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第七話 異世界のご飯は美味しい

 短時間の空中遊泳を終えて、祐介たちは恵美がおすすめする店の前に降りたった。

 その店は大衆食堂のようで、女性よりも男性の方が多く利用している。客の中には休憩中の兵士らしき者の姿もあり、なかなかに繁盛している様子だ。

 恵美は慣れた様子で店に入ると、忙しく働く給仕のドニゥに「三人」と声を掛ける。声を掛けられたドニゥは祐介たちを空いているカウンター席に案内する――ピーターを見て少しの間挙動不審になったが――と、他に声を掛けてきた客の元へ向かって行った。

 恵美は「とりあえずおすすめのものを頼むね」と言うと、カウンター向こうにいる人物に声を掛ける。そうして奥から現れたのは、筋骨隆々の厳ついヒト……エリフの男性だった。


「この人はこの店の店長さん。紹介するね、彼は祐介。私の従弟になるの」

「は、初めまして」


 社会人としての癖なのか、祐介はぺこぺことお辞儀をしながら挨拶をした。それを見てエリフの男性はニカリと笑うと、豪快に祐介の肩を叩いたのだ。そしてにこにこ笑顔のまま店の奥へと姿を消した。

 祐介はいったい何が起こったのかよく理解できないようで、目を白黒させる。そんな祐介に恵美が耳打ちした。


「たぶんだけど、店長さん、祐くんのことが気に入ったみたい」

「ええ、なんで? 挨拶しただけだぞ?」


 考えてみるが理由はてんで思いつかない。

 祐介たちがうんうん唸っている間にそれなりの時間が経ち、三人の目の前には湯気の立つ美味しそうな料理が運ばれてきた。

 芋を蒸してすり潰し、少量の小麦粉を混ぜて平たく伸ばし焼いたパン、いろんな種類の豆がたっぷり入ったコンソメスープは祐介が毎日食べている料理だ。しかし今日はそこに、こんがりとした焦げ目の付いた香ばしい匂いを漂わせる肉の串焼きと、香草で蒸し焼きにされた白身魚の切り身が並んでいる。

 その二つの料理を見て、祐介は目をきらきらと輝かせた。


「おー! 美味そう! この肉はなんだ?」

「ウサギ肉の串焼きだよ」

「へえ、ウサギとか初めて食べるな」

「……うん、まあ、祐くんが想像してるウサギとはだいぶ異なると思うけどね」

「……え? え、なんでそんな恐ろしいこと言うのエミねーちゃん!?」


 はたして、この世界のウサギとはいったいどんな姿をしているのか。祐介はそう思いながら引きつった笑みを浮かべた。しかし目の前の串焼きから漂う良い香りには抗えず、祐介は恐る恐る串を手に取った。

大きくぶつ切りにされた肉が三つ串に刺さっている、なんとも豪快な一品だ。祐介はどう食べればいいのか散々悩んだ挙句、結局大きく口を開けて肉にかぶりついた。


「……っ、美味ぇ!」


 祐介は串焼きのあまりの美味しさ――この世界に来てから初めて食べた肉というのもあるかもしれないが――に感動し思わず叫んでいた。

 肉そのものは脂が少なくさっぱりとした癖の無い味わいだ。なかなかの噛みごたえのある肉質だが、ひどく固いというわけではなく実に歯切れが良い。肉自体の味付けは塩と胡椒、それと少々のハーブのようで、これだけでも十分に美味しいと言える。しかしそこに、にんにくと酒を混ぜた焦がしバターのタレが絡まることで、よりいっそう食欲を増進させるというものだ。バターは祐介が慣れ親しんでいる物とは違い少し癖があるが、にんにくの香りでそれも打ち消されているためあまり気にならない。

