38話 『二番目』 Ⅱ
今回ちょい長。
分割しようと思ったけど止めました。
自身の真上を通過していく打球を見送る事はしなかった。
見なくても分かる。
あの打球音と速度だと間違いなくスタンドに到達するだろう。
(先制された……か)
サードを守る佐原の脳内には、次の打席のイメージが渦巻いている。
先発として踏ん張って抑えてきた天瀬が打たれた。
それを責めるつもりはない。
不甲斐ないのは、ヒットどころか塁にすら出れない打線。いや違う。最も情けないのは打てない自分である。
そんな事は許されない。
チームの4番を任されてもう4年、いや5年か。
思い返せば相当な間、打線の軸を担ってきた。
だから、自分が打たねばならない。
誰も打てない時こそ打つのが4番なのだ。
まだ6回だ。
確実に自分には打席が、チャンスが回ってくる。
その時、確実に。4番の仕事を果たす。
そうすれば、必ず勝てる。
敗北など、許せるものか。
特に今は。
今年こそは、ウルフェンズは圧倒的強さを以って日本一にならなくてはならないのだ。
近郷が抜けた、今年こそ。
◇
7回の表。
これまで全ての打者を打ち取ってきた国奏にとって、ここは正念場となる回である。
19人目の打者はトップバッター。これから打順は3巡目に入り、1番からの上位打線が始まる回。
「いけるか?」
「はい」
6回を投げ切りベンチに戻った国奏と、一軍投手コーチである江藤とのやり取りはそれだけだった。
それだけで十分だった。
『初戦、お前にマウンドを任せる。お前がいけると思うところまで、な』
そう伝えられた時、とても誇らしく思ったのを覚えている。
これは、信頼の証だ。
今まで中継ぎとして投げてきた自分を先発で起用する。
言うまでもないが、相当の度胸がなければできない選択だ。
しかもオープナーでもショートスターターでもない。本来の先発の形として起用する。投げてもらうと、そう伝えられた。
それほど、自分は信頼されているのだ。国奏ならばこなせると。必ず抑えてくれると思って貰えたからこそ、この場面を任された。
嬉しく思わない訳がない。
意気に感じない訳がない。
「…………」
マウンドの上で、バックスクリーンを眺める。
自分の顔写真の横に表示されている球数は、既に80を超えていた。
ピッチングとは、全身を連動させ最高効率で力をボールに伝える作業の繰り返しだ。
それを80も繰り返すと、当然筋肉は疲労する。
その疲労が、フォームを崩す。
作り上げた形。自分に最も適したメカニクスがズレていく。
先発として長い回を投げられる投手は、総じてこのズレに対する対策を持っている。
試合中にもそれを修正しながら投げられる適応力であったり。複数のフォームを作り上げ、疲労度合いによって切り替えたり。
アプローチはいくつかあるが、これらの技術を高いレベルで確立している投手は、現代野球において希少な存在となった“先発完投型”、つまりエースと呼ばれるようになる。
国奏はこれまで完璧にウルフェンズ打線を抑えていると言っても、所詮急造の先発に過ぎない。
実際の試合でどこまで投げられるか。キャリアにブランクがある中で予想を付ける事は難しかった。
つまりは、80球。ここが一つの節目であり、これからが国奏の本当の真価が問われる領域である。
1番打者、球界屈指の巧打者がバッターボックスに入る。
3巡目が始まる。
上原クラスの打者は、どれほどタイミングが外れていようと3打席もあれば修正してくる。
同じチームだった頃は、何度も助けられた。
故に、一瞬たりとも気は抜けない。
本番はここからなのだから。
◇
『ボール!』
7回表、国奏の投じた初球を捕球した杉宮は、ある事に気付いた。
(……ズレてきてるな)
ほんの少しの違和感。構えたコースからボール半分ほど逸れる直球。
別におかしな事ではない。どんな投手だろうと常にミット目掛けて放れはしないのだから。
普段ならば、ここまで気にはならなかっただろう。
しかし、今日の国奏はここまで驚異的なピッチングをしている。
正しく針穴を通すようなコントロールで、抜群の球を投げてくる。
その結果がノーヒット。ここまで続くパーフェクトゲーム。
そのピッチングが、今初めて揺らいだ。
疲労か、それとも気の抜けか。
注意深く観察しても、正直原因は分からない。
その程度のモノだが、この3巡目、相手がウルフェンズ打線という事を加味すると見過ごす事はできない。
「………」
リードは変えない。
ここまで抑えてきた配球を変えるには、今感じた違和感は薄弱が過ぎた。
今まで通りに、インコース低め。打者の膝裏に自分の身体が重なるほどの内角攻めを要求する。
問題ない。今日の国奏ならば。
これまでの国奏ならば、確実に投げ切れる。そう確信して。
だが。
「――――ッ!」
投じられた球はミットとは逆に。
打者の内角ではなく、外へ。
すっぽ抜け。
この試合で初めて。国奏が明確な失投を投げた瞬間だった。
反射的にミットを左へ出し、捕球する。
(あっぶねぇ……! 外れてなかったら確実にいかれてたぞ……)
カウントはツーボールノーストライク。
(――――どうする? マウンドへ行くか?)
