ホワイトボード
色々目をつむってください……
フユキと再会した数日後━━━。
パンっ!と手を打つ音が、マンションの一室に響いた。
「さあ、トコ。いえ、ハルキ先生?始めて。」
我々の主━━━ユカイは、顎の下で指を曲げ、うっすらと微笑む。今日は今月の給料が決定する日だ。
ユカイは真っ白なワンピースに、全く焼けていない白い肌。彼女の性格が現れたかのような切れ長の瞳に、まっすぐな黒髪。一寸の狂いもなく、いつも同じコーディネートをしている。
ユカイに飲み物を運び終えたメイドのトレイシーが、胸の横でギュっと両手を握って見せた。頑張って!と応援してくれている。
「は、始めます!よろしくお願いします‼」
ハルキは、普通のお宅には置いていないだろうホワイトボードに、さらさらと『世界線』と書いた。
ユカイの眉間に皺が寄る。
「よくマンガとかアニメ、ゲーム何かでも使われている理論なので、目新しくはないです。過去・現在・未来、時間を解析するには、まずここから始めます。」
ハルキは一本の直線を描いた。ユカイは黙って聞いている。
「下が過去、上が未来。」
線の下に黒丸を付け、上に矢印の傘を付ける。
「今日が月曜日だとします。そして、ここが2日後の水曜日。」
直線の真ん中に点を打つ。
「例えば、水曜日僕はAさんと結婚すします。」
紅茶を吹く音が聞こえたが続ける。
「この未来はAさんと結婚する未来。今度は水曜日Aさんにフラれたとき。一生独身を貫きました、という未来。」
トレイシーが悲しそうにハルキはを見つめる。ハルキは気にせず水曜日の点から分岐する枝を左側に描く。
「今度は、火曜日にAさんと出逢わなかった未来。」
トレイシーがますます憐れむ表情をする。ハルキは水曜日の点より下の右側から、枝を上に引っ張った。
「最後にここが月曜日、つまり現在。」
月曜日は過去と火曜日の間に取った。
「未来をこの3つに限定したとします。ユカイさんの能力は、月曜日の時点でこの3つの未来から実際に起こる未来を特定する能力ではないでしょうか。」
終わった。ハルキは一息つくと、ユカイを不安気に見た。ユカイは斜め23.4度に頭を傾けながら口を開いた。
「余りにも単純過ぎない?実際この分岐点は私の脳で処理できないほど多いわ。諸説あるけど、人間は1日に約9000回の選択を行っていると言われているの。重要な選択だけがこの分岐点を作るとしても、産まれてからどれだけの選択を行うと思ってるの?」
ハルキは口をきゅっと閉めた。
「それに、この説には矛盾があるわ。私の能力が未来の事象を特定するものなら、特定するための他の事象も発生していなきゃおかしいもの。エイコと結婚する未来も、しない未来も、出逢わない未来も、存在しなくては特定できないわ。そうだとすると、分岐の数だけ世界があるのかしら?」
「パラレルワールドですね!」
トレイシーが興奮気味に口を挟む。
「そんなものは残念ながら証明できないわ。逆に選択肢が存在しない、トコがボッチの未来しかないのなら?そもそもこの理論は成り立たないわね。分岐点がないといことになるから。」
ハルキは自分の考察を甘いと自覚した。
「まぁ、『まずここから』と言ったことは評価しましょう。これから君は、大学でも人生でもたくさんのことを学ぶわ。繰り返しながら前進することが大事なのだよ。」
そして、最後に真剣にハルキを見つめてこう言った。
「今月のお給料、3万5千円!!」
夕刻、トレイシーがビーフシチューとサラダ、それから野菜たっぷりのコンソメスープを並べた。
「トコ君は答えを導きだすのですか?」
トレイシーは言った。
「さぁー?」
ユカイはふっと笑いながら、フォークでトマトを刺す。
「未来を知ることができて、それが何になるの?知っていても何も変えられない、救えないのに……」
「それは私たちと同じじゃないですか?」
トレイシーは優しくユカイを抱き締めた。
「私だってレナ様に何もできない。」
トレイシーはただ傍にいるだけだ。それしか、ユカイにしてあげられない。何かしようとすることこそ、おこがましい。
ユカイはトレイシーの人生を奪っていると思っているのだろうが、それをトレイシーは受け入れている。
「ごめん……」
ユカイは小さく呟いた。