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13話 『不破仙太は投げ切れない』 Ⅱ



「お前、中継ぎに転向するんだってな」


 ウルフェンズの2軍球場に到着した俺に、久保井2軍コーチが声を掛けてきた。


「……何でもう知ってるんですか」


 俺が中継ぎ転向を勧められたのは、ほんの昨日だというのに。


「七岡さんが連絡してきたんだよ。面倒見てくれってな」


「ッ……」


 自分でも自覚があるくらい、"七岡"という単語を聞いて反応してしまった。

 多分、今俺は人には見せられない顔をしている。


「ひでぇ顔だな。そんなに嫌か。中継ぎは」


「……プロとして、求められた場所で働くだけです」


 嘘だ。

 悔しいに決まってる。

 嫌に決まっている。

 お前は先発失格だ、と言われたようなものなのだから。


 別に、中継ぎが先発と比べて劣っているなんて思わない。

 でも、俺はずっと先発である事に誇りを持っていた。

 試合の始まり。

 最初の、誰にも踏み荒らされていないマウンドを踏む快感。

 一人で試合を作り上げていく昂揚感。

 それを得られるのは、スターティングピッチャーだけなのだ。


 それは俺の誇りであり、辛く苦しい練習に耐えて野球をやる意義でもあった。


 でも、それを取り上げられた。


 だけど、俺は野球選手である前にプロだ。

 好きな事をやって、飯を食っていこうなんて図々しい事が許されているのは、球団に雇われているからだ。

 成績も残せず、チームに貢献できていないのに、配置転換を拒否するなんて出来る筈がない。


「隠さなくていいぞ。その"感情"は、当然だ」


 久保井コーチのその言葉に、無性に腹が立った。

 俺のこの気持ちを理解していると、簡単に言い放つその態度に虫唾が走った。


「あなたに……何が分かるんですかッ!」


 だから、思わず声を荒げてしまった。


「分かるさ。俺もそうだった。いや、引退した今でも、未だに先発をやりたかったと思ってるよ」


 そんな失礼な態度をとってしまった俺を、久保井コーチは咎める事もしなかった。


「腐るなよ、国奏。お前はまだ若い。いつか必ず先発をするチャンスも来る。リリーフは過酷な役割だがな、やりようはある。ぶっ壊れねぇように、他ならぬ俺が調整法を教えてやるよ」


 そう笑う久保井コーチを、俺は冷めた目で見ていた。


 もう5年も前の事だ。





 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~






 不破が国奏に連れられて辿り着いた場所は、球場に備え付けられた選手用の仮眠室であった。


「国奏くん。何故ここに?」


「不破さん。今の調整メニューとかスケジュールってありますか?」


「? あぁ、そりゃ当然あるけど……」


「見せてもらえます?」


 国奏に言われて、荷物からタブレットを取り出す。

 不破は自身の調整メニューや、日によって分けたスケジュール、一日の取得カロリーなどをまとめたデータを表示する。

 それを、国奏に見えるように差し出した。


「僕は基本これで調整しているけど……どういう事だい?」


 タブレット画面を見て、国奏は何やらウンウンと頷いている。


 しばらく目を通した後、自身のスマホを取り出し、ある画面を開いて不破に見せてきた。


「不破さん。これが俺のシーズン中の一日のスケジュールです」


「見ていいのかい?」


「えぇ、これを見てもらわなきゃ始まりませんし」


 スマホを受け取り、画面に目を落とす。


 そこに書いてあった国奏のスケジュールは、不破を驚愕させた。


「……国奏くんは、これを毎日?」


「はい、シーズン中はその流れから極端に外れる事はしません。特に、()()()()は」


 そう。睡眠時間だ。

 それがこのスケジュールはおかしい。

 朝、昼、夜に30分単位で仮眠がところどころに挟まれ、合わせると一日のうち1()2()()()は寝ている事になる。


 当然、チームとしての練習もある。

 こんな生活をしているなら、自分の時間など殆どない筈だ。


「不破さんは、プロ野球選手のピークって知っていますか?」


「大体、30前後だろう?」


「それは成績のピークです。身体能力のピークは違う。俺たち投手の身体の性能は、25から26を頂点にそれ以降は劣化し続けます。30までは緩やかに。それ以降は加速して進んでいく。キャリアハイに30前後の選手が多いのは、経験と身体能力の調和がとれるのがその年齢だからです」


