未成年
大学2年生19歳、私の門限は21:00。
それは塾の帰りでも大学の帰りでも同じ。
いくら未成年であっても、これじゃあ友達と遊びにも行けない。
それに最寄り駅にある一つの喫茶店。
開店は21:30。当たり前だけどその頃には帰宅してお風呂に浸かっている。
早い時間に灯りがついている時、チラリと店内を覗いたことが一度だけある。
優しそうな女性店員が、楽しそうにテーブルを拭いていた。
店の経営は難しいと聞いたことがあるけれどよほど、楽しい生活を送っているんだなと思った。
ある日の塾の帰り道、電車のダイヤが乱れていた。
―――「人身事故の影響により、約2時間程度の遅れで運行しております」
駅は人という人でごった返し、とてもじゃないが到着した電車には乗れそうにない。
時間は既に20:30、次の電車に乗れないと確実に門限までに家に着けない。
―――「ご案内を申し上げます。現在、前の駅にて列車の点検を行なっております。当駅への到着にもうしばらく、お待ち下さい」
今のアナウンスで一気に周りがザワついた。
スマホを横にして持っていた人も縦に持ち変え、画面をタップする。
「マジかよー」
「ごめん、電車が遅れててさ」
「フザけんなし」
あちらこちらから似たような言葉が聞こえてくる。
どうやらみんな、思うことは同じらしい。
私もお母さんにメッセージを送っておかないと。
門限である21:00は確実に過ぎる。しかしこれは私のせいはないから、親も怒らないだろう。
思ったとおり、お母さんからの返信は「気をつけて帰ってきて」だった。
最寄り駅に到着したのは23:00になる頃だった。
普段ならとっくに夕食を食べて部屋で寛いでいる。
結構な人が駅を降りて、みんななんとなく足早だ。
(そうだ、喫茶店!)
私は足元に気をつけながら、最大限の速さで階段を駆け下りる。
(よかった、灯りついてる!)
ドアから一度、店内を覗いてみる。
前に見た女性店員と、見たことのない男性店員だけが居るみたい。
(……よし、入ろう!)
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
女性店員の声は柔らかで、その言い方だけで優しい人だと解った。
一度だけ覗いたあの日、女性店員が拭いていたあのテーブル。私は迷わずにそこのイスに座った。
メニューは何があるんだろう?
駅にある喫茶店だもん、紅茶でも500円ぐらいするのかな?
お母さんが夕食を準備してくれているから、デザートだけでも食べたい。
そんな事を思い募らせながらメニュー表を見る。
「えっ」
「どうかされましたか?」
思わず発してしまった声に、女性店員がいち早く駆け寄って来た。
「メニューってこれだけ、ですか?」
「はい」
私の問いかけに女性店員は慣れたように頷いた。
メニューは飲み物がコーヒーと紅茶と、それに麦茶と緑茶だけ。
嘘でしょ?こんな喫茶店があるの?
来るのを楽しみにしていただけに、なんだか裏切られた気分だ。
それに私はブラックコーヒーやストレートティーのような苦みのある飲み物は苦手だ。
せっかくなのに麦茶で済ませるなんて、ちょっともったいない気もする。
「あの、飲み物……ミルクティーってできませんか?それかコーヒーを甘く……」
「こちらの砂糖やミルクをご自由に淹れていただいて大丈夫ですよ」
指差された方を見るとリボンが飾られたカゴの中に、友達がよくファミレスのドリンクバーで使っている物が入っている。
そうか、自分で甘くしたりするんだ。……でも何個を使えばいいんだろう?
