21話 『2124試合966勝1098敗60分 勝率.468』
セパ交流戦。
NPBにおいて、通常5月下旬から6月中旬にかけて開催されるリーグの垣根を超えたインターリーグの事である。
かねてよりセパの交流試合は協議されてきたが、数々の理由により議論は難航していた。
しかし、2000年代前半に日本プロ野球界を根幹から揺るがしたプロ野球再編問題。
プロ野球の存続すら危うくさせた大問題は、球界の在り方自体を大きく変えた。
結果として、2004年。
NPBが執り行う公式試合に、12球団入り乱れての試合期間が取り入れられる事が決定する。
その後、取り決めは徐々に変化し、今のリーグ対抗戦という形をとった別リーグの6球団との対戦、6チーム×3の計18試合が交流戦として規定される事になる。
交流戦期間の成績、勝ち負けというのは勿論ペナントレースに計上される。
交流戦の間は、同一リーグとの試合は存在しない。
つまり、ペナントを争う同じリーグのチームが、全て勝利する。もしくは敗北した場合にはゲーム差が動かない場合もある。
そして、同時に交流戦期間中の1勝、1敗と言うのは、非常にペナントレースに置いての比重が大きいとも言える。
極端な例えをすれば、1チームが勝ち、他のチームが負けた場合、同時に5チーム全てに1.0ゲーム差を付けられる。
交流戦という期間は一人勝ちという現象が起こりやすく、大きくゲーム差がつく。シーズン優勝を目指すならば、交流戦中の勝率と言うのは非常に重要で、そのシーズンの順位そのものを左右すると言っても過言ではない。
交流戦通しての傾向として、パリーグが優勢であり、10年ほどの間セリーグ全体ではずっと負け越し続けている。
◇
「全員資料渡ったか? 移動日挟んで明後日からの交流戦。各球団の選手のデータも目を通しとけよ」
監督である真野昭信は、ミーティングルームに集まった選手たちを見渡しながら、そう言った。
「皆分かってるとは思うけど、交流戦期間は普段よりも移動時間が増え、その分身体にも影響が出ます。え~、その点を加味して、しっかり体調を崩さないように調整してください」
ぱしぱしと手元の資料で手を叩きながら、真野は言葉を続ける。
「今年の交流戦は、ウチはビジターゲームが北海道、福岡と過酷な日程になります。日本の上から下まで回るキツイ2週間になりますが、優勝目指して頑張っていきましょう。では、解散ということで」
ミーティング終了の合図と共に、選手たちがまばらに席を立ち始める。
しばらくの後、ミーティングルームに残った選手は国奏のみになった。
「あの、監督」
「ん? どないした国奏。何か用か? まさか故障してますなんて言うたら怒るで」
おちゃらけた口調。
真野は冗談のつもりで言ったのだが、対する国奏はいたって真面目な顔。
「いえ、そうではなくて……いや、あながち無関係ともいえないか。まぁ、どちらかと言うと試合に関する事です」
おいおい、これは……、と。
返ってきた言葉を聞いて、真野は身構える。
選手が自分の故障を隠して試合に出場しようとしたり、自分の起用法に不満をもって直談判しに来る事がたまにある。
国奏のこれもそうなのではないか。
「……なんや。真面目な話みたいやな。言ってみぃ」
いや、直談判ならまだいい。
最悪なのは首脳陣より先にマスコミに漏れる事。
下手をすると、気が付けば身に覚えがない事で監督である自分がぶっ叩かれているという事にも成り得る。
それならば先に自分の元に来てもらって、腹を割って話して、落としどころを決める方が100倍マシである。
故に、これからどうやって目の前の男を言いくるめ、納得させるか。
それを頭の中で考えていた所だった。
「交流戦中、接戦になったら必ず俺を登板させて欲しいんです。何連投とか、そういう要素抜きに」
「はぁ?」
彼の言葉は真野にとってそれなりに予想外だった。
投げたがる投手はいる。特に中継ぎは稼げるときに稼がないといけないポジションなので、自分から登板を求める選手も多い事には多い。
しかし、それは積極的にチャンスを掴もうとする出初めの選手や、中継ぎでもダメだったらクビになるといった崖っぷちの選手の話だ。
既に勝ちパの、それもFAで3年間の契約が保証されている国奏が登板機会を自分から求めてくるとは予想外だった。
しかも、彼はもう十分投げている方だ。
シーズンを通して、57から59試合ほどのペース。出来る限り60試合以上登板する投手を作らないようにオウルズはブルペンを回している。
特に国奏は登板数や連投を気にして、ウルフェンズからFAしたのではなかったのか。
「どういう事や? お前、3連投は嫌やって言ってたらしいやん」
「できれば避けてほしいとは言いましたけど、別に契約で禁止してる訳でもないし、しかるべき時にはやりますよ」
選手として当たり前の事です、と国奏は続けた。
ふぅむ、と真野は顎をさすりながら思案する。
監督の立場として試合に勝つ事を第一目標にするのなら、今の状態が良い国奏には、正直全試合投げてほしいくらいだ。
良い投手を負け試合でも投げさせる事が出来るのなら、その後の逆転の可能性は高まる。
借金を多少なりとも減らす事はできるだろう。
しかし、それでは選手は長いシーズンを走り切れない。必ずどこかで調子を崩し、離脱する。
それに何より、若手が育たない。鉄壁の勝ちパターンに頼りきりでは、いつかはボロが出るようになる。それを避ける為に、戦力に余裕があるうちに若手を試し、見出すのだ。ブルペンなんて過剰戦力と言われるくらいがちょうどいい。
「よぉ分からんな。ウチはお前抜きでも中継ぎは一級品や。選手一人に極端に負担がかかる起用法はせんと決めてるしな」
分からないのは、国奏の目的。
彼が球団と結んだ契約には、登板数やホールド数、タイトルにインセンティブがついてはいる。だが、それも天井なしの条件ではなく、"最低ここまで投げてくれたらこれだけ上乗せします"という下限を提示したものだったはずだ。今の彼の登板ペースと今シーズンの調子の良さなら問題なくクリアできるだろう。
今の国奏は、既に安定した3年間の契約を結んだ身。
ならば、彼の第一目標は「怪我をしない」になる筈であり、次点に来るのは「成績の維持」である筈だ。
なのに、現場から成績について文句を付けられている訳でもなく、むしろ称賛されている今、故障の原因を増やすであろう登板数の増加を求める意味。
それが、分からない。
「シーズン優勝、そして日本一の為です」
じっ、と真野の双眸が国奏を睨んだ。
その意味は、真意の確認。
"今シーズンの目標は?"
