22話 『梟VS狼』 Ⅰ
チームの勢いというのは非常に重要である。
どんなに弱いチームでも、140を超える試合を行う以上、調子のいい期間が必ず存在する。
その点で言えば――今のオウルズは間違いなく調子が良かった。
何しろ、交流戦前から首位ラビッツと0.5ゲーム差の2位。例年から考えるとそれなり以上の健闘である。
交流戦前のカードを3連勝で締め、意気揚々とパリーグに勝ち込んだオウルズは、その勢いを止める事なく勝利していった。
第1カード、北海道ボクサーズ戦。
2勝1敗。
第2カード、千葉ドルフィンズ戦。
2勝1分け。
第3カード、福岡オリエントバックス戦。
1勝1敗1分け。
ここまでの9試合を、5勝2敗2分け。勝率約7割と抜群の仕上げ。
その躍進っぷり。当然各メディアにて取り上げられる事になる。
曰く、長く低迷していた不破の復活による先発陣の充実。
曰く、杉宮と島袋の打棒爆発による打線強化。
曰く、前年から続く圧倒的厚みを誇る中継ぎ陣。
今年のセリーグは、オウルズが本当にあり得る。
ここまで来ると、そうはっきりと明言する解説者も増えてきた。
そして、どのメディアも交流戦に入ってからの好調には同じ要因を上げる。
他ならぬ国奏淳也の活躍である。
交流戦期間に入り、彼の起用法が明らかに変化した。
浅い回でも試合が動きそうになると登板し、時には回も跨ぐ。
しかも登板間隔も一気に忙しなくなった。今のところ、4連投に1試合の休暇を挟んでまた4連投。今までの3連投以上を避けていたブルペンの動きに変化が生じている事は誰の目にも明らかだった。
真野監督は何を考えているのか、これでは国奏一人に負担が掛かり過ぎだ。そういう声も勿論上がる。
しかし、結果として国奏は登板した試合を全て自責点0で抑えており、交流戦に入ってからは失点もエラーがらみの1点のみ。
チームもますます好調と、真野の采配が上手い方に嵌っている事は明白である。
国奏は元々頑丈さと連投に耐える体力を評価されていた選手で、それが何故か予想以上のパフォーマンスを見せている。
これが本来想定していた使い方でしょう。と真野の采配を褒め称える者もちょくちょく出始め、一部では実は名将だったのでは……と自身の予想とは裏腹に評価を盛り返しつつある真野監督であった。
しかし、そんなオウルズを褒め称える方々が、示し合わせたかのように続ける疑問が一つ。
果たして、オウルズはウルフェンズに勝ち越せるのか?
第4カード、埼玉西京ウルフェンズ戦。
パリーグ現在一位。12球団最強。前評判ではぶっちぎりの最多一位予想。
誰に聞いても、今のNPB最強球団はウルフェンズ、そう答えるだろう。
全盛期に比べると、打線は確かに落ち着き始めた。
しかし、今シーズンは投手陣が大きく進化を見せている。
安定して投げられるローテ投手が揃い、絶対的な抑えを補強し、即戦力リリーフを獲得した。
最弱だった投手陣は、大幅に改善し、リーグ平均以上にはなった。
打線は主軸近郷が抜けたと言っても、依然強力。"ずば抜けて最強"が"普通に最強"になったというだけだ。
チームの完成度は今年が一番高い。そう解説する元プロも多い。
セリーグにおいて、今一番勢いに乗っていると言えるチームが、パリーグの最強相手にどれだけやれるのか。
その結果に、誰もが注目していた。
◇
ウルフェンズとのカードはオウルズ主催、つまり甲子園を使用するホームゲームである。
通常、ホームチーム側が先に練習し、次にビジターチーム側が球場を使用する。
現在の時刻は14:00。ゲーム開始の4時間前であり、ホームチームであるオウルズの練習時間である。
開場時間前であるから、球場には観客は入っていない。
人の喧騒がない分、乾いた打球音や心地よいキャッチャーミットの捕球音が良く響いていた。
球場で体を動かし、試合への準備を進める選手たちの中には、当然国奏の姿もある。
両手で抱えたメディシンボールを左右に揺らし、同時に深く前後に股を割り、腰を落とす。
身体の感覚、体幹を目覚めさせる為に彼が取り入れている準備運動である。
