第十話 ウィンディア王との謁見
「どうしてこうなった……」
祐介は言葉を漏らさずにはいられなかった。
「ようしお主ら、行くぞ! 旅立ちである!」
上品な絹のワンピースをふわりと揺らす彼女の後ろで、祐介とピーターの二人は疲れた表情のまま顔を見合わせると、どちらともなく大きく溜息を吐いたのだった。
***
ことは五日前、タエルクの日……ウィンディア王との謁見まで遡る。
祐介とピーターは、騎士に連れられて控えの間から謁見の間に移動していた。謁見の間にはまだ国王は到着していなかったが、部屋はすでに物々しい空気に包まれている。部屋の入り口、左右の壁際、玉座の一段下にはドニゥの騎士たちが警備のために立ち並び、話を記録する係らしき文官が三名、長机に大量の本や資料を置いて何かの作業に追われていた。
祐介たちは案内係の騎士に促されるまま玉座の三段下に跪き、頭を垂れて国王の到着をただひたすら待った。
長くはない待ち時間、祐介の心臓はどっ、どっ、と緊張と不安で激しく脈打っている。その暴れっぷりは、周囲に音が漏れてしまうのではないのかと思えるほどだ。もちろんそれがありえないことくらい理解している祐介であったが、一度気になりだすと止まらないというもの。彼は上質な絨毯の目に眩しい赤色をじっと見つめ、浅い呼吸を繰り返しながら己の頭の中にある悪い想像を追い払おうとしていた。
そんな風に生きた心地のしていない祐介の背後から、ばんっ! という音が聞こえてきた。予期せぬ大音量に、祐介は思い切り背中を跳ねさせる。彼は心臓が止まるかという思いだった。
「人の子よ、風の大精霊である妾が来てやったぞ!」
突然の大音量で祐介を殺しかけたのは、風の大精霊だった。
彼女は足取り軽く祐介たちの下へとやってくると、おや、と声を上げた。
「お主ら、何をしておる」
そう問われた祐介とピーターは、どう答えたものかと悩んだ。
「どうした、なぜ何も言わぬ」
口を開かない二人の姿に疑問を抱いたのか、風の大精霊が言葉を催促するように言う。しかしその言葉にも、祐介とピーターは何も言えなかった。
そもそもこの謁見の間では、まだ国王が現れていないとはいえ勝手な発言は許されない。しかし彼女は風の大精霊である。彼女の問いに答えないのも、また不敬といえた。
そんな、未だに姿を見せない国王と大精霊の間で板挟みとなる祐介とピーターに助け舟を出したのは、中性的な声の持ち主であるクリストファーだった。
「大精霊様、彼らは現在、口を開きたくても開けないのです。なにとぞご容赦ください」
「む」
「そんなことより……そちらのお召し物、大変お似合いですよ。しかしこの季節に着るには、いささか薄着のようにも思えますが……」
「この体になったばかりだからな、まだ熱を感じぬのだ。それに体にまとわり付く感触がどうも好きになれぬ」
風の大精霊はそう言うと、眉をしかめながら服の上から己の体をぺたぺたと触った。
祐介たちには見えていないが、彼女は今、最上級の絹で作られている、染色されていない純粋な絹の色と光沢が美しい、シンプルなホルターネックのワンピースを身にまとっていた。スカートは膝下丈で、腰の位置で赤茶色の革のベルトを締めている。袖はなく背中も大きく開いていることから、クリストファーの言う通り、冬に着用するにはだいぶ薄着と言える代物だった。
「大精霊様、そう言いながら裾をたくし上げようとするのはおやめくだされ」
祐介たちの耳に、低く渋い声が届いた。いったいこの声は誰のものなのか、祐介が疑問を抱いていると、クリストファーが小さくあ、と声を漏らした。
「父上……陛下」
その声が聞こえてきた瞬間、祐介の頭が真っ白になる。とうとうこの国で――風の大精霊を除けば――一番偉い人がやって来たのだ。
「遅くなったな」
クリストファーとは違う低めの渋い声の持ち主であるウィンディア国王は、玉座の前に立つと祐介とピーターの二人に声を掛けた。
「愛し子、ピーター・ドラグ、そして異世界人、ユースケ・タニグチ、面を上げよ」