 国奏の言っている事は、不破も聞いた事があった。

 確か、セイバーメトリクス的に指標を分析した結果、野手ならば打球速度や三振率、コンタクト率などのピークが27歳。投手ならば球速や回転数、球種による被打率などが最も良成績なのが25から26という研究結果が出たという話だ。


「俺たちは、ただそこにいるだけで衰えていく。当たり前ですけど、それを強く意識しなきゃいけない」


「だから、睡眠時間を確保すると?」


「えぇ、少なくとも俺はこの調整法を取り入れてから、身体の疲労も減って、怪我もしなくなりました」


 何という意識の高さだろうか。

 自分は、そんな事考えることもなかった。

 そして、自分が恥ずかしくなる。

 彼が、国奏が恵まれた肩を持っているから壊れていないのだと思っていた事が。

 違った。そうではない。

 彼は努力して自分の状態を保っていたのだ。

 生物である限り逃れられない老いから、できる限りの手段をもって対抗していたのだ。


 どうやってそこまで過ごしてきたか。

 それによって、同じ年齢でも状態が違うのは当然の事だ。


「国奏くんはこれを自分で考えたのか?」


「いいえ、この調整法は……ウルフェンズ時代に、久保井コーチに教えてもらったんです」


「久保井……、まさか久保井泰虎さんの事かい?」


 久保井泰虎。

 国奏が更新するまで、シーズン登板数の一位に座していた中継ぎ右腕。


 90登板 9勝 2敗 46H 55HP 防御率1.76


 彼は驚異的な登板数と成績を両立し、最優秀中継ぎとしてセリーグに君臨した。


 久保井が凄まじいのは、その翌年。

 前年90試合という数を投げておきながら、その次シーズンも68試合に登板し、防御率3.12。2年連続での最優秀中継ぎに受賞される。

 誰もが、久保井を鉄腕と称え、「彼はどれだけ投げても壊れない。連投できる」と評価した。


 しかし――彼は翌年から大きく数字を落とし、最終的に33歳という若さで引退する事になる。


「俺が中継ぎに転向した時に、色々と現役時代の経験を教えてもらいました」


 成程。

 あれほどの登板数を乗り切った投手の経験だ。

 きっとこの方法は、国奏や久保井、彼らの努力の末編み出されたモノなのだろう。


「このメニューそのままにやる必要はないです。不破さんには不破さんの、ずっと積み上げてきた体との付き合い方や調整方法があるでしょう。でも、睡眠12時間だけは守ってください。あなたに覚悟を聞いたのは、これをこなす事ができるのかという意味です。不破さんは――お子さんがいますよね」


「――あぁ、いるね。今年……4歳になるな」


 不破には、彼の言わんとしている事が分かった。


「睡眠時間を確保する。これは言うほど簡単じゃありません。寝て、食べて、練習する。これだけをして毎日を生活するようなものです。今まではできていた家族との時間も、多分ほとんどなくなるでしょう」


 ――酷いな、この子は。


 こんな悪魔のような契約を見せつけてくるなんて。


 "野球選手としてもう一度復活したかったら、全てを野球に捧げろ"


