてゆくのは、自然の理と言えた。
「ジョージのお家に連れてってもらおうよ」
「クロエ……」
「ねえ、魔術師。私達を守ってくれる?」
「もちろんですとも、マドモワゼル。そのように取引いたしましょう」
魔術師は表情を悟られぬよう垂直に浮くと、ステッキをくるりと回した。シルクハットを脱いで、頭から腹にかけて手をクルクルとさせながらお辞儀をする。よく通る声が待合室に響き渡った。
「クロエ。貴方との取引は成立しました」
次の瞬間、ジョージとクロエは足元から崩れるようにしてその姿を消していった。
キングと彼の母親に瓜二つの死神は、プログラムコードを裏側から眺めているような世界に来ていた。見渡す限り三面鏡モニターの世界。そこに映るものは皆、素粒子状の細かい文字の集合体で出来ている。
ハイスクールで起きた悲劇。その最中の出来事。
キャンディーを両手いっぱいに投げるクイーンビーとそれに群がる生徒達。一番大きな三面鏡に映る彼らへ手を差し伸べたキングは、その実体性のなさを確認していた。いくらやっても粒子を触る事が出来ない。
真っ白い羽根を広げた天使の如き死神は、相変わらず機械的な微笑みを浮かべていた。
「お前は何者なんだ」
「ワガ名カ。偶像とイウ。ニンゲンの中にはエヴァと呼ぶモノもいル」
「イブの庭の女神像ってまさか……君?」
「ハ……ハ。そうダ。ニンゲンは実にオモシロイ。私を使ってイロイロな事をスル」
偶像がその美しい指を掲げると、三面鏡に映るキャンディーが霧状の文字列となって指先に吸い込まれていった。
「あのキャンディーは偶像、君が作ったのか」
「ソウ……ニンゲンは血と呼ブ。私はラセンとなれル。血ヲ分け与えル事モ出来る」
「特別顧客はアダムの子を使って人体実験をしていたんじゃないのか」
キングが言い終わるが早いか、偶像は手に持っていた聖杯を宙へ放り投げた。1つだった聖杯が2つ4つとその数を増してゆく。数を増やした聖杯が彼女の背後で大回転していた。それに合わせて三面鏡の世界も生命の脈動思わせる動きを見せ始める。
いつしか三面鏡の世界は大きな1つのうねりとなり、素粒子で形作られたDNAの螺旋そのものとなっていた。
「オモシロイ事、沢山シタ。そのヒトリがお前ダ。ニンゲンの世界で、オマエは我が子と言うのダロウ?」
キングと言う少年が持つ特異体質。
……!
偶像の言葉に一瞬の隙を見せてしまったキングの斜視を、大量の素粒子が貫通していった。
意識を取り戻したキングは、自分の血管に刺さる注射針を見ていた。大人達が何やら話をしている。偶像の血を輸血されているのは、他にも後3人いた。急に一人が痙攣を始めて泡を吹き出す。一番奥にいた子供が怯えきった様子で叫んでいた。
「ねえ、パパを呼んできてよ!なんでこんな事をするの!」
次の瞬間、キングは何もない部屋に一人でいた。吐き気を覚えてトイレに向かう。やたらと下腹部が重くて痛い。便座に座ったキングは、股間から赤いものが流れ出るのを見て言葉を失っていた。慌てて洗面台に駆け寄る。
アルビノを彷彿とさせる肌に腰まであるプラチナブロンド。サファイアのような瞳とシャム猫を思わせるしなやかな身体。
鏡に映る人物は幼き日の母親そのものであった。その証拠に彼女の感情がキングの心にも流れ込んでくるのだ。
少女は初潮を迎えて酷く怯えていた。
すぐに少女は全裸にされ、研究所の医師を名乗る男達から体中を調べられた。キングが何とか抵抗を試みるも思い通りに手足が動かない。少女は奴隷だった。何もかも諦めてしまった奴隷、アダムの子。
隣の部屋からは同じアダムの子の断末魔が聞こえていた。
「成功したというのはこの子かね?」
