32話 『クライマックス』
あれぇ? ストーブリーグが……もう始まってる!
クライマックスシーズン。
ペナント終了後にリーグ順位上位3チームによって行われるトーナメント試合。
このシーズンを勝ち抜いたチームが日本シリーズへ進出する権利を得る、日本一への挑戦状。
2000年代に入ってから制定された、ペナント優勝決定後の消化試合を減らすためのプレーオフ制度である。
この制度が両リーグに導入されて以降、リーグ優勝=日本シリーズ進出という形式ではなくなった。
クライマックスシリーズにおける下位チームの下克上。つまり、非優勝チームの日本一という可能性が生まれたのである。
2位と3位が争うファーストステージ。
それを勝ち抜いたチームが、1位のチームと戦うファイナルステージ。
この二つに分けて、クライマックスシーズンは構成される。
無論、ペナント上位のチームには本拠地開催や初めから1勝を持っているといったアドバンテージがある。優勝チームが最も日本シリーズに出場しやすいのは変わらないが、今まで優勝チーム以外は早々に終わっていたシーズンが、クライマックス制度のおかげで上位3チームまではプレーオフを楽しむことが可能になった。
興行、娯楽としてのプロスポーツの側面。
日本のプロ野球において、その要素を強めたクライマックス制度であるが、当然各球団の戦略、チーム作りにも大きく影響した。
シーズン中の勝ち方だけではなく、ペナント後半をどう戦うのか。
いくら強いチームでも後半にチームの調子を落とした状態でプレーオフに入れば、足元を掬われる事もある。
日本シリーズまでを見据えて調整していくのか、はたまた目の前のクライマックスを勝ち抜く事に全力を尽くすのか。
チーム単位での調整。監督、コーチ陣の手腕。トレーナーによる選手のコンディション調整能力。
短期決戦、プレーオフにおいては、そういった裏方、球団職員を含めたチームの総合力が如実に表れるのである。
◇
クライマックスシーズン、ファイナルステージ。
オウルズ本拠地球場にて開催される日本シリーズ進出権を争う試合。
その最中、スタッフが待機する控室で、神奈川ドラーズのスコアラーである柿中直人は試合が中継されているモニターを睨めつけていた。
映し出されるは8回の攻防。
表にしてドラーズの攻撃である。
「…………」
スコアは1-3でドラーズの不利。
点数差自体は大したものではないが、どうにも嫌な雰囲気。長年現場に関わっていた感覚、空気から「このまま押し切られるな」という直感が柿中にはあった。
「…………」
ふかしていた煙草の一本を灰皿に潰す。
CSのファイナルステージ。
ファーストステージでの強者ラビッツとの戦いを、ドラーズは3位ながらに勝ち抜き、この場に辿り着いた。
しかし、ここまでの戦いぶりは芳しくはない。
ファイナルステージ4試合目。
ここまでの勝敗はドラーズ1勝、オウルズ2勝。
今日の試合を落とせば、シーズン順位1位のアドバンテージを含め、オウルズの4勝。日本シリーズには梟が進む事となる。
「(まぁ、ある意味では予想通りって感じだな……)」
ドラーズがここまで勝ち進めた事。それ自体がある種の幸運に影響していた。
2位ラビッツは攻守の要である藤堂が脇腹の故障で離脱していた上に、シーズンのチャンピオンフラッグを梟に奪われたせいで、どうにも全体の雰囲気が悪かった。
チームの雰囲気、流れというのは馬鹿にならない。
どれほど強いチームであっても、どうしても勝てない時期は存在する。
言ってしまえば、ラビッツはそれが“今”来てしまったのだろう。
それを上手く調整する能力がベンチ・首脳陣の実力、と言われてしまえばそれまでだが、自身も裏方として関わる柿中としては、主力選手の離脱がこんな時期に来てしまったラビッツには同情する。
更に言えば、ラビッツは前年の日本一チーム。チームも歴史ある強豪。
彼らは最初から“ファイナル”を見据えていた。
初めから、ドラーズの先に存在するオウルズを目標にし、動いていた。
そこに、我々がつけこむ隙があったというだけの事だ。
浮足立った敵チームと比べ、ドラーズの目標は分かりやすい。
元々3位なのだから、目の前の試合を全力で勝ちに行け。それだけをチームとして意識付ければいい。
結果として、ドラーズは2位のラビッツを撃破し、ファイナルステージに進む事が出来た。
「(ただまぁ、“目の前に全力”ってのは、“次に余力を残すな”ってのと同義なんだが)」
つまりはそういう事。
ラビッツとの試合に全戦力を投じたドラーズは、オウルズ戦では苦しい戦いを強いられた。
特に、ブルペン陣の負担がまずかった。
接戦を勝つ為に、シーズン中から活躍していた主力を惜しみなく投じていった結果、オウルズ戦では満足なパフォーマンスが発揮できなくなっている。
