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後宮へようこそ  作者: 九重たまこ
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後宮へようこそ ⑦

 

 次の日からわたしの日々はがらりと変わった。幸いなことにあれから襲撃はない。その点では安定している。だが、生活が目に見えて変化した。

 まず、日の出とともに起き、鍛錬を行い、湯あみをする。もちろん人の手で磨き上げられるのだが、やはりこの習慣はなかなかきつかった。

 だが、もっと悲しいのは、熱々の食べ物は一切出てこなくなったことだ。

 湯あみのあとに朝食なのだが、毒味をされてから出てくるので、冷えているか、よくて生ぬるいものだけだ。今までのものとは格段に多くの種類の食事が少しずつ出てくるのだが、熱々の汁物や蒸し物を中心に食生活を送っていた者としては、いささか物足りない。

 味も都風に薄かった。おまけに、魚は裏まで食べてはいけないらしく、ひっくり返そうとしたら下げられた。

 その後は教師から様々な帝王学を叩き込まれる。普通の学問は行っていたが、特殊な統治術や経済学といったものは習っていなかったから、ついていくのに必死だ。毎日いろいろな教師の下、学問を学ぶ。

 わたしはあまり魔力の制御に関して精通していなかったので、神官長にそれを学ぶことになり、体力や知力とは別の部分でまた疲労困憊だ。

 また、皇太子になったことで兄が治めていた皇太子領を治めることになったため、学問で習ったことをそこで実践する。視察を行い、必要なものを割り出し、予算を立てて実行する。

 昼食は夜会があるかもしれないので粥や果物だけというごく質素なものであり、体を思う存分動かしていた分、肉とか甘味とかを思い切りとっていた過去が懐かしかった。

 夕方から夜にかけては、今まではほぼ気にしたこともなかった美容術や面倒くさい宮廷作法、将来使うだろう房中術を学ぶ羽目になっていた。


「疲れた…、もう嫌だ~…」


 執務室に条雅だけになった時だけ、弱音が吐ける。皇太子になった時に母に言われたのは、心底信頼できる相手以外には弱みを見せるな、ということだった。

 それだってあまり言ってはいけないと。だから、わたしの口数は非常に少なくなったに違いない。

 涙目になりながら突っ伏すと、頭の上に手が乗せられ、なだめるようにぽんぽんとたたかれた。この一月というもの、弱音も吐かずに頑張ったのだ。だが、本当に寝る以外の時間は全くと言っていいほど、自分の時間が取れなかった。

 見た目も習慣も服装もすべて、今までの自分を全否定されて、息が詰まりそうだ。

 皇太子になった時、こちらに持ってきたものは、父のお守り意外すべて処分された。かなり強力な守りだったから、持っていたほうがいいと神官長が言ったのだ。

 こちらに来た時に身に着けていた服、靴、髪飾り、本。決して多くはなかった所持品を処分されたとき、自分の半分を削り取られたような気がした。

 今まで気分転換だった遠乗りにも行けないし、料理もできない。

 極めつけは、今日母に通告された婿選びの日取りの決定だった。とりあえず、三十人の中から十人くらいまで絞れという。絵姿と釣り書きだけで選ばねばならない。


「父上に会いたい~、梨艶りえん~、マチアス~…。アディル会いたいよ~。ハク~」


 父をはじめとしたあの北の地で過ごした仲間や親友、そして愛馬に会いたかった。あの干草のにおいが懐かしい。馬糞すら愛しい気がする。


「婿なんて選びたくない…」


 味方があまりいない中、さらに新たな、だが重要な立場を占めるものたちを選ばねばならないなんて。相手を知るだけで労力が費やされる。

 そんなわたしを見て条雅が深いため息をつく。彼の気持ちもわからなくはない。二人きりになるといつも愚痴っているのだから、嫌気がさそうというものだ。


「……お前は頑張ってるよ。だから、もうちょっと先にしようかと思ってたんだけどな…」


 ため息の後、目の前に置かれたのは手のひら二つ分程度のものが入りそうな皮袋だった。煤けていてあまり綺麗ではない。だが、何かが入っているようだった。


「開けていいぞ」


 きっちりと絞められた皮ひもをほどき、中を覗き込むと、入っていたのは西大陸風の銀色の手鏡だった。結構大きく、持ってみるとズシリと重い。わたしはいいが、深窓の令嬢なんかが持ったら手首をねんざしそうだ。