しかし、まだ打たれた訳ではない。
今失投したとはいえ、国奏は間違いなく調子がいい。
それに今の段階で介入すべきか否か。
乗っている投手にむやみやたらに口を挟む事は逆効果になりやすい。
(今は、まだ……行くべきじゃない、か)
跳ね上がった動悸を整えながら、マウンドへ返球する。
悩んだ末、杉宮はまだ静観する事に決めた。
ミットを構える。
問題ない。まだボールの球威は落ちていない。
ここまで散々コントロールを見せつけてきたのだ。
多少甘く入ったところでジャストミートされる可能性は低い……筈だ。
しかし、3球目、4球目。
先ほどよりはコースに決まっているが、ストライクゾーンには決まらず。
打席の結果は、フォアボール。
国奏はこの試合初めて、ランナーの出塁を許した。
球場全体の雰囲気が、一気にウルフェンズ側に盛り返し始める。
たった四球1つであるが、それでも確かに出塁した。
直前には、均衡を破るホームランも出ている。
試合が動き始めた事は誰の目から見ても明らかだった。
こうなってしまっては、躊躇う必要はない。
杉宮はすかさずマウンドへ向かった。
「国奏さん。疲れてます?」
「……いや明け透けだなお前」
「だって、それ以外言いようがないでしょ? で、どうなんですか?」
「まぁ……そりゃちょっとは疲れてるが」
少しばかりバツの悪そうな表情でそう言う国奏に、杉宮ははっきりと言い放った。
「あぁ、やっぱそう思ってるんすね。それ、気のせいです」
「は?」
「国奏さんの球威は一切衰えてないです。自分で勝手に思い込んで制球乱さないでください」
いやそんな訳……と国奏が言い返す暇もなく、杉宮はマウンドから離れようとする。
「とりあえず、パーフェクト消えたんですからノーヒットとか気にしないで投げ込んできてください。思い切り腕振れば打たれませんよ……国奏さんなら」
最後の言葉に少しばかり気が抜けた顔をする国奏だったが、すぐに小さく笑い直す。
確かに、杉宮の言うとおりだ。
自分は意気込み、気張りすぎていたかもしれない。
必ず相手を抑えなければならないと、必要以上に制球に拘っていた。
あの最強打線を相手にするなら、自分以上を出さなければならないと勘違いしていた。
そうではない。お前の球を投げ込めば、小手先抜きに抑えられると。
あの後輩はそう諫言してくれたのだ。
ロジンを握り、心持ちも仕切り直す。
この試合で初めて走者を背負ってマウンドに立つ。
必ず相手は何か仕掛けてくるだろう。
だからこそ、ここからは自分の球を信じなければならない。
信じきれなければ、足元から何もかも持っていかれる。
今まで散々見てきたじゃないか。
一瞬の隙を見つけ、狼のように相手を噛み殺す。
ウルフェンズはそういうチームだ。
いずれにしても、この回。
ここは間違いなく、この試合の最も大きなターニングポイントになると。
球場にいる誰もが、それを感じていた。
◇
常勝球団ウルフェンズ。
その中心は間違いなく野手陣である。
史上最強の打線とも称されたその得点力は、同時期に存在する他球団を一切追随させない破壊力を以って、球界を蹂躙した。
近郷が抜け全盛期から既に落ちたとはいえ、未だにあらゆる打撃指標で上位を独占。
今年も100打点超えが3人打線に並び、他球団の防御率を破壊していく様はもはや風物詩。
しかし、そうなると当然出てくる疑問がある。
“その最強のウルフェンズ打線の根幹となっているのは何なのか?”
