第十四話 魔法はすごい
今すぐクレアの頭のてっぺんにげんこつを落としたい。
祐介は地球人男性としてのモラルと理性をかき集め、今にも暴れだしそうな右手を押さえ込むのに必死だった。
ウィンディア王であるアーロンとの謁見の際に、風の大精霊であることが世間にバレないようにと釘を刺されたことを、クレアはもう忘れてしまったのだろうか? 祐介がそう思うのも無理からぬことだろう。
旅に出る前にもっとちゃんと話して聞かせておくべ
きだった。
ピーターは己の詰めの甘さに頭を抱えた。そもそも、ウィンディアの愛し子である自分は知っていたではないか。風の大精霊は他の大精霊に比べて、自由奔放な存在であると。その自由さが実体を得てからというもの食事方面に注がれていたので、これならば多少は放っておいても大丈夫だと油断していたのは否めない。
祐介たちがクレアの言葉にそれぞれの反応を示している中、この場で彼らの事情を何一つ知らない少女はぽかん、と間抜けな表情を浮かべていた、
「エ、コノヒトナニイッテンノ?」
少女の口からそんな言葉が出てくるのも仕方のないことだろう。それほどまでに、他人からしてみたらクレアの発言は意味不明なのだ。ただ、意味が伝わらないからといって、男二人にとってはとても許容できない発言なのだが。
「……クレア」
「なんだ?」
「今回は見逃すから、次からはもっと内容を吟味してから発言してくれ」
「む?」
言っている意味がよく分からない、そんな顔で祐介を見るクレアはこてんと首を傾げる。そして彼の言葉の意味は分からないままに「分かったぞ」と形だけの頷きを返す。そんな彼女の返事を聞いた祐介は「絶対分かってないな……」と諦めの感情と共に言葉を吐き出した。
「はぁ……とりあえず、彼女の紹介をするぞ。諸々の事情でこの部屋の空きベッドを使うことになった……」
祐介はここまで言って、はたと気が付いた。そういえば少女から名前を聞いていないと。
「あー……ごめん、名前はなんていうんだ?」
「ア! アタシッタラ、マダナノッテナカッタワネ」
少女はおほん、と一つ咳払いすると、小さな胸を張って可愛らしく名乗りを上げた。
「アタシノナマエハ、ルル=シャノア・シャノアール。『ルル=シャノア』ガナマエヨ。ルルデイイワ」
「よろしく、ルル。僕はピーター・ドラグ」
「ピーターッテイウノ! ステキナナマエ! ヨロシクネ、ダーリン!」
少女……ルルは瞳をきらきらと輝かせ、ピーターの腰に抱きついた。
その様子を見ていた祐介は「脳がバグりそうだ」と口の中で呟く。祐介よりも頭半分ほど背の高い大人の鳥人間と子供にしか見えない天使の二人は、正直に言って彼にはよくよく理解のできない組み合わせだった。
祐介は軽く頭を振り気持ちを切り替えると、どことなく引きつった笑みを浮かべつつ名乗る。
「俺は谷口祐介……この世界的に言えばユースケ・タニグチだな。んで、こいつはクレア」
「クレア・テアである。クレアと気軽に呼ぶがよい」
腕を組んだことによって微妙に強調された形の良い胸を張り、ふふんと得意げな表情を浮かべるクレア。そんな彼女を見て、ルルは祐介に視線を移すとねぇ、と口を開いた。
「ナンデコノヒトコンナニエラソウナノ?」
「君、もう少し迂遠な言い回しできない?」
いやうん、こいつが偉そうにしているのは間違いないけど。あと、この世界では上から数えた方が早いくらいには偉い存在だとは思うけど!