 銀色の鏡の周りには細かな美しい装飾があり、一番上の部分に一つだけ魔石と思われる玉がはめてあった。若干橙を帯びた朱い石は朱家の家紋にはまるものと同じだ。


「これ、手鏡だよね。きれいだけど…」

「もちろんただの手鏡じゃない」


 そういうと、条雅は石を右に九十度ほどひねり魔力を込めた。すると、鏡がぼんやりと光を帯びる。すると、中に父が映り込んでいるではないか。見覚えのない背景からすると、都に持っているという屋敷かもしれない。


「父上!父上!」


 思わず叫ぶと、中の父がこちらに気づいたらしく、わたしのほうにやってくる。父親離れしていないと言いたいのならば言えばよい。ずっと父子二人で暮らしてきたのだ。

 怖い時も、厳しい時もあったが、わたしは父が大好きだ!


「ああ、ようやくお前のところに鏡がわたったのだな。久しいな、嘉瑶」


 年を重ねて(まだ十分に若いが)いや増す美貌にうっすらと笑みを浮かべる。思わず見とれてうっとりとする。肉親の良く目を抜きにしてもこの人は美しい。

 そして待ちかねていたぞ、条雅とからかうように父は言った。


「ようやくって…もうちょっと前に条雅にこれを渡してたってことですか?」

「そうだな。こちらに来て殿下方のご葬儀が終わったころに渡しておいた」


 それを聞き、後ろの従兄をにらみつける。だが、しれっとした顔で彼はわたしにこう告げた。


「お前にそれを渡したら、すぐに叔父上に連絡をつけて、ほかのことが疎かになるかもしれないではないか」

「そんなことないもん! ちゃんとやってるでしょうがッ」

「落ち着け、嘉瑶。条雅もあんまり厳しくしてやってくれるな。お前しか味方がいないのだから」


 父の言葉にピタリと条雅が口を噤む。幼いころから家庭の事情で我が家にたびたび預けられていた条雅は父に弱い。だが、その顔には不満と大きく書いてあった。


「まあ、時間もないことだし、私にはあまり今回のことに権限がない。最大限の便宜は図ったが、どうなるかわからんしな。とりあえず、嘉瑶、幾つかお前に告げておくべきことがある」


 真剣な空気になったので、思わず居住まいをただす。すると、父の後ろにある机の上に恐ろしいほどの書類に山が見えた。しかも、形式からして正式な印が必要ななものばかり。きっと相当に忙しいのだろう。


「は、はい!何なりと」

「まず、今回は条雅が結界を張っているからいいが、次回は自分で張ってからこの鏡に連絡してきなさい。連絡できるのは私と条雅のみだ。そのように魔力を登録してある」


 私が見たことのある通信鏡は大きいものばかりで、交換手があらかじめ登録してある通信施設につなぐものだったが、なんでも登録した魔石をはめ込めばその相手のみと交信できるらしい。

 技術は日進月歩だ。

 素晴らしい!


「承知しました。周りに注意を払うことにいたします」

「二つ目だが、お前、今皇太子宮にいるな」

「あ、はい。居ります。至虹兄上の部屋はいまだ保全中ですがそれ以外はわたし仕様にしてもらっています」


 母は名残惜しいらしく、全面改装したというのに未だに至虹兄上の部屋だけとっている。大っぴらに言えないがと前置きして、残しておいたら一層お辛いでしょうに、と蒼夫人が呟いていた。

 どうやら母はほかの子どもに比べ長兄を相当溺愛していたらしい。


「そうか。皇太子、いや元皇太子の部屋はまだ無事か…」

「それがどうかなさいましたか、叔父上?」

「…嘉瑶、そこには近づくな」


 どうやら、貴族の間では暗殺説が飛び交っているらしい。継承権を持つ皇子がいきなり二人もこの世を去ったのだから無理からぬことだ。

 

「しかし、近づくな…とは」

「勘だ」


 堂々と言い放つ父に条雅と二人顔を見合わせる。

 だが、この父の勘は存外馬鹿にならない。魔術という点ではあまり秀でているわけではないが、豊富な魔力とその美貌で父は精霊に愛されてる。

 すなわち、精霊から虫の知らせがあることが幾度となくあったのだ。


「承知いたしました。できるだけ中には入りません」

「こちらでも十分に気をつけさせていただきます」

「ああ、そのように。後、もう一つだが……」


 一瞬言いよどみ、だが改めてこちらをじっと見て、父は言った。


「結婚することになった」


 久々に会った父の、その爆弾発言に心臓が飛び出るかと思った。




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