後宮へようこそ ㉙
条雅がぐたっと休んでいる間に、ちび竜ちゃんが志賢とジョルトを呼んできた。あの子を貸してくれた時に志賢が言っていたように、確かにかなり連絡が早い。そして、二人とも、相変わらずの空間移動である。非日常なはずなのだが、なんだかもう慣れた。
「いらっしゃい。条雅が帰ってきたんだね」
「ええ、この子から聞いたわ。なんだか、面倒なことになりそうだって」
かりかりと見事な彩色が施された爪で、ジョルトがちび竜ちゃんを撫でてやると、まるで猫のように満足そうににんまりして胸を張った。思ったよりも竜という生き物は表情があるようだ。
「いつも完璧な外面の君にしては珍しいね、条雅」
「ああ、ジョルト様、志賢様。ご無礼を」
元々面識があるジョルトが心配そうに話しかける。だが心底疲れているらしく、いつもだったら身分差からしゃきしゃきとお茶の準備をするのに、いまだに立たない。体制だけは立て直したが、ぐんなりしている。何があったんだろうか。
「少しだけ、浄化させてよ」
ジョルトが手をかざすと、条雅の周囲にささやかな風が巻き起こる。その風に包まれ、髪や服が軽く舞い上がり、少しの後にぐっと顔色がよくなった。
「お気遣いいただき、ありがたく存じます」
にぎにぎと両手の感覚を確かめるような動作をすると、体を起こして丁寧な礼をジョルトに向かって行う。すごい回復具合だ。ちょっと近寄りがたい感じがしていたから、変なものが憑いていたようだ。
「よくもまあ、ここまで色々くっつけてきたね。まあ、思念だけだから大丈夫だろうけれど」
「それだけ色々と魑魅魍魎がうごめく世界なのですよ」
苦笑して、茶を淹れてまいります、と言うと水場に消える。
「……すごかったの?」
「呪いとかじゃないけれど、それに近いものが全身に、特に足にまとわりついてたから。多分、結構、彼はそういうのに敏感なんじゃないかな」
「一噛みしてあげようかしら。竜の所有印はわりに有効よ」
鋭い牙を見せながら志賢が言った。手元にいるちび竜ちゃんも、同じようにかぱっと口を開ける。まねっこがかわいい。
噛み跡は気に入ったものに、竜がよくつける印だという。竜は神に近しい存在なので、その所有しているものに対して悪意はなかなか憑りつきにくい、と説明してくれた。逆に、ものによっては精霊の加護も跳ね返してしまうらしいけれど。
「血とか鱗は問題あるけどね。すぐに人間には見えなくなるし、ちょっと噛むくらいなら問題ないわ」
そう考えると、竜の血に浸した竜の鱗を飲んだという次兄のことがちょっと気になった。人間じゃないって言うけど、変な変化をしていないだろうか。手足が生えるとか言っていたので、ちょっと心配だ。
そんな風に緊張感なく色々なことを話していると、条雅が上客用の茶器に入ったお茶とお茶請けを持ってやってきた。干した果物と砂糖菓子だ。
「お騒がせいたしました」
音もせずにジョルト、志賢、私の順に設置していくと、茶器が置かれるごとにさわやかな白茶の香りが漂う。胸いっぱいに吸い込むと、妙に安心感がわいてきた。
「それで、あなたの調査結果はどうだったの?」
あなたもお茶にしなさい、との命令されて条雅も同じ席についてお茶を飲み始める。香りのよいそれを飲むと、少しずつ顔色がよくなってきた。
「……例の薬物汚染はかなり深刻ですね。女官のかなり多くは、使用の有無はともかく、一度は手にしています。どうやら痩身効果、緊張緩和効果のあるお茶として入ってきているようです。胡散臭いとか好みに合わないとかで飲まないものもいましたが、気に入って飲み続けているものも少なくありません。そういう人々の髪を入手し、白嶺様に言われた検査薬で調べましたから、間違いないでしょう」
思わず、お茶を口から離し、まじまじと見つめてしまう。失礼な、と言い条雅が眉を顰めた。
「……それは志賢様から頂いた、上等な白茶だ」
「ワタシたちには効かないけど、疲労回復効果があるみたいよ。ワタシは単純に匂いが好きなの」
そういえばこの人は商人であった。今やかなりこの後宮には彼の商会の品物が出回っている。信用しすぎるのもどうかと思うけれど、この人は大丈夫だと私の勘が告げているので、今のところ信じている。
