39話 『IF:一番目』 Ⅱ
――――茂木多健一の朝は早い。
まず行う事はランニングだ。
4時半にセットしたアラームを止め、曜日によって決められたウェアを着込み、外に繰り出す。
およそ30分ほど汗を流した後、シャワーを浴び、朝食をこしらえ、身の支度を整える。
すべて完了するのが大体5時30分を回る頃。
その後、彼は仕事場へ出勤する。
どんな状況だろうと、彼がこのルーティーンを崩した事はない。
常に決められた行動から一日をスタートさせる事が、安定した精神を形作る。それが万象における成功の秘訣だと思っているからだ。
故に、今日この日。
日本シリーズという己の仕事の成果が集約する日であっても、彼は変わる事なく、いつもと同じように過ごし、いつもと同じような心持ちで仕事をこなしていた。
ウルフェンズのシーズンはまだ終わっていない。だが、既に来季に向けた球団作りは始まっている。
いや、チーム編成の責を負う身としては、これからのストーブリーグこそが本番である。
シーズン中に彼にできる事は限られている。その前にどれだけ戦力を整えられたか。
その答え合わせがシーズンにおける順位という結果で茂木多の業績になる。
「…………」
夜の8時を回りそうな頃。
ウルフェンズ本拠地球場。
その球団事務所内で、彼はコーヒーを一口飲み、ふぅと一息をついた。
目の前の机には、多くの書類が散らかっている。
全て来季に向けた戦略の材料である。
今現在、ウルフェンズは相手球場で日本シリーズ第1戦を繰り広げている。
しかし、彼はこれを見ない。
自分が作り上げたチームの集大成を見ない。
これは、彼のこだわりである。
選手の実際のプレーや映像を決して自分の目で確認しない。
試合の勝敗はスコアで確認する。
選手の成績は数字のみで判断する。
目で見たと信じ込んでいる内容には、実に多くの偏見が含まれている。
目だけに頼っているとその錯覚に足をすくわれる。
茂木多健一は己の目を信用していなかった。
故に、彼は数字のみで、データだけで選手を判断する。
実際にその選手のプレーを見てしまうと、その判断に偏見という名の雑音が混じる。
“この選手は素晴らしい肉体を持っている”
“見惚れるほど美しく派手なプレーをする”
そう言うスカウトやコーチに、茂木多は必ずこう返した。
『それで、彼らを使えば本当に試合に勝てるのか?』
それが茂木多の答えだった。
「……………………」
しかし、そうは言っても流石に日本シリーズ。
最後の戦いぐらいは試合状況をリアルタイムで確認したい。
ひとまずの休憩をとっていると、そういう気持ちがふつふつと湧いてきた。
彼は手持ちの端末を起動し、試合速報ページを開いた。
普段ならばスコアすら試合中は確認しないが、今日ぐらいは良いだろう。と彼は己のポリシーを少しだけ曲げた。
元々、他人から影響されて始めたこだわり。
彼の尊敬する人物がそうだったから彼も真似を始めただけである。
なので、割と柔軟に曲がるポリシーだった。
サイトページを開いたところ、試合は6回途中といったところだった。
まだ8時なのに随分と早く試合が進んでいるな、というのが最初の感想。
「…………ん?」
そしてすぐに、異常に気付く。
ウルフェンズの得点0。これはまだいい。
だが、ヒットの欄にも0が並んでいる。
(ちっ……何をやっているんだウチの選手たちは……)
見なければよかった、と後悔する茂木多である。
自分の思ったように試合が動いていないと無性にイラつく。こういう受ける必要がないストレスから逃れる為にも、やはり試合なんて見るもんじゃないな、と思う彼は、そのまま“いったい誰に抑えられているのか”程度の気持ちで相手投手の名前を見た。
そして、目を見張る。
そこに表示されていた名前が、彼の想像の埒外であったからだ。
「国……奏? あの国奏淳也か?」
ウルフェンズから“卒業”してもらった選手。
今シーズン、セリーグに移籍しキャリアハイの成績を残したようだが、茂木多からすればもう関係のない選手。
彼は去年時点で年俸に見合わない、“チームに必要ない”選手だと判断した。
その判断を間違いだったとは思っていない。
事実、今シーズンもウルフェンズは問題なく勝ち続けてきたからだ。
そんな彼の名前が確かに、そこに先発投手として記されていた。
茂木多の頭にあったのは困惑。
何故、中継ぎである奴がここで投げている? という疑問。
表記ミス、というのが一番あり得る可能性に感じた。
茂木多は試合を見ていない。試合の情報を遮断していた。
だから、予告先発制ではないこのシリーズ、誰が投げているかなど知らなかった。
もはや詳細を確かめるには、試合の中継を見るしかなく。
彼は目の前の端末を素早く操作していき、ネットの試合中継番組を開いた。
『国奏、またもや三振。これで打者18人連続切り! 未だノーヒット記録は続きます! ……いやぁ、しかしシリーズ初戦に中継ぎである国奏を始まりのマウンドに立たせる事もそうですが、相手が古巣ウルフェンズだというのも奇妙な繋がりというか……このプロという世界のある種の縁を感じますね。今日はあらゆる意味で見どころ満載。さぁ、国奏はこのまま古巣に盛大な“恩返し”を果たす事が出来るのか!? 一瞬たりとも見逃す事はできません!』