“一体どうやって、これほどの得点力を獲得したのか?”
この問いが野球に関わる界隈で囁かれ始めるのは当然の事だろう。
これに「将来的に強打者となる優秀な素材を獲得したから。つまりはスカウティングが優れていたからだ」と答えるのは余りに安易で、芸がない行為だ。
何故なら、球史において強打者が並んだ打線などいくらでもある。
数多のタイトルホルダーが並ぶスタメン。途切れることのない高打率のマシンガン。各球団の4番を並べた超重量打線。
見かけ上の数字ならば、ウルフェンズに並ぶチームはいくつもあった。
ただ、打線に5人も100打点超えを生み出したチームは存在しない。
それは何故か?
ただの偶然。数字の妙。そんな事はあり得ない。
必ずそこには隠された要因があり、それこそが狼を弱者から残虐な狩猟者に変えたのだ。
その答えを求めた多くの有識者は、ウルフェンズを徹底的に分析した。
それぞれに重視する項目があり、それぞれが千差万別のアプローチを用いてウルフェンズを研究した。
そうして生まれた多数のレポートは、総じてある一つの要因を“ウルフェンズの核”として暴き出した。
幻影のように姿を見せず、しかし確実に相手を殺す要素。
圧倒的な打棒に隠された真実の得点機構。
それは――“走塁”である。
盗塁のように数値化されておらず、目に見えて目立つ事でもない。
しかし確かに。『走塁意識』、確実に狡猾に“次の塁”を落とさんとする意識は、如実に得点効率を上昇させる。
今から5年ほど前、ウルフェンズは一人のコーチを雇った。
南屋浩平走塁コーチ、52歳。パリーグ出身、現役時代は巨漢の長距離砲で、30歳を超えてから2年ほど一軍で活躍した後は、膝の故障により調子を落とし、そのまま引退。その後、指導者として研鑽を積み、プロ野球の世界に戻ってきた男である。
彼のプレースタイルに足という要素が関わる事は少なかった。
しかし、だからこそ彼は常々ある強固な考えを抱いていた。
野球とは“走塁”である、と。
自分が長打を打っても、走者の走塁がお粗末ならば刺される可能性がある。
自分が塁に出ても、鈍足な自分ではヒットでホームに帰れない。
そんな経験が、南屋の野球哲学を作り上げた。
インプレー中に発生する数多の現象。
エラー、ファンブル、躊躇い、思惑。
打球の行方に目を澄まし、守備の一挙一動、ボールのバウンド、芝の境目、地面のコンディション。あらゆる要素を検討し、コンマ一秒の隙を突き、塁を進める。
それこそが野球というスポーツの真の支配者。
走塁を制する者こそ野球を制す。
南屋はそう確信していた。
ウルフェンズ走塁コーチに就任した南屋は、チームに徹底した走塁意識を植え付けた。
足の速い遅いではない。盗塁が出来る出来ないではない。
1番から9番まで、塁上では一切の油断なく次の塁を目指せと意識付けた。
今現在も彼はチームに在籍し、この試合中も三塁ベースコーチとして職務を全うしている。
走者を本塁に突入させるか否かを一瞬で判断する必要がある最重要ポスト。
三塁ベースコーチの判断は、試合全体を左右する事も多い。走者が本塁でアウトになれば批判される役職である。
表には出ない。目立つ事はない。その貢献が称えられる事は少ない。
それがベースコーチ。フィールドに現れない10番目のプレイヤー。
しかし確かに。ウルフェンズの得点力を支える最重要ファクターである。
◇
(さて……ここからは捕手の仕事が増えるな)
今までは国奏が出塁を許さなかった為、捕手の杉宮はリードに集中するだけで良かった。
しかし今、ランナーが出たからには警戒しない訳にはいかない。
送りバント、盗塁、エンドラン。
相手の選択できる作戦が一気に増えるからだ。
走者は上原哲明。
足は速いが、盗塁は特筆するほど多い訳ではない。
この特筆するほどというのが肝だ。
上原の盗塁数はシーズン平均15から20。成功率はキャリアを通じて盗塁の損益分岐点である7割程度。一番打者としては及第点といった数字だが、ここ一番に走らせるには、迷う成績。
つまり、ここで読み合いが発生する。
果たしてウルフェンズは上原を走らせてくるのか否か?