「そっか。でも、薬茶があるんだから、あんまり疑わないで飲むよね」
むしろ貴族令嬢のたしなみで、薬茶を配合したりする。それが新しい流行を作り出したりするのだ。私は苦手だが、一般的な令嬢はわざわざ師を雇って配合を習うものである。もっぱら我が家ではマチアスが作ってくれていたのだが。
「そうだね。エサクでも薬茶は一般的だから。シヴァ―ルエデスコニだってお茶として飲むし、疑えって言うほうが難しい」
亜扁桃の反応薬の成分の一つであるニジイロウイキョウは、代表的な女性向けの薬茶の一つだ。茶葉の取れないエサクの地では、薬草を茶にするのが一般的で、新しいお茶だといったら、香りがいい亜扁桃のお茶も受け入れられてしまうだろう。何せ、匂いだけならば扁桃によく似ており、扁桃自体もお茶として使われるからだ。
「ええ、そうなのです。奇妙なのは、大元に近づくほど誰からもらったか、という記憶があいまいでした。最終的に誰にもらったかというのがわからない。誰だったか、という答えが非常に多くなっています」
出所のもとに近づくほどに、記憶があいまいになっていくという。おそらくは中期的な症状だ。白嶺の言っていた症状に合致している。ただ、それだけではなく、何らかの暗示をかけられてる可能性もあるという。魔術を使わなくとも、暗示をかけるだけならばさほど難しくないのだ、と条雅が言った。
「ようするに、かなり広範囲に浸透しているということねぇ。少なくとも女官には蔓延しているわけだわ」
「そうなりますね。一部を入手することができたので、白嶺様に持って行こうかと思っております」
彼ならば嬉々として渡したら分析するに違いない。薬草にも各地の特性があるという。細かくなっていても、ものによっては分析できると言っていた。
「彼はなかなか面白いよね」
「そうねぇ。味方でいるうちはいいけれど、何か餌でつられて敵方に行ってしまいそうだわ」
三番目の兄がそういう傾向があるのでよくわかる。彼らにとって興味のある研究や開発が優先で、それがいいことなのか悪いことなのかは関係ないのだ。ただ興味があるから、やりたいからやる。その分、味方につければかなり心強い。
干した泡杏を噛みしめながら頷く。口の中にぱちぱちという刺激が走った。
☆
それから三日後、七日間の里下がりの許可が下りた。皆、三々五々とそれぞれの拠点に帰っていく。転移陣の申請をして故郷に帰るものもいたし、帝都の拠点に行くものもいた。
毎回、最初に里帰りをし、里心がついて帰ってこないものもいると聞かされた。だから、気にいたものは確実に名前に印をつけておくように、表を渡された。ジョルト、志賢は当然として、白嶺とノルにも〇をつけておいた。サゴンにも△を付けておく。×は付けなかったが、その他はよくわからないので無印だ。
まだ碌に王配としての教育も受けていないのに、気の早いことである。
他が里に帰る中、私は、朱家の分家の子ということになっていたので、一応外に出ることになった。ただし、行くところは父が帝都に持っている家で、二日過ごしてから皇太子宮にこっそり戻ることになっている。
他のみんなが数日羽を伸ばせるのと違い、身分を偽って帰っているので、戻って皇太子としての仕事をしなければならなかった。代行ではできない、どうしてもやらなければならないことがたまっているそうだ。
「面倒くさいね」
「仕方ないだろう、私だとて面倒くさい」
条雅は毎日が大変だ。この三日間、日に数時間は偽りの身分ではなく、皇太子付きの近侍の条雅として宮に戻って仕事している。私がやる仕事の整理だそうだ。
「帝都の朱伯の家では黒が常につくことになる。今のところ大丈夫だが、信用しすぎないようにした方がいい」
「そうだね。陛下からつけられた人なわけだし」
黒はよく働いてくれているけれど、まだ信用しきれていない。立場上、仕方がないけれど、かなり本心を隠している気がするのだ。
問題はどうやって志賢の言っていた楼閣に行くかだが、夜にこっそりと迎えに来てくれるらしい。当然、空間をまげて。
いよいよ、次兄との再会が迫っていた。




