第十一話 旅立ちの日
「……まあ、言いたいことはいろいろあるけど、最終的に処刑とかされなくて良かった……」
「だいぶ物騒なこと考えてたね!?」
新暦三一二三年、光の月、タエルクの週一日。
ウィンディア国王・アーロンとの謁見の翌日、旅立ちの準備に浮かれてはしゃぐ風の大精霊……クレアを眺めながら、祐介はずっと心の内に留めていた言葉をぽろりと漏らした。それを聞いていたピーターはぎょっとした表情を浮かべ、反射的に声を上げる。まさか祐介がそこまで思い詰めているとは思っていなかったのだ。
「物騒なことって言うけどさ、実際そうされてもおかしくないほどのことをやらかしてるだろ? 俺」
「やらかしてるのはむしろ大精れ……クレアの方だと思うけれど」
祐介の言葉にピーターは答えると、いつの間にかウィルドの大通りに並ぶ露店で買い食いをしているクレアを見て溜息を吐いた。
「……クレア、昨日まで買い物一つしたことなかったはずなのに、なんでもうあんなに慣れてるの……」
「……財布の管理、ピーターに任せて正解だったな。ありゃ散財癖があるぞ。小遣いとして渡した金、たぶん残り半分も無いんじゃないか?」
「貴重な路銀が……せめて宿代くらいは死守しないとね」
三十路と十七歳、地球の日本人と異世界のドニゥ、年が離れていて更に種族も違うというのに、祐介とピーターの二人は長い付き合いのある友人同士のように気が合っていた。
二人はクレアがふらふらと露店に吸い寄せられている姿を横目に、これからの旅に必要なもの……干し肉や干し芋、ドライフルーツ、乾燥ハーブなどの保存食、傷薬などの薬品、野営道具一式、それらを持ち運ぶためのウェストポーチや大きめのリュックサック、そして護身用の武器や防具などを選んで買い揃えていた。
それらの必需品とは別に、祐介は食べられる野草や薬草についての図鑑を購入していた。風の大精霊であるクレアからの祝福を受けてからというもの、なんとこの世界の文字も読めるようになっていたのだ。だから祐介は少しでも旅の役に立てるようにと、非常時に役立つ知識を得ようとしていたのだ。この図鑑の編纂者はドニゥの有名な薬師兼冒険者で、旅人にも人気の書籍だと書店員におすすめされたのだ。
祐介が図鑑の最初の方のページをめくっている隣で、ピーターが財布に残されているお金を数えて呟いた。
「路銀も残りもう半分を切ったよ」
国から与えられた路銀は三十ウォース。これは王都で暮らす一般的な平民の一月の収入よりも少し多い程度の額だったのだが、今日の買い物だけで十五ウォースを切ってしまったらしい。
ピーターの呟きを聞いた祐介は、申し訳なさそうにこう言った。
「うわ、そうなのか。それにしても……なんか悪いな、俺の装備ばかり買ってもらって」
祐介は先ほど防具屋でサイズを合わせた皮の胸当てとすね当てを思い出していた。その二つは簡易的な防具とはいえ、そこそこの値が張るものだった。それらの防具は、祐介の体型に合わせて仕立て直してもらうようにしているので、二日後に改めて取りに行く予定となっている。武器に関しても、祐介は鉄製の短剣を購入していた。戦闘などまったく経験のない祐介に普通の剣を持たせたところで、ろくに扱えないだろうということは火を見るより明らかだ。だから彼は戦うためというよりも、護身用として短剣を選んだのである。
祐介は無意識のうちに帯剣用のベルトに差さっている短剣へと手を伸ばした。手に持った時はそれほど何かを感じたりしなかったというのに、今はずしりと重い。
「……魔物に遭ったら、抜かなきゃいけないんだろうな」
これからの旅、避けては通れない魔物との戦いを想像して祐介はぽつりと呟く。はたして魔物とは、いったいどんな姿をしているのだろう。
「ゲームに出てくるようなやつなのか、それとも本当に化け物みたいなのか……」
うんうんと唸ってみるが、情報が少なすぎて姿形を思い描くことができない。それならばと、祐介は魔物退治を行なったことが確実にあるだろうピーターに話を振った。
「なあピーター、魔物っていうのは具体的にどんなやつなんだ?」
「魔物かい? うーん、なんて言えばいいかな……あ、ちょうどいいところに」
祐介の質問になんて答えようか悩んでいたピーターの視界に、異国の旅人を乗せた馬車の姿が入ってきた。ピーターはその馬車に視線を移しながら、祐介にも見るように促す。
「ほら、あれ、馬車が通っただろう?」
「うん? あ、ああ、通ったけど……それがどうかしたのか?」
「馬車を引いているの、馬っていうんだけど、あれも魔物だよ」
「……え?」
あの馬が?
