第十二話 宿屋での出会い
ライティへの旅は当初の不安を裏切り、なかなかに順調であった。
祐介たちはウィルドを出て南東側に下りる街道を進んでいた。道は急勾配ではあるものの、丁寧に舗装されており歩きやすい。心配していた魔物との遭遇も無く、順調な旅の滑り出しと言えた。
ピーターを先頭にして彼らはひたすら道を下る。太陽の光は頂点を過ぎ少しだけ傾いていた。それもそのはず、ウィルドを出発したのが午前八時で、それからすでに四時間が経過していたのだ。つまり現在はおよそ十二時。地球時間に換算して午後三時前後になる。
出発して初めのうちは会話もあり周囲の景色を楽しむ余裕もあったのだが、十時を過ぎたあたりで口数が少なくなり、十二時を過ぎると誰一人として口を開かなくなった。その原因は、男二人の後ろで不機嫌を露わにするクレアにあった。
「腹が減ったぞ」
盛大に腹の虫を響かせた彼女は、低く唸るような声で短くそう告げた。それからというもの、彼女は無言の圧力を男二人にこれでもかというほどに掛け続けているのである。
祐介とピーターは顔を見合わせ、仕方ないかと小さく頷き合うと、周囲の安全を確認してから大きな布を敷いて座る。ここで一旦休憩という形を取ることにしたのだ。
シルフィール山脈の北端、王城と王都を抱える山の標高は五千二百エルト――およそ五千八百メートル――もあり、そのためか自生している木はほとんど無い。王都やその周辺に存在している森林はそこに住む人々の生活に必要と判断されたため、人工的に作られたものであった。だからであろうか、ウィルドからずいぶんと離れたこの場所には視界を遮るものがなく実に見晴らしが良い。しかし遮るものが無いぶん、シルフィール山脈に吹く止まない風を一身に受けることにもなる。祐介の頬を撫でる風はそれなりに冷たいが、長時間歩いて火照った体には心地良いものだった。
さわさわと揺れる名も知らぬ草花の香りに祐介が癒されていると、彼の対面に腰を下ろしていたピーターが鞄から何やら包みを取り出した。
「ご飯にしよう」
そう言ってピーターが包みを開ける。そこには祐介の知識の中にあるものでいうと「肉まん」に近い食べ物が三つ並んでいた。
「これは『ローバオ』っていう、ウサギ肉を包んで蒸したパンで、ドニゥの間では好みが分かれる食べ物だけどとっても美味しいよ」
曰く、このローバオは百年以上前にこの世界にやって来た異世界人が、故郷の味が恋しくなり長年の歳月を掛けて開発したものだという。
「ほう、ローバオとな……どれどれ」
クレアは奪い取るような勢いでピーターからローバオを取り上げる。落ち着いた口調とは正反対のその行動に、祐介とピーターは苦笑するしかできなかった。
クレアはローバオを両手で持つと、がぶりと頬張った。小顔の彼女はそれに比例して口も小ぶりだというのに、一口が妙に大きい。しかし食べ方はとても綺麗なため、容姿と相まって上品に見えるのだから美人は特だなと祐介はぼんやりと考えていた。
祐介もピーターからローバオを受け取ると、ぱくりと頬張った。
ローバオは、小麦の比率を大目にした芋パンの生地を発酵させてある。そのため、祐介がこれまで食べてきた芋パンの中でもっともふんわりもっちりとした食感であった。そのパンに包まれているのは、お馴染みとなったウサギ肉を叩いてミンチ状にした餡だ。その餡はにらに近い味と香りの香草と混ぜ込み、豆を発酵させて作られている、醤油よりは薄くあっさりとしており癖のない調味料で味付けされている。ウサギ肉自体に脂が少ないためか、少し多めに植物油が混ぜられている。その油は、ごまとしそを足して二で割ったような独特な香りだった。
ローバオの味は祐介の知る肉まんとはだいぶ異なったが、なんでも美味しく食べることのできる祐介はこれはこれで美味いという感想を抱いていた。できたてならば更に美味しそうだな、そう思いながら祐介はローバオをぺろりと完食する。先に食べ終えていたクレアが祐介の手元を物欲しそうな目で見つめていたが、彼はそれについては無視を決め込んだ。
二人に遅れてピーターも食べ終えると、さて、とこれからの方針を二人に語り始めた。
「この街道を進んだ先に町があるんだけど、今日はそこを目的地にしよう。それ以上進むには今日はちょっと時間が足りないからね」
「りょーかい」
「愛し子よ、そこには美味いものはあるのか? 今のも美味かったが、妾はまだ食べ足りぬ」
見た目に反して健啖家のクレアが尋ねると、ピーターはもちろんと頷く。
「そこは近くに森があって、美味しい果物がたくさん採れるんだ。今の時期ならりんごを使ったお菓子や料理があるかな」
「ほうほう、りんごとな!」
「この世界にもりんごってあるんだな」
祐介はピーターの言葉にへえ、と声を上げた。地球と同じような食材があるのは分かっていたのだが、果物に関しては未知数であったのだ。タエルクの日にミユキとナツキが「ぶどうジュース」や「いちごのクレープ」と言っていたのを祐介は聞いていたので、存在するのだろうとは思っていたのだが。ただし、同じような果物が存在するからといって、それらが本当に祐介が想像するものなのかは保証されていない。何せ、ウサギの件もある。
「それじゃあ、あと三十分休憩したら出発しよう」
ピーターが懐から取り出した懐中時計で時間を確認しながら言う。
