第六話 王都ウィルドへ
新暦三一二二年、闇の月、闇の週一日。
地球の暦でいえば十二月の最終週である今日、祐介はウィンディアの王都であるウィルドに、恵美とピーターと共に出掛けることになっていた。ちなみに、恵美の子供たちは義母……つまり、アントニオの実家に預けてきたそうだ。
「祐くん、そろそろ行くよー」
「おーう」
「アクセドニーエツカナキエドノティヌオトノォ? オユサメボカヒノィッシオメクスーヤラヌコブ?」
「いいのいいの。祐くんってばこっちの世界に来てからずっと運動らしい運動をしてないから、少しは動かなきゃ」
「俺的には久々の運動が登山というか下山になるのは勘弁してほしいんだけど……」
「文句言わない。それに、山を下るって言っても道は舗装されてるし、そうたいした距離じゃない。ウィルドには三十分もあれば到着するよ」
恵美はそう言うと、祐介の部屋の窓から外を見た。祐介もつられてそちらを見る。
二人の視線の先には立派な時計台が鎮座している。祐介はその時計の針の位置を見て、今が午前九時だと理解した。文字もおかしな翻訳をされてしまう祐介だが、自身の知る時計とほとんど同じ形をしているのならば時間の読み方くらいは分かるのだ。
「今九時だから、街に到着する頃にはちょうどお昼前だね」
恵美のその言葉に、祐介は曖昧な笑みを浮かべた。しかしそれも仕方のないことだろう。何せこの世界は地球とは違い、一日が二十時間なのだから。
異世界人よりもたらされた時間の概念によって、一分は六十秒、一時間は六十分というのは地球と共通している。しかし一日を二十四時間にはできなかった。なぜなら、日の出から日の入りまでの時間が明らかに地球より短かったからだ。 もちろん、季節ごとに太陽が出ている時間は違う。それも加味した上で、この世界に時間を作った者たちは一日を二十時間と設定したのだ。
一日二十四時間の世界で生きていた祐介は、この一日二十時間の世界にまだまだ慣れることができていなかった。しかし不思議なことに時差ボケのようなものは起こっていない。おそらくはゲームや漫画でよく見る、異世界に転移した際に与えられた能力とか特典とかそういうものだろうと祐介は考えていた。
なんだ、俺にもそれっぽい能力が備わってたのか。肝心の言語能力が死んでいるのが最大の問題だけど。
恵美からこの世界の常識を教わっている時に、祐介がそんなことを考えていたのは余談だ。
「そうだ! せっかくだし、美味しいお店に案内するよ」
恵美の提案に祐介は表情をぱあっと明るくする。日々の食事は決して不味いわけではないのだが、似たような味のメニューばかりで正直飽きがきていたのだ。
「やった、楽しみだ! ここに来てからずっと芋のパンと豆のスープばかりだったから……」
「うん、その二つはこの国の主食だから基本は変わらないよ」
「えっ」
「でも、肉でも魚でも、他にも甘いものだってたくさんあるんだから」
恵美はそう言うと不器用にウィンクする。祐介は彼女のその仕草を見て苦笑すると「それじゃ行こうか」と少ない荷物を手に取り、恵美とピーターは荷物の他に護身用の武器を身に付けた。
「この辺りには滅多に魔物はでないけど、一応ね」
話には聞いていたけれど戦い慣れているらしい恵美を見て、祐介は複雑な気持ちを抱くのだった。
***
王城とウィルドのちょうど中間辺りにあるウィンディア兵士の宿舎から、川沿いに歩いて三十分。
祐介たちは、ウィンディアの観光名所である展望台に登っていた。
「うわー、スゲー!」
「でしょ?」
祐介の感嘆の声に恵美が得意げに答える。年甲斐もなく瞳をきらきらと輝かせる祐介の眼下には、すり鉢状に作られた美しい街並が広がっていた。街の中央には川が流れ、市民に水の恵みをもたらしている。街の上空には鳥の姿をした種族・ドニゥが、自慢の翼を広げ飛び回っていた。
街は谷という地形を最大限に利用した作りとなっている。低地には市民の憩いの場である公園や毎日の買い物に利用する商店、宿に酒場、大きな劇場などなど、さまざまな施設が立ち並んでいた。
