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3話 『残留交渉』



 国奏がFA宣言をした後、複数の球団から彼にアプローチがあり、その為に彼の予定帳は来週いっぱい他球団からの交渉予定で埋まっていた。


 諸々の手続きにも追われ、忙しくなってきた身の回りに空いた微かな余暇。


 彼は何ともなしにスマホのロックを解除し、ニュースアプリを開いた。


 目的としては、世間の情報収集。ここ最近はニュースをじっくり見る時間もなく、世間の事情から外れてきている事をひしひしと実感していた。

 ただでさえプロ野球選手は世の多数の職とは勝手が違う業種である。

 時たまこうして世間で何があったか確認しておかないと、世間知らずと馬鹿にされてしまう。


 そういう思いから見始めた最新ニュース欄だったが……ここに一つ、国奏の目を引くタイトルが。


 "ウルフェンズ徹底考察! 来季戦力はどうなる? FAに参入は? 国奏淳也のFA流出は問題なし!?"


 それは野球ファン向けに作成された戦力分析コラムであった。

 著者を見ると、よく見物に訪れ、キャンプにも姿を現すウルフェンズ付きの記者が執筆したものであるようだ。

 もちろん、10年ウルフェンズで投げた国奏も、何度も挨拶をし、会話をしたことがある。


 普段ならば見ないようなものであるが、いざ見出しに自分の名前があると開いてみたくなるのが正直な気持ち。


 特に、国奏含めウルフェンズの投手陣たちは、取材されまくりチヤホヤされまくりのスターが揃った野手陣と比べて、普段は目立つことがない。


 こういうサイトに取り上げられる、というのは余りない経験であり、そうであれば読んでみたくなるのが人の性。


 そういう気持ちで、国奏は見出しをタップし、ページを開いた。


 じっくり読み上げる事数分。


 コラムを読み切った国奏の心に浮かんだものは、ふつふつと湧きおこる苛立ちだった。


「……なんだよこれ」


 内容は、至極普通な野球マニア向けのデータ分析といったところ。

 野手陣は今季メジャー挑戦を表明したショートの選手の穴をどう埋めるかという内容から、2軍の注目選手の解説へ。

 だが、投手陣の解説は国奏にとって信じがたいものであった。

 曰く、"国奏淳也の穴は2軍の若手を起用することで容易に埋まる" 

 それどころか、指標的には去年の国奏はそれまでのキャリアと比べ、大幅な劣化が始まっており、選手としての下降線を辿るちょうど売り時の選手だという旨がずっと述べられていた。

 一番心をえぐったのは、最後に書かれた締めの一言。


『七岡前監督は、国奏と心中するよりも若手と心中する決断をするべきだったと言わざるを得ない』


 ばかげている。だって、101試合だぞ? 自慢する訳じゃないが、こんな投げられる中継ぎがどこにいる。自分が居なければ去年のウルフェンズはリーグ優勝すら無理だったに違いない。


 心に湧き上がる苛立ちは、国奏を普段とは違う行動に掻き立てた。


 記事をスクロールし、コメント欄へ移動する。


 普段なら、シーズン中なら、ネット上のファンの声は絶対に目に入らないように気を付けている。

 しかし、こんなバカげた記事に対してファンたちはどう思っているのか。という苛立ち8割の疑惑が国奏をコメント欄へ誘った。


"全くその通りですね。国奏選手は良い選手でしたが、去年の起用は謎すぎました。101試合という数字は誇っちゃいけない記録だと思います。七岡監督は投手を使い潰す事でしか勝てない監督だったという事でしょう"


"何となく今シーズンの国奏はオーラがないなぁと思っていたけど、セイバーメトリクス的に見ても相当劣化していたんだな。これが酷使のせいなのか。それとも単純な能力の低下なのか……。いずれにせよ、101試合も投げたなら年棒は相当高額になり、貢献度に見合わないものになると思います。売り時、と言うのはひどい表現だけど、その通りかな。幸いウルフェンズは若手に期待できる選手が多いし、今シーズン一軍で投げた選手も多いので来年はもっと投手の層を厚くしてほしいな"


"国奏は三連覇で調子乗っちゃったんだろうね。野手陣に引っ張ってもらった優勝なのに。案の定FA宣言して、調子乗った発言してるし。そもそも過去に普通に使ってキャリアハイが防御率2点台。あの程度の数字で、もう連投できませーん(泣き)って喚いてるやつを億だして獲得する球団はないでしょ。完全に終わった選手"


 しかし、そこに書かれていたコメントは記事の内容を称賛し、国奏を非難するものだった。

 上記のコメントには、いずれも100を超えた"グッド"が押されており、こう感じているファンが決して少なくないという事を彼に知らしめる。


 しばし、茫然として虚空を眺める国奏。

 ウルフェンズのために、チームが勝つために踏ん張って投げてきた。

 そして、その結果として積み上げてきた101試合登板という数字。他人からすれば、時代錯誤も甚だしい数字なのかもしれない。

 だが、これは七岡監督が国奏を信じてマウンドに送った信頼の証でもあるのだ。


 それを、否定された。

 国奏の101試合登板は使えない中継ぎに無駄に金を払う愚かな行為であり、七岡前監督の狂った投手運用が招いた悲劇でもある。

 そう言われてしまった。


 こうしてファンからの直接の意見を見てしまうと、全身から力が抜ける。


 ――俺は、もうウルフェンズにいらない選手なのか。


 一人きりの自室で、潜むように呟いたその言葉は、ただ空虚に消えていった。






 埼玉西京ウルフェンズの事務所。

 長い階段を上がった先にある執務室には、緊迫した空気が流れていた。


 正面、机を挟んだ向かいに座るのは、ぴしっとした背広を着こなした凛々しい偉丈夫。茂木多(もぎた)健一(けんいち)