と、そんな国奏に近づく人影が一つ。
「国奏さん、お久しぶりです!」
快活な挨拶と同時に頭を下げた男の名前は、遠藤雅也。
大卒3年目。今季ウルフェンズのブルペンを支える優秀なリリーバーである。
「遠藤か。わざわざ挨拶に来る必要なんてないのに」
「いえいえ、そんな訳にはいきませんよ。俺が今投げれているのも国奏さんの教えがあってこそですから」
「教えてもできない奴の方が多いんだから、お前の実力だよそれは」
かつては同じユニフォームに袖を通していた二人であるが、現在は違うチーム、違うリーグ。連絡を取りさえすれど、そうそう顔を合わせる事などない。
昭和の時分であれば、試合前に敵チームの選手と馴れ合うなど言語道断! と喝を入れられたかもしれないが、今は昔とは違う。
携帯電話の普及、SNSの発展などもあり、選手同士の交流も容易になった。繋がりが強くなった分、かつての様な乱闘上等といった試合展開も昨今のNPBからは鳴りを潜めている。乱闘要員などと揶揄されるような選手ももう存在しない。
プロ野球も人気商売。
最早選手はグラウンドの上で睨み合い、雌雄を決するだけの存在ではないという事だろう。
「そっちはどうだ? 色々体制が変わってるって聞いたけど」
「俺が知ってるのはブルペンの話ぐらいっすけど、新しく就任されたコーチは結構珍しい考え方してますね。試合前は肩を一気に作らせないんですよ。数球投げて、休んで、また数球投げさせる。実際の試合での投球ペースを再現してるらしいんですけど、これがなかなか良い感じで。みんな無駄な疲労が減ったって好評です」
「へぇ。それよさそうだな」
初めて聞く調整法である。
自分に合うか合わないかは試してから判断すればいい。
自分も導入してみようか、と国奏が考えていたところだった。
「あー、あかんなぁマサ。チームの情報を敵に教えるなんて。それ、裏切りになるよ?」
唐突に差し込まれた第三者の声に二人が振り向く。
パーマがかった茶髪に、鼻の通った顔立ち。
そこにいたのは、今ドキの若者、といった風体の男だった。
しかし、それは首から上だけ。
その肉体は一般的な男性と比較すると、些か引き締まり過ぎている。
男は国奏の方を見ると、ニヤッと笑った。
「久しぶりやな、国奏クン」
「水瀬……」
水瀬透火。
"黄金の第一世代"のドラフト5位。現在ウルフェンズ正捕手を務めている男である。
残す成績も一流ながら、その人受けのするキャラクターとルックスにより、ファンからの人気も高いスタープレイヤー。オフシーズンはバラエティなどのTV番組をその剽軽者な態度で賑わせている事もあり、一般の認知度も高い選手である。
その様々な地方の方言が混じったような喋り方は、彼の代名詞でもある。
イントネーションなどもぐちゃぐちゃで、ともすれば気持ち悪くも感じるそれは、彼の持つルックスのおかげで親しみやすさに変わっており、ますます彼の人気に拍車をかけていた。
昔はこんな喋り方ではなかった、と国奏は覚えている。
ただ、捕手として様々な選手と深く関わり合っているうちに方言が混ざってしまった。関西弁6割、播州弁2割、その他2割。とは本人の談。
「ほら、マサ! 挨拶も終わったやろ、戻るぞ」
「え、ちょ。水瀬さんは国奏さんと話さなくていいんすか?」
「いらんでしょ。そんな仲よぉないしなボク等。ねぇ?」
「あぁ。顔を見れただけで十分だよ」
元チームメイトとしては、少々素っ気ないともいえるその態度に対し、国奏は気にした様子もなく笑って返した。
彼がどのような返答を期待していたのかは定かではないが、少なくとも国奏のソレは気に入らなかったようだ。今まで崩さなかった笑みの表情が、そこで初めて崩れた。
「……相変わらずだな」
こちらを一瞥し、そう言い残すと、水瀬は遠藤を連れて去っていった。
◇
国奏らがそんなやり取りを行っていた頃、代わってこちらは室内練習場。
こちらでは殊更に硬球が木製バットにより潰れる音が響いていた。
屋外と違い、天井の存在する屋内では、より音が反響し、打球音がよく通る。