「ええ……しかし、実験なら試験管でよろしいのでは?何もご自身が参加されなくても……」
「まあ、そううるさい事を言うな。怯えてしまっているじゃないか。君、名前は?」
身体を小さくして黙りこくる少女の代わりにキングが答えた。
「エヴァ」
キングの母親は集落でエヴァと呼ばれていた。暴力しか愛さなかった父親も母親をそう呼んでいた。彼女には最初から名前があるとキングは信じていた。イブの庭の偶像がエヴァと呼ばれていたのも偶然の一致だと思っていた。
エヴァをエヴァたらしめたのは、他の誰でもない。キング自身であった。この瞬間にエヴァは誕生した。
「素敵な名前だね。君が自分でつけたのかい?怖かっただろう。さあ、服を着なさい」
エヴァは口に手をやったまま暫く黙っていた。彼女は名前という概念を持ったことがない。不思議と口をついて出た名前にエヴァは神を見ていた。
ぎこちなく笑う彼女とは対象的に、キングの心は深く沈んでいた。
顔の滲んだ紳士とエヴァは頻繁に逢瀬を繰り返すようになった。風呂に入れてもらい髪の手入れもしてもらう。ドレスを初めて仕立ててもらった時、エヴァは夢を見ているのだと思った。
紳士の表情をキングが見ることは出来なかったが、エヴァは恋をしていた。
高鳴る胸の鼓動。紳士の声を聞く度に全身が熱くなる。初めて紳士の腕に抱かれた時、花開く生命の悦びに彼女は泣いていた。
エヴァが若さあふれる恋慕の吐息で震える度、キングの胸中をアンナ・キンドリーが過っていった。キングは困惑していた。何故なら彼もまた、その初々しい想いに心を震わせていたからだ。
お腹の中に顔の滲んだ紳士との子供を宿した時、エヴァは直感でそれが分かった。研究者達が輸血を倍にすると話していたが、そんな事はどうでも良かった。奴隷だったエヴァはもういない。生きる意味を自らの手で掴み取ったのだから。
お腹の中で子供を育てている間も、出産の苦しみに耐えている間でさえエヴァは幸せに満ちあふれていた。生まれてきたのは、エヴァとそっくりな顔をしたブルネットヘアの男の子。赤ん坊を取り上げた医師達に彼女が笑顔を向ける。
「赤ちゃんの名前を考えたの。この子は……」
「ご苦労さま」
医師達は赤ん坊をそのまま何処かへ運んでいってしまった。
「どうして……嫌よ、返して!私の子よ!」
「被検体へは引き続き輸血を続けるように」
彼女の元へ赤ん坊が戻る事は二度となかった。
そして、顔の滲んだ紳士が訪れる事もそれきりなくなった。
エヴァは再び、アダムの子へと戻っていった。
長い孤独の時間が続いた。エヴァの中にある様々な感情が死んでいった。それでも辛うじて彼女を生に留めていたのは、我が子の存在と顔の滲んだ紳士の存在に尽きる。
気の遠くなるような時間が過ぎたある日、顔の滲んだ紳士がエヴァの部屋を訪れた。
「会いたかったよ、エヴァ。最初の子は失敗だった」
「失敗ってどういう事?死んでしまったの?」
「いや、大切に育てているさ。私達の息子だよ、死なせるような事をするわけがないじゃないか」
顔の滲んだ紳士がエヴァを再び抱きしめた時、彼女の中でとうに死んだと思っていた感情もまた息を吹き返していた。
キングはエヴァの中にいながら、これから訪れるであろう悲劇に打ちひしがれていた。
愚かなエヴァ。
彼女は顔の滲んだ紳士を受け入れてしまった。けれどもキングにはそれを否定出来ない。何故なら、エヴァは彼を愛していたからだ。間もなく二人の逢瀬が再開した。
束の間の幸せの後、彼女は再び身籠った。
お腹が膨らみを見ながらエヴァは幸せな表情を浮かべていた。相変わらず、医師達が毎日彼女を裸にしては体中を調べた。しかし、物心がついてからそんな経験しかしてこなかったエヴァからすれば、全裸にされる事など取るに足らない日常だ。