 こんな契約……断れるわけがない。


「――やるよ。国奏くん。言ったろう? 僕はもう一度完投できるのなら、何でもやる」


 それに対し、国奏は。


「そうですか――じゃあ、今からいっちょ寝ますか!」


 笑いながらそう言った。








 翌日、甲子園での不破の先発予定日。


 立ち上がりから安定していた不破は、6回まで3失点で相手打線を抑えていた。


 これが、あの調整法によるものなのかはまだ分からない。ただ、この日の不破は、()()()()()()()状態が良かったのも事実。


 だが。


「どうしてですか! まだいけます。7回もいかせてください!」


「アホォ! 6回からもう球が浮いてきてるやろうがッ! 球速も落ちて、四球3つも出しおってからに。ウチは中継ぎええんやから火傷せんうちに引いとけ。なっ?」


「くっ……」


 ダグアウトでは、投手コーチの江藤、キャッチャーの杉宮に囲まれて、不破が大きく声を荒げた。


 この回の裏、不破に打順が回ってくる。

 セリーグには、打撃のみで試合に参加できるDH制度がない。

 故に、投手も打席に立つ必要がある。

 疲労の見えた投手や、相手打線に捉えられ始めた投手は、容赦なく自分の打順で代打を出され、降板する事が多いのだ。


「不破さん。あなたローテ投手なんですよ? 不破さんが無理して、次の登板予定に穴でも開いたら、迷惑を被るのはチームだ。心配しなくても、絶対抑えますから。勝ち投手の権利は消えませんよ」


 違う。そういう事ではないのだ。

 今日は、一年に一度あるかないかの好調な日だった。

 先発にとって、絶好調と言える状態で投げられる試合は、1シーズンに一試合程度。


 だから、投げたかった。


 いつもこれだ。

 球数が80を超えたあたりから、肩に痛みが出始める。

 体がズレている感覚が現れ始める。


 なかなか降板に納得しない不破に対し、杉宮が言い放った。


「――正直に言うと、もう迷惑なんですよ。今の球威が落ちたあなたをリードする方の身にもなってください。続投して、勝ちが消えたら批判されるのは不破さんだけじゃありません。チームも監督も、球を捕ってる俺もファンから罵倒されます。だから、マウンドを渡してくれませんか?」


「――――」


 不破の表情が歪んだ。

 その後、すぐにうなだれた様子になり、そのまま顔を伏した。


「その表情も、中継に映らないようにしてくださいね。カメラに抜かれたらSNSで騒がれますよ」











 結局、6回裏に代打を出された不破は、その後のマウンドを国奏に譲る。

 7、8,9回と鉄壁の勝ちパターン継投を繋いだオウルズは、試合には勝利し、不破には勝ち星が記録された。


 だが、試合後にロッカールームに座る彼の様子は、勝ちを得た投手のものには見えなかった。


「勝ち投手、おめでとうございます」


「……あぁ、国奏くんか」


 項垂れていた不破は、国奏の声に反応して顔を上げた。


「どうでしたか? 体は」


「状態は良かったよ、間違いなく。でも……」


 不破は、自分の肩をさすりながら言葉を繋げた。


「80球なんだ。そこを超えたら、誤魔化しがきかなくなる。どんなに調子が良くても、昔みたいに続かないんだ。折角教えてくれたのに、ごめんよ。もう僕の体は限界なのかもしれない」


 不破の言葉に、国奏は考えるそぶりを取った後、あっけらかんと言い放った。


「80球までは続くんでしょう? でも、その後に崩れる……。それなら、やっぱりまだ諦めるには早いでしょう」


「え……?」


「不破さん。今日甲子園で投げて、それで次はどこの予定ですか?」


「今の日程のまま進めば、神宮だけど……」


「じゃあちょうどいいですね。ちょっと、紹介したいところがあるんです」



国奏の調整法は、ホークス松田選手のものを参考に。

若手の頃は怪我で離脱する印象が強かった選手ですが、37歳となる今でも球界の第一線を張り続ける素晴らしいベテランです。


ちなみに久保井の成績はモデルほぼまんまです。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白い。野球はめちゃくちゃキャラクター出さないといけないジャンルだから大変だとは思うけどどんどん投稿してって欲しい。
[良い点]  あっと言う間に読み切ってしまいました。  解説も素敵ですし、凄くわかりやすいです。  また、読みに来ます。 [一言]  なろうには3作品ほど野球を題材とした私が素敵だと思ったものがありま…
[一言] さすがに速攻と言うわけにもいかなかったか。 でも希望はありそうな感じかな。
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