こうなる事はある程度予想が出来た。
それを承知でファーストステージを勝ちに行ったのだから、これはもうしょうがない。
ただ――――
「(もし国奏が取れてたら……こうはならなかったんだよなぁ)」
悔やむ点としては、それに尽きる。
スコアラーとして、柿中は自軍の戦力を適切に把握している。
ドラーズの弱点はリリーフ。
それは昨年から十分に分かっていた。
だからこそ、FAを宣言した国奏をなんとしても、とフロントにアピールしたのだ。
今シーズンの国奏の活躍は、彼を高く評価していた柿中をしても予想外のモノだったが、仮にここまで復活しなくても、十分に戦力として年俸相当の実力を発揮しただろう。
事ここに至っては、ストーブリーグで彼を獲り逃したのが今季のドラーズの敗因と言っても過言ではないだろう。
「(戦力分析を担当する身としては、オウルズはあんだけブルペンに良い投手揃えてんだから手を引いてほしかったんだがな)」
実際に今試合で投げているオウルズの投手。
彼も素晴らしい投球をしている。
勝気のある投球というか。
己の球に自信を持って腕を振り、少々のコントロールミスでは前に飛ばされない。
そういう自信が溢れた見ていて気持ちの良い投げ方だ。
今季の登板数は46試合。
元々ビハインド投手として投げ始め、今シーズン中期からベンチの信頼を勝ち取った今年の出世頭の一人だ。
あれで梟の勝利の方程式に入っていないというのだから笑うしかない。
こういう時は、投手が良く育つ広い球場を本拠地にするチームが羨ましい。
まぁそれを言えば、相手はヒッターズパーク本拠地のドラーズは野手が育って羨ましい、と言われるのだろうが。
「………………インロー、フォーク」
画面の中の投手が投げた。
柿中が呟いた通りのコースへ、呟いた通りの球種が投じられる。
打者のバットは空を切り、アウトカウントは3つを数えた。
何ともまぁ、気持ちよさそうに捕球するものである。
バッテリーが勢いよくベンチに戻っていく。
前年最下位だったオウルズの躍進には、今マスクを被っていた杉宮の貢献は大きな要素を占めているだろう。
去年からいい選手だとは思っていたが、今年ここまで選手として上のレベルに到達するとは思わなかった。
彼だけではない。
島袋や不破、オウルズの他の選手も皆優勝に大きく貢献している。
柿中の頭で、オープン戦での国奏との会話が思い出される。
「……あいつ、引退後はスコアラーかスカウトやらせるべきだな。見る目あるわ」
柿中はそう独り言ちる。
このファイナルシーズン中、ついぞ姿を見せなかった国奏に向かって。
「さて、梟さんの奇策は吉と出るか凶と出るか……後学のためにしっかり見届けさせて貰うとするか」
◇
ファイナルシーズン開催前。
球場内の某所にて。
顔を合わせるは監督、コーチ、スコアラーなど裏方の面子。
現在、ポストシーズンに向けた戦略会議、その真っ最中であった。
「――――それ、本気か?」
あーでもないこーでもないと意見を飛ばし合う最中。
投手コーチの江藤が切り出した一案が、議論を中断させた。
「冗談じゃこんな事言いませんわ。ただまぁ、じっくりと考えてみると、これはええ策なんちゃうかと、投手見てる立場としては言わせてもらいます」
「…………」
江藤の提案は、監督である真野として、にわかに受け入れがたいものであった。
ただし、直ぐに意見を切って捨てる事はしない。
同じ卓に座るスコアラーの方を向き、意見を求める。
「どう思う?」
「……確かに、それが成功すればウチのひとつの問題点が解決するでしょう。ただ、無難とは言えませんね。江藤さんの言葉を借りさせてもらうと、私の立場からすれば危ないプランだと言わせてもらいます」
スコアラーの言う通り、江藤の策は危険で、良案とは言い難いものであった。
しかし。
「上手くいけば、とてつもないリターンを……爆発力を得られるなぁ。流れは確実に持ってこれる」
「……本気ですか真野さん?」
「稀代の名将と謳われるか、愚昧な頓痴気と馬鹿にされるか。お前らどっちがええ?」
「そりゃ監督、こすい物言いっすわ。ウチはどっちにしろ負けたら無能やん」
江藤が突っ込む。
辺りからくっくと笑いが零れ、少しばかり会議の空気が弛緩した。
「本人には?」
「もう話してます。もしそうなったらいけるかってのは」
「何て言うてた?」
「笑てましたよ」
一呼吸置き、江藤は言葉を続けた。
「“願ってもない”だそうで」
◇
後日、日本シリーズ監督会議にて。
セの覇者オウルズと、パの覇者ウルフェンズ。
両チームの監督話し合いの結果、今年の日本シリーズには予告先発制度が導入されない事が決定した。