何より、顔の滲んだ紳士が毎日会いに来てくれる。身体を大事にしなさいとお腹を擦ってくれる。愛おしい笑顔を見せてくれる。エヴァにはそれだけで十分だった。
エヴァは字が読めなかった。彼女は生まれてくる子の為に文字を覚えたいと思っていた。顔の滲んだ紳士は、そんな彼女のためにと絵本を読んでくれる。娯楽を知らないエヴァにとって、それは輝かしい未来への証であった。
その日も二人は幸せに過ごしていた。大きくなるお腹を二人で撫でながら微笑み合う。研究所の長だというアジア系の医師が入ってくるその瞬間までは。
「DNAの検査結果が出ました。今回もマイナスです」
「それは本当かね」
「はい、残念ですが。プロジェクトとしては潮時かと。これ以上の成果は望めません」
「マイナスって何?」
顔の滲んだ紳士はエヴァの問いには答えなかった。絵本が床に雑然と散らばってゆく。最早紙くず同然の絵本を一瞥した紳士は、スーツの襟を正すと医師に伝えた。
「彼女は廃棄で頼むよ」
「えっ?流石にそれは……」
「君もここの人間なら分かるだろう。実験が失敗したとバレてみたまえ。特別顧客を剥奪される。死神を失う事になるんだぞ」
顔の滲んだ紳士はそれだけ言うと、エヴァを見ることもなく部屋から去って行ってしまった。
医師は妊婦を殺すことまでは出来なかった。大雨が降るある日、エヴァは身重のまま安酒に溺れていた。無機質な研究所からいきなり場末のバーに連れて来られた彼女は、もう二度と顔の滲んだ紳士とは会えない事を悟っていた。
もういい
なんでもいい
どうでもいい
医師がチンピラ風の男に金を渡しているのが見える。
初めて飲む安酒でベロベロに酔っ払った彼女は、金を受け取った男が近寄って来ても何もしなかった。トレイラーハウスに連れてこられて、クスリを打たれた時も拒絶をしなかった。男が臭い息を吐きかけながら上に乗って来た時も、抵抗をしなかった。
その日、エヴァは死んだ。
キングを産んだ時、彼女は既に生ける屍……薬物中毒の売春婦と成り果てていた。
エヴァの記憶。その最後の素粒子が抜け落ちてゆく瞬間、キングはこの世の終わりでも告げるかのような叫び声を上げていた。
「ニンゲンは演算ノ苦手な生き物ダ。オマエで成功スルという演算を見誤っタ。お前のラセンには私がいル」
偶像は聖杯を納めると、文字列で出来た素粒子を吹き飛ばした。背中の白い羽根がその両翼を厳かに広げる。大きなうねりが徐々に切り取られたフィルムへと変貌を遂げ、元の三面鏡モニターで形作られた世界へと戻っていった。
キングは、ぐったりとした身体を大鎌で何とか支えていた。
「兄がいただろう。彼は今どこにいる」
「スグ近くにイル。けれど……アレには罪悪感がナイ。オモシロクナイ」
「何の話だ?」
偶像はキングと良く似た顔を近づけると、首を奇妙な方向へ傾けた。
「エヴァを殺したトキ、罪悪感は感じたカ?アワレな女と言うのだろウ。ニンゲンはああいう生き物を殺スと罪悪感を感じルと聞ク。ドウダ、感じたのカ?」
「そんな事を聞いてどうするんだ」
「罪悪感を知りタイと言うのハ、死神の本能ミタイなものダ。教えてくれたラ、過去を改ザンしてやってモ良い」
「過去を改ざん……」
キングはエヴァの過去に介入した事を思い出していた。
彼女に名前を与えたのは、僕だ。
「ソウダ……お前、探していたダロウ。過去を改ザンする能力。私はソレを持ツ死神ダ。学校を元通りにしてヤル。取引シヨウ」
キングが殺した母親と同じ顔。エヴァを剥製にしたと例えるのが最も相応しい風情の死神、偶像。その無機質な口角が不穏なまでに持ち上がっていた。
ーつづくー





