45話 『Ghost Strike』 Ⅲ
優れた投球は、必ず打者を恐怖させる。
ただ球速が速いというだけの球に、バッターは恐怖を覚えない。
例え変化球でも、140キロのストレートでも、高強度の質が確保されていれば、受ける打者はその投球に怖さを感じ、タイミングを逸し、後手に回る。
J.Tハミルトンの投球は、正しくその強さが備わったものだった。
9回表、オウルズビハインド。
打席に立つのは、今季ブレイクした島袋。
すなわち上位打線からの始まりであり、打順の巡りとしてはオウルズ有利。逆転の可能性は残されていると言ってもいい。
当然、島袋自身もトップバッターという事で相応の集中力を保ち、打席に入った。
大舞台こそ雰囲気は流れを後押しする。
現在、球場はセーブ王の降臨により完全にウルフェンズの雰囲気になってるが、自分が出塁すれば、これをひっくり返せる。
前日も、自軍の選手が打ち取られたのを目の前で見ている。
良い投手である事は分かっている。
簡単に打てない投手である事も重々承知している。
だが、今の場面。日本シリーズ。ここまでチーム一丸で戦ってきた集大成。
相手が良いからと諦める訳には行かない。
(とにかく、出塁する。ほとんど直球だけなのは分かってる。なんとかバットに当てて粘れば必ずチャンスは作れるはずだ!)
ヒット、四球、振り逃げ、エラー。
何でもいい。
とにかく食らいついて、デッドボールを貰ってでも塁に出る。
島袋はそういう覚悟で打席に立った――筈だった。
初球である。
ハミルトンは非常に外国人らしく1球目を投じた。
沈みこまないフォーム、日本的に言えば所謂立ち投げに近いモーションで、横振りに近い位置からストレートを放った。
右打者の内角をえぐるクロスファイヤ。
それが一瞬。時間にして約0.43秒の後。ミットに収まる。
アンパイアのストライクコールを叫ぶ。
打者である島袋は、そのコールを仰け反った状態で聞いた。
(なんッ――だ、今のは……)
そう、『仰け反る』
ストレートインコース。
体に近いとはいえ、間違いなくストライクコースの直球に対し、明らかに身体を反らし、避けようとしていた。
サイドに近い左腕が投げる150超えの直球。
今まで見た事がない軌道。質。威力。
そして何より――リリースポイントが全く分からない。
見えないのだ。いつボールが手から離れたのか。
見えなければタイミングを合わせられない。
島袋には、マウンドのハミルトンが腕を振り下ろした数瞬の後、ボールがバッターボックスとマウンドの半分を通過した時、初めてその軌道の影が見えた。
そして、気付けば彼は身体を反らしていた。
見えない硬球が、150㎞/hを超える速度で、自分に向かってくる。
生物として当たり前の恐怖。プロに入るまでの練習と野球人生の積み重ねによって克服していた筈の、最初の恐怖。
それが強制的に呼び起され、島袋の身体を仰け反らせた。
(これは、無理だ……1度や2度の打席で対応できるレベルじゃない)
現代野球は球速という分野において、確実にインフレーションが発生している。
150を投げる投手は増え、日本においても平均球速は145km/hを超えようかという時代にまで来ている。
中継ぎに限定した場合は、更に平均球速は跳ね上がる。これからも投手の球速は、人類の骨格が達成できる限界にまで上がり続けるだろう。
この速球時代、打者は当然対応を迫られる。適応できない者は淘汰され、直球を打ち返せる打者がプロの世界に残っていく。
島袋は直球に弱い打者ではない。
むしろ150km/h以上の球速帯に対しては今季.343、OPS1.074と高い成績を誇っている。
速球を打ち返せるからこそ、良い成績を残せたと言ってもいい。
島袋自身も、ストレートへの対応にはそれなりの自信を持っていた。
しかし、実際に打席に立ち相対したハミルトンの直球は、他の投手のそれとは異なりすぎていた。
イメージの乖離。想定していない軌道。
初めて見るレベルの“特殊球”に初見で対応するのは至難の業だ。
2球目。
相手打者の動揺が収まるまで投手は待ってはくれない。
だからこその好投手。ハミルトンは初球とはまた違うタイミング、クイック気味のモーションで直球を投じてきた。
真ん中高め。ボールゾーン気味の155㎞/h。
島袋のバットは空を切った。
(……クソッ!)