こう聞かれて「優勝」、「日本一」と答えない選手などほとんどいない。自己成績の目標を述べたとしても、その後に続くのは「自分の目標を達成する事が、ひいてはチームの好成績につながる」というモノだろう。
しかし、本当のところを言えば、選手の第一の目標は"金を稼ぐ"一択である。
一般的なサラリーマン男性の生涯年収は2億半ばほど。プロ野球選手であれば、税金も含めると年俸5000万を10年ほどでこの額に辿り着く。
年俸5000万を10年。これを達成できる選手が球界に何人いるだろうか?
故に彼らは貪欲に成績を求める。自分の身体が動くうちに、金を稼ぎ切らなければならない。
明日は怪我をするかもしれない。その怪我が原因でもうプレイが出来ない体になるかもしれない。
圧倒的なパフォーマンスで球界に名を馳せた選手たちが、一度の怪我で姿を消す。たった数年、火花のように輝いて選手生命を散らしていく。ひと時でも活躍できた分だけ、まだマシな方である。
「それは、本気なんか?」
「キャンプ時の自己紹介でも言った通り、俺はその為にこのチームに来ましたから」
冗談を言っているようには見えない。
という事は、これは真実なのだろう。
彼は本気で、マスコミ相手のおべっかではなく、このチームで優勝を狙っている。
「交流戦は、チャンピオンフラッグを手に入れる為には最も重要と言ってもいい。ここを勝ち切ったチームが、そのままシーズンでも優勝する。特に、負け越しがちなセリーグだとこの傾向は顕著だ。最低でも、勝率6割。できれば7割勝ちたい」
「簡単に言ってくれるけどな。交流戦は全18試合や。それで勝率7割って事は、最低13勝は必要になる。これはカード全てを勝ち越しても足りん。カード全勝が最低でも1回はないと見えてこない数字やぞ」
「でも、試合中のターニングポイントに俺が火消しとして登板したなら、いくつかの負け試合を勝ち、もしくは引き分けに持ち込めるでしょう。負けなければ勝率は上がる」
「……お前本気で言ってるんか? その通りの起用をしたら、連投は少なくとも3程度じゃ効かんぞ?」
「過去には10連投してチームを10連勝させたリリーフもいる。俺は連投には慣れてます。オウルズのリリーフたちは間違いなく優秀だ。でも、これは驕りでもなく客観的な事実として、この役目は俺が一番向いている。まぁ、流石に交流戦後は少し休ませてほしいですが」
「…………」
「チーム全体で見た時に、交流戦後に勢いを落とすようにはしたくない。他のリリーフになるべく負担が掛からずに交流戦を勝ち切るには、今チームで最も状態がいい俺が投げるのが一番なんです」
頼み込むように国奏は頭を下げた。
確かに、国奏の言う通りの起用法をすれば、勝率は上げられるだろう。強力なリリーフを惜しげもなく使えば、敗戦確率を大きく下げられる。
だが、これにはある程度のリスク――国奏の故障の可能性も高める事になる。
監督の役割はチームを勝たせる事。
今シーズンは自身の想定よりずっとチームの調子がいい。交流戦で勝負をかけるか、それともまだ温存するか決めかねていた所だった。
というのも、ここを勝負どころと決めてチームを動かすと、その後勢いというのは必ず落ちる。交流戦で他チームを突き放せれば一気に優勝に近づくが、失敗した場合チームを再び勢いづかせるのはかなりの時間がかかる。
その点、交流戦中の負担を国奏一人に集められるのなら、相当楽にチームを運用できるのは事実である。
「一つ、条件がある。少しでも体に違和感を感じた時は、隠さずにすぐにワシか江藤に言え」
が、国奏という戦力をここで失うというのはその後を考えても明らかに悪手。
結果として、真野が出した結論は、『国奏のモチベーションを落とさないようにできる限り希望の通りに起用し、少しでも不調が出たらすぐに通常起用に戻す』というモノだった。
その真野の返事を受けた国奏本人は、満足げに頷き、真野に礼を言い、ミーティングルームから去っていった。
「……ハァ。これでチームが失速したら。いや、失速せんでもワシめっちゃ叩かれるんやろうなぁ」
監督、つまりチームの顔として矢面に立つ者特有の苦悩。
結果の如何に関わらず、一挙一動を批判される立場に苛まれ、想像し、今夜も胃腸薬の数を増やす真野であった。




