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第三話 二十年前

 恵美が祐介の目の前で消えたのが二十年前。彼がまだ十歳だった頃の話だ。


 あれは忘れもしない、一九九八年一〇月九日の金曜日のことだった。

 その日、小学校から帰宅した祐介は、昨日のうちに準備していたリュックを両手で大事に抱えてリビングのソファに座ると、テレビも点けずに両親の帰宅を今か今かと待っていた。

 明日は優しかった曽祖母の三回忌で、隣県の田舎にある父親の実家に、今日の夕方から行くことになっているのだ。両親も今日は仕事を早上がりし、夕方五時には家を出発する予定だ。到着予定時刻は夜の八時。本日は親戚の家で夕食をご馳走になることになっていた。


「リューオーはアキヒデとリュータにこの間負けちゃったけど、おれだっていっぱい練習したから今日は勝つもんね!」


 祐介は従兄たちとの熱い戦いを想像し、これからのことに期待で胸を膨らませる。曽祖母の三回忌で集まるというのに、子供にはそんなことは関係ない。結局いつでも遊びに夢中なのだ。


「あとは、ぽよぽよとダイナマン、柿鉄も持ってくし……エミねーちゃんとも遊べるかな?」


 リュックの中に着替えと共に詰め込んだゲームソフトを思い出しながら、祐介は呟いた。

 エミねーちゃんとは、小学生の祐介が憧れている高校二年生の従姉で、名前は谷口恵美という。二つ上の従兄である竜太(リュータ)の姉だ。祐介はこの歳の離れた従姉のことがとにかく大好きだった。

 一つ上の従兄である昭英(アキヒデ)と祐介は、幼い頃から恵美に、歳の離れた弟のようにとても可愛がられていた。そんな二人が恵美に懐くのは必然で、更には初恋の相手になるのもまた必然だった。

 美人だったと言われている曽祖母の遺伝子をそれなりに受け継いだ恵美は、谷口家の中でも一番の小顔で、ぱっちりとした二重を持ち、特別美しいとまではいかないまでもなかなかに可愛らしい顔立ちをしていた。そんな彼女は運動神経も良く、陸上部に所属している。今年の県大会では長距離走で六位に入賞していた。


「あー、お父さんとお母さん、早く帰ってこないかなぁ」


 祐介はそう呟いて、ソファにごろりと横になる。

 彼はそのまま、夢の世界へと旅立っていった。


  ***


 高速道路から一般道へ出て三十分。祐介は、目的地である父親の実家に到着していた。時計の針は八時三分を指している。ほぼ予定通りの時間だった。


「いらっしゃい!」


 潑刺(はつらつ)とした声で祐介たちを出迎えたのは、ショートカットが本人の活発さを思わせる少女、恵美だった。

 恵美は祐介たちの荷物を受け取ると、彼らがいつも泊まっている部屋へと置きに行く。恵美が荷物を置きに行っている間に祐介たちは仏壇にお参りをしてから、良い香りを漂わせている部屋へと向かった。

 そこにはすでに親戚一同が会していた。部屋を仕切る襖を取り払い、二間を無理矢理一間にした宴会場には、湯気の立つ料理が二つ繋げられた長机に所狭しと並べられている。その机の端には男性陣が陣取っており、彼らの前にはビールと灰皿が置いてあった。祐介の父親もいそいそとその一団に加わると、早速一杯引っ掛けるのだった。

 祐介は竜太と昭英が座っている一角に真っ直ぐに向かうと、二人に挨拶をした。


「来たぜ! リュータ、アキヒデ!」

「お、やっと来たか!」

「ユースケ、あとでリューオーやるだろ?」

「もちろん! あ、今日はぽよぽよとダイナマンと柿鉄も持ってきたぜ!」

「お、いいな」

「柿鉄あるならやろうぜ! せっかくだし、エミねーちゃん入れて四人でやろうよ」

「えー? ねーちゃん入れるのかー?」

「コンピューターより人間相手の方が楽しいじゃん」

「アキヒデの言いたいことは分かるけどさぁ」


 そんな子供らしい会話をしながら、ユースケは駆けつけ一杯、オレンジジュースを一気飲みした。


 それから心ゆくまで豪華な料理を味わった祐介たちは、ごちそうさまと手を合わせて挨拶をすると、ゲーム機を置いている二階の部屋へと足早に向かう。ゲーム機の持ち主である竜太がまずはリューオーをやろう言い、それに異論の無い祐介たちはそれぞれコントローラーを手に取った。

