G〜ゴキブリとの邂逅〜
ピンポーン。今日もチャイムが鳴った。
「はいはーい、ってどうしたんですか先輩。」
立っていたのは予想通り、お隣に住む先輩だった。予想と違ったのは、先輩が顔面蒼白だったという点。
「後輩くん、ついに出たんだよ…。」
「出たって何が?」
青ざめた顔で訳のわからないことを呟く先輩。この真冬にお化けと言うのであれば、いささか季節はずれ過ぎやしないだろうか。
「G。」
「Gって…。ああ、ゴキブリでたんですか。」
ふるふると首肯する先輩。いやGって。『名前を言ってはいけないあの人』じゃあるまいし。普通に言えばいいのにな。珍しく怯えている先輩を見ながらそう思った。
サンダルをつっかけ、隣の部屋へ。ドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。
「帰ってきたら、カサコソって、音が奥の部屋の方に…。」
先輩はさっきからずっと俺の上着の端っこを握っている。正直、邪魔だから辞めて欲しい。
「そんなに苦手なら俺の部屋で待ってれば良かったのに…。」
「君の部屋にも出るかもしれないだろ!隣なんだから!」
「いや、僕の部屋は先輩と違って片付いているので出ないっすよ。」
「私の部屋が汚いって、そりゃまぁ、そうだけど…。」
言葉にいつものキレも覇気もない。どうやら本当にゴキブリが怖いらしい。先輩の女性らしい面が見れて、なんというか、とても新鮮だった。
パチ。
電気をつける。
「お、思ったより綺麗ですね。もっとゴミ屋敷かと。」
「そんなこといいからGは??」
「いや、褒めてるんですって。この前片付けてからちゃんとキープしてて偉いなって…あ。」
僕の言葉にびくりと先輩が反応して、より一層上着の裾をぎゅっと握る。つられて襟元が締まった。
「いた?いたの?」
「ちょっ、苦しいですって…。先輩、新聞紙かなんかあります?」
「あ、えっと、そこの棚の中に2、3部あったと思うけど…。」
「了解です、先輩、とりあえず手離してもらって…。はい。そのまま動かないでくださいね。」
棚の2段目からどこかの朝刊を取り出して、筒状にくるくると丸める。よし、まぁこんなもんか。
先輩はまだキョロキョロと見回している。どうやら見つけられていないらしい。ま、あれだけ嫌いなんだったら見ない方が好都合か。
当のゴキブリは、壁際の床の上でフリフリと触覚を動かしていた。急に電気がついて驚いているのか、それとも気配を察知して警戒しているのか。
後ろからそっと近づいて、間合いに入る。ゴキブリはまだ動かない。それにしてもまぁ、立派な個体だこと。前羽が室内の明かりを反射してツヤツヤと光っている。
特にお前に恨みは無いが、ここに出たのが運の尽きだと思ってくれ。じゃあな。
右手を振り下ろす。
スパァアンと、乾いた音が響いた。
「先輩、はい、どうします?」
まだピクピクと足が動いているゴキブリのついた新聞紙を見せると、全力で睨まれた。その殺意があったら、ゴキブリ1匹始末するなんて余裕だろうに。
「いやぁ助かったよホント。一時はどうなることかと。」
「そんな大袈裟な…。」
「いやいやそんなことないよ、ここに越してきてから初めてGと遭遇したもんだから、もうどうしていいものかと…。」
「ああ、それであんな慌てふためき方を…。でも意外でした、先輩にも苦手なものとかあるんですね。」
「君は私をゴリラか何かだと思ってる節がないかい?」
「そんな、まさか。」
じっとりとした目で見る先輩の前で手を振って誤魔化す。
「でもこれで一安心だ。君にも感謝しなきゃね。しばらくはご飯たからないようにするよ。」
「感謝の前提が間違ってるんだよなぁ…。」
持っていってくれと頼まれたので、仕方なく新聞と亡くなったゴキブリの入ったビニール袋を持ってつっかけを履く。
「ああそうだ、先輩。」
「ん?」
ニコニコと上機嫌な先輩。
「ゴキブリって、1匹いたら100匹はいるらしいですよ。」
先輩の顔から、再び血の気が引いた。