ファミレスに行っても私はいつも水で済ませてしまうからなぁ。
「私のブレンドでよろしければ、こちらを使ってミルクティーにしましょうか?」
「本当ですか!?」
言葉に詰まっていたのがバレてしまったんだろうけど、やっぱり優しい人だ。
女性店員はニコッと微笑んでくれて、「大丈夫ですよ」と言い残してカウンターへ向かった。
メニューの少なさには驚いたけど、来たかった喫茶店に来れたんだ。
イスに深く腰掛けて店内を見回す。
壁掛け時計はローマ数字の振り子時計、置かれている雑貨類はアンティークな物だ。
(あのクマ、可愛いな)
客は私1人、せっかくなら近くで見よう。
向こうに飾られているクマのぬいぐるみが目について、私は立ち上がって真っ直ぐにそちらへ向かった。
茶色のクマのぬいぐるみは、首に真っ赤な宝石をぶらさげていた。
「お待たせしました。砂糖が1つと半分、ミルクが2つ入ってます。足りなければお好きなだけ足してくださいね」
「はい、ありがとうございます!いただきます」
高価そうなティーカップから甘いミルクの香りが漂う。
来たかった喫茶店の優しい店員さんが、メニューに無い飲み物を、私のためだけに用意してくれた。
「美味しい……!!美味しいです!スッゴく!」
「喜んでもらえてよかったです。今日は何か、イイ事はありましたか?」
「いい事ですか?ここの喫茶店に来れたことです」
「ウチのお店に……?」
「私、19歳なのに門限が21時なんです。ここって開店が21:30だから来れなくて。ずっと来たかったんです」
「そうだったんですか。でも今は……」
店員さんにつれられて時計を見ると、23:15になるところだ。
「今日は電車がかなり遅延していて、人が溢れて電車が来ても乗れなかったんです。親には連絡してあるから大丈夫です」
「それならいいですが……。門限は随分と早いんですね」
「そうなんです!高校生の頃は20時だったんですよ。お小遣いは貰ってるけど、塾も行ってるから友達と遊べなくて。友達は門限なんか関係ないって言うんですけど……お父さん、怒ると面倒くさいし」
「門限を過ぎるとお父さん、怒るんですか?」
「「世の中、物騒なんだからちゃんと帰れ」って言われます。店員さんは門限とかありました?」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
いくら客と話すのが好きとはいえ、内容にもよるだろうに。
店員さんは嫌そうな表情をしなかった。
「私も高校生の頃は20時でしたよ。高校卒業後はすぐに働きだしましたから、門限はありませんでした」
「そっかぁ……。20歳になったら門限、なくなるかなぁ?」
「話してみるのもアリだと思いますよ」
「話す?」
「親御さんと。友達と遊びたいこと、ちゃんと伝えた方がいいです。親子でも所詮は他人ですから、話さないと解らないです」
「……私、店員さんと……おねえさんと話したいです」
「私ですか?」
「親と話してもいつ門限がなくなるか分からないし、しばらくは来れないだろうし。お話したいです。……ダメ、ですか?」
「……では15分だけにしましょう」
おねえさんは一度、カウンターへ戻るとグラスに麦茶を淹れて戻ってきてくれた。
おねえさんは本当に楽しそうに私の話を聞いてくれた。
大学のこと友達のこと。ほんの少しだけを話しただけで、15分はあっという間だった。
「続きはまた今度にしましょう」
「今度、来た時も話してくれますか!?」
「もちろんです。私はお客様とお話するのが好きなんです。今度はきちんと門限を守って帰れるように」
「はい!お父さんにも相談してみます!そうだ、会計……」
「代金はいいですよ」
「え?でもわざわざミルクティーを淹れてもらったし……」
「「ウチのお店に来たかった」、それだけで十分です。だから今回は特別です」
おねえさんはそう言って、私を見送ってくれた。
おねえさんと話した15分間は、夢のようだった。
門限がなかったら、毎日でも通いたい。それほどに私には居心地のいい空間だった。
お父さんとお母さんに、門限について話してみよう。それでその報告をしに行こう。
「『親子でも所詮は他人』、か……」
彼女は真新しいお菓子の封を開けながら呟いた。
「当時の私が聞いたらなんて言うかな?」
「「血が繋がってるから他人じゃない」とか言いそう」
彼はフッと頬を緩めた。
「たしかに」
彼女もつられて頬を緩めた。
読んでいただき、ありがとうございました。