風の大精霊に対する教育期間をもっと設けるべきだったと、祐介とピーターは揃って頭を抱える。しかしもう遅い。ここは開き直ってどこかのお偉いさんだと公言するべきではないだろうか、男二人は目線だけで会話を重ねていた。
黙りこくった祐介たちを見て疑問を抱いたのか、クレアが首を傾げる。
「おぬしら、どうしたのだ」
「ああ、気にしないでくれ」
「ちょっとこれからどうしようかなって考えてただけだよ。あ、ルル、ユースケの足を治療してくれるんだったよね。今診てもらってもいいかい?」
「ア、ソウダッタワネ。イイワヨ」
ほら、早く傷口を見せなさい、そんな風に少しだけ上から目線のルルの物言いに祐介は思うところがあったが、治療をしてくれるのだからとぐっと言葉を飲み込む。祐介は部屋に一脚だけ置いてある椅子に腰掛けると、慎重に靴下を脱いだ。ぺりぺりと固まった血が剥げる際、皮膚まで持っていかれるような感覚を抱き、いててと声を漏らす。
「アー、ケッコウヒドイワネ。デモコノクライナラスグニナオルワヨ」
ルルはそう言うと、患部にそっと手をかざした。彼女の手のひらから柔らかな光が溢れ、祐介の足裏を包み込む。その光景を間近で見ていた祐介は、その神秘的な光の温かさを心地よく感じていた。患部にじんわりと沁み込む温もりが痛みを和らげてくれているが、傷が塞がる感覚も同時に感じてなんともむず痒い。治療はすぐに終わるとのことだったが、このむず痒さは祐介にとってなかなかに耐え難いものだった。
「ハイ、オワッタワヨ」
あとの血の処理とかは自分でしてねと、ルルは可愛らしい笑顔を浮かべて言う。
およそ三十秒ほどの短い治療時間。むず痒さも無くなった己の足を祐介はまじまじと眺める。そこには血が滲んでいた跡はあるものの、綺麗さっぱりに傷が消えていた。
「おお、魔法ってすげぇ!」
祐介は純粋に感動していた。今まで祐介が直接目にした魔法といえば空を飛ぶものくらいであったし、それも自分に対して使用されたことはない。今回のこの治癒魔法が、自分自身に対して目に見える形で使ってもらった魔法なのだ。
すげぇすげぇと、まるで子供のように瞳をきらきらさせる祐介。ピーターはそんな年上の彼を見てくすくすと小さく笑うと、さて、と言いながら軽く手を叩いた。
「そろそろ食堂も開いただろうから、食事に行こうか。せっかくだから、ルルも一緒に食べよう」
***
食堂は宿泊客で賑わっていた。
部屋の造りが悪く換気ができていないのか、肉を焼いているらしい煙が部屋の中に充満している。しかしその香りは実に食欲をそそるもので、クレアのお腹がぐうと鳴った。
祐介たちは空いている四人掛けの丸テーブルに座ると、早速料理を注文する。この店のメニューは祐介でも読むことが可能であった。
「妾はこの『ウサギステーキのフルーツソース』にするぞ!」
「ステーキか……美味そうだな。あ、でもこの『ウサギミンチのポテトコロッケ』も美味そうだ」
そういえば最近は揚げ物を食べていないな、そう思った祐介は頭の中で注文するメニューを決定する。
「俺はこのコロッケにするな」
「あ、それも美味しそうだね。僕もコロッケにしようかな。あ、このサラダも美味しそう。みんなも食べるかい?」
「お、野菜か。いいな」
「アタシモタベタイワ。ア、アタシハカワザカナトキノコノグリルニスルワネ。ソウイエバココ、ワインハオイテナイノ?」
「うーん、見たところ葡萄酒は無いみたいだね。ウィンディアは蒸留酒が一般的だから」
せっかくだし飲んでみる? ピーターは祐介たちを見回して尋ねた。
祐介はなんと魅力的な提案なのかとほぼ反射的に首肯する。ルルも試しに飲みたいと言えば、クレアも負けじと「妾も飲むぞ!」と声を上げた。
ピーターはふふ、と小さく笑うと給仕に声を掛け、それぞれの注文内容を伝えた。
それから五分と経たないうちに、水とセットメニューであるいつものパンとスープ、そして木でできた深皿に盛られた瑞々しい野菜とりんごのフレッシュサラダがテーブルに運ばれてきた。
「おお、久し振りの生野菜だ!」
ベビーリーフやサニーレタスに似た葉物野菜の上に、くし切りにされたトマト――祐介に馴染みのあるものよりも固い――とさいの目切りにされたりんごらしきものが散らされている。掛かっているドレッシングからは爽やかな柑橘系の香りが漂っていた。
祐介は放っておいたら一人で食べ尽くしてしまうクレアを警戒し、率先してサラダを一緒に運ばれてきた皿にそれぞれ取り分ける。祐介はサラダがみんなに行き渡ったのを確認して、手を合わせ「いただきます」と食前の挨拶をしフォークを手に取った。
祐介はフォークで器用にさいの目切りにされたりんごをすくい上げる。話に聞いていた時からずっと気になっていたそれを、彼はぱくりと頬張った。
「……っ! こ、これは……!」
しゃくしゃく、しゃりしゃりとした食感はまさにりんごのそれ。酸味の効いた柑橘系のドレッシングは果実のほのかな甘みとの相性も抜群で、祐介のフォークも止まらない。
「美味い……美味い、けどっ……!」
味は……柿……!