現在、ノーアウト1塁。
2点差で負けており、今もノーヒットが続いている狼としては、あらゆる手を講じて塁を進めたいのが本音だろう。
しかし、ここで影響するのが今投げているのは国奏だという事。
彼はこの試合中、一度もクイックモーションで投球していない。
つまり、クイックが平均何秒ほどなのか、正確な情報が集まっていない。
今年の国奏は、中継ぎで驚異的な成績を残した。
それは同時に、ランナーを背負う場面が少なかった事も意味する。
そもそもの話、国奏のクイックに関するデータは少ないのだ。
去年までのデータ。ウルフェンズに所属していた時の情報なら充実しているが……それは今も正しいのか?
今の国奏と以前の国奏では、余りにプレーの質が違いすぎる。
投球クオリティが格段に上がった今年、クイックも変化していないと考えるのは早計だ。
2番打者が打席に入る。
ここからは単純な打者VS投手にはなり得ない。
当然の如く、国奏に出された最初のサインは牽制。
走者を塁に釘付ける為の、文字通りの牽制。
これでアウトにできるとは勿論思っていないが、それでも繰り返す。
こちらは警戒している。簡単には走らせないと意思を表明する為に。
「…………」
上原に動きはない。
牽制の多用も余り望ましくはない。
これで肝心の打者への集中力を失ってはまずいし、牽制モーションの癖を盗まれる可能性もある。
(一体何を選択してくる?)
1球、2球。
ストライク、ボール。
打者は振ってこない。
単純に考えれば、この2番は走者の盗塁待ちをしている。
だが、そう単純に考えていいのか?
杉宮の脳内に、多くの選択肢が浮かび、駆け回る。
(分からない……何が正解だ?)
徐々に思考に嵌り、視界が狭まりつつあったその瞬間。
杉宮はマウンドの国奏と目が合った。
芯の据わった瞳だ。どうやら先ほど適当に吹かした自分の言葉で何かを感じてくれたらしい。
マウンドに行ったのはいいが、杉宮は肝心の何を言うかを決めていなかった。よく考えてみれば、四球一つ出しただけ。何かフォームに指摘できるような問題を感じた訳でもない。
言葉に困った杉宮は、何かそれっぽい事言っとけば勝手に解釈してくれるだろ、と割と思いつくままに物を言った。
それがどうやら上手い具合に作用したようだ。
今の状況もそうなのかもしれない。
相手が何をしてくるか絞り込めない。
ならばあれこれ考えるより、目の前のプレーに集中し、即座に対応できる準備を整えるべき。
(……予測は無理だな。ノーアウトの状態だと取れる選択肢が多過ぎて絞り込めない。何が来ても対処出来るように集中するしかないか)
そうして投じた3球目。
国奏が投球モーションに入ってから、打者がバントの構えをした。
(セーフティバント! 右打者でか!)
打者がバットに当てたボールは、三塁線へ。
少し高めのバウンドで、プッシュしきれていない。バントとしては少し不格好な形だ。
杉宮の対応は早かった。
取れる作戦としてはかなり無難な選択肢。可能性としては送りバントの次に高いと踏んでいたからだ。
打球の勢いはそれほど強くない。
すかさずマスクを取っ払い、前方にチャージする。
浮かび上がったボールを素手でキャッチし、そのままファーストへ送球。
打者は無事にアウトにし、アウトカウントは1になった、が。
(セカンドにランナーを進められたか……)
ノーアウトで出塁を許した時点で、この状況を防ぐのは難しかったが、それでもできれば避けたかった。
セカンド、つまりは得点圏。
そこに初めて走者を置かれた。
ピッチャーの投球に影響が出る可能性もある。
自分の背後、見にくい位置に走者がいるというのは存外に堪えるものだ。
そして、この試合初めてともいえるピンチの場面で迎えるのが――――3番を打つ男。球界一いやらしく鬱陶しいと評判の水瀬である。
「よろしゅう」
緊迫した場面に似合わない、気が抜ける声を出しながら打席に入ってくる男に惑わされてはならない。
こいつは言動や纏う雰囲気に似合わず、自分にできる仕事を十全にこなすタイプだ。
(この場面で何を狙ってくる? 自分がアウトになるとしてもランナーを進める進塁打。右打ちか? それとも今までのように球数を稼ぐバッティングを続ける?)
