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華メグリ  作者: 縦川慧
花、開ク
2/2

壱.火羽という少女

『私の頭の中に』


『響くあなたの声は、』


『懐かしさと』


『愛しさと』


『哀しさで溢れていて…』




*登場人物*


火羽(コノハ)…天狗に育てられた16歳の少女。迷いの森に住むようになった経緯は不明。森の外に憧れている。


紫乃(シノ)…火羽を育てた天狗の片割れで、緋乃の双子の兄。その名の通りの美しい紫色の瞳を持っている。天狗とはいえ、見た目は普通の人間である。


緋乃(ヒノ)…火羽を育てた天狗の片割れで、紫乃の双子の弟。その名の通りの美しい緋色の瞳を持っている。紫乃と同じく、見た目は普通の人間。

時々、空から“言ノ葉の雫”が落ちてくることがある。それは自分の名前である時もあれば、知らない誰かの名前である時もある。

『コ……ノ、ハ……!』

「…?誰…?」

誰かに名を呼ばれた気がした少女──火羽は、ゆっくりと頭をもたげて空を見上げる。そこには、森の木々によって切り取られたいつも通りの四角い空があるだけだ。

このようなことは彼女にとって珍しいことではなく、いつからか唐突に起こるようになった現象であった。

火羽が首を傾げて再び前を向いた時だった。


【ほう…。俺との鍛錬中によそ見とは、いい度胸だなっ!】


ガキィン!


「…ってあっぶな!」


火羽は、手にしていた小刀を慌てて前に構えて、突然の攻撃を受け止めた。その弾みで、地面に生えていた草花が散る。

攻撃源である青年――紫乃(シノ)が、春に咲き誇る藤を思わせる紫色の瞳を爛々と輝かせ、刀越しにこちらを見ていた。

【オラッ、もっと集中しろ!かかってこい!】

鍔迫り合いに持ち込まれ、刀の間で火花を散らす。このままでは、力で押し負けてしまう。

火羽は、意を決して押し返す力を一瞬だけ抜く。紫乃がその隙を見逃すはずもなく、口の端を引き上げて刀を振り降ろさんとした時。

彼女は後ろに数歩飛び退くと同時に、地面を勢いよく蹴ると高く跳躍し、その場から姿を消した。突如として吹き抜ける風が紫乃の白い頬を掠め、僅かに赤い雫を宙に飛ばす。頬と一緒に端を切られた白銀の髪が、風に攫われて行く。

【な!?───風の力か!】

彼が見上げた先には、脚に小さな旋風を伴って意地悪く微笑する火羽がいた。その手に握られている小刀は、薄らと焔を膜状に宿し、攻撃性を高めているのが分かる。

「その首、今日こそ頂戴する!!」

燕が狩りをするかのように急降下し、火羽は炎の小刀を紫乃の首に向けて振り切ろうとしたその時。

【はい、2人ともそこまで】

突然、紫乃と火羽の間に割って入った人影。その人が掌を両者に向けると、途端に2人の動きはゼンマイ人形のようにピタリと止まってしまう。

2人がギギギ…と僅かに動く目をやると、口元に三日月の形を宿した白銀長髪の青年がいた。紫乃と瓜二つの容貌に、同じく修険者のような梵天のついた結袈裟を纏い、秋の紅葉を思わせる緋色の瞳で、世界を見据える彼は、天狗にして紫乃の双子の弟。

緋乃(ヒノ)!あとちょっとだったのに邪魔するなんて…。というか、精神縛りを解いて!」

火羽が悔しげに顔を歪めると、切れ長の目尻を更に細めて、緋乃はあくまでも穏やかに言った。

【昼餉の時間だから呼びに来てみれば!明らかに君たちはやり過ぎだよ。鍛錬の域を超えてどうするの。特に兄さん】

兄である紫乃を咎めるようにして語尾を強めたのは、火羽の気のせいでは無さそうだ。

紫乃は、傍から見てもわかりやすいほどの冷や汗をダラダラと流していた。

【いやあ…。つい?】

【つい、で火羽が怪我でもしたらどうするのさ?この娘は僕達天狗の養い子だよ。しかも妖でもない、ただの人間!】

【あの、もしもし?俺は怪我しても良いの…?】

切れた頬を示唆するように、紫乃は瞳を斜め下に動かした。しかし緋乃はそれを一瞥しただけで、兄には背を向けて火羽に再び向き合った。

【火羽。君ももう16だよ。鍛錬はあくまで身体を鍛え、剣術の技を磨くためのもの。使って良い力と駄目な力があることくらい、分かってるでしょう?】

彼が言う使って良い力と駄目な力とは、恐らく風と火の力のことを言っているのだろうと火羽は察する。異能の力が跋扈するという外の世界では、別段珍しい話でもない筈だ。

それこそ、火羽はもう16。外の世界でそろそろ独り立ちする時期でもある。異能による戦闘が無いとも言い切れないため、異能を使った戦闘にも慣れておく必要があるのではないかと火羽は考えていた。

