女教皇の憂鬱-Ⅱ
キングの命を狙う、かつての友人レイラ。彼女の正体とその目的とは。
「1つ言い忘れた事があったわ。キング、アンタは昔っから嘘つきだった」
キングの心臓に躊躇なくナイフを突き立てたレイラ。彼女は更に強く刃先を押し込みながら舌打ちをしていた。
「クソッ、やっぱりね。こんな程度じゃ死なないか」
キングが口を開くのを待たずに、ナイフを引き抜く。レイラは眼前で飛び上がると素早く背後に回り込み、キングの口を手で塞いだ。
硝煙の香りと同時に銃弾がキングの額を貫いてゆく。現在の状態に至るまでに要した時間は約40秒。たったの40秒で完全に気配を消し、サプレッサー付きリボルバーを構えて正確に額を撃ち抜いた養父。その顔つきは、平凡な老人から手練れの傭兵へと変貌を遂げていた。
キングの喉仏が、被弾の衝撃で天井を仰いで剥き出しになる。後ろに回り込んでいたレイラがその喉笛を一気に掻き切った。
「カハッ!」
キングはされるがまま吐血するしかなかった。キングの口から手を離したレイラが、落ち着き払った声色で問いかける。この程度では死なない事など最初から知っていた、という口ぶりで。
「ねえ、キング。人間には死神を殺せないっての、嘘でしょ。私の知ってる嘘つきキングは、殺らなきゃ殺られてたって言いながら笑顔で両親を殺すような子だったわ。そのためなら何年だって我慢する。どう?クソ親殺せてスッキリした?」
人間であれば100%死んでいないとおかしい状況。それなのに、視線だけはしっかりと動かすキングの姿は余りに異様であった。人間の本能的な恐怖を掻き立てる。
パックリと割れたキングの首からは、血液が壊れた水道栓の様に吹き上がっていた。
瞬間、今にも真後ろに折れてしまいそうな頭部から右目が勢いよく飛び出した。眼球は血を浴びながら弧を描き、キングの口の中へ入っていった。
キングの立っていた場所に突如、白いマントが現れて広がる。養父がすかさず追加のリボルバーをお見舞いしたが、マントはヒラヒラと舞い続けた。その動きには、幽霊の輪舞曲を思わせる一種独特の不気味さがあった。そして一気にもみくちゃになるとキングもろともレイラの前から完全に姿を消した。
次に白いマントを羽織り大鎌を担いだ死神キングが現れたのは、リビングだった。強い風が彼の周囲を吹き荒れる。やたらと装飾の多い祭壇上にある女性像が音を立てて揺れていた。
「来た!死神が!」
養母の声が聞こえたのと同時にリビングへ到着したレイラ。彼女を見据えるキングの眼窩がいつにも増して黒く、怒りの熱を帯びていた。
「いつからだ、レイラ。いつからイブの庭の手先になった」
「あそこを出たその日からよ」
「エデン、スネークを処刑した州警察とイブの庭……君たちの雇い主は特別顧客なんじゃないのか」
「――……そんな話、する必要ないね!」
レイラは口にするが早いか身を低く構えると、脚力をバネにして壁を蹴り上がった。そのしなやかな筋肉の脈動には芸術的な美しさすら漂っていた。日焼けした肌と相俟って女豹そのものに見える。
あまりの素早さに一瞬の怯みを見せてしまったキング。その様を見逃さなかったレイラが不遜な笑みを浮かべながら叫んだ。
「死神の武器で殺すんだろ!私の知ってるキングならそうする!」
……!
死神の力が間に合わない、大鎌の柄を持っていかれる!