ピーターは緊張の面持ちで、祐介はまるで生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えながらゆっくりと顔を上げる。二人の視線の先には、青と緑の美しい孔雀の羽を持つ一人の男性が立っていた。彼こそがこのウィンディアの国王、アーロン・オウル・シルエル・ディノ・ウィンディアその人であった。
アーロンは己の立つ位置よりも低い場所に跪く二人をじっと見つめる。そして次に、彼らの背後に立っている風の大精霊に目を向けた。
風の大精霊はベルトを緩めようと躍起になっていた。しかし今まで着たこともない衣服の仕組みなど彼女に分かるはずもなく、余計に締め上げて「ぐえ」と情けない呻き声を漏らしている。アーロンは風の大精霊の醜態を見なかったことにしようかどうか少しだけ悩み、小さく咳払いをして彼女から視線を祐介たちに戻した。彼は見なかったことにすることを選んだのだった。
アーロンは己に見られてびくりと肩を震わせる祐介を見て、怯えるのも仕方のないことかと内心で呟く。アーロンは短く息を吐くと、二人を安心させるかのように努めて穏やかな声で話し掛けた。
「此度のことはもちろん大変な事態であるが、余らにも、そして大精霊様にも予測できなかったことである。よって二人とも、気に病むことはない……と、言いたいところではあるが、そうもいかないのだ。すまぬが、これだけは分かってもらいたい」
アーロンのこの言葉に祐介の表情が絶望に染まる。彼のそんな表情を見てそこまで思い詰めなくとも……とアーロンは言いたかったのだが、ウィンディアの国王として、この一大事を引き起こした彼らに何かしらの処分を下さなければ国民に、そして他国へ示しがつかないというものだ。
アーロンは口を開く前に、今年の風の大精霊の付き人に選ばれたピーターを見やる。
十七年前のタエルクの日、クリストファーより一時間遅れて生まれた彼は、下級貴族の五男だった。第二王子と下級貴族の五男。同じ愛し子でなければ一生言葉を交わす機会もなかったであろう二人は、愛し子としての修業を共に行ううちに気の置けない仲となっていた。やがてクリストファーは第二王子として王宮に戻り、ピーターは一般の入隊試験を経てウィンディア兵となった。
そういえば、と、アーロンはピーターが所属している部隊の隊長を思い出し、内心で苦笑いを浮かべた。
同期の中では傑出した実力を持ちながら、勝手に異世界人の娘と旅に出た男、アントニオ・ノルウェス。彼は十年経ってウィンディアに戻って来たものの、勝手に旅に出たという事実が自業自得とはいえ足枷となり、まったく出世できないでいる。それでも一部隊の隊長ではあるのだから、高い実力と統率力を持っているのは間違いないのだろう。もしも彼が旅に出ていなければ、今頃はウィンディアの武に関する重要職に就いていたかもしれない。
アーロンはそこまで考えて小さく頭を振った。過ぎたことを長々と考えていても仕方のないことだからだ。それよりも今は、目の前の祐介とピーター、あと風の大精霊のことを考えねばなるまい。
まずはピーター。彼はクリストファーの覚えもめでたく、彼自身の実力も申し分ないとアーロンは聞き及んでいる。今後の彼の働き次第では、ただの一兵士で終わらせるのはもったいない。ゆくゆくはクリストファー付きの近衛騎士として召し上げてもよいかと、事件が起こるまではアーロンは考えていた。
次に祐介。彼は貴重な異世界人だ。最近この世界に現れる異世界人は、昔のように専門的であったり革新的な知識や技術を持つ者が少なくなっている。しかしそれでもこの世界には無いような発想を持つ者が多く、その点は侮れない。他にも祐介は、風の大精霊の祝福を受けている。大精霊の祝福を与えられるものなど歴史上でも数えるほどしか存在しないので、彼を失うのは国として正直惜しいと言える。