 美味い美味いと言いながら串焼き一本をペロリと完食した祐介は、箸休めとして芋のパンを手でちぎって口に放り込んだ。


「……ん?」


 祐介はパンがいつも食べている物と違い、もちもちしていることに気が付いた。なかなかに腹に溜まりそうなもっちり感だが、不思議といつものパンよりも重くはない。

 しっかりと咀嚼し飲み込んでから、祐介は疑問を口にした。


「ここの芋のパン、ずいぶんともちもちしてるけど……」

「ああ、ここの芋パンはね、普通の物より小麦粉の割合を多くしてしっかり捏ねてるから、こんな食感なの」

「ああ、だからこのもちもち感なのか。……うん、これも美味い」


 一口二口とパンを口に運ぶ祐介に、恵美が空になっている串焼きが乗っていた皿を差し出した。


「祐くん、このバターソースをパンに付けて食べても美味しいよ」

「うわそれ絶対に美味いやつ!」


 祐介は早速パンにバターソースを付けて頬張る。もちもちした食感の芋のパンに、にんにくが香るバターが絡まりこの上なく絶品だ。そもそも芋を使ったパンという、原材料から考えてガーリックバターが合わないはずかない組み合わせなのだから、当然のことと言えるだろう。

 このままの勢いだと全部食べてしまいそうだと思った祐介は、強い意志でもってすでに半分以下となってしまったパンを一旦皿に戻すと、今度は大きな魚の切り身に手を付けた。使う食器は木製のナイフとフォークだ。ここでついつい箸を所望してしまうのは日本人として仕方のないことだろう。しかしたとえ箸が存在していたとしても、ウィンディア国内では主要種族がドニゥであるため、彼らの手の大きさから考えて菜箸程度の長さは確実にあるだろう。そのため、一般的な日本人男性である祐介にとっては使いにくいだろうことは想像に難くない。この店はエリフの男性が店主だからか、食器の類いはドニゥ用とそれ以外の種族用と別々に準備してくれている。そのため、祐介と恵美の前には二人にとって一般的な大きさの、ピーターの前にはドニゥ用の柄の長い食器が並べられているのだ。

 そういえば木製のナイフとフォークなんて初めて使うな、そんなことを考えながら、祐介は魚の切り身の左端にフォークを軽く刺してそのすぐ横にナイフを入れる。そうすると身がほぐれ、ちょうど一口大の身の塊になる。ぷりんとしたその身は脂が滴っており、ハーブの香りと相まって食欲をそそる。

 せっかくの脂が皿に落ちてしまうのがもったいないと、祐介はフォークに刺さった身を口に運んだ。


「おおっ、これも美味い!」


 まず口の中に広がり鼻へと抜けていくのはハーブの香り。その後に白身魚の上品な脂の旨味と香りが舌の上で踊る。柔らかいが弾力のある魚の身は非常に歯ざわりが良く、ハーブ以外は塩のみのシンプルな味付けであることから、これは素材そのものが良いのだろうと祐介は三口目を口に運びながら考えていた。


「それにしてもこの魚の切り身、ずいぶん大きいけど……こんな川魚がいるのか?」

「うーん、いないことはないけど……これ川魚じゃなくて海の魚だよ」

「え? でもここ、山の中だよな?」


 山の中なのにこんな大物の海の魚が食べられるとは、いったいどういうことなのだろうか。

 祐介が恵美に素直な気持ちで疑問をぶつける。すると恵美はああ、と笑って祐介の疑問に答えるために口を開いた。


「まず前提条件ね。祐くん、ここが異世界だっていうこと、理解してね」

「あ、ああ」

「よろしい。じゃあまずは、このウィンディアという国についておさらいしようか」


 恵美はそう言うと、このウィンディアがどのような場所にできた国なのかの説明を祐介に求める。祐介はつい数日前に勉強したばかりの内容を必死に思い出しながら、ところどころ詰まりつつも答えていく。


「ええと……確か、シルフィール山脈の中と山の麓……と森、そして少しの平野部を国土にしている国、だったよな?」

「うん、正解。それじゃあ次の質問ね。シルフィール山脈周辺の地理はどうだったかな?」

「周辺の地理? それはさっき言った通り山と森と平野部……っと、そうだった、確かシルフィール山脈って海沿いに連なってるんだっけ」


 祐介の言葉の通り、シルフィール山脈の西側と北側は海に面している。山の中に多くの村や街、都市を持つウィンディアはその国土のほとんどが天然の要塞と化しており、他国から侵攻されにくいという特徴を有していた。特に王城などは空からしか攻め入ることができないとまで言われている。そんな立地条件からして堅牢な国を守るのは、この世界でも最強と謳われるほどの強さを誇る、空を主戦場とするドニゥの兵たちだ。他種族は空を飛べる者が限られており――スギルという天使のような姿をした種族がいるが、彼らはドニゥのように自由自在に空を飛べない――上空のドニゥに攻撃する手段が圧倒的に少ない。魔法を放とうにもドニゥの戦士はその魔法の射程外に簡単に逃げることができてしまうため、戦いにもならないのだという。そのため、ここ三百年はウィンディアと他国の間で小競り合いすら起きていないそうだ。

