8話 『オープン戦の表と裏』
NPBでは開幕前に、オープン戦と呼ばれるレギュラーシーズン開始前の調整試合が実施される。
正式名称を「春季非公式試合」。
ペナント本番と違い、セパに分かれる事なく12球団が入り乱れて試合を行う。
非公式試合ながらも観客は入れるし、成績はNPB公式のサイトに記録される。
DHの有無、延長戦の仕組みなど、シーズンとの差異もあるが、このオープン戦が選手にとっての最大のアピールの場である。
常に絶対的なレギュラーになっている者以外は、まずはオープン戦に第一の調子を合わせ、開幕一軍ひいては開幕スタメンを目指すのだ。
それが表向きのオープン戦。
しかし、そこには決して大っぴらにはされない裏側が存在する――
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クールダウンを終えた国奏淳也は、日陰となった球場のスタンドで休憩をとっていた。
と、そこへ近づく影が一人。
「おぅおぅ調子はどうだ? 国奏」
「柿中さん! お世話になってます」
柿中直人。
現役時は神奈川ドラーズや埼玉西京ウルフェンズでプレーした男である。
引退後は、神奈川ドラーズのスコアラーとして活躍している。
「どうだ? オウルズは馴染むか?」
「えぇ、思った以上に活気があります。昨年最下位だったなんて信じられませんよ」
「フラれたこっちとしちゃ耳が痛いね。最下位チームの方が魅力があると思われたんだから」
「はは。すいません」
国奏は苦笑しながら答えた。
FA宣言した国奏に神奈川ドラーズが声を掛けてくれたのは、柿中の働きがあったからだ。
現役だった頃、柿中はドラーズからFAでウルフェンズに移籍した。
そこで当時まだ若手だった国奏は、彼に随分と世話になった。
「今日は偵察に?」
「おう、しっかりとライバル球団の新戦力は分析しとかねぇとな。お前のピッチングも見てたぞ」
ガハハと笑った後、柿中はしばしの間を置いて、真剣な顔で国奏を見た。
「お前、わざと打たれただろ?」
「……やだなぁ。何のことですか? 今日のホームランの事なら、球が甘く入っちゃったのを上手く運ばれただけですよ。相手の打者が上手かったんです」
ドカッ、と柿中は国奏の隣に座った。
「俺はよぉ。お前を昔のよしみとかそういう情で球団に獲得を進言したわけじゃねーんだよ。しっかりとスコアラーとして分析して、間違いなく戦力になると思ったから穫れって上に言ったんだ」
「俺の去年の成績なんて、登板数以外は褒められたもんじゃないでしょう?」
「全体で見れば、な」
「…………」
「今日お前からホームランを打った奴は、去年ブレイクしてシーズン後半からラビッツの6番に座った男だ。今シーズンはレギュラーとしてラビッツ首脳陣からも期待を掛けられている」
「凄いじゃないですか。あの子はまだプロ3年目でしょ? それで伝統ある球団のレギュラー候補だなんて」
「あぁ、凄ぇよ。だからこそ、今年は絶対通用しない。壁にぶち当たる。一度活躍した選手ってのは、何から何まで丸裸にされて、弱点があればそこを攻められまくる」
その言葉には、何とも言えない重みがあった。
恐らく、現役時代の柿中もそうだったのだろう。
そしてそれは国奏も同じだった。
「全員が全員そうってわけじゃないでしょう。デビューからずっと活躍し続ける人もいますよ」
「あいつは違う。断言できる。選手として不器用なうえに、余りにも明確な弱点があるからな。……というか、お前が知らねぇ筈ないだろ。去年の日シリで戦ってんだから。相手チームの情報くらいは渡された筈だ」
「いやぁ、そんなのサヨナラホームランのショックで忘れちゃいましたよ」
たははと頭を掻きながら国奏はそう言った。
「じゃあ教えてやるよ。インハイ高めの半速球の判断が全くつかない、これが弱点だ。相当コーチやOBから指摘されたんだろうな。可哀想に去年の最後の方はインハイを意識しすぎて得意な外角にも手が出ていなかった。そして、この傾向はオープン戦を分析した限り変わっていない。お前はそんな選手に、わざわざ唯一と言っていいぐらいのホットスポットへ失投を投げ込んだ」
柿中は小さく息を吐いた。
「エゲつねぇな。期待の若手にわざと打たせてシーズンで使わせようだなんて。少なくとも今年移籍したFA戦士のやる事じゃねぇ」
「…………」
柿中の言っている事は真実である。
今日のオープン戦。昨シーズンセリーグ1位のラビッツとの試合。
国奏は相手の選手に対し、わざと得意コースに失投を投げた。
当然、そんな事をすれば打たれる。
なら何故そんな事をするのかというと、それは柿中の言った通り、実力が伴わない選手をシーズンでも起用させるため。
前年度活躍した期待の若手、キャンプで評価された大物ルーキー。
そういう選手は、首脳陣も使いたがっている。だから、少しの結果を出させてやれば、弱点があっても起用されやすい。
元来、球団の選手育成とはそういうもの。選手は試合に出る事によって何が足りないか自覚し、それを補い成長していく。
そして、その塩梅を決めるのは監督の手腕にかかっている。極端に育成に振りすぎると、そのシーズンの順位を犠牲にする。