「えっ?」
この緊迫した状況に、余りにも似つかわしくない間抜けな声が漏れていた。声の主はキングとレイラ二人のもの。揃って唖然とした表情を浮かべていた。
レイラはともかくキングにとって、それは余りにも想定外の出来事であった。
レイラの手は大鎌の柄を素通りして空を切っていた。すぐさま、今度は確実に柄を掴みに行くがやはり素通りしてしまう。体勢を崩してしまったレイラは、そのままリビング中央の祭壇へ落下していった。
どうしてレイラは死神の武器を掴めないんだ。
確かにキングは「人間に死神を殺すことは出来ない」と嘘をついていた。嘘をついて能力を見せる。そうすれば、大抵の人間は大鎌など見なくなるからだ。
骸骨男は、隙を見せたが故にキングに大鎌を奪われて殺された。
死神の武器で首を跳ねれば、人間でも死神を殺すことができる。
そう結論付けたのは、他の誰でもないキング自身であった。
それがまさか。自分以外の人間は、死神の武器を掴むことが出来ないだなんて。
僕だけが例外だったっていうのか。
派手な音を立てながら祭壇が壊れてゆく。ゴテゴテとしたロザリオが床に転げ落ち、陶器製の女性像も粉々に砕けていった。
「ああ!エヴァ様、エヴァ様が!」
悲痛な叫びを上げたのは、レイラの養母だった。杖でバランスを保つ事すら忘れ、床を這っている。それはリボルバーでキングの頭を狙っていた養父も同じだった。ただひたすらに狼狽えて、木端微塵になった聖母エヴァ像をかき集めようとしている。
「あーあ、失敗しちゃった。死神になれると思ったんだけどな……おじさんとおばさんもアダムの子なんだよ。もう、どこからが始まりかも分かんない」
床の上で大の字になったレイラが呟く。その声には今までキングが聞いたことのない、深い悲しみがこもっていた。
崩壊した祭壇前のダイニングテーブル。キングの向かいにはレイラが座っていた。テーブルに載せた掌の上を眼球がゆっくりと回転している。サファイアのようなキングの瞳を、レイラは無表情で見つめていた。
「申し訳ないけど、皆。身体を動かしてあげることは出来ない。自殺も出来ないからね」
キングは手をかざして椅子を移動させると、養父母を座らせた。
見えない拘束着を着せられたレイラは、諦めたのか「お好きに」と視線で同意した。
「最初に聞きたいことがある。狙っていたのはクロエだね?」
「そうよ。スネークの死は私への指示でもあった。アンタへの揺さぶりだけじゃなくってね」
「レイラ、クロエは君の妹だよ。それは知っているだろう?」
「だったら?話した事もない妹に何を思えって言うのよ。特別顧客からの指示は『ブラックダイアモンド』の奪取と器の確保。この2点だった」
「『ブラックダイアモンド』?」
「スネークと私は所詮末端だよ。意味までは知らされてない。ただ、クロエの目ん玉がそう呼ばれてるって事実だけ。そう言えば……特別顧客はアンタの事を気に入ってるみたいよ。積極的に情報をばら撒いてる。良かったわね、キング」
「器って言うのは『ブラックダイアモンド』と関係してるんだね」
「ええ。ま、モルモットみたいなもんね。実験の後始末までが私の仕事」
「実験って……特別顧客っていうのは一体、何者なんだ?」
キングの質問攻めにレイラはうんざりしていた。
喧嘩を売るだけ売っておいて、何も知らないまま今日まで過ごしてきたのね。どれだけおめでたい男なのよ。
レイラは警鐘がてら、わざと大きな溜息をついた。
「それも呼び名の1つ。おじさんとおばさんが生まれる前から特別顧客はいた。組織だったり、国だったり、人だったり。その時々で変わるの」
「じゃあイブの庭は……」
「そうよ、特別顧客が作った」
「止めなさい、レイラ。エヴァ様の創造主に対してそんな事を言うんじゃない。さっきから失礼だぞ」
「おじさん……」
辛うじて動かすことの出来るレイラの目元が、里親を捉えて悲しげに歪んだ。先程から養母はずっと聖母エヴァへの贖罪をブツブツと口にしたままだ。こちらの話すら聞いていない。
イブの庭の偶像、聖母エヴァ。クロエが連れてこられたエデンの家では『聖なる父』と呼称していた筈だ。そんな出鱈目が平気でまかり通ってしまうイブの庭。余りにもナンセンスでお粗末だからこそ逆に見逃してしまう狡猾なやり口。キングはその全てに嫌悪感を隠せないでいた。
「アンタが嫌になんのも分かるよ、キング。もっと嫌になる話してやろうか?」
「何?」
眉間にシワを寄せて振り返ったキングに、レイラは自嘲的な笑みを零した。
「私は自爆テロ兵器として訓練されてる。おじさんとおばさんもそう。元自爆テロ兵器」
ハッとした顔のキングが養母に目をやる。ロングスカートから覗く左足が義足である事に気づいたキングは、やりきれない思いで俯いた。
「私に洗脳は入らなかった。それでも10歳から人を殺してる。人身売買にも加担してるし、つい最近だって日本人を殺した。もうどうやったって普通の生活には戻れない」
「――……君だって嘘つきじゃないか。おじさんとおばさんが好きだからって言いなよ、レイラ」