想像していたものと違う味が口いっぱいに広がる祐介の脳は、ここ最近で一番の混乱に見舞われるのだった。
***
コロッケを芋パンで食べられるようになるとは、俺もこの世界にずいぶんと馴染んできたんだな……祐介はそんなことを考えながら、ウィンディアで作られているという蒸留酒の水割りをこくりと一口飲んだ。その酒は今まで飲んだことのない味であったが、どことなく日本の焼酎にも近い味わいのそれに祐介は満足していた。聞くところによると、この酒の原料はウィンディアで主食となっている芋なのだという。
「今日はまさかの芋づくしだな……」
祐介は再び水割りで舌を濡らし、残り半分となったグラスを一旦置いた。そして頬杖をつくと、己の目の前に広がる光景を見てふう、と小さく息を吐いた。
「アーモウ、アナタダイジョウブ?」
「んーむ、ぅ……世界が回っているぞ……」
白い肌を赤く染めたルルがテーブルに突っ伏しているクレアの肩を揺すると、どうやらアルコールに耐性が無かったらしいクレアがうう、と喉の奥で唸る。彼女がこうなってしまったのも、初めての酒を祐介たちの注意も聞かずに一気に飲み干したからだった。
今この場にピーターはいない。彼は酔ったクレアのために水をもらいに行っているのだ。そしてそのついでに支払いも済ませてくるつもりのようであった。その時の祐介とピーターの会話がこれだ。
「魔法を使っての怪我の治療費って結構するんだよね。今日のユースケのあの怪我の治療だけでも、本当なら二ウォースくらいかかるんだ」
「二ウォースって……めちゃくちゃいい金額するじゃねえか!」
「うん。だから……ね、彼女の分もこっそり払ってくるよ」
「ああ、頼む……」
宿代二キット、それも頭数で割ればたったの五イブ。それに対してのお礼として受けた足裏の怪我の治療が、しかるべき場所で受けるとなると四十倍の二ウォースほど掛かるのだと聞かされれば、小市民でしかない祐介はピーターの言葉に頷くしかなかった。
***
「ナンカワルイワネ、ゴハンマデゴチソウニナッチャッテ」
「いいよ、気にしないで」
「ああ。むしろこれでも足りないくらいのことをしてもらってるからな」
食後、部屋に戻って来た祐介たちは、就寝前に会話を交わしていた。ただ、クレアだけはアルコールでダウンしておりベッドの中で唸っている。
クレアのうめき声をと階下の喧騒をビー・ジー・エムに、ピーターがそういえば、とずっと疑問に思っていたらしいことをルルに尋ねた。
「ルルはどうしてウィンディアに? 受付で『文句なら教会に』って言っていたから、君は教会の関係者なんだろう? 光の大精霊の管理月に国を離れるなんてよほどのことだ。何か困ったことでもあるのかい?」
ピーターのその質問に、ルルはだいぶ赤みの引いた頰に手を当てて、ふう、と息を吐く。
「アー、ウン、ソレナンダケド、ネ」
ルルはもごもごと言いにくそうにしながら、ぽつりぽつりと己が風の国にやって来た事情を話し始めた。
曰く、タエルクの日に光の大精霊から風の大精霊の身に何かが起こったようだと告げられたこと。
曰く、それを確認するために「光の巫女」の一人であるルルがウィンディアへ旅立つことになったこと。
曰く、ウィンディアは地理的な問題で他種族には厳しい道のりになるというのに、教会からはたった二ウォースしか資金が支給されなかったこと。
曰く、スギルの翼ではシルフィール山脈の気流に乗るのは難しいため空籠と徒歩でどうにかこのファンナに辿り着いたのだが、ここまでの道中でほとんどの資金を使い果たしてしまったこと。
そうして今夜の宿に困っていたところに、祐介たちが現れて事なきを得たこと。
「モウ、ホントウニタイヘンダッタンダカラ」
ああでも、これでウィルドの教会にはどうにか到着できそうよ!
ルルの元気な声が、祐介とピーターの胸にぐさりと突き刺さった。二人にはルルがウィンディアへ足を運ぶことになった理由に心当たりがありすぎるからだ。
二人は意図せず同時に、すよすよと幸せそうに眠るクレアへと視線を向ける。ルルが求めている存在は今ここにいるのだ。
「あー……その、山登りも大変だったろ。今日はもうゆっくり休んだ方がいいんじゃないか?」
「ソレモソウネ。ソレジャ、オサキニヤスマセテモラウワ」
ふぁ、と可愛らしい欠伸を漏らしながら、ルルはもぞもぞと布団に潜り込む。そして一つ大きく呼吸をした彼女はよほど疲れていたのだろう、あっという間に深い眠りに落ちたようだった。
祐介とピーターの二人はルルが起きないことを確認して、できるだけ音を立てないように細心の注意を払いながらお互い近付くとこそこそと小さな声で話し始めた。
「おい、ルルが言ってるのって、どう考えてもクレアのことだよな」
「うん、そうだね」
「クレアのことは誰にも話しちゃいけないってのは分かってるんだが、このままだとルルも骨折り損のくたびれ儲けっていうか、なんというか……」
「そこなんだよね。彼女、押しが強いというか、ちょっと変わったところもあるけど、悪い人ではなさそうだし」
二人は額を付き合わせてうーむ、と唸った。
「……ひとまず、僕は彼女のことを城に報告してくるよ。少なくとも、光の大精霊様にはクレアの身に何かが起こったってことが分かっているみたいだし」
「そうだな。それにこの様子だと、もしかしたら他の大精霊様? にも知られてるんじゃないか?」
「その可能性も否定できないね。それも含めて報告しないといけないかな」
ピーターはそれだけ言うと、女性二人を起こさないように静かに立ち上がり武器を携行する。
「それじゃ、行ってくるよ」
「ああ、頼む」
祐介の返事を聞いてからピーターは部屋を出る。そして一分もしないうちに、彼は夜の空へと羽ばたくのであった。