実は祐介が現在立っている展望台から街の様子が一望できるのだが、これだけ見れば王都と言うには少々こぢんまりとしている。しかしこの街の真価は横方向への広さではい。谷という地形を利用し、すり鉢状に作られたがゆえの縦方向への広さだった。
山の斜面には大小さまざまな建物が整然と並んでいる。地震大国日本で三十年生きていた祐介は、街の姿に感動するのと同時に地滑りが起きたりしないのかと内心でひやひやしていた。
よくよく見ると、街は川を境目にして区画が分けられているようで、展望台から見て左側には貴族の邸宅や高級店が建ち並び、その上空には人が乗っている大きな籠を運ぶドニゥの姿がたくさん存在していた。
低地では馬車――馬の額に赤い角が生えているが――を利用するのが一般的だが、このドニゥが多く住むウィンディアの各地の街には、高所への移動のために飛行籠というものが利用されている。地球で言えばタクシーやバスのようなそれを利用するのは主に他種族の旅行者か国内の貴族だ。
ちなみに飛行籠はウィンディアが運営する公共交通機関で、籠の運び手になるには厳しい国家試験を受け、合格しなければならない。この籠の運び手という職業は、国家試験に合格した者だけがなれる職業なだけあって安定した給金が支払われる。そのため、ウィンディアに住むドニゥの平民にはかなり人気のある職業なのだそうだ。
そんな飛行籠という公共交通機関が存在する時点で分かるかと思うが、このウィンディアはドニゥの王が統治する国のせいか、観光するのはいいが住むとなると他種族には厳しい国だ。王都から離れれば離れるほど標高が低い位置に街や村があるので、他の種族の姿もそれなりに見られるのだが……このウィルドは、ウィンディアにある街の中でも特にドニゥに最適化された街の作りとなっている。そのため他種族でこの街に長期滞在しているのは、交易のために他国からやって来た商人や旅行客くらいのものだった。
「しかしこうしてみると……本当に異世界なんだなって思うな……」
祐介はそう呟きながら己の背後を見る。そして自身の視線の先にあるであろう王城の姿を思い出していた。
石でできた堅牢な作りの王城は、この世界でシルド地方と呼ばれるところにあるシルフィール山脈の最北端、もっとも高い山の頂に存在する。この山の頂にある大きな泉に沿って作られている王城は最奥に本棟があり、向かって左に伸びる棟では文官たちが政務に奔走し、右に伸びる棟では騎士や兵士が訓練に励んでいた。
余談だが、泉の水は滝となって下流へと流れている。そして少しずつ幅の広い川となり地上に流れ出る。そして世界中に水の恵みをもたらすのだ。
展望台に立つ祐介たちの間を冷たい風が吹き抜ける。それに身震いしながら「そういえば」と祐介は口を開いた。
「今は冬で、ここは山の上にある国なんだよな? そのわりにはびっくりするほどは寒くないし、雪も全然積もってないな」
「アア、アクセドトコノス? エナラクセディティルナコニエリエソネザカウィヌコノク」
祐介の疑問の声を聞いたピーターが口を開くが、残念なことに祐介にはその言葉の意味が伝わらなかった。だがもちろん、祐介も別に言葉を理解する努力を怠っているわけではない。先日の実験から己の耳に届く言葉がどのように変換されているか、熟考に熟考を重ねていたのだ。
そして導き出した答えがこれだ。
祐介……ユウスケ……Yuusuke……ekusuuY……エクスーィ。
ああ、うん。これ、法則が分かったところで意味は分からないやつだ。
ローマ字に変換してそれを逆読みなど、頭の中で即座に処理できるものではない。
だから祐介はそれはもう潔く、異世界の住人たちの言葉を理解することを放棄したのだった。
そんな調子でピーターの言葉が理解できていない祐介を見て、恵美が彼の言葉を翻訳した。
「ウィンディアは風の精霊の管理地だからね」
「管理地?」
「そう。風の精霊が司るのは春。だから、この国は滅多に雪は降らないの」