そんなことを言っても頑として耳に入れない緋乃をちらりと見遣り、彼女は小さくため息をついた。

ある一族の紛争によって孤児になってしまった火羽が、紫乃と緋乃の住まう四森国(ヨツモリコク)の迷いの森で育てられ始めて、かれこれもう10年程経つ頃であったが、未だにこの過保護さは抜けない。寧ろ、時が経つにつれて酷くなっていた。

しかし、緋乃の過保護が酷くなるのに比例し、火羽のお転婆も酷くなるので、紫乃から見れば最早お互い様である。

有無を言わせない緋乃の微笑に、火羽は彼の言う事を聞く他ない。

「…分かった。無闇に異能を使うのは止めるわ。ごめんなさい」

緋乃は、どこかまだ納得していない顔をしている火羽を見、精神縛りの術を解除した。そして、頭一つと半分程小さい彼女の目線に合わせ、中腰になって言った。

【火羽の考えてる、独り立ちに際しての異能を使った戦闘への慣れっていうのも分かる。でも、外の世界では妖退治を生業とする華メグリの民や妖じゃないと異能は使えないってことになってるんだよ。これから外の世界で独りで生きていくなら、異能の戦闘に巻き込まれても、ただの体術と剣術で渡り合わないといけない】

【そうだな。お前の風の力と火の力…、この力は、奴らに知られてはならない。一般の人間が異能を持っているとなれば、争いの火種になっちまう】

同じく精神縛りの術を解除された紫乃が、緋乃に寄り添うようにして傍に立って言う。彼らは同じように形の良い眉を少し下げ、困ったようは表情で火羽を見つめていた。

【すまねえな、俺が調子に乗って鍛錬に熱を入れちまって…。お前普段鍛錬に気を抜かないのにぼーっとしてたし、また鍛錬中に何か“聞こえて”たんだろ?】

稀に聞こえる言ノ葉の雫のことを指しているのだろう。紫乃はやはり鋭い。

火羽がこくりと頷くと、紫乃と緋乃は互いに顔を見合わせ頷く。

【そろそろ潮時だね…】

緋乃の口元は弧を描いていたが、緋色の瞳は悲哀の色で滲んでいた。何故、そんな表情をしているのか、火羽には分からない。

紫乃は弟の肩にそっと手を置き、悲しみを分かち合うように口元を歪めていた。

戸惑いから首を傾げることしか出来ない火羽を愛おしげに見つめ、緋乃が言った。

【昼餉の前に、(イツキ)様の所へ行っておいで。彼女が、君に会いたがってる】


────────

──────

───


緋乃たちに促されるまま、火羽は樹を訪ねるため、迷いの森の奥深くまで足を運んでいた。

「樹様、久しぶりにお会いするなあ…。元気にしていらっしゃるのかしら」

樹とは、里親の紫乃や緋乃と同等に火羽と歳月を共にしている人物だ。迷いの森の奥の庵に1人棲み付いており、植物に精通したたおやかな女性である。幼い火羽に薬草学を教えたり、外の世界の知識を授けた彼女は、火羽の姉や母親代わりと言っても過言ではない。

紫乃、緋乃共に樹のことは敬称で呼んでいたり、彼女の所作一つ一つが美しく、どこか浮世離れした雰囲気を持つため、彼女は妖の世界では地位の高い、貴いお方なのだろうと火羽は幼心に理解していた。

