去り際
「楽しかったなぁ」
夜の電車で一人きり、私はそっと呟いた。
たんたんと別れたのは、学校最寄駅の構内でのこと。私は上り線、彼女は下り線の電車に乗り込んだ。
ガタコン、ガタコン。
ゆらゆらと揺られながら、私はたんたんの言葉を思い出す。
『――気をつけてね、むかいちゃん』
彼女は確かに、そう言ったのだから。
――学校最寄駅構内。上り線と下り線に向かう階段が分かれているため、利用する電車が違う私たちは、強制的にここで別れることになる。
「今日はありがとう。また明日ね!」
そう言って笑い、ホームに向かおうとした、その時。
「……ねえ、むかいちゃん」
その一言に、引き留められた。
「なあに?」
「むかいちゃんって、どこの駅で降りるの?」
眼鏡の奥にある目に、興味と真剣さの両方が見えて、ちょっとだけ戸惑った。なんだか、いつものたんたんとは違う気がしたから。
「夜見月駅、だけど?」
答えると、興味の色がすっと消える。つまり、彼女の目に残っているのは……。
「……あそこか。いや、上りホームだから大丈夫だとは思うけど……でも。
むかいちゃん。夜見月駅には、こんな『噂』があってね」
楽しげに噂話を繰り広げるたんたんじゃない。真顔で知識を披露するところなど、見たことがない。
「『夜見月駅の、夜の下り線ホーム、その北側には近づいてはいけない。もし近づいてしまうと、赤い目の怨霊が仲間を増やすために、突き落とそうとしてくるから』」
一瞬、空気が凍りつくような、そんな錯覚を覚えた。
「――気をつけてね、むかいちゃん」
暑いはずなのに、ざわざわと鳥肌が立つのが、分かった。
けれど。
「……まあ、むかいちゃんが使うホームは上りの方だろうし、大丈夫だと思うけどねー!」
自分で話を切りだしておきながら、話の雰囲気を一気にぶち壊したたんたんは、楽しげにからからと笑い、「それじゃ、またね!」とこちらに手を振り、下り線ホームに続く階段を上っていった。その後姿に私は、慌てて「またね!」と返すことしかできなくて……。
『次は、夜見月駅、夜見月駅。お出口は、左側です』
車内アナウンスが流れてきて、現実に引き戻された。
もう駅に到着するのか、十分ってあっという間だよなあ、なんて考えながら降りる準備をして、立ち上がる。
扉が開き、下車。
えみちゃんを探して辺りを見回すけれど、やっぱりいなかった。いつものことだから、もう半分くらい諦めているのだけど……それでも少し、寂しい。
そうこうしているうちに電車が少しずつ遠ざかり、下り線のホームがよく見えるようになった。
『夜見月駅の、夜の下り線ホーム、その北側には近づいてはいけない』
たんたんの声が、ふと蘇る。向かい側のホームに視線をやると、確かに南側のほうに人が固まっている気がした。……あの『噂』のせい、なのだろうか。
――下り線ホームで、電車の接近を知らせる音楽が鳴る。
ホーム北側を見てみると、そこに、一人の男性が突っ立っていた。スマホをいじり、周囲のことはまったく気にしていないらしい。
その背後に佇む、黒い影。
線路に、下り電車が滑り込んでくる。
すると、黒い影は、次の瞬間。
男性を、ホームから、突き落とした。
目の前で、人間が肉塊に変わっていく。
周りは騒がしくなっていく。けれど、私はその音が遠ざかっていくような気がした。
だって、だって。
信じたくない。
目の前が真っ白になっていく。
赤い目を光らせていた黒い影は。
短い黒髪を揺らし、白いセーラー服を身にまとったあの影は。
朝、一緒に笑いあっている、えみちゃんだったのだから!