 そんなことまで思い出した祐介はいやいやと小さく首を振ると、先ほど述べた答えがいったいどういう意味を持つのかと恵美に尋ねる。恵美は祐介の言葉を聞いてにんまりと口の両端を釣り上げると、簡単なことだと右手の人差し指をぴんと立てた。


「海沿いにあるっていうのが大事なの。ほら、ドニゥって飛べるじゃない?」

「……ああっ!」


 そういうことか! と祐介は納得した様子で大きく頷いた。


「海に漁に行って、そのまま山の上まで運んで来れるのか! そうか、個人レベルでの空輸か……陸路を使わないんなら、港町ほどとまではいかなくても鮮度を保ったまま運ぶことができるよなぁ」

「よくできました。もちろん、この魚を仕留めた時に適切な下処理を施すからこそ、ここまでの鮮度が保てるっていうのもあるのよ」

「活け締めってやつ?」

「うーん、まあそんなところね」


 なんだかまた一つ賢くなったような心地になる祐介。彼はふんふんと頷きながら、魚料理を食べることを再開する。美味しい料理は食べるペースも早くなるというもので、あっという間に魚の切り身は三分の一ほどの量となる。祐介はこんなに美味しい魚があるのなら、とぽつりと呟いた。


「刺身も食べたくなるなぁ。んで、焼酎か日本酒をきゅっと一杯やりたいね。ビールでもいいけど」

「おお、なんかおじさんみたいなことを言うね、祐くん」

「俺ももう三十路だからね……若い子から見たらもう立派におじさんだよ……」


 力なく言いながら、箸休めとして豆のスープを一口飲む。豆がなかなかに腹に溜まるが、味そのものはとても美味しい。この食堂の豆のスープはコンソメ味を少し抑えめにして豆の甘味を生かしており、どこかほっとするような味わいとなっている。祐介の隣に座るピーターも満面の笑みで豆のスープを口にしていることから、ドニゥの味覚基準でも美味しいもの――のちにピーター本人に聞いた話によると、いわゆるお袋の味と呼ばれるものに類するそうだ――なのは間違いないようだ。

 そうして祐介たちは談笑しながら美味しい料理を完食して、食後の水を飲んでいた。その時、祐介はあんなにたくさんいた兵士たちの姿がまったく見えなくなっていたことに気が付き、おや、と声を上げる。


「なんか急にがらんとしたな」

「ああ、それは仕方ないよ。年末はどこも忙しいからね」

「年末で忙しいって、日本みたいというか……異世界でもそういうのはあるんだな」


 恵美の言葉に呆れ顔を浮かべる祐介。祐介は一般的な会社に勤めていたため、確かに年末年始は忙しいというか地獄のようだったという感想を抱いている。その地獄のような思い出の中に、彼が社会人になって生まれて初めてできた彼女とクリスマスを過ごすことができず、それに不満を抱いた女性に振られてしまったというものがある。それ以来ずっと独り身の祐介は、半ばやけになって年末年始には仕事を入れていたのだ。


「そういや正月も実家に帰ってなかったな……」


 まさか異世界に来ることになるなんて思っていなかった祐介は、実家になかなか帰らなかったことを今更ながら後悔する。きっと両親だけでなく親戚もひどく心配してることだろう。何せ彼らの前から姿を消したのは、恵美に続いて二人目になるのだから。

 少しだけしんみりとした様子の祐介に、恵美も何かを思ったのか黙り込んでしまう。しばらく気まずい空気が辺りに流れたが、恵美がパン! と手を叩いたことで気分が明るいものへと入れ替わった。


「はい、この話はこれでおしまい! すいません、お勘定ー」

オーィア(あいよー)