祐介は目を丸くして驚いた。そんな祐介を見てピーターがクスクスと小さく笑って更に話を続けた。
「馬は元は魔物だけど、あれは家畜化されてるから動物っていうんだ。魔物はみんな体のどこかに黒い角が生えてるんだけど、その角の数が多いほど凶暴で強い魔物とされているよ。あと、家畜化に成功した魔物は角が赤くなって大人しくなるんだ」
後で牧場に行ってみようか、そんな魅力的なピーターの提案に祐介は二つ返事で頷いた。
それにしても、と祐介は内心で呟く。魔物というのは地球で言うところの野生動物のようなものなのか、と。
その後、小遣いのほとんどを使い尽くしたクレアと合流した祐介たちは、陸路ではなく空から牧場に行こうという話になり、ウィルドの南門にある空籠の乗り場まで向かうこととなった。牧場まで、陸路では一時間ほど掛かるそうだが、空からならば二十分も掛からずに到着するのだそうだ。
空籠の乗り場に到着した祐介たちは手続きを済ませるとお金を支払い、待機していた空籠に乗り込んだ。
空籠は、籠というよりは箱に近い乗り物だった。軽く丈夫な木を組み上げて作り上げたその箱は六人乗りで、クッションも何もない硬い座面の長椅子が向かい合うように据え付けられている。それを見た祐介は受付の年配のドニゥが言っていた「もっとも安いが乗り心地は保証しない」という言葉は伊達ではないのだろうなと、どこか遠い目をしながら思っていた。
空籠の運び手が二人、己の腰に巻いている特別製のベルトに、太い革紐を使って籠の前後を固定する。しっかりと固定したことを確認した二人は、息ぴったりに魔法を同時に唱えて自分たちと籠の周りを柔らかな風で包み込んだ。その時、彼らは何やら驚いていた様子であったが、そこはプロ。すぐに冷静さを取り戻すと、二人は同時に力強く空へと羽ばたいた。
結果的に、祐介たちは二十分どころか十分程度で牧場に到着していた。その到着の早さに祐介たちは驚いたのだが、それは籠の運び手二人も同じだったらしい。二人は「こんなに調子が良いのは初めてだ」とお互いに顔を見合わせていた。
祐介たちは運び手の二人に礼を言い彼らを見送ってから、牧場の近くに併設されている小さなレストランへと足を運んだ。今日はここで昼食を摂ることにしているのだ。
四人掛けの席に座った祐介は、ほっと一息をついた。何せ、この店の椅子は全て程よい弾力のある布張りの座面だ。先ほどまで乗っていた空籠の座面が硬く乗り心地が悪かったこともあり、祐介のお尻は今、喜びの声を上げていた。
「尻が癒される……」
「お主は急に何を言い出すのだ」
祐介が思わずこぼした言葉を聞き、クレアは呆れたように彼を半眼で睨め付ける。そんな彼女の態度を見て、祐介はだって、と口を開いた。
「さっきの空籠の座面、スッゲー硬くて痛かったんだよ」
「ああ、確かに硬かったね。僕でもそう思うんだから、二人は特に痛かったんじゃないかい?」
ふかふかの羽毛に覆われたピーターが言うのだから、安い空籠の座面の硬さは推して知るべしといったところだろう。
ピーターの言葉に祐介は大きく頷いたのだが、クレアは可愛らしく首を傾げるだけだった。それを見た祐介とピーターはあれ、と顔を見合わせる。
「クレアは痛くなかったのかい?」
「ああ、あれの座り心地は悪そうだと目にした瞬間に思ったのでな、精霊に命じて妾の体を少し浮かせておったのよ」
ふふん、と得意げに言ったクレアに対し、祐介は心の中で「ずるい!」と叫んでいた。
そんな風に三人が談笑していると、ほどなくしてエリフの給仕が注文を取りに来た。
「アゥンオムーイトグ?」
その声を聞いた途端、祐介の体が固まり思考も停止した。
「僕はウサギ肉のバターソテーと、スープとパンのセットで」
「愛し子よ、この『めにぅ』というものを見てもどれが美味いのか分からぬぞ」
「どれも美味しいと思うけど……クレアはさっき、露店で串焼き肉を食べてたみたいだから、こっちの根菜とウサギ肉のミルク煮がいいかもね」
「ふむ、そうか。ならばそれにするとしよう」
「ユースケは何にするかい?」
ピーターがメニューを見せながら祐介に問うが、彼は答えない。ただ口をぱくぱくさせて、どうすればいいのか分からなくなっている様子であった。
「……おい、ユースケ、早う何か言うがよい」
微動だにしない祐介に痺れを切らしクレアが言うと、彼はようやく言葉を発した。
「何言ってんのか分かんねえ……!」
よく見たら、メニューも何が書いてあるのか分からない!