立ち遅れ。着払い。
まず、タイミングが致命的に合っていない。
どのタイミングでバッティングを始動させればあの直球に合うのか把握できていない。
そんな状況でバットにボールが当たる訳がない。
3球目。
アウトロー。コースぎりぎりのパーフェクトボール。
島袋はどんなボールが来ても振るつもりだった。しかし、手が出なかった。
余りに無様な、三球三振。
レフトスタンドからは溜息が、ライトスタンドからは溢れんばかりの歓声が上がる9回裏の第一打席。
抑えるべき投手が、完璧に敵を抑える。
クローザーの完璧な投球は、その日の結末を決定づけた。
◇
1番と2番の打者が目の前で三振する場面を見て、3番を打つ杉宮は本日の最終打席に入った。
マウンドに立つハミルトンとの対戦は、これが初めてではない。
まず交流戦で1度。それと前日の9回にも、杉宮はハミルトンと対決している。
実際に球筋を見ている分、相手がどれほどのボールを投じてくるか感覚で分かっている。
そして、対戦経験がある分、より分かる事もある。
(……絶好調って感じだな)
――――今日のハミルトンの出来は、今までで一番良い。
傍目に見ていても、それは分かった。
自分が対戦した時より、明確にボールのキレがいい。
2つの対戦打席の結果は、三振1つとセカンドゴロ。
その時も特殊なフォームと球筋に苦戦している。
考えたくない事だが、どうやらあの時は本調子ではなかったらしい。
(まずはタイミングを合わせなきゃ始まらない)
初球、2球目。
杉宮は積極果敢にスイングを仕掛けた。
積極的に振ればそれだけで結果が出るという訳ではない。しかし、今まで合っていない投手に合わせていくには、凡退を恐れずに振っていくしかない。
振らなければ何も変わらず、今までと同じ結果になるだけだろう。
そして、振っていけば何かが変わる。
例えば――――
(――ボール!!)
ストライクとボールの選球であったり。
(痛って! だけど当たった!)
痺れる手が、バットに当たった事を教えてくれた。
打球は詰まったぼてぼてのファール。
インコースのボール球にバットが残った。
(よし……)
いきなり球筋が見えるようになった訳ではない。
しかし、タイミングは合ってきた。
だからこそ、インコースのボールにも体を残してバットを振り切れたし、直球にスイング軌道が合ったのだろう。
(絞れ……コースと球種を絞って、選択肢を狭くしろ)
脳内でイメージするストライクゾーンを、端から塗りつぶしていく。
本来、追い込まれている場面ではゾーンを広げて対応範囲を広くするのが定石。
しかし、このレベルの投手に対して安全策をとっていっても結果は出ないのはこれまでの打席が証明している。
あらかじめ捨てたコースは全て無視する。それぐらいの覚悟を以って振り切らなければ結果は出ない。
(――――! 変化球! 止まる!)
ここに来て本日初めて投げられたスライダーにバットが止まるのも、この割り切りがあってこそ。
ワンボールツーストライク。
ここまでは持ってきた。ここからは読まなければならない。
バッテリーの意図を。今までの内容を踏まえて、何を選択してくるかを。
(あのスライダーは決め球だったはず……今まで直球に合っていなかった打者に対して、それを見逃された水瀬は次に何を要求する……?)
初めて見せた変化球を見逃された。
もう一度同じボールを要求するのか、または違うコースに違うボールを投げ込んでくるのか。
読みが外れれば、間違いなく凡退する。
それがボール球にしろストライクにしろ、杉宮がハミルトンを打つにはその択に正解し続けるしかない。
捕手としての経験。今までの投球傾向。杉宮は思考する。
(――――――――)
一つ前より更に深く。
9分割を黒く塗りつぶし、対応するコースを減らし、好球必打に集中力を高める。
そして――――その1球は来た。
真ん中高めの釣り球。
1番打者の島袋に投じたモノと同じ投球を、ここでも選択してきた。
これこそ、杉宮が待っていた1球。
まだボールカウントに余裕があるうちに打者の目線を上げさせ、低めの変化球で打ち取るための布石球。
それを叩く。
「ッ!」
この回初めて、木製バットが硬球を食う音が球場に響いた。
角度の付いた打球は内野フィールドを超え、センター方向へ飛んでいく。
一瞬、球場に歓声が挙がりかける――――が。
(――ッ! まだ詰まってる。これじゃ伸びない!)
失速した打球は歓声虚しく勢いを失くしていき、最後はセンターフィールダーに捕球された。
第4戦、オウルズVSウルフェンズ。
重要な第4戦を制したのは勢いを取り戻したウルフェンズ。
狼の勝利により、日本シリーズの結果は2勝2敗の混戦模様へ持ち込まれ――――
オウルズが積み上げてきた優位は、完全に消え去った。