そして最後、風の大精霊。彼女の存在がアーロンにとっては一番悩ましい。そもそも大精霊は、この世界で創造神タエルクと共に信仰の対象となる存在だ。だからこそ、一国の王とはいえ風の大精霊の考えに口を出せるはずもない。彼女が祐介を連れて旅に出ると言うのならば、アーロンとしてはその言葉に従わざるを得ないのだ。しかし普段はその姿が見えないとはいえ、大精霊がウィンディアの土地のどこにもいないというのは大問題だ。今は風の大精霊がエリフのような姿に変わってしまっているということを知るのは、ウィンディア国内でもこの王城と教会の者たちのみであるが、噂というのはどこからか広がってしまうもの。いずれは他国にもこの情報は流れてしまうだろう。その時、他国はいったいどう動くのか。頭の痛い問題に、アーロンは目を伏せううむと唸った。
「……まあ、少なくとも戦争にはなるまい」
アーロンは各国の性質や情勢を頭に浮かべながら呟いた。
「……戦争にはならなくとも、ライティとダカルク辺りが何かを言ってきそうだな」
世界の歴史を編纂するという使命を持つ二国の名前を口にして、アーロンはふう、と息を吐いた。
さて、長々と考えごとをしてしまったが、祐介らに対する処分内容は実はもう決定している。
貴重な異世界人が他国に逃げたりしないよう監視し、将来有望な若者をアントニオの二の舞にならぬよう国王直々に役目を与え、風の大精霊の望みを叶える。
細かいところはもう少し詰めていかなければならないだろうが、ひとまずの大義名分をアーロンは彼らに与えた。
「ユースケ・タニグチへの処分内容は、大精霊様を元のお姿に戻す手段を各地を回り探すことだ」
この言葉を受けた祐介はぽかんとした表情を浮かべる。想像していた処分内容とはずいぶんとかけ離れていたからだ。
「ピーター・ドラグ。そなたもユースケ・タニグチと共に各地を巡るのだ。愛し子であるそなたであれば、各国の大精霊様への目通りも叶うであろう」
ピーターも予想外の処分内容だったようで、目を丸くする。
「そして、大精霊様」
「なんだ?」
「……風の月には、ウィンディアへお戻りを。水の月になればまた旅に出ていただいて構いません」
「むう、まあ……風の月は妾の管理月だからの、それは仕方がないか」
祐介にはよく分からないことを呟いて、風の大精霊は納得したように頷いた。
それを見て胸を撫で下ろしたのは他でもないアーロン。彼はこの問題がひとまずは丸く収まりそうで、少しだけ肩の荷が下りたのだ。
おほん、と小さく咳払いをして、アーロンは話を続けた。
「では、諸君らの健闘を祈る。旅立ちの日は五日後、光の月タエルクの週五日だ。それまでに旅の用意を整えるように。路銀もいくらか渡そうと思う。準備ができたら使いをやるので、後ほど取りに来るように。それと……大精霊様には一つお願いがございます」
「まだ何かあるのか」
うんざりしたような表情を浮かべる風の大精霊。それを見たアーロンは、大精霊も意外と表情豊かなのだなと、この場ではどうでもいいようなことを考える。
アーロンは内心で苦笑しつつ、風の大精霊に一つのお願いごとを伝えた。
「大変申し訳ないのですが、不要な混乱を招かぬためにも、大精霊様にはその正体をなるべく隠していただきたいのです」
「正体を隠す、とな?」
「はい。今のあなた様のお姿は完全にエリフのそれですから、大精霊だと言っても誰も信じぬでしょう。むしろ信心深い者が聞いたら『罰当たり』だと騒ぎ立てるやもしれませぬ」
「ううむ、面倒だのう」
うげ、という声が聞こえてきそうなほどに表情を歪める風の大精霊。この表情だけ見れば、先ほどのアーロンの言葉の通り彼女が超常の存在だとは誰も思わないだろう。ゆえに、面倒なのだ。
「ええ、面倒なことになりかねません。ですから、旅の間は、大精霊様にはエリフの女性として振舞っていただきたいのです」
「なるほどの。お主の言いたいことは分かった」
「ご理解いただけたようで何よりです。なので、大精霊様には旅立ちまでにエリフの女性としての名前をお考えいただきたいのです。しかし名付けなど大精霊様にとっては不慣れなことでしょうから、よろしければこちらで考えますが……」
「その必要はない、良い名を思い付いた」
アーロンの申し出を風の大精霊は断る。そして口の両端を上げにんまりと笑うと、その澄んだ美声を謁見の間に響かせた。
「クレア・テア。妾は今から、クレアと名乗る!」
こうして、ここに一人の「エリフの女性」が誕生した。