 10年前、ウルフェンズのGMに就任した後、当時弱小だった球団を根本的なところから改革。

 常勝軍団を作り上げた辣腕ゼネラルマネージャーである。


 彫りの深い顔、力のある強い目。

 体中からやり手のオーラが漂う男である。


 対して、向かい側に座るのは国奏淳也。

 ウルフェンズのリリーフエースにして3年間のリーグ優勝に貢献してきたプロ野球選手である。

 本日は畏まった要件であるので、流石にいつものパーカーにスウェット姿ではなく、スーツを着込んでいる。


「煩わしいのは嫌いでね。早速本題から行かせてもらおう。国奏くん、我がウルフェンズが君に対して提示できる契約がこれだ」


 GMは封筒から書類を取り出し、国奏の方へ差し出す。


「……拝見します」


 簡易的な契約書。

 どのような条件、年俸で契約するかをまとめた書類である。

 つまり、これはイコールで球団からの選手への評価と言える。

 契約内容とは、我が球団は貴方をこれだけ欲していますよ、貴方にはこれだけの価値がありますよ。と選手に言っているに等しいのだ。


 故に、じっくりと目を通す。

 目を通して、彼は書類から目を上げ、再びゼネラルマネージャーと目を合わせた。


「これだけですか?」


「不満かね?」


 相手は全く表情を崩さない。

 その態度を見て、国奏は確信した。


 ――あぁ、ウルフェンズは俺を追い出したいのだ、と。


 契約書に記されていた内容は、年俸以外昨年度と全く同じ。

 単年契約に、ホールドとホールドポイントへの出来高。

 FA宣言をした選手の来シーズンの年棒は、昨年度の年棒を超えてはならないという規約がある。これは苛烈な獲得競争を防ぐ措置であるが、その分各球団は複数年契約やインセンティブで選手と交渉するのだ。

 だが、この契約には複数年契約も、その他のオプションもない。


 およそ、FA宣言をした自チームの選手を引き留める契約ではなかった。


 こういう場合は、往々にして存在する。

 懐事情がさみしい球団や、若返りを図る球団は、恰好としてだけのFA引き留めを行う事がある。

 交渉はするが、契約内容は決して他球団の内容を上回る事のないように調整。


 これは一部ファンへのアピールである。一切交渉せずに放出、だとその選手のファンから球団フロントが猛烈な反発をくらう事がある。引き留めようと交渉はしましたけど無理でした、ならば、一応角は立たない。


「君は良く働いてくれたよ。うちのリーグ連覇や日本一に貢献してくれた事は疑いようもない。きっと君なら、どの球団でも輝かしい活躍ができるだろう」


 ――このビリー・ビーン気取りめ。

 

 国奏は心の中で吐き捨てた。


 国奏の現年棒は1億1000万。これは、ウルフェンズに所属している選手を年棒順に上から数えて、10番目の数字である。


 FA選手には、A、B、Cのランクがある。

 Aランク、Bランクの選手と交渉し、獲得した場合には、その選手の元所属球団に保障として、自球団の選手1名か金銭を支払わなくてはならない。Cランクにはこの決まりはない。

 ランクは年棒で決まる。

 所属球団の上から1~3番目までの年棒の選手はAランク、4~10番の選手はBランク。それ以下は全てCである。


 国奏の年棒は上から10番目。つまりFA選手としてのランクはB。人的補償が発生する。


 このGMは、それを狙っているのだ。

 国奏を獲得した球団から生きの良い隠れた物件を見つけ出し、戦力とする。

 成功すれば、落ち目のアラサーが期待の若手に生まれ変わる上、金までついてくる。

 人的補償で獲得した選手が例え使えなくても、30間際の選手を高額で飼い続けるよりは放出した方が得がある。この辣腕はそう判断したのだ。


 だが、国奏が何かこれについて文句を言う事はない。


 球団もビジネス。

 結果が出なければ目の前の男だって、クビを切られる。

 ここはプロの世界だ。

 すべては結果で見返すしかない。


「では、私はこれで」


 荷物をまとめ、席を立つ。


「頑張ってくれたまえ」


 背中から投げかけられる言葉に答える事はない。


 執務室から外に出て、長い階段を下りている間、国奏は心の中で一つの決意を固めた。


 非常に硬く強い決意。ともすれば、プロ野球界に足を踏み入れた瞬間並みの覚悟。


 そう、全ては結果なのだ。


(絶対に、化け物みたいな成績を叩き出す。移籍先で無双して見返してやる――!)


 野球人生における新たな目標。


 常勝軍団ウルフェンズを打ち破り、日本一になって、奴らの鼻を明かす。


 金も名誉も関係ない。


 求めるものはそれだけ。


 今この瞬間、国奏にあったのは、とても巨大な闘争心のみだった。


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