 恵美が懐から財布を出しながらカウンターの奥に声を掛けると、この店の店長がぬっとその姿を現した。恵美は財布の中から二枚の丸い銅貨らしきお金を取り出し店長に渡す。彼はさっと金額を確認すると、金庫の中から二枚の丸い木片を取り恵美の手のひらの上に置いた。恵美は「ごちそうさまでした」と言いながらその木片を財布の中にしまう。その動作を見て、祐介はようやくその木片が貨幣であるのだと理解した。


「お金が木でできてるんだ……」

「ああ、そういえばその辺のことまだ教えてなかったね。帰ったらこの世界の通貨の勉強でもしようか」

「うえー、また勉強かよ……」


 勉強という単語に眉をしかめる祐介。しかしそんな彼の目に、厳つい表情をした店長の姿が映った。祐介はその時しまったと内心で慌てる。もしかしたら食事の内容が不満でこんな表情をしているのだと誤解されたかもしれないと思ったからだ。

 祐介は社会人となり鍛えられた表情筋を総動員し、相手に不快感を与えない笑顔を作る。しかしその表情は紛れもなく祐介の本心でもあった。


「ごちそうさまでした! とても美味しかったです!」


 純粋な気持ちで料理の感想を述べる祐介。そんな彼の言葉を受け、店長はにかりと白い歯を見せて笑い、おもむろに祐介の頭をガシガシと撫で回す。それなりの力で撫でられた祐介の髪は見事にボサボサだ。そんな彼を見て「ガッハッハ」と豪快な笑い声を上げた店長は、厳つい見た目には少々どころかとても似合わない、可愛らしくラッピングされた小袋を三つ籠から取り出した。いったいなんだと祐介が目をぱちくりさせていると、店長はその小袋を彼ら三人にそれぞれ手渡したのだ。


「これは……?」


 祐介が小袋をまじまじと見つめていると、恵美が「ほら、出るよ!」と彼の背中をぐいぐいと押す。結局祐介は小袋の正体を掴めぬまま店を出ることになった。


 外に出た三人を出迎えたのは、ひんやりとした冬の風だった。食事を終えたばかりでわずかに体温が上がっている祐介にはちょうど良い熱冷ましだ。そうしてほっと一息をついてから、このまま店の前に立ち続けるのも迷惑だろうと三人は特に目的も決めず歩き出した。


「エミねーちゃん、これはいったいなんだ?」


 祐介は己の手のひらの上に可愛らしく鎮座している小袋を指して質問する。


「うーん、分かりやすく言うと、年が明ける前にもらえるお年玉みたいなものかな?」


 恵美はそう答えてから祐介の手から小袋を取り上げるとリボンを解き、中身を彼の手のひらの上にころんと転がした。己の手のひらの上でころころと転がる小粒の白くて丸い物体。それの正体に気付いた祐介は、その名前を思わず口にしていた。


「……飴?」

「そう。年末になるとたくさんの飴を用意してみんなに配るの。そして、今年が終わるまでに配ることのできた飴の数だけ、来年いいことがあるって言われてるんだ」

「へえ、なんか宗教的なものなのか?」

「うーん? 宗教的といえばそうかもしれないけど……まあ、おまじないみたいなものだよ」

「ふぅん」


 分かるような分からないような、祐介は曖昧な返事をすると、手のひらの上の小さな飴玉を口に含んだ。


「うん、美味い」


 ハッカ飴だ。


 懐かしい味のする飴を口の中で転がしながら、祐介は異世界での年越しに思いを馳せる。例年ならば年末特番を見ながら、つまみを片手に少しだけお高い日本酒や焼酎、ビールで晩酌し、元日から仕事だからと日付が変わって三十分もすれば就寝する。そんなありきたりな大晦日を過ごしていたところだが、今年はまさかの異世界での年越しだ。残してきた家族や友人に心配を掛けるだろうことは祐介も理解しているのだが、少しわくわくしているのもまた事実だった。

 そんな浮き足立っている祐介の、忙しくも穏やかな生活に終わりを告げる運命の日がもうすぐやって来る。


 創造主の名を冠する日……「タエルクの日」が。

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