自問自答を繰り返し、仮説を立てる。
(そうだ……水瀬の場合、自分に出来ない事は無理にしない。今までヒットを打てていないのだから、この打席も打てない前提で考えている筈。球数を稼ぎ四球を狙いながらの、ランナーを進める進塁打。これを狙ってくる)
となると、守る側としての戦略も立てられる。
三振を取れれば一番いいが、水瀬を三振させる事は難しい。ボールを引っかけさせ、左にゴロを打たせるか、浅いフライを狙うか。
インコースは水瀬のレッドゾーン。
打率3割を超える危険地帯であり、この状況では投げさせにくい。裏をかいて、という考えも出来るが、そもそも反射でバットに当てられるからキャリアを通してインコースが得意だという数字が出ているのだ。ここは無茶をするべきではない。
やはりアウトコース。引っ掛けやすいカッターをストライクとボールに出し入れさせる。
国奏の制球力に頼る配球になってしまうが、この場面は投手を信じるしかない。
そうしてサインを出し、ミットを構えた。
その瞬間、杉宮の視界の端にちらりと。しかし確かに、水瀬の口元が歪むのが見えた。
――――まだまだ青いなァ、灯矢は。
そう、聞こえた様な気がした。
(まずッ――――!)
国奏の投じたボールはサイン通りのコースだった。失投でもなく、要求されたコースに、要求通りの球が来た。
それがまずかった。
恐らく、完璧に。
この男は予想していたのだろう。
投じられるコース、投じられる球種、両方を。
そしてこのクラスの打者にとって、幾ら国奏の球が凄まじくても。それだけ分かっていれば進塁打を打つぐらい造作もない事である。
飛んだ場所といえば、何のことはないセカンドゴロ。
しかし確実に、ランナーを進める進塁打。
打球が飛ぶ。
――試合が動く時というのは崩壊したダムのように急激である。
セカンドが捕球姿勢に入る。
――流れというのは、一度つくと容易には変えられない。
グラブを入れ、ファーストに視線を向ける。
――その魔物に、敵も味方もない。ただ、流されるしかない。そして、一度流れ出した水がこちらに向かないという保証はどこにもない。
セカンドは捕球したボールを握ろうとグラブに利き手を入れて、そして気付いた。
その中にボールが収まっていない事に。
「なっ……!」
打球をグラブに当てながらも捕球に失敗し、ファンブルする。
何の変哲もないゴロをよりによってこの場面で。
いや、この場面だからこそ、こういう事が起こり得るのだ。
取り損ねた? 俺が? ここで?
セカンドの頭は一瞬白く飛ぶが、すぐに自分を取り戻す。
彼もプロ。考えるより体が動く。反射的にボールを探し、見つけ、拾い直し、ファーストに投げる。全てのプロセスが一瞬で浮かび上がり、リカバリーが可能か判断する。
まだ間に合う。
幸い水瀬は瞬足でもなく、右打者。今からでも十分アウトにできると踏んで、ボールを拾い直し、一塁に送球しようとした。
その瞬間。
「投げるなァ!! ホームだ!!」
彼の耳に届く、司令塔の声。
ハッとして三塁側を見ると、ちょうど三塁を回ったところにセカンドにいた筈のランナーがいる。
――いや、おかしいだろ!? 何で今の打球でそこにいる? 何で三塁ベースを回ってるんだ!??