いつだって強気だったレイラの黒い瞳が、愛情を知ってしまった黒い瞳が、悲しげに揺れだした。
「『ブラックダイアモンド』の奪取に失敗した私は……おそらく兵器として処分される。ここへはまた新しい子が来るわ」
「でもレイラは貴方一人よ。他の子が来ても、貴方の代わりはいないわ」
レイラを見つめ彼女への深い愛情を告白をしたのは、さっきまで聖母エヴァに対する贖罪しか言葉にしていなかった養母だった。隣に座る養父も同じ想いだとその目が語っている。
身動きを取ることが出来ないレイラの頬を、涙が止めどなく伝っていった。
キングは立ち上がると厳かな様子で宙を浮き出した。どこからか風が吹いてきて白いマントがはためきだす。崩壊した祭壇がゴミのように散らばっていった。
「レイラ、取引しないか」
「何を?」
「僕の情報を売るんだ、特別顧客に。君しか知らない事を」
「残念だけど、それじゃ時間稼ぎにもならない。今の特別顧客は相当なキレもんだよ。アンタの事も特定してると思う」
「ああ、だから今日の事を話すんだ。特別顧客は君と同じ結論に至り、既に実験を済ませていると考えた方がいい」
「なるほどね。特別顧客でも死神の殺し方は知らないってワケか。それは正しいかもね、キング。知ってたらとっくに乗っ取ってる」
宙を浮いていたキングの目線がレイラを捉える。頷いたキングは確信を持って肯定した。
「その通り。あの時、僕は死神と取引をしたんだ。契約の誤認識が武器の使用を可能にさせた。この可能性がまず1つ。けれども、これだって試してる可能性は高い」
「ハハッ、嘘つきキングらしい発想だね。でもまあ、死神を騙そうとするくらいはやってるだろうね。何なら最初に試してるんじゃない?」
「次は、死神が望んだ場合の譲渡。これは可能だと思う」
「フン……それなら思い当たるフシがあるよ。過去に能力を持つ特別顧客がいたって噂がある」
表情を悟られぬよう一層高く浮いたキングが間を置く。躊躇いを断ち切ろうとする強い声がリビングに響き渡った。
「最後は……僕自身が特異体質だという可能性。いいかい、その全てを報告するんだ」
迷いと困惑。生き抜くことを信条としてきたキングにとって、今の状態はたとえ相手がレイラであろうと見られたくはなかった。一方、レイラにとってキングは弟も同然。彼の戸惑いを察した明るい声色が出るのは自然の摂理であった。
「分かった、取引するよ。見返りは?」
「レイラ、君には生きてほしい。所属している部門を教えてくれないか」
「どちらにせよ私の生存確率は20%ってところね。いいよ、教えてあげる。部門の名前はトロイ。簡単でしょ?人身売買部門がエデン。傭兵部門はトロイ」
キングは床に足をつけると、舌の上に眼球を載せて宣告した。
「レイラ。取引は、成立だ」
三人の記憶が一瞬だけ断絶する。次の瞬間、キングの姿はもう何処にもなかった。レイラは真っ先に里親の元へ駆け寄ると二人を抱きしめた。お互いの無事を確かめ合い、つかの間の喜びを分かち合う。直ぐに養父の沈んだ声が聞こえてきた。
「『ブラックダイアモンド』をあの少年は別の場所に移すだろう。私が動こうか?レイラ」
「おじさんには危険を冒してほしくない。それに……『ブラックダイアモンド』はいつでも強奪出来る状態なんだと思う。情報のばら撒き方に偏りがあるの。私は直ぐに死神がキングだって分かった。分断させて弄ぶ。特別顧客の常套手段じゃない」
「創造主への冒涜は止めなさい、レイラ。今の私達があるのはイブの庭のお陰じゃないか。あの少年がしている事は、私達家族の平穏を侵す行為だ」
「――……そうね」
崩壊して見る影もなくなった祭壇を見やったレイラは、その清々しい気分に蓋をした。
レイラは望んで戦士になった。だからと言って洗脳工作が施されなかった訳では無い。クロエと同じ鏡張りの部屋に幻覚剤を投与され閉じ込められている。教育という名目の洗脳も行われた。
それでも彼女に洗脳が入ることはなかった。
実際、どうやっても洗脳が入らないアダムの子は稀にだが現れた。トロイのボスから贔屓にされていたのも、むしろ洗脳が入らない変わり種だったからだ。そういったアダムの子は、経験を積んで自らが部門を率いるボスとなる。今回のレイラのような失敗がない限りは。
先代のエデンを率いていたボスが、同じ洗脳が入らないアダムの子であった。
粉々になった聖母エヴァ像を、大事そうにかき集める憐れな里親。それでも彼女にとってはかけがえのない家族だ。やっと掴んだ本当の幸せなのだ。
彼らの年老いた背中を見つめたレイラは、トロイのボスとの関係も潮時だと感じていた。
キングはこれからトロイを殲滅しにゆくだろう。彼らも全力でキングを潰しにかかるはずだ。
漁夫の利?上等じゃない。
キングが弟同然だとしても関係ない。
死神が敵に回ろうとも、特別顧客と対立する事になろうとも。
自らの命を捨てる事になろうとも。
私は、家族を守るためならなんだってするわ。
キング。アンタが嘘つきなら、私は鬼かもね。
レイラは、窓越しに映る自分の黒い瞳を見つめていた。
ーつづくー