恵美の説明ではこうだ。
創造主が生き物が住まうこの星と天体を、創造主の部下である大精霊たちが海や大地を作ったことで生まれたこの世界は、世界中に精霊が存在する。土地によって多数の割合を占める精霊が異なるそうで、このシルフィール山脈を含めたウィンディアの領土は風の精霊が多く存在しているそうだ。年中風が止まないのも、あちらこちらに上昇気流が発生しているのもこの風の精霊の存在が大いに影響していた。
そして、精霊は季節も司る。風の精霊が司るのは春だ。そのため、この国の農作物の実りはそれほど悪くはない。領土のほとんどが山のため、他国のように大きな農場を作れないという欠点が存在するが。
「だから、他の精霊の管理地に行くと気候ががらりと変わるの。例えばエリフの国であるファイエストは、夏を司る火の精霊の管理地だから冬でも春みたいに暖かいとかね。まあその分、夏は他の国より暑いんだけど。でも温泉も湧いてるし、フルーツの名産地でもあるの! 他にもいろんなスパイスの栽培もしていて、普通の食材に関しても世界一大きな農場も持っている。つまり、ファイエストは農業大国なの。ご飯も世界一美味しいって評判よ!」
恵美の話に祐介は興味深く聞き入っていた。これまでもこの世界の一般常識を教わっていた祐介だったが、このような他国の詳しい話を聞いたのはこれが初めてだったのだ。
ちなみに、エリフというのはこの世界に存在する六種族のうち、祐介や恵美とほとんど変らない見た目をしている種族のことだ。
祐介が興味津々といった様子で頷いているのを見て、気分を良くしたのか恵美は更にファイエストについての話を続けた。
「ファイエストは人口も世界最多だからね。元々エリフの数が多いのもあるけど、平野部にある国だから他国から移住した人も多いの」
「へえ~」
「でも、私がファイエストで一番大事だと思っているところは、なんと言っても砂糖の一大産地なところかな! もう、ファイエストは美味しいお菓子の宝庫! 特にフルーツタルトなんて絶品なんだから!」
歳のわりに幼い表情になって熱く語る恵美。甘い物好きなところは昔から変わらない様子の彼女を見て、祐介は顔を綻ばせた。
二人の間にそんな和やかな空気が流れている中に、ピーターの声が割り込んできた。
「ア、ナシーメ、オユサミアィッタニヌリホーロソロス」
ピーターはそう言うと、街の中央に建っている時計塔を指さす。祐介と恵美の二人には時計塔の建っている場所が遠すぎてぼんやりとしか見えないが、ピーターの目には、あともう五分もすれば十時になる時計の針がしっかりと映っていた。
「ウセデアムヌホギジュージ」
「え、もうそんな時間!? いけない、喋りすぎちゃった!」
恵美は慌ててそう言うと、小さな声で何やら呟きながら展望台から飛び降りた。
「エミねーちゃん!?」
彼女のその暴挙に祐介は思わず身を乗り出して下を見る。するとそこにはふわふわと空に浮かぶ恵美の姿があった。
「ピーター! 時間が無いから飛んで行くよー!」
「エヌセドヌラニノトクキエドノトゥコィッケク……」
ピーターは疲れたように呟くと、祐介に向き直り手招きする。そして己の背中を指さした。その仕草を見て、祐介は彼が何を言わんとしているのかを考え、もしかして、と一つの可能性に思い当たった。
「乗れって言ってるのか?」
祐介のその言葉にピーターは頷くと良い笑顔でサムズアップする。まさか異世界に来てまでそのような仕草を見るとは夢にも思っていなかった祐介は、はは、と声を出して笑ってしまった。
「それじゃあ、お願いするよ。ちょっと怖いけど……」
祐介は恐る恐るピーターの背に掴まる。それを確認したピーターは、恵美と同じように何かを呟きながら展望台から飛び立ったのだった。
後に祐介は語る。
あれは、最恐と呼ばれるような絶叫マシンよりはるかに恐ろしかったと。
ちなみに祐介は後で知ったことだが、実は魔法により振り落とされる心配はなかったのだった。