 対戦アクションゲームであるリューオーを一時間ほど遊んでいたところ、恵美が部屋に顔を出した。


「こーら、明日も早いんだからもう寝なさい」

「えー?」

「ゲームなら明日もできるでしょうが」

「それはそうだけどさぁ」

「なら、今日はもう寝る! あ、祐くんはお風呂まだだったよね。早く入ってちょうだい。今ならまだ沸いてるから」

「う……はーい」


 三人は渋々コントローラーから手を離す。竜太がゲーム機の電源を切るところまで恵美は見届けてから、祐介を連れ出し着替えを取りに行かせ、彼を風呂場へと案内した。


「風呂場くらいどこにあるか分かるよ」

「知ってるよ。でもね、この間お風呂場を大掃除して物の配置が変わっちゃったの。タオルとか石鹸の場所とかね」

「そうなんだ」

「うん。それだけ教えたら私も出てくから」

「分かった」


 恵美の言葉に祐介は頷くと、彼女の後ろをついて歩く。やがて風呂場へと到着した二人は、共に脱衣所に入る。その脱衣所は祐介の記憶の中にあるものよりもずっと綺麗になっていた。


「着替えはここに置いて。それで、こっちに石鹸ね。で、ここにタオルがあるから。とりあえずはこれを使ってね」


 恵美はそう言って祐介にタオルを手渡そうとした。


 その時だった。


「え……?」


 パサリと床に落ちるタオルの音が祐介の耳の奥で響く。


 それが、この世界から恵美が消えた瞬間だった。


  ***


「恵美姉ちゃん、エミねーちゃん……!」

「あー、おー、よしよし。もう、泣かないの。祐くんももう……えーと、三十一だっけ?」

「三十路!」


 年齢を間違えられて、祐介は思わず大きな声で訂正した。アラサーと呼ばれる年代を踏み越え三十代に突入し彼は、女性ほどではないにしても年齢を気にするお年頃になっていた。


「そうか、祐くんももう三十路か。私もお肌の曲がり角を迎えるわけだ」

アクオス(そうか)? オザディエリ(エミーは)コットゥザラキ(昔からずっ)サクマウィイメ(と綺麗だぞ)?」

「もうっ! アントンったら、そんな恥ずかしいこと言わないでよ!」

イアヒアァ(はいはい)アマスオシトグ(ごちそうさま)


 鳥男――アントンというらしい――の言葉に顔を赤くする恵美。そんな二人のやりとりを見ていた鳥女――アリアというらしい――は、どこか呆れたような表情を浮かべながら何やら呟いた。

 祐介はそんな恵美たちを見て、ふっと体の力が抜けた。途端にぐらつく祐介の体を咄嗟に支えたのは恵美だった。


「うわっ、と、祐くん大丈夫?」

「へへ……本当にエミねーちゃんだって思ったら、なんか、力が抜けちまった……」


 弱々しく言葉を紡ぐ祐介を見て、恵美は少しだけ目を伏せた。


「……心配、掛けたんだよね」

「うん。そりゃもう、大騒ぎだったよ。大人たちはエミねーちゃんが突然消えたっていう俺の言葉を信じてくれないし……でも、リュータとアキヒデだけは、信じてくれた」

「そっか。竜太と昭英くんは……ねぇ、祐くん、二人とも元気にしてる?」

「……アキヒデは警察官になったよ。エミねーちゃんを探すために。リュータは……」


 祐介はそこまで言って口をつぐんだ。恵美に話してもいいものか悩んだのだ。


「竜太は……どうしたの?」


 恵美が祐介の目を真っ直ぐと見据える。恵美の目に射抜かれた祐介は覚悟を決め、竜太について話し始めた。


「竜太は……エミねーちゃんがいなくなってから二年後に、インフルエンザを拗らせて……死んでしまったよ」

「……っ!」


 祐介の言葉に、恵美は思わず息を飲んだ。祐介から語られた弟の最期に唇を引き結び、歯を食いしばっている。

 そんな恵美の様子を見て、アントンとアリアは悲しげに顔を俯かせた。


 悲しみが辺りを包み込む。誰もが言葉を失い、これからどうすればいいのか分からなくなっていた時だった。


ウオィティアト(隊長)! イアサドゥケ(子供さん)ティサキヌオ(どうにかし)ドナソモドク(てください)! オデクセド(僕たちの)ニアナキクネ(言うこと全)ズネゾトクイ(然聞かない)オニタツコブ(んですけど)!」


 バン! と大きな音を立てて部屋に入ってきたのは、青い羽毛を持つ、アントンよりも一回り小さい鳥男だった。そんな彼の腹と背中には、二人の子供がしがみついていた。

 きゃははという、可愛らしい子供たちの笑い声が部屋に響く。その声はこの部屋を侵食していた悲しみを吹き飛ばす爽やかな風のようだった。


「あ、ピーター、ごめんなさい」


 二人の子供を視界に収めた恵美が、今し方入室してきた鳥男……ピーターに詫びを入れた。

 祐介は緊張から解放されほっと胸を撫で下ろす。


 しかし、祐介は知らない。この二人の子供がいったい何者なのか。


 祐介の内心に嵐が巻き起こるのは、この乱入劇からちょうど五分後のことになる。

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