真っ先に耳に飛び込んでくる、興奮した様子の実況。
映されるのは、ちょうど6回表を投げ切りベンチに戻る国奏。
「…………」
茂木多は生来にして、頭に血が上りやすい性格であった。
試合を盛り上げるための実況の言ですら、『国奏を切った』自分が馬鹿にされているように感じた。
言いようのない侮辱感が、積もっていく。
がしゃん、と音が鳴った。
放り投げられたコーヒーカップが壁にぶつかり、割れる音だった。
「ふざ、ふざけるな! 絶対に打て! 打ち崩すんだ!」
顔を真っ赤に、唾と共に怒号を飛ばす。
その姿に、辣腕の姿はなく。
己が過ちを認められぬ一人の男がそこにいた。
◇
7回の表、佐原のゲッツー崩れの間に1点を失ったオウルズは、後続をなんとか打ち取り攻撃を断ち切った。
未だウルフェンズはヒットを放てていない。
にも関わらず、沈んでいたウルフェンズは息を吹き返していた。
1点入った。点が入るのならば、何とかなる。
オウルズ優勢の雰囲気は五分まで戻されていた。
「いけるか?」
ベンチに戻った国奏に掛けられた言葉は、一回前と変わりない。
返答は決まっていた。
「はい」
この回の攻撃、国奏に打順が回る。
このやり取りは、オウルズが彼に最後まで試合を任せる事を決めた証拠であった。
そして、試合は進む。
残り2回。打者6人。
この一夜は、確実に終わりに近づいていた。
――――――――
――――
――
喧騒が耳に入った。
今まで聞こえなかった現実が、自分の世界に切り込んできた。
ざわつき、アナウンス、応援歌。
今までシャットアウトしてきた音が、途端に襲い掛かってくる。
国奏淳也は9回表のマウンドに立った時。確かに、夢が覚めていくのを感じた。
今まで感じていた全能感。体を包み込む浮遊感。
何か、別の世界にいた様な感覚が、薄れていく。
「…………」
当然、だと思う。
夢は醒めるモノ。誰だって知っている。
自分が積み上げたモノは嘘をつかない。
今までが異常だったのだ。
積み上げていない、積み上げられなかったモノまで、今日の自分は引き出せた。
これはその特殊な状態が普通に戻っているというだけだ。
「…………」
ふと、心に浮かんだ事がある。
今日この日、オウルズの先発という形でマウンドに立った自分。
思えば去年の日本シリーズ、藤堂にサヨナラホームランを打たれた事が始まりだったような気がする。
あの後、自分の価値を問うためにFA権利を行使し、自身の野球観を揺らがされた。
この試合は、あの茂木多も見ているだろう。
普段は小粋を装い、試合を見て一喜一憂するなどGMではないと嘯いていた男であるが、プレーオフになると必死に試合を確認していたのを知っている。
思わず、笑みが溢れた。
あの偉丈夫が今頃狼狽していると思うと、かつての留飲も多少は下がるというものだ。
ある意味、このIFは茂木多のお陰でもある。
あのままウルフェンズに残っていれば、自分が先発をする事など一度も無かっただろう。
オウルズに移籍し、ここまで辿り着いたからこそ。
特殊な状況下とはいえ、スターティングピッチャーとして、新のマウンドに立つ事が出来たのだ
中継ぎを軽視している訳ではない。
むしろ、自分は中継ぎにしか居場所がないと、そこまで思っている。
だからこそ、この瞬間は特別で。例外なのだ。
背番号20の、オウルズのリリーフエース国奏淳也に与えられた、たった一夜の夢舞台。
あの日のIFを、可能性を見せてくれる幻想のマウンド。
オウルズ首脳陣が考案した、ウルフェンズ打倒の為の一大作戦。
その先達として、国奏が選ばれた。
幸運でも何でもない。
国奏が積み上げ続けてきた中継ぎとしてのキャリア、信頼。それが、彼をこの泡沫のマウンドに連れてきた。
故に、全力を。
一切の悔いを残すな。
今この瞬間に、己の後悔を、未練を、心に燻る全てを吐き出せ。
一球一投。
想いを込めて。腕を振り切り、断ち切る。
――――最後の打者が、バットを振った。
あぁ、これでやっと――――
球場内に高らかなアナウンスが流れた。
試合終了の合図である。
スコアは2‐1。
ノーヒットノーランならぬノーヒット記録。
MLBでは『ノーヒッター』として称えられる記録も、NPBの制度では表立った冠はないものとなってしまう。
しかし、プレーオフ。日本シリーズにおいて、単独投手による無安打完投は史上初めての快挙であった。
失点1。自責点0。球数118球。勝ち投手、国奏淳也。
その日、彼は先発としての未練にようやく幕を下ろした。
これにてオウルズVSウルフェンズの第1戦終了となります。
国奏という野球選手の物語として、一つの区切りという事になります。
割と細かく濃密にウルフェンズを描写してきましたが、それはこの初戦が国奏にとって「ウルフェンズに残した未練、因縁」を解消する試合だったからです。
割とここで終わっても問題ない感じなんですが……ねぇ? これじゃ『リリーフエース』とは言えないしねぇ?
って事で日本シリーズは最後まで書きます。書き方は初期の方のあっさりした感じに戻そうかと思っていますが……(流石にテンポ悪すぎたかな、と反省している)
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