その時計は、祐介たちと共に旅立つ親友にクリストファーがお守りとして手渡したものだった。
***
昼食休憩から約一時間歩き通し、無事に山間の町・ファンナに辿り着いた祐介たち。彼らは到着するなり買い食いに走ろうとしたクレアの首根っこを引っ掴み、今晩の宿を取りに向かった。出発までの準備で軍資金はもう十三ウォースを切っている。無駄遣いはできないと、なるべく安価な素泊まりのできる宿を祐介とピーターは必死に探し出し、無事にチェックインすることができた。取ったのは四人部屋で料金は格安の二キット。ここまで安いと宿の質に不安が過ぎるが、いたって普通の宿屋であった。本来ならば男女別の部屋を取るべきなのだろうが、人間になりたてのクレアを一人にしたら何をしでかすか分からない。男二人の苦渋の決断であった。
「あー! 疲れた!」
慣れない山歩きでふくらはぎがぱんぱんになっている祐介は、ぼふんという音を立てながらベッドへとダイブする。ふかふかの柔らかく全身を包み込むような感触のベッドは高級品のような印象を受けるが、これがウィンディアでは一般的な品だというのだから驚きだ。さすがは羽毛製品の一大産地だと祐介は枕に顔を埋ながら考えていた。
「ユースケよ、妾は腹が減った! 早う食事を摂りに行くぞ!」
階下の食堂から香ってくる美味しそうな匂いに可愛らしい鼻をひくつかせ、クレアがうきうきと瞳を輝かせながら言う。彼女も自分たちと同じように歩き通しだったはずなのになんでこんなに元気なのだろうか、そんなことを考えながら祐介はもぞもぞと顔を上げた。
「飯食いに行くのはいいけど、もう少し休ませてくれよ……ふくらはぎはぱんぱんだし、足の裏だって痛いんだからさ」
「そんなことは知らぬ!」
「言い切ったなオイ」
クレアの発言に祐介は呆れたように言うと、疲れた体に鞭打ちどうにか上半身を起こす。そんな二人のやり取りを見ていたピーターはくすくすと小さく笑うと、道具類の入ったポーチと武器をベッドサイドに置きながら口を開いた。
「クレア、食堂はまだ準備中だよ。あと三十分もすれば空くだろうから、それまでは休憩しよう」
「むぅ……それなら仕方ない」
クレアが休憩することを受け入れてくれたのを確認して、祐介ははぁ、と溜息を吐いた。やっと休憩できると思うと全身を脱力感が襲う。祐介はその脱力感に必死に抵抗しながら体を完全に起こすと、革製の編上げ靴と綿の靴下を脱いだ。
「あー……開放感が半端ねぇ……って、うわ、皮が剥けてるじゃねえか」
どうりで痛いと思った、祐介は内心で呟くと少しだけ血が滲んでいる己の足を見て再びはぁ、と溜息を吐いた。
「わあ、痛そうだね。ユースケ、傷薬使うかい?」
「そうだな……傷薬を塗る前に、先に傷口を洗いたいかな。靴下も血で汚れてるだろうからついでに洗いたい」
「なら、水を使わせてもらえるよう頼みに行こうか」
「ああ……ってて」
怪我をしているということを認識した瞬間から、患部がズキズキと痛み出した祐介。こんな調子で明日は大丈夫なのだろうか、と彼は不安に駆られる。その時ふと、自分と同じように山歩きに慣れていないだろう存在を思い出し、その人物に顔を向けた。
「そういやクレアは大丈夫だったのか?」
「何がだ?」
「いやほら、足。クレアも本格的な山歩きは初めてだろうから、痛くなかったのかなって。しかも編み上げサンダル……だし……」
いや待て、サンダルであの山道を下ったのか? え、マジで?
その驚愕の事実に祐介はクレアの足を凝視する。そこには白く形の良い足があった。傷どころか赤みの一つ無い、実に美しい足だった。
「……なんでサンダルで山下りして平気なんだ?」
「む? ああ、それは精霊に命じて妾の体を多少浮かせていたからだな」
「……は? え、浮かせて……?」
「歩くのは疲れるではないか!」
妾は疲れるのは嫌なのだ!
そう言い切ったクレアの表情は、祐介の目には実に憎たらしく映った。そんなクレアの表情を見ていると、祐介の心にふつふつとした怒りにも似た感情が湧き上がる。
あれ、なんだろうこの感じ、強いて言うなら……。
心の中で呟いた時には、もうその感情を抑えることができなくなっていた。だから、祐介は心の底からこう叫んだ。
「ずるい!」
***
祐介とピーターが「食事に行くのではないならば動かぬ!」と断言したクレアを置いて階下へと向かっている時、何やら言い争うような声が聞こえてきた。一人はこの宿屋の受付の男性のもので、もう一人は少女のような高い声であった。
「なんだ?」
「さあ……」
どちらにせよ水の使用許可をもらうために受付に行かなければならない祐介たちは、いったいどうして言い争っているのだろうと、耳をそばだてながらゆっくりと歩いた。
「だから、もう満室なんだって!」
「ソコヲナントカ!」
「無理なもんは無理だって! 気の毒だとは思うけど、他を当たってくれ!」
「ソンナー! アタシモウハッピャクイブシカモッテナイノヨ! ホカノヤドニトマリタクテモトマレナイノ!」
「なんで他国に来るのにそんな端金しか持ってないんだよ!」
「モンクナラキョウカイニイッテヨ!」
きゃんきゃんと高い声で受付の男性に食って掛かっていたのは、色素の薄い少女だった。
その少女の姿が目に飛び込んで来た祐介は、ぽかんと間抜けな表情を浮かべ思わずこう呟いた。
「天使……?」
祐介の視線の先、少女の背中には美しい純白の翼が生えていた。




