34話 『IF:一番目』 Ⅰ
思うところがない、訳でもない。
むしろ、思うところがない訳がない、と言った方が正しいか。
日本シリーズ第1戦。オウルズVSウルフェンズのファーストカード。
そのマウンドに、先発として向かう国奏の胸には、様々な思いが巡っていた。
必ず見返すと心に誓ったウルフェンズとの最終決戦。
これから相対する元チームメイト達との戦いを前に、気持ちが高鳴っていたのも事実。
日本シリーズを前に連絡を取り、顔を合わせ、話をしておくべきかとも思った。
しかし、それはしなかった。
それは違うだろうと。野球選手なら野球で語るべきだろうと。青臭い考えかもしれないが、この場に至ってはそれが相応しいと感じたのだ。
(なーんか、自分でも分からないんだよなぁ)
不思議だと思う。
自分は何故、これほど熱くなっているのか?
高校球児の頃のように、本気で仲間たちと共に甲子園を目指していた時のように。
腹の底からふつふつと起こり上がる感情がある。
チームに必要ないと言われたからか?
終わった選手と囁かれたからか?
確かに、始まりはそれだった。
世間の評価を聞き、GMに価値を告げられて。
自分の野球人生を否定されたような気がしたから、ムカついた。
だから、圧倒的な成績を叩き出して、吠え面をかかせてやろうと意気込んだ。
だが、オウルズに移籍して。そこでシーズンを過ごすうちに、その復讐心よりも大きな感情が生まれてきた。
――――このチームで日本一になりたい。
個人的な成績よりも、真実そう思えるようになっていった。
新しい環境。
新たなチームメイト。
国奏の選手としての意識、勝ちへの拘り。
それらはチームの雰囲気を変質させる引き金となった。
燻っていた彼らに影響を与えた。
勝利を欲する気持ち。勝つ為にするべき準備。
常勝球団からFAしてきた身として、勝ち方を忘れていたチームに、それを思い出させた。
そして同時に、国奏自身も変わっていくチームから影響されていた。
必ず見返すと誓った目標は、いつしかオウルズを勝たせたいという感情、チームの一人という意識に変わっていった。
――――そう、俺は今、オウルズの一員としての自覚がある。“ウルフェンズを追い出された国奏淳也”じゃなく、“オウルズの20番、国奏”としての。
決してウルフェンズが悪いチームだった訳じゃない。
ウルフェンズの隆興、弱小から常勝と言われるようになるまでの全てを見てきた。
強く、どこまでも強く。貪欲に勝ちを求めたチームだからこそ、あれほどの強さを得た。
あれほどの結果を残せたのだ。
あそこで過ごした10年は、間違いなく今の自分を形作っている筈で。
だから、当時のチームメイトや首脳陣、ウルフェンズ自体に不満や文句がある訳もない。
なのに、なのに。
これほどまでに、単純に。
――――こんなにも、ウルフェンズを叩き潰してやりたい。
この想いに、余分な感情、行間が介在する余地はない。
言葉通り、額面通りに、そう思っている。
だから、分からない。
オウルズの一員であるという自負が消え去るほどの、情動の在処が見つけられない。
この気持ちは、一体何処から沸き上がっているのか。
29歳にもなって、こんな風に自分を分析できないのは初めてだった。
いや、あるいは、本当は見つけようとしていないのか。
理屈、理念、理論。
そんなチャチなもので、この気持ちを汚したくないと。
心のどこかで、自分はそう思っているのか。
言ってしまえば、最終決戦。
オウルズの国奏を形作った最後のピース、茂木多ゼネラルマネージャーが作り上げた古巣ウルフェンズとの対決。
それを前に、自分でも理解し切れない不思議な感情を胸に、マウンドに入る。
少しばかり盛り上がった土をスパイク越しに踏みしめる。
そして――――気付いた。
(あぁ、そういう事か……)
硬い、硬いマウンドだ。
完璧な整備が為され、未だ誰も足跡を残していない美しい小丘。
プレイフィールド、グラウンドの最も高い場所に立った国奏は、やっと答えを知った。
今の自分は、このマウンドと同じだ。
プロに入り、初めての登板。
先発としてマウンドに登った時の、真っ白な自分。
まだ先発を諦める前の、何事にも通用すると思っていた、バカだったときの自分。
ウルフェンズの国奏でもない、オウルズの国奏でもない。
ただの、まだ何者でもなかったルーキーの国奏淳也に、自分は戻ってきている。
(そりゃあ、熱くもなるわな)
見返す。やり返す。思い知らせる。
そうではない。
何かを間違えた。俺では先発で通用しない。この世界で生きていけない。
そうではない。
ただ真っ直ぐに、最強のチームに自分をぶつける。
自分の力を示す。それだけを目指していたあの時。
そんな自分に、今だけ戻れる。
今だけ、この瞬間だけ。
いつかの、ルーキーに。
黄金の世代の一人に。
――――俺はあの日のIFに辿り着ける。
瞬間、世界が広がった気がした。
今まで見えてなかった光景が、目に入ってくる。
球場を埋め尽くす観客。
両軍のベンチに佇む監督、コーチ、スタッフたち。
グラウンドに広がっていく野手陣。
鼓膜は多種多様の音を拾い上げ、後ろを守る野手たちの音まで鋭敏に捉える。
緊張感。
長く感じた事のなかった当たり前の硬直が、身体に襲い掛かってくる。
「ハハ……」
乾いた笑いが零れる。
硬直する肉体。
激しくなる動悸。
それらを抑えるために、ゆっくりと息を吐き出し、身体と気持ちを弛緩させる。
これがまた――心地良い。
久しく、忘れていた感覚だった。
――――さぁ、国奏よ。投球練習だ。
試合開始まであと数十秒。今さら緊張している時間なんてないぞ?
自分の世界に入り込んでくる余分なモノ。
それを少しずつ削ぎ落す。
一球ごとに、杉宮の構えるミットに世界が集中していく。
そうだ。こうやって、自分を立ち上げてきた。
少しずつ、少しずつで良い。
作り上げろ、世界を。
自分だけの試合を。
それが先発の役割だ。
試合を背負う者の役割だ。
(もうないと思っていた。もう先発として投げる事はないと思っていた。でも……あんたの言うとおりだったよ。久保井さん)
ロージンを掴み、準備を整える。
顔なじみの打者。良く知った同期がバッターボックスに入る。
頼りがいのあるキャッチャーがサインを出し、ミットを構える。
(ここから。ここからだ。経歴も実績も何もかもが関係ない。余計なモノは何もない。必要ない。ただ――――抑えるだけだ)
いつもと同じように息を整え。
いつもと同じように振り被り。
それでもどこか違う感慨と共に。
思い切り、腕を振り下ろした。