「おっと、よく見てんな。ファースト投げてたら帰れてたんだが」
セカンドベースにいた筈のランナー上原は、杉宮の声を受けて止まり慌てて三塁に帰塁した。
勿論、その間にバッター水瀬はファーストへ到達している。
電光の掲示板に表示されるEの数字。
記録上はセカンドのファンブルエラー。
騒めき出す球場。
一見すれば、ただセカンドがエラーをしただけに見えるが、先ほどのプレーにはそれ以上の思惑が渦巻いていた。
それに本当に気付いているのは果たしてどれほどか。
恐らく、走者の動きを見る事が出来た内野陣とベンチ内の首脳陣。それに一部の目ざといファンだけだろう。
(今のは何ともない二ゴロだった。普通に考えればまずエラーをしないレベルの打球だ。ランナーは三塁に進むが、こちらは一塁でアウトを1つ取れる。ありふれた進塁打だ)
それなのにも関わらず。
ウルフェンズの三塁ベースコーチは。
(あの打球で、一瞬も躊躇う事なくランナーを回した! それもエラーをする前。まだ上原さんが塁間の半分を越えた程度のタイミングで!)
当然だが、ベースランニングは「次の塁で止まるか、それとももう一つ進むか」の判断で大きくタイムが異なる。
初めから次も進塁するつもりでルートを決めれば、走塁途中に何らかのエラーで「やっぱ次も進塁できそう」よりもタイムは大幅に短く、最短距離で走塁できる。
今のプレー中、杉宮が気付かず、セカンドがファーストに送球していれば、タイミング的に間違いなく本塁に生還されていた。
(気付いたのか? 今の打球をセカンドがファンブルすると)
そうとしか考えられない。恐らく、三塁ランコーは何らかの予兆を察知して、セカンドがエラーすると判断した。ギャンブルで回すには、余りに確率が低すぎる手だ。
そして、先ほどの走塁には更に驚愕する点がある。
それは、走者である上原が一切躊躇わずベースコーチの指示に従った事だ。
セカンドランナーはサードに向かって走る。
必然、全力疾走すれば右方向に飛んだ打球がどう処理されるかなんて見える訳がない。
故に、普通は躊躇う。
あんなに早くベースを回れと指示をされたら、本当にコーチの指示に従っていいのかと迷う筈なのだ。
ランナー自身には本当にエラーしたのかどうか。それでホームに突入できるほどのエラーなのかの判断など付かないのだから。
それなのに、上原は迷いなく三塁ベースを踏み抜き、本塁を目指した。
三塁ベースコーチの判断に絶対の信頼を置いているからだ。
そして一瞬の躊躇いが、その絶対の判断を台無しにすると知っているからだ
(交流戦中とは明らかに集中力が違う。一瞬一秒に賭ける意識が違う)
これが、勝ち続けているチームか。
実際に日本シリーズという舞台で戦い、そこでやっと数字だけでは実感できない神髄に気付く。
今ここに来て、杉宮は初めて本当のウルフェンズ打線を見た気がした。
そして――まだ狼の攻勢は終わっていない。
ランナーは三塁一塁。
次の打者は、4番の佐原。
杉宮自身がこじ開け、決壊させたダムの水が、今度はオウルズを飲み込まんとしていた。
◇
野球とは妙なるスポーツだと。
佐原はそう思っていた。
3割成功し、7割失敗する。
しかし、失敗したとしても負ける訳ではなく、そこから勝ちに繋げる事が出来る。
先ほどからグラウンドで繰り広げられているプレーもそうだ。
ウルフェンズは未だに、国奏淳也から1本もヒットを打てていない。
言ってしまえば、打席では全て失敗している。
だというのに、気付けば得点圏にランナーを進め、ともすれば点をもぎ取っていた。
不完全の中に完全があり、アンバランスの中でバランスが取れている。
本当に、上手くできている。
左右の違いで生じる有利不利など、欠陥に見えるルールはいくつもあるが、それでも上手く均衡している。
この不完全で、アンバランスで、調和の取れているスポーツに。
ある種の美しさを感じる事は間違っているのだろうか?
「…………」
既に場面は整った。
反撃の時間だ。
未だに零を刻む“H”の欄に縦の傷を刻むのは、4番である自分の役目だ。
野球とは妙なるスポーツだ。
成功が敗北に繋がり、失敗が勝利に繋がるというあべこべが成立しうる。愛すべき不完全さを抱いている。
だからこそ、完璧なる打撃の極致。
誰も、何も。口を挟みようのない純然たる結果。
本塁打を打つ事は何よりも美しく、何よりも完璧な勝利なのだ。
プレイヤーが一切干渉できない盤外。
ゲームの外に小憎らしい魔性の球を叩き出す。
そうすれば、運も、エラーも、何もかもが関係ない。
――――そうだ。俺はここで、必ずアイツに勝つ。
佐原は自分自身に問う。
気分はどうだ?