楽しい食事になるはずだったのに、ここにきてのまさかの事態に頭を抱えることになる祐介だった。
***
「……あの時、何食ったんだっけ……覚えてねえや……」
飯食った後に見た、赤い角が生えている大型犬並みにでかいウサギは思い出せるんだけど。
大きなリュックを背負った祐介がぽつりと呟いた。
本日は新暦三一二三年、光の月、タエルクの週五日。祐介たちの旅立ちの日であった。
「ユースケ、本当に荷物持ちしてもらっていいのかい?」
「ん? ああ、いいよいいよ。俺にはこのくらいしかできないからさ」
申し訳なさそうに言うピーターに、気にするなと祐介は言った。
もしも魔物に遭遇した場合、この旅に出る面子の中で対処に追われるのは間違いなくピーターだ。有事の際に彼が自由に動けるように、邪魔になる荷物は祐介が持ち運ぶというのは自然な流れだろう。
祐介は短剣と防具で武装しているとはいえ戦闘能力は皆無と言ってもいい。クレアは風の精霊に命令すれば戦えないこともないのだろうが、おおよそ旅をするには相応しくない軽装なのだ。彼女の服装は絹のワンピースに、祐介のシャツと同じ生地で作られたストールを羽織り、濃い緑色の石があしらわれているクリップ状のアクセサリーで留めるだけというもの。もしかしたら、クレアは戦闘に参加する意思などさらさら無いのかもしれない。
あと少しでウィルドの南門をくぐるというところで、彼らの背に声が掛けられた。
「みんな!」
「エミねーちゃん?」
「隊長、それにお子さんたちも!」
祐介たちに声を掛けたのは、恵美とアントニオ、そして子供であるミユキとナツキだった。
「どうしてここに?」
「そんなの、お見送りに来たに決まってるでしょ!」
「まさか隊長も?」
「……お前、上官に対してちょいちょい失礼な物言いをするよな。ったく……俺も部下の一人が重要な任務に就くんだ、見送りくらいするさ」
祐介とピータの言葉を受け、恵美は笑顔で、アントニオはむっつりとした表情でそれぞれ返す。そんな彼らのやり取りを見ていたクレアは、すっとわずかに目を細めた。彼女の視線の先には、恵美と二人の子供の姿がある。
「……ふぅむ」
細い顎を右手の指先で撫でながら何やら思案している様子のクレアに気付いた子供たちが、どうしたのだろうかと子供らしいくりくりとした目を瞬いた。
「おねーちゃん、どうしたの?」
「ぼくたち、なにかした?」
子供たちに声を掛けられたことで、クレアの思考が中断される。彼女は子供たちに改めて向き直ると、にこりと美しい笑みを浮かべた。
「小さきものよ、お主らは何も気にすることはない。今は……いや、三つともこのままであれば今後もなんの問題もないか、うむ」
クレアの言葉に子供たちだけでなく祐介たちも首を傾げる。彼女の目にはいったい何が映っているのだろう? そんな疑問の声は、誰の口からも出ることはなかった。
「それより、早う行くぞ! 妾は旅に出たくて出たくてずっとうずうずしておるのだ!」
その言葉を受け、恵美があっ、と声を漏らす。
「お引止めして申し訳ありません、大精霊様!」
「むむ、今の妾は大精霊ではなく『クレア』である。お主らもそう呼ぶがよい」
「は、はい。クレア様」
「うむ」
恵美が「クレア」と呼び方を改めたのを確認して、クレアはうんうんと満足げに頷いた。
祐介とピーターはクレアのそんな様子を見て、どうやらよほど「クレア」という名前が気に入っているようだと苦笑する。そして、そんな彼女の機嫌を損ねないうちに門をくぐろうと同時に思い、それじゃ、と祐介から口を開いた。
「行ってきます。エミねーちゃん、アントニオさん、ミユキちゃん、ナツキくん」
「来月には一旦戻って来ますので、そんなに心配しないでください。そうだ、何かお土産を買って来ますよ」
「おいおい、ピーター。大事な任務だというのに旅行気分なのはいただけないな……まずはライティに行くんだったよな? なら、酒を頼むわ」
「おみやげー!」
「ぼく、おかしがいい!」
「もうっ、アントンったら! それに二人も! 本当、気にしなくていいからね!」
お土産と聞いて浮かれた様子のアントニオと子供たちをたしなめる恵美。そんな彼らを見ていた祐介はなぜだか胸が締め付けられた。
ああ、エミねーちゃんはここにいる、この世界で生きている。
祐介はその事実を、恵美の両親と警察官になった従兄弟の昭英に今すぐにでも伝えたくなった。しかしそれは叶わないことだということも理解している。自らも異世界に来てしまった今、おそらく一生、伝えることはできないのだろう。
「……残念、だな」
ぽつりと漏れ出た呟きは、誰の耳にも届くことなく冬の冷たい風にさらわれ溶けていった。
かくして三人の旅は始まった。
最初の目的地は光の精霊の管理地である、信仰と歴史の国、ライティだ。
これにて第一章という名の本当のプロローグ終了。
次回から本格的な冒険がスタートします。