逆に若手を全く使わないと、今はいいかもしれないが数年後に衰えた主力の後釜が誰もいないなんてことになり得る。
この配分を上手く行える監督こそが、名将と呼ばれ黄金時代を築いていく。
そんな首脳陣の習性を利用した盤外戦術。オープン戦に隠された裏の顔。
開幕前に打ちまくった選手が、シーズンでほとんど結果を残せていない場合は大抵これをやられている。
「別に文句があるわけじゃねぇ。"撒き餌"自体はどこでもやってるような事だ。ただな、"撒き餌"にもやる監督とやらない監督がいる。オウルズの真野監督は間違いなく後者だ。つまり、これはお前の独断じゃねぇかと俺は思っている」
「…………」
「そんな事を自発的にしてまで、チームの順位を上げようって奴が、何故うちの誘いを断った? どうしてオウルズを選んだ?」
柿中の目が鋭く細められ、国奏を捉える。
「お前は何を求めてオウルズに入団した?」
柿中は問う。
何故そこを選んだのか、と。
それに対し、国奏は当たり前のように答えた。
「ウルフェンズに勝つ為です」
言葉を受けた柿中は顔を顰める。
「おいおい。それなら余計ウチに来るべきだっただろう。言っちゃあ何だが、オウルズは明らかにドラーズより弱い」
「でしょうね。今は」
「…………」
「ドラーズは強いチームです。それは間違いない。でも、それだけじゃウルフェンズには敵わない」
国奏の言葉を聞き、柿中は大きく息を吐きながら背もたれに体重を預けた。
「ウチだって日本一になる為にチームを作っていってる。一体、何がオウルズと違うってんだ?」
「まぁ、色々ありますが……一番は、似ているってことですかね」
「似ている? 何に?」
「強くなる前の、ウルフェンズにです」
柿中は目を点にした後、失笑した。
「オウルズはフロントも首脳陣もあそこ程効率的じゃないぞ。選手層だって薄い。俺には似ているようには見えないけどな」
「まぁ、普通に見たらそうでしょうね。だからこれは、一番近くでウルフェンズが強くなる過程を見てきた、俺の選手としてのカンみたいなものです」
「カン、ね。"黄金の第一世代"か……」
"黄金の第一世代"
ウルフェンズの主力を多数生み出した10年前の大当たりドラフトの事である。
1位近郷を始めとした不動のレギュラーを4人獲得し、このドラフトの大成功があったからこそウルフェンズの黄金時代は始まったと言われている。
国奏も、ドラフト6位でこの世代に一応含まれる事になる。
「初めはひでぇもんだったよなぁ、チームもお前らも。スカウトと編成はこんな高卒ばっかとってきて何考えてんだって思ってたわ」
「柿中さんが投げてた時は、より悪かったですね。近郷も佐原もエラーしまくってたし」
「全くだ。それに、お前にも何度か勝ちを消されたぞ。あれなけりゃ通算100勝に届いてたかもなぁ」
「うっ、それは申し訳がないというか……」
「冗談だ。んな昔の事気にしてねぇよ」
ひらひらと手を振ってあしらう柿中を見て、国奏は心の中で笑った。
こういうところは変わっていないな、この人は。
先発投手にとって勝ち星というのは非常に重要なものだ。
年棒にも反映されるし、何より選手にとっての大きなモチベーションになる。
球団をどれだけ勝たせたかが一目で分かる数字。
この数字を積み重ねる事は、先発投手にとっての一番の目標なのだ。
自分の勝ち投手の権利を後続に消される、という事がどれだけ辛いのかは元先発の国奏にもわかる。
そして、柿中は元々先発だがキャリア最後は中継ぎの役目を受けていた。
つまり、彼にも勝ちを消してしまった中継ぎの気持ちが分かる筈で。
分かっていて、こうして弄ってくるのだ。
現役の頃から変わらない、彼のこの距離感が国奏には心地が良かった。
柿中が腕を組んで、語り始める。
「俺が引退する前年、急にお前らの雰囲気が変わった。初めは近郷。それに連れられるように佐原、上原、水瀬……。お前らは以前とは別人のように練習に取り組み始めた。成長し始めた。チームの空気が明らかに変わった」
語るその目は、昔を懐かしむかのようだった。
「今まで勝てなかったチームが、嘘のように勝ち始めた。それなりに長く現役をやったが、初めて見たよ。一人でチームを変えた人間を。勝ち方を忘れたチームに勢いが宿った瞬間を」
「はい。俺も、あいつ程の天才は見たことがありません」
「……なぁ、国奏。いるのか? オウルズには近郷愁斗が」
その目は、今まで国奏と語らってきた元プロ野球選手柿中のものではなかった。
そこに宿るのは、ドラーズのスコアラーとして他球団の情報を集める男の瞳だった。
「まさか。あんな化け物は簡単に転がっていませんよ」
柿中は未だ疑惑の目線を下げない。
それほど警戒しているのだ。オウルズでも国奏でもなく、近郷という選手の影法師を。
「本当です。ウルフェンズの躍進は、近郷という怪物を中心に、多くの若い才能が集まったからこそ生まれた勢いです。例えオウルズに同じ現象が起きたとしても、ウルフェンズほど急激に強くなることはないでしょう。ただ……」
「ただ?」
「オウルズには、もしかしたらがあるかもしれない――ただ、それだけの理由ですよ」
日刊ジャンル別の三位に入っておりました。
皆さんの応援のおかげです。感謝、感謝です。