落ち着いているか?
イメージはできているか?
狙う場所はどこだ?
――――決まっている。あのスタンドだ。
この展開、この場面。
あの男ならば、必ず打つだろう。
だから、自分はただ打つだけでは意味がない。
勝ったとは言えない。
スタンドに叩き込んでこそ、初めて勝ったと言えるのだ。
打席に入り、相対する相手は元チームメイト。
凄まじい球を投げる。いいピッチャーだ。
クイックで投球を始めてからも、欠片も球質が劣化しない。練り上げられた実力だ。
だが、すまない。
既にお前に興味はない。
いや――この世界に足を踏み入れた時から、このチームの4番に座り始めてから。俺の相手は一人だけだった。
初球、変化球がボールゾーンに消えるのを見送る。
ここまでの2打席。自分には明らかに変化球が多かった。
出会いがしらの一発を恐れているのか。確かに一級品のブレーキングボールは初見では対応しにくいが、こうまで繰り返されると軌道も焼き付く。
既に見極めは大方ついている。
それもこれもこの瞬間。
これでもかという場面で特大の一発を決める為。
ランナーは三塁一塁。アウトカウントは1。
この場面、確実に打点を稼ぎに行くのなら犠牲フライかゴロを狙いに行くべきだろう。
だが、初めから失敗を狙いに行って何になる?
今度は外角のフォーシーム。
思い切りバットを振り切る。
心地よい打球音と共に、体が回転する。
引っ張った打球は、左のスタンドへ切れていく。
いい感触だ。タイミングも合ってきた。
あと2球、それでアジャストできる。
それで終わりだ。
この身を苛む感情とも完全に決別し、自分は新しいステージに進める。
プロになってから10年。
今までの人生と同じように勝ってきた筈だ。
1年、2年、3年と着実に成長し、チャンスを掴み、4番に座った。
弱小だったチームを立て直し、強豪に復活させた。
それは間違いなく自分の力で掴んだ勝利の筈で。
「…………ッ」
無意識に歯を食いしばっていた。
これはまずい。この打席に必要のない感情が、侵食してきている。
いったん打席を外し、息を整える。
――――落ち着け、俺。お前はウルフェンズの4番だろ? チームの中心……なんだ。
いや……違う。
本当は気付いていた。
ウルフェンズを強くしたのは、俺じゃない、と。
近郷だ。
あの男が、全てを変えた。
節目となる試合。勝利に繋がる一打。チームを変えるきっかけは、全てアイツだった。
確かに自分は4番に座り、ずっとタイトルを取ってきた。
だけどいつも、本当に必要な場面で勝利を掴むのは、近郷だった。
――――そうだ。受け入れろ佐原総次郎。受け入れた上で乗り越える事に意味がある。
自分がこの球団に残ったのは、近郷に勝つ為。
近郷がいなくても、ウルフェンズは勝てるという事を示す為。
アイツが抜けた状態で、日本一を取り戻す。それは何よりの“勝利”の証明になる筈だ。
それを成し遂げてからじゃないと、自分はMLBに渡れない。次に進めない。
打席に入り直し、芯を入れ直す。
打撃には完璧を求めなければならない。
ヒットとは、芯を食った打球を意味する。
よく考えろ。自分は今までどれだけ積み上げてきた?
それを全て使えば、打てない筈がない。
3球目、フォーシーム。
外に外れたボールだが。
(見たぞ、完璧に。次に直球を投げた時、俺は確実にそれをスタンドへ弾き返す)
より固く、確実に。勝利へのイメージが練り上げられていく。
試合をひっくり返す3ランホームラン。
チームにとって初めてのヒットが、逆転弾。
その瞬間こそ、自分自身の手でチームを勝たせたと、本当に思える瞬間の筈だ。
そして、その時は目の前に迫っている。
国奏が投球モーションに入り、腕が振り下ろされる。
直球か、それ以外か。
変化球が来れば、粘ってやる。
直球が来るまで何度でも。
そうして投じられた1球。
――――ストレート!