音の発生源は、今まさにマシンと向かい合い、黙々とバットを振り込んでいる杉宮灯矢である。
なぜ自チームの練習時間だというのにこの景観もへったくれもない室内で打撃練習をするのかと言うと、これが彼のルーティーンだからだ。
甲子園球場と言うのは、結構広い。
打撃練習だとしても、スタンドに打球を叩きこむのはそれなりの難易度を誇る。
試合前に屋外でフリーバッティングをすると、自分の脳内のイメージより全然打球が飛ばない、会心の当たりでも柵を超えないな、という事が結構起こる。
そうすると、本番の試合で体が縮こまる。小さく小さく当てていくスイングになっていく。そうなると、長打が出ず、結果も出なくなってしまう。そしてますます振りが大人しくなり、小さな単打を狙うようになっていく。まさに負のループである。
それを防ぐために、杉宮はホームゲーム時の練習では外でバッティングをしないと決めている。
自分の持ち味でもある打撃力を少しでも落とさずに発揮するために行い始めたルーティーンだが、これで中々上手くいっている。
取り入れ始めたのは昨シーズンの半ばからだったが、事実としてその時分から杉宮の打撃成績は安定して高い水準を保つことが出来るようになった。
練習法、調整法は積極的に取り入れ、自分に合わなければ即座に捨てる。
その思い切りの良さを持つ者がこの世界で高い成績を残せる。そう彼は考えていた。
そんなこんなで今日も一人で室内にて快音を響かせていた杉宮だが、30分ほど打ち続けた後、不意に背後からぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。
一体誰だと練習を中断し振り返ると、防球ネットの向こう側には一人の男が立っていた。
プロ野球選手と言うには些か派手な髪型に、顔に張り付いた薄気味悪い笑み。
男は杉宮が苦手に感じている人間だった。
「いやぁ、ええ振りしてるね灯矢。前見た時とは大違い」
「……何の用ですか、水瀬さん。試合前にわざわざ敵の選手に絡みに来るなんて」
「んな昭和のジジイみたいなこと若者が言うなや。今西暦何年か知ってるか?」
相も変わらず、気色悪い喋り方である。
杉宮は込み上げる不快感を表に出さないように押さえつけ、言葉を紡いだ。
「俺のところに来る暇があったら、元チームメイトの方へ行った方がいいんじゃないですか?」
「はぁ~、またそれ? 言われんでももう会ったわ。それにボクは灯矢の方が好きや」
今度こそ不快感を隠さず顔に出した杉宮である。
その杉宮の様子を見て、目の前の剽軽者はわざとらしく悲観したそぶりを見せた。
「う~わっ、その反応バリ悲しいなぁ。昔はストーカーみたいにボクの連絡先調べて、オフの個人練習にくっついてきたぐらいやったのに」
その口ぶりが余計に杉宮をイラつかせた。
タチが悪いのは、この水瀬という男がこれを意図的にやっているという事だ。
「俺が尊敬していたのは選手としてのアンタだ。アンタのそういうところは昔から嫌いだった」
「言うようになったやん。ちょっと今年調子良いからプライドもおっきくなった?」
「…………」
「黙っちゃった。まだまだ青いなァ」
この人と会話しても、こちらが疲れるだけだ。
その事を思い出した杉宮は、早々に会話を終わらせにかかる。
「本当に、何の用ですか? できれば手早く済ませてもらいたいんですが」
用があるなら早く言え。
これ以上アンタと会話したくない。
そんな気持ちがありありと現れた言葉だった。
「用なんてないけど? 可愛い後輩の顔見に来ただけ」
「っ……」
「ほな、まぁボクはこれで。お互いええ試合しましょか。たまにはこういう学生っぽい青いのもええやろ? 杉宮クン」
これでもかと煽られた気分の杉宮である。
我慢して話を聞いたのに、その内容に全く意味がなかった事を知り、苛立ちは最高潮。
もしこの男の目的が、試合前に相手の正捕手を動揺させる事だったのなら、それは完璧に達成されたと言ってもいいだろう。
去っていく水瀬の背中を忌々しげに見つめる瞳が、それを証明していた。