ここの所は鍛錬に明け暮れていたせいで、樹と会うのは随分と久しぶりな気がしていた。そんな貴いお方だからこそ、久しぶりに会うとなると緊張してしまうのも頷ける。

庵へと続くいつもの道を歩いていると、ふと甘いような、それに草の匂いが混じったような独特の香りが鼻腔を掠めた。

毎年、この時期になると嗅いでいるような、覚えのある匂い。

もしかしてと思い、火羽は見慣れた木々の間を走り抜け、開けたその場所に辿り着くと。

辺り一面、白、白、白。野原に広がる、白百合の花畑だった。

ここは秋~冬にかけては何も生えていない、ただの野原なのだが、初夏になると毎年こうして白百合の花畑が出現するのだ。

「甘い香りは、やっぱり百合の香りだったんだ…」

紫乃と緋乃が毎年この時期になると、社に白百合の花を花瓶に生けていて、ここの白百合を貰い受けていると聞いていた。

彼らは毎年欠かさず生けるものだから、幼い頃不思議に思い、彼らに「百合の花が好きなの?」と尋ねたことがあった。

2人は困ったように微笑んで、

【…好きだよ。ずっと…ずーっとね。百合は…大好きな花なんだ】

【俺たちにとって百合の花は…思い出の、大切な花だ。だから、この時期になると生けて手元に置いてるのさ】

2人はこれ以上は答えてくれなくて、どこか哀しげな顔をするばかりで。何か事情があるのだろうと思い、いつからか聞かなくなっていた。

「紫乃と緋乃がこの景色を見たら…喜ぶかな…」

初夏の風に煽られて、数枚の白い花びらが舞い上がり、さわさわと揺れる。それと共に、百合の甘い香りが風に乗って、火羽の鼻腔をくすぐった。

火羽が白百合の群生の間に出来た小道を歩いて行くと、百合たちの葉には、幾つか剪定(せんてい)された跡があることに気付く。

(もしかしたら、丁度今樹様が百合たちの世話をしているのかもしれない)

はやる足を宥めつつ、辺りをきょろきょろと見回すと、ふと軽快な金属音が耳朶を打った。

花鋏の音であろうか、微かに聞こえたような音に辺りを見渡すと、前方数十メール先に人影が見えた。

動きから察するに、百合の花を数本摘み取っているようだ。

(樹様かしら?)

百合の根元を踏んで傷付けないよう、慎重に百合と百合の間を歩き、樹かもしれない人影に近付いていく。徐々に、人影が若い女性であることを認識した。

深草色の長い髪に、白百合のような白い肌。鼻筋がすっと通っていて、優しい形に弧を描いている口元。

遠くから見ても、見目麗しい婦人であることがわかった。

萌黄色の着物に身を包み、(かいな)に数本の百合を抱いて、伏せ目がちに微笑みを浮かべる彼女に、同じ女ながらに見惚れてしまう。

「い、樹様!!」

火羽の声に気付いた女性は、ぱっと顔を上げて火羽の方を見た。

いつ見ても浮世離れした雰囲気とその容貌に、火羽の口はもごもごともたついてしまい、次の言葉がなかなか出てこない。

樹は火羽を見て少々驚いた顔をしたが、すぐに蕾が綻ぶような笑顔を見せた。

「火羽!久しぶりじゃのう、待っておったぞ!」

彼女の優しげに語りかける声を聞いて、緊張して強張った身体から力が抜けて、火羽はほっと息を吐いた。

百合を抱いたまま、樹は火羽の元までゆったりとした足取りで近付く。ふわり、と朝露に濡れた木々のような爽やかな香りが漂う。

「樹様、お久しぶりです。毎年のことながら、ここの白百合はどれも美しいですね。きっと、樹様の喜ぶ顔が見たくて白百合たちも咲いたのでしょう」

火羽の言葉に、樹はありがとうと少し照れ臭そうに頬を薄桃色に染める。腕に抱く数本の百合の花部に手を添えて、愛おしげに見つめる彼女の横顔は、まるで我が子を抱く母のように見える。

それに同意するように、百合が葉をさわさわと鳴らした気がした。

「そうだ、樹様。私に何か御用があると緋乃から聞いたのですが、どうかされましたか?」

ここへ来た目的を樹に問うと、彼女の口元は曖昧に動いた。

「…庵へ行く道中で話しても良いか?」

「え?は、はい。構いませんが」

特に急いでいる訳では無いし、火羽は素直に頷いた。

白百合と花鋏を手に、樹は花畑の脇から続く庵への道を進み始めた。その後を、火羽は雛鳥のように着いていく。

火羽は昔もこんな風に樹の後を着いて回っていたなとぼんやり考えていると、前を行く樹がぽつりとこぼした。

「そなたが迷いの森に来て、10年か…。妾たちには瞬き程の時の流れであったが、そなたが独り立ちする日が来ようとはな」

「独り立ち?それは…」

まだ先の話ですよ、と火羽が笑って続けようとした時だった。

樹は火羽を振り返り、眉尻をやや下げて小さく口を開いた。

「今日なのだ。そなたが独り立ちする日は」

2人の間を、突風が吹き抜けた。白百合の花びらを数枚攫い、火羽の肩口で揃えた髪をも揺らす。

「え……?そ、れは……」

「先程、言ノ葉の雫を拾ったのであろう?それが合図だ」

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