間違いない。アウトロー、隅よりは少し上。
自分ならば、叩き込める場所だ。
これだ。これを打って、俺はやっと――――
いや、まて。
これは本当にストレートなのか?
その時、佐原の脳内には、二つの選択肢があった。
今までの野球人生。積み上げてきた努力。対戦してきた多くの好投手たち。
八割がた、この球は直球、フォーシームだと確信している。
しかし、残りの二割。
これは違うと告げている。
この軌道、この投げ方。
これは、試合の始まり。
上原へ投じた3球目と、酷く似ていないか? と問う自分がいる。
どちらが正解なのか。
既に体は動き出している。
両方に対応する事は不可能だ。
直球に絞らなければ本塁打は打てないし、変化球に絞らなければカットボールには対応できない。
この刹那。コンマ何秒にも満たない瞬間に、佐原は答えを決めた。
選択をした。
この球はストレートである、という選択を。
スイングは鋭く。
脳内の軌道と完璧に重なり。
芯を食って、打球は彼方へと飛んでいく。
そうなる――筈だった。
「――――ッ!! ァァ!!」
声にならない声が漏れる。
手に残る感触が、自分が間違えた事を語っていた。
無様にも打ち損じた球は、二遊間へ。
前進守備だが、抜けはしないだろう。
ここで佐原にとって不幸だったのは、良い打ち損じ方をした事だ。
微妙な場所へ飛んだ、とも言える。
三塁ベースの上原はこれでもかというスタートを切っている。
あそこに飛んだのなら、野手が捕球してホームに投げても間に合わない可能性が高い。
だから、オウルズは恐らく6-6-3のダブルプレーを獲るしか失点を防ぐ術がない。
だが、佐原の足はそこまで遅い方ではない。
全力で一塁に走れば、十分ゲッツー崩れを狙える可能性があった。
故に、佐原は走るしかない。敗北に身を震わす暇もないまま。必死に無様な打球を放ったツケを払わなければならない。
走る。必死に、一塁へ。
そこには、先ほどまで思い描いていた悠然とダイヤモンドを回る姿は欠片もなかった。
内野安打は嫌いだった。
チームの方針で走塁を重視する。その利点は十分理解できたが、それでもポリシーとして嫌いだった。
ヒットの出来損ない、失敗が内野安打だという気持ちが野球を始めた時からあった。
上原に言えば、顔を顰められるだろう。
水瀬に言えば、「嫌味かお前」と嫌味ったらしく言われるだろう。
近郷に言えば……ただ笑われるだけだろう。
いや、何故こんな事を今考えているのか。
必死にセーフを目指して走っているからか?
そもそも何故こんなことになっている?
簡単だ。自分が間違えたからだ。
八割の直感を信じて、二割の違和感を無視した。その結果がこの無様だ。
じゃあ何で。自分は二割を無視した。
分からない。ただずっと、頭の中にはある光景が流れている。
プロに入ったばかりの頃、まだウルフェンズが弱小と言われていた頃。
9回の裏、これでもかという場面で、アイツは打った。
相手クローザーの、渾身の直球をはじき返した。
サヨナラのタイムリーヒット。
ベンチの中から、それを、見ていた。
全力で足を踏み込み、頭からベースに飛び込む。
もう何も分からない。ただ一つだけはっきりしている事がある。
『セェェェフ!!』
(クソが、クソが、クソが、クソがああああああああああ!!)
――――俺は、またアイツに勝てなかった。
佐原のゲッツー崩れの間に、三塁ランナーはホームに生還し、ウルフェンズはこの試合初めての得点を手にした。
オウルズ真野監督はリクエストを要求したが、判定は覆らず、得点は認められた。
決死のヘッドスライディングを見せ、完封を阻止した4番佐原の気迫に対し、球場のウルフェンズファンは大歓声を上げ、中継、解説でも大いに盛り上がった。
このゲッツー崩れで記録される4番の打点1。
失敗から手に入れた、得点という名の成功。
全国のウルフェンズファンにまだ試合は終わっていないと希望を抱かせるには、十分な結果である。
――――何度も何度も地面を叩くその手の意味を。本当の理由を理解していた人間は